連載7

頼子のために
法月綸太郎

1990年 講談社ノベルス

 読者にとって、ハッと目が醒めるようなオリジナリティとの出会いがミステリを読む楽しみの一つでもある。面白いミステリには、トリックにしろ、プロットにしろ、何かしらこれまでにない斬新なアイディアが生かされているものだ。
 もっとも、そんなものがそう簡単に手に入るわけでもないから、過去の作品で使われたトリックや設定をひとひねりしたり、工夫して独自の作品に仕立てあげる。それも、ミステリ創作のスタンダードな手法の一つである。とはいえ、本書をそんな作品の代表作として取り上げるのはいささか心苦しい。なにしろ、本書は単にトリックに新しい要素を付け加えたり、設定の枠組みを借りたりしただけのものではない。先達の作品の本質的な部分を取り出し、再構成することで、完璧に著者独自の作品世界を創作しているからである。
 さて、本書の第一部は「頼子が死んだ。頼子は私たちのひとり娘だった」という父親・西村悠史の手記から始まる。手記は、頼子の死を通り魔殺人で片付けようとする警察に対して、西村が独力で犯人をつきとめ相手を殺した後、自殺を図ったところで終わっている。しかし、この手記に目を通した名探偵・法月綸太郎が、その背後に隠された真実を探るべく再調査に乗り出すところから本当の物語が始まるのである。はたして綸太郎が手記に抱いた疑念とは……。
 はっきり言って暗い話である。驚愕の結末に至っては、まさに救いようのない展開でちょっと辛い。だが、それこそが著者の求めるテーマの必然であり、持ち味でもある。
 ともあれ、前述の如く、本書は瞭らかにミステリ史に名を残す大先達の作品による強い影響を受けて成り立っている。著者にとって、本書は「ロス・マクドナルドの主題によるニコラス・ブレイク風変奏曲」。つまり、手記の利用はブレイク流サスペンス、真相に潜むテーマはロス・マクドナルド風ハードボイルドというわけだ。そして、忘れてならないもう一人が、名探偵の設定(作家と同名で父親が警視)からも明白なエラリー・クイーン。特に、本書の事件に端を発した、自らの存在の意味に苦悩する名探偵という魅力的なテーマの提示は、まぎれもなくクイーンの影響によるものである。
 尚、本書はその後に発表された「一の悲劇」、「ふたたび赤い悪夢」とともに三部作を構成していると言う。本書の事件の後日談等、興味があればそちらも是非読んで欲しい。

 付記(1999/12/9)
 綾辻行人の『伊園家の崩壊』を読んで、子どもの頃よく見たTVのアメリカン・ホームドラマを思い出した。所詮作り物のプロパガンダだと思う反面、少なからず子ども心に憧れみたいなものを感じたものだ。いずれにしろ、ロス・マクの「ウィチャリー家の女」を読む頃には、そんな幻想は跡形も無くなっていたのだが。
 それにしても、悩める名探偵と家族の崩壊という本書のテーマは興味深い。それはアメリカの夢と正義という幻想に隠された真実でもある。EQとロス・マクの組み合わせは実に巧妙なのである。
 本書には性格的に相当屈折しているらしい著者の持ち味が生きている。長編なら作風的に似た「一の悲劇」も悪くない。ただ、ミステリとしては短編の方が出来が良い。どの短編集も面白いが、一冊選ぶなら「パズル崩壊」だろう。


初出 「シナリオ教室」1997年11月号(10月28日発行)/サブタイトル「自らの存在の意味に苦悩する名探偵」
掲載 2000年1月25日