連載8

男たちは北へ
風間一輝

1989年 早川書房

 ミステリ小説に冒険小説やホラー、幻想小説が含まれるようになった経緯には、我が国のミステリ発展の歴史が大きく関係している。ともあれ、“広い意味の”とか、“広義の”という用語付きのミステリが氾濫している現在、その意味しているものは、ミステリ=エンターテインメントという構図であると言っても良いだろう。自明のことだが、それほどミステリというジャンルは拡散しているということだ。本書も決して純粋なミステリではないが、そんな香りを感じさせる冒険サスペンスの文句なしの快作である。
 男の名前は桐沢風太郎。四十四歳のしがないグラフィック・デザイナーである。無類の酒好き(というより、はっきり言ってアル中)で、免状なしの四段という空手と、太極拳の心得もある。そんな中年男が新緑の五月、完全装備の自転車で東京・清瀬を出発、国道四号線を北上、青森を目指して旅立った。二十年前に同じ道を旅した友人の死を前に、自らに誓った約束を果たすために……。まさしく、本書はそれだけの、実にシンプルな話なのだが、これがとんでもなく面白い。
 なにしろ、それとは知らず、たまたま道端で拾った本のせいで、何故か自衛隊の執拗な奪回作戦に巻き込まれ、降り掛かる火の粉を払ううちに、ついには命を狙われることになる。それでも、そんな理由を詮索するより、延々と続く道をどう走るかが彼の大事なのである。旅の途中で友人の死を耳にして飲む酒、道中で出会ったヒッチハイク少年との交流、そして追う者と追われる者との間に芽生える友情など、そんな桐沢の心の内を垣間見せる心暖まるエピソードが胸にしみる。
 ところで、桐沢の事務所のある池袋の安アパートは、その名を深志荘という。住人は桐沢同様、得体のしれない、一筋縄ではいかない連中ばかり。残念ながら、デビュー作の本書では桐沢しか登場しないが、著者続刊では次々主人公として登場、桐沢も時折顔を見せ、まるで梁山泊を思わせる。本書が楽しめたら是非次も読んでみて欲しい。
 本書を読み終えて感じる爽やかな読後感は、誰もが共感出来るような男の生き方を、きばらず、力まず、感傷などとは無縁に描き出しているからだろう。特に、青森での少年との別れのラストは何度読んでも胸が熱くなる。少年は一つの旅を終えて男になり、そして今また、北へ旅立った。

 付記(1999/12/10)
 主人公がアル中の作品で、真っ先に思い付いたのが本書と「深夜ふたたび」(志水辰夫)である。設定の意外性、淡々とした男の美学はもちろんだが、アル中としての覚悟と酒に対する真摯な姿勢に魅せられて本書を選んだ。「深夜ふたたび」はギャビン・ライアルの「深夜プラス1」へのオマージュでもあるが、こと酒の話となると、自転車と自動車の違いは大きいのである。
 それにしても、最近、禁酒や断酒を口にする主人公や探偵が増えてきたのが気に入らない。そんなものは現実の世界だけで願い下げ、せめて小説の中では、アル中の潔さみたいなものを思いっきり味わわせて欲しいものだ。本書の著者は実生活でもそれを実践していたという。凄い話である。
 とはいえ、この付記を書く直前に著者の訃報を耳にすることになろうとは夢にも思わなかった。深志荘の型破りな住人たちはどうなるのだろう。「ミステリマップ」をはじめ、数々のミステリ作品を独特のタッチで飾ったイラストレーター・桜井一としてもファンを楽しませてくれた風間一輝。謹んでご冥福を祈りたい。


初出 「シナリオ教室」1997年12月号(11月28日発行)/サブタイトル「少年は旅を終えて男になる」
掲載 2000年2月22日