連載5

そして誰もいなくなる
今邑彩

1993年 中公ノベルス

 ミステリの女王、アガサ・クリスティの代表作『そして誰もいなくなった』をご存じだろうか。謎の招待主によって孤島に呼び寄せられた互いに見知らぬ十人の男女が、マザー・グースの童謡になぞらえて一人ずつ殺されていくという異色の名作だ。戯曲版もあり、映画・演劇等でご覧になった方も多いかもしれない。本書はその『そして誰もいなくなった』をモチーフに、ミステリらしい趣向をこらしたプロットが魅力の秀作である。もちろん、クリスティの作品を読んでいなくても十分楽しめるように工夫されている。
 名門女子校・天川学園の開校百周年を祝う七夕祭当日。記念行事の高等部演劇部による「そして誰もいなくなった」が上演される。ところが、その上演中、最初に服毒死する被害者役の女生徒が舞台上で実際に毒殺されてしまうのである。しかも、その翌日には、次の被害者役の女生徒が睡眠薬の飲みすぎで死んでいるのが見つかる。さらに第三、第四の事件が続いて、演劇部員がそのキャスティング通りの順序と状況で殺されていく。はたして、次のターゲットは? そして犯人の目的は? 部長の江島小雪は顧問の向坂典子と共に姿の見えない殺人者に立ち向かうことになるのだが……。
 演劇部員は何故、舞台で演じたキャラクターになぞらえて殺されねばならないのか。それが本書最大の謎である。そして、被害者の間に共通の動機を見いだせない、童謡や物語になぞらえた連続殺人。つまり『そして誰もいなくなった』の設定が、そのまま本書の構成の重要なファクターになっている。これがトリックを支える屋台骨だ。著者が作中でたびたび『そして誰もいなくなった』に触れるのは、両作品の設定の共通性を強調することで読者の推理を誤った方向へ導くことを瞭らかに意図している。それは百も承知で読んでいても、それを見越した巧みな構成につい騙される。そこでは、クリスティの歴史的名作も読者をアッと言わせるための仕掛けにすぎない。決して明るい話ではないが、後味の重さを感じさせない、そうした著者の明快なミステリ観が好ましい。
 本書には『そして誰もいなくなった』を読まなければ分からないちょっとした趣向も隠されている。出来ればクリスティの作品を先に読んでから本書を手にして欲しい。但し、それは既に著者の仕掛けた罠の一部であることをお忘れなく!

 付記(1999/11/12)
 A・クリスティ「そして誰もいなくなった」のミステリ・コンセプトは、実に単純明快、且つ魅力的である。作家なら、クリスティとは違った解決に挑戦したくなるのは当然だろう。もちろん、同書をモチーフとした作品は少なくない。本書が刊行された前後にも、「そして誰かいなくなる」(夏樹静子)、「11人目の小さなインディアン」(ジャックマール=セネカル)があった。最近では、霧舎巧「ドッペルゲンガー宮」の作中作『そして誰もいなくなるか』や、森博嗣の「そして二人だけになった」もある。
 だが、それらの作品と比べても、ミス・ディレクションとしてクリスティ作品を巧みにプロットに織り込んだ本書の着想はミステリらしく、断然面白いのである。


初出 「シナリオ教室」1997年9月号(8月28日発行)/サブタイトル「トリックを支える屋台骨はクリスティの名作」
掲載 1999年12月24日