連載11

藤田先生のミステリアスな一年
村瀬継弥

1995年 東京創元社

 英米、特にミステリの母国・英国では、古くからパブリックスクール(中等学校)や大学を舞台にした本格的なミステリが数多く刊行され、学園ものとして一つのジャンルが形成されている。さすがに我が国では、陰惨な殺人事件は教育の場にそぐわないという配慮?でもあったのか、大学はともかく、小・中学校が舞台のミステリとなるとそれほど書かれているとは言えないのが実状だ(なぜか子どもが主役のミステリは結構あるんですけどね)。
 それでも、最近のジュニア向けのミステリやマンガをみていると、内容的にも殺人や何でもありの学園ものミステリが読者の高い支持を得ている。結局、そんな配慮(あったとすれば)は余計なお世話ということだろう。
 さて、本書は小学校時代の担任と生徒の交流に、三十数年後の同窓会を絡ませて、一味違った着想を盛り込んだ学園ミステリである。不可能興味とその謎解きがメイン・プロットの作品だが、やはり殺人事件や陰惨な出来事とは無縁のほのぼのとした雰囲気が魅力で、何とも言えない味がある。
 六年一組の担任は、次々と不思議な魔法を演出する独自の教育法で生徒の心を掴む藤田先生。何十通もの不幸の手紙を煙のように消滅させたり、何一つ隠せるはずのない教室に千枚以上の絵を突然出現させたり……。だが、魔法の種明かしを先生が絶対に承知しなかったために、その年は、子ども達にとってまさにミステリアスな一年として記憶されることになる。それから三十数年後、同窓会を企画した中村は、その席上で魔法の謎解きを仲間に提案する。珍答、迷答が続出する席上の光景も面白いが、実は中村にはもう一つ目的があった。それは、なぜか藤田先生はその一年以後、翌年からは一切魔法を演出することは無かったのだが、彼はその理由がどうしても知りたかったのである……。
 魔法の謎解きは奇術的な色合が強く、ミステリの謎としては物足りないが、それより、独特の文章と相俟って違和感なく作品が構成されている感性を評価したい。四国の女子校を舞台に殺人事件を描いた長編第二作、『水野先生と三百年密室』(1997年、立風書房刊)でも、先生と生徒の心の交流に視点を据える著者の姿勢は一貫している。本書は殺伐としたミステリが苦手で、辟易している読者にお薦めの一冊。

 付記(2000/2/11)
 まずは余談から。本シリーズのオリジナル編、『面白ミステリ玉手箱』を「シナリオ教室」という雑誌に連載することになった時、特に期間の話は出なかった。そこで、まぁ一年くらいのものだろうと勝手に考えて、この十年以内に刊行された入手容易な国内作品を対象に、十二回分の作品リストと予備に二冊程度を選んで連載開始に備えたのである。ところが、一、二回分を書いてみると、これがどうもいけないらしい。要望というほどのものでもないが、ミステリ・ファンにも人気があって、そうでない人が読んでも面白い本、という課題が結構難しいのである。ファンの評価には、当然或る程度のミステリに対する知識を前提にしている部分もあるわけで、それぬきには作品全体の面白さが充分に伝えられない。とりあえず、前述のリストを再考しながらスタートすることになったのだが、結局最初の一年で取り上げたのは、同作家の別作品に変更したものを含めてもリストの内の七冊だった(何冊かはその後に使ったが)。つまり本書以降の何回かは、作品の選択については全く自転車操業状態にあったのである。もちろん、こうしたガイドは作品の選択こそが生命線、それだけに大いに迷いを感じた時期だった。
 というわけで、本書を選んだのはまず内容的に共感が得やすく、ミステリとしても小粒ながら謎が明確で解りやすい、無難な作品であることが理由である。本来、ミステリのトリックはストーリーに有機的に結びついているべきで、本書のように奇術的なトリックが作品の小道具的に使用されているのは感心しないが、それを承知で独自のミステリ世界を構築した感覚が興味深い。文章的にも一風変わった味があって、ちょっと真似の出来ない作風が印象に残る。


初出 「シナリオ教室」1998年3月号(2月28日発行)/サブタイトル「ほのぼのとした雰囲気が魅力の学園ミステリ」
掲載 2000年5月31日