連載14

ROMMY ─そして歌声が残った
歌野晶午

1995年 講談社ノベルス

 関係者の証言や資料を基に対象とする人物の実像を描き出す、評伝というジャンルの手法は、犯罪捜査にとって不可欠な活動に似ている。人物を被害者や加害者に置き換えてみれば、それを理解するのは容易だろう。断片的な現象・事実を積み重ね、繋ぎあわせ、推理して全体像を構成する。それは又、ミステリ創作における基本的な作業でもある。
 実際、名探偵・ブラウン神父シリーズで知られる G・K・チェスタトンが評伝の大家として著名なように、ミステリ作家が評伝を手懸けることは少なくない。もっとも、ミステリ作家の手になる評伝は、意外性があって面白いほど創作を疑ってしまうのだが……。
 さて、本書は評伝の形式を借りることで、そんな評伝の持つミステリ効果を充分に意識して構成された異色の作品。謎に包まれた天才ヴォーカリストの評伝に仕掛けられたトリックが、物語を構成する要素そのものを為していて不自然さを感じさせない。多視点による評伝の形式をとったのは鮮やかなトリックを効果的に生かすためでもある。
 六年前、彗星のようにデビュー、サイケデリックなファッションとどぎつい化粧で素顔を隠し、七色の声を駆使してカリスマ的な人気を得た天才ヴォーカリスト・ROMMY。しかし、その私生活も過去も一切が謎に包まれたままだった。七枚目のアルバム「越境者の夢」の発売を控え、バック・コーラスとして参加した伝説の世界的ロック・アーティスト、フランク・マーティンのレコーディング当日、ROMMY の楽屋で殺人事件が起きる。発見された死体は、果たして ROMMY なのか。なにより、ROMMY とは一体何者なのか?
 関係者の証言、手紙や日記を始めとする資料を積み重ねることで浮かび上がってくる ROMMY の実像。集大成と言われる「越境者の夢」にも驚くべき秘密が隠されていたのだった。やがて、すべての真相が明らかになった時、大きな驚愕とともに、ROMMY の痛みが読者の胸をうつ。
 もちろん、架空の評伝だが、イラストやアルバムの歌詞をはじめ細部まで徹底した著者のこだわりが、息苦しいようなリアリティとなって作品を支えている。トータルアルバムのような作りにしたかった、という著者の意向でノベルスには珍しい凝った装丁の本書、是非一度手にして欲しい。

 付記(2000/7/22)
 そうあることではないが、突然それまでの作品は何だったのか、というような大変身を遂げる作家がいる。その対象は文章だったり、ジャンルだったり、テーマだったりするわけだが、なかでも文章だけはどうにもその次第が解らない。もちろん、前作から五年も十年も間隔が開いているならともかく、二〜三年の間にまるで別人と思わせる変身ぶりとなると、まさにミステリである。本書の著者も間違いなくそんな作家の一人だろう。
 とにかく、講談社ノベルスの新本格ミステリシリーズの一冊として刊行されたデビュー作「長い家の殺人」には驚かされた。なにより、こんな作品を天下の講談社が売ってよいのか、という思いが先に来た。文章、トリックともにアマチュアの犯人当て小説もかくやというレベルである。もちろん、もっと上手い人も少なくない。では、何故読んだのかと言えば、「島田荘司氏激賞!」の惹句につられたからで、88年と言えばまだまだ島田荘司にも威力があったのである。刊行の経緯にはそんなことも関係したのかも知れない。オッとこれは余談。以後、デビュー作のシリーズは三作で一応完結。これで著者も気が済んだろうとホッとしたのも束の間、その翌年に刊行された「ガラス張りの誘拐」があれっと思わせる変身第一弾。そして、乱歩と朔太郎が探偵役として真相を探るという、未発表の探偵小説『白髪鬼』を題材にした次の作品「死体を買う男」で再び読者は驚かされることになる。デビュー後わずか三年、文章、構成等全ての面で格段のレベルアップを実感させる、この秀作で漸く著者はプロの作家として認められたのかもしれない。
 思うに、著者の資質は、デビューシリーズのようなトリックや論理を主眼とした本格謎解きミステリには向いていなかったということだろう。その呪縛を逃れて、自分自身のミステリ観を作品に反映させようとしたことが、作家としての飛躍的な成長をもたらしたとも言える。いずれにしても、本書「ROMMY」で著者はミステリ作家としての地歩を固め、その方向性を確信したに違いない。


初出 「シナリオ教室」1998年6月号(5月28日発行)/サブタイトル「謎の天才ヴォーカリストの評伝に仕掛けられたトリック」
掲載 2000年9月25日