連載17
誰もわたしを愛さない
樋口有介
●1997年 講談社
今やエンターテインメントの世界の主役と言えば、ハードでタフな女主人公〔ヒロイン〕達。精神的なタフさはもちろん、ハードな肉体が要求される時代である。もっとも、それも今時の佳〔い〕い女の一つの有様かもしれないのだ。それにしても、鬱積していたエネルギーが爆発するかのようにエスカレートする、ハードなバイオレンス描写にはただ圧倒されるしかない。
さて、そんな女主人公〔ヒロイン〕達とはちょっと違うが、本書の著者が執拗に描き続ける女性達の魅力にも侮りがたいものがある。多分に男の側からの願望が入っている感がしないでもないが、めちゃめちゃタフで才気溢れる美女、そんな佳い女、可愛い女を描かせたら天下一品なのである。
ともあれ、本書は元刑事で美女に弱いルポライター・柚木草平〔ゆずきそうへい〕が活躍する人気シリーズの一冊。鹿賀丈史主演で何作かはTVの二時間ドラマ化もされており、ご存じの方も多いだろう。本書も相変わらず、次から次に美女が登場する、著者ならではのストーリー展開で、とにかく文句なしに楽しめる。
雑誌の編集部からラブ・ホテルで起きた女子高校生殺害事件の調査を依頼された柚木だが、事件は早くも迷宮入りの様相を呈していた。被害者からは何の手掛かりも得られず、同室していたはずの容疑者の行方も知れないまま、被害者の親友の女子高校生や、ボーイフレンドの姉で美人エッセイスト等周辺の聞き込み情報から、柚木は事件に不審を覚えるようになる。やがて、三年前に自殺した被害者の姉もまた、同じホテルを利用していたことを知った柚木は、事件に隠された暗い秘密に気付くことになるのだが……。
軽妙で洒落た会話、場面転換も多く、テンポのいいストーリーに加えて、ミステリとしての展開に対する配慮も感じられ、軽ハードボイルドらしい面白さは充分だ。
実は本書に限らず、本シリーズ作品の結末は決して明るいものではない。にも拘らず、何となくホッとするような優しさを感じさせる読後感は、柚木のキャラクターや、彼を取り巻くレギュラー陣との或る種現実感の希薄な関係の妙にありそうだ。シリーズ全作を通じて三十八歳から全く歳をとらず、洗濯が趣味の不良中年・柚木だが、結構暗い過去を背負っている。別居中の妻に十一歳の娘、元上司で今は不倫相手の現職警部、本書で初登場の担当編集者・小高直海〔おだかなおみ〕等、そんな過去を中和させるように続々登場する美女群との小粋でユーモラスな絡みは著者の独壇場である。
もし、本書が楽しめたら、次は正真正銘美女だらけのシリーズ第一作「彼女はたぶん魔法を使う」(講談社文庫)をお薦めする。
ところで、TVでは本書以前の作品から小高恵美〔おだかえみ〕が演じている女性編集者役。どうやら柚木だけでなく、著者も相当お気に入り?
●再録に当たっての付記(2001/5/13)
樋口有介が「ぼくとぼくらの夏」でサントリーミステリー大賞の読者賞を受賞、デビューしたのは1988年のことだった。柚木草平と同じく、著者38歳のことらしい。それ以前の約20年間、純文学作家を志望していたという著者にとって、結果として38歳という年齢は大きな意味を持たざるを得なくなったのだろうか。
もっとも、デビュー作と続く「風少女」はミステリ的な要素を取り入れはしたものの、著者にはミステリ・ファンに対して発信しているという意識はそれほど無かったに違いない。実際、それらの作品の魅力は主人公の男女の造型や描写を含めた青春小説の面白さにあった。それまでのいわゆる文学でもミステリでもない、エンターテイメントとしての青春小説である。何より明るく、ライトなその感覚は実に新鮮だった。それだけに、ミステリー大賞に応募した以上当然のこととはいえ、ミステリとしての構成の弱さを指摘されたことについては幾分心外な面もあったようだ。それが続く第三作での、柚木シリーズの第一作「彼女はたぶん魔法を使う」の上梓につながったのかもしれない。もちろん、「彼女はたぶん魔法を使う」にしても、ミステリとしての枠組みは備えているものの、その面白さは登場人物、特に女性たちのキャラや軽妙で洒落た会話等の魅力に負うところが大きかったことは確かなのだが。
とはいえ、前述の3作がミステリとして評価出来ないというわけでは決してない。特にそれまでの古典本格や社会派を始め、サスペンスやハードボイルド等、ミステリにはつきものだった暗さや陰湿さのような後味の悪さにつながる要因とは無縁の、新しいミステリのスタイルを提示した独得のセンスは得難く貴重だった。ミステリとしての完成度を言うなら、柚木シリーズ3冊目の中編集「探偵は今夜も憂鬱」を読んでみると良い。ミステリ濃度も高く、充分評価出来るし、愉しめるはずだ。
それにしても、「風少女」と「彼女はたぶん魔法を使う」は面白かった。ただ、面白い、面白いと吹聴しているうちに、それがミステリとしての評価と混同されてしまっておかしくなったこともある。懐かしい記憶だ。もちろん、そうした本が面白くて愉しめたのは、読書に対するこだわりや屈託がずっと希薄だったからだろう。その頃は、たぶん、今よりももっと本が好きだったのだ。
●初出 「シナリオ教室」1998年9月号(8月28日発行)/サブタイトル「美女に弱いルポライター/柚木草平の活躍」
●掲載 2001年6月26日