連載12
ハムレット狂詩曲〔ラプソディー〕
服部まゆみ
●1997年 光文社
我が国に比べ英米、特に英国では観劇を含め、演劇に対する認識がはるかに一般的な素養として浸透していることもあり、ミステリにも演劇を舞台や題材にとった秀作が数多い。もちろん、彼国で演劇と言えばまずシェークスピア。そのストーリー、プロット、そして暗喩はそのままミステリとしても通用するほどだから、エピグラフほかに引用された作品までを含めれば枚挙にいとまがない。そう言えば、我が国にも熱狂的ファンの多い
J・D・カーの未訳作で、昨年末漸く翻訳刊行された『仮面劇場の殺人』(原書房刊)も、『ロミオとジュリエット』公演のリハーサルが舞台だった。
とはいえ、英米に限らず、演劇との融合はミステリ作家にとって魅力のあるテーマらしく、我が国にも演劇界に題材をとった作品は少なくない。ただ、歌舞伎や役者の世界を舞台にした事件を解決する歌舞伎役者の名探偵・中村雅楽〔がらく〕シリーズ(戸板康二)から、『ねむりねずみ』(近藤史恵)、『狂乱廿四考』(北森鴻)まで、何故か歌舞伎界に材をとった作品が多いのは、演劇のみならず、その世界全体を貫く様式美がミステリにとって格好の装置となるからだろうか……。
さて、本書は、そんなシェークスピア劇と歌舞伎の両方の世界を巧みな構成でミステリに仕立てあげ、その魅力を同時に味わわせてくれる贅沢な作品である。
竣工を控えた「劇団薔薇〔そうび〕」の専属劇場「薔薇〔ばら〕座」のこけら落とし公演は「ハムレット」に決定。劇団代表で女優の仁科京子は、祖父の歌舞伎役者・片桐清右衛門〔せいえもん〕の助力を得て、才気溢れる気鋭の役者兼演出家で英国籍を持つ日本人、ケン・ベニングにその脚色・演出を依頼する。公演には、清右衛門はじめ長田〔おさだ〕屋一門が出演することになっていた。何故か清右衛門に暗い怨念を持つベニングは、演出を引き受け、復讐を誓って来日することになる。一方、主演に指名された京子の息子・片桐雪雄は厳しい稽古の日々の中で、亡き父の死の原因、母と祖父の関係に疑いを持つようになるのだが……。
『ハムレット』のプロットを生かした、ミステリとしては軽いタッチの作品である。著者が楽しんで書いている感じが心地よく、後味も良い。舞台稽古のシーンでは、ケン・ベニングにシェークスピア劇の俊英、映画『ハムレット』の監督で脚色・主演のケネス・ブラナーを重ねてみるのも面白い。
●付記(2000/2/11)
六年ほど前、英国へ行った折、ロンドンのセント・マーチン劇場であの「マウス・トラップ」(A・クリスティ原作)を観た。観劇の方はともかく、チャリング・クロス周辺の劇場外の賑わいや、充実ぶりを目の当たりにして、さすがシェークスピアの国と彼の地の演劇事情に大いに感心したものだった。
我が国でも若者に人気の小劇場やミュージカル、人気ではタレントも顔負けの舞台俳優から歌舞伎役者まで話題には事欠かないが、こと現実的な観劇となると些か心許ないのが実状だろう。特に歌舞伎に代表される伝統芸能と大衆の関わり方の在り様は、此の地の演劇事情を象徴しているようで興味深い。
ところで、物語の最も基本的な形式は、古く戯曲、或いは演劇そのものによって様式化されてきたのだと言う。もちろん、ミステリでもテーマや題材、背景や物語性の補強と、引用までを含め、演劇や戯曲がいろいろな形で作品に取り入れられている。ことに欧米のミステリで圧倒的なのは、やはりシェークスピアの戯曲である。我が国では、歌舞伎や狂言の演目がそれに当たるのだろう。ただ、読んでいて歌舞伎の演目より、シェークスピアの方を身近に感じるというのは、前述の事情の故もあろうが、何とも情け無い話である。
本書はそのシェークスピアと歌舞伎を題材にしたミステリだが、「ハムレット」をストーリーのベースにして、結末で歌舞伎のエッセンスでツイストをきかせたところが洒落ている。
銅版画家でもある著者のデビューは1987年。以来、作品数は少ないが、毎回装丁を含めた丁寧な作品作りが特筆される。当然、作品に対する評価も高く熱烈なファンも多い。耽美的な作風には違いないが、きちんとミステリとしての仕掛けにも配慮した、違和感の無い技巧が印象的で、ハイレベルの好感度を維持する作家の一人だろう。
●初出 「シナリオ教室」1998年4月号(3月28日発行)/サブタイトル「シェークスピアと歌舞伎の魅力を同時に」
●掲載 2000年6月21日