大来皇女
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おおくのひめみこ
斉明七年正月八日−大宝元年十二月二十七日 天武天皇の皇女。大津皇子の姉。母は天智天皇の皇女・大田。百済への救援軍を率いて海路を筑紫に向かう斉明天皇に母が随行した際、瀬戸内海の大伯の海(岡山県邑久郡)にさしかかったところで生まれた。大伯皇女とも記す。 |
歌集 奈良時代末ごろ成立 二十巻
巻2/105、106
吾勢■〔示+古〕乎 倭邊遣登 佐夜深而 鶏鳴露尓 吾立所霑之 二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武 ▼
わが背子を大和へ遣やるとさ夜深ふけて暁あかとき露つゆにわが立ち濡ぬれし 二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が獨り越ゆらむ 巻2/163、164
神風乃 伊勢能國尓母 有益乎 奈何可來計武 君毛不有尓 欲見 吾爲君毛 不有尓 奈何可來計武 馬疲尓 ▼
神風かむかぜの伊勢の國にもあらましをなにしか來けむ君もあらなくに 見まく欲ほりわがする君もあらなくになにしか來けむ馬疲るるに 巻2/165、166
宇都曾見乃 人尓有吾哉 從明日者 二上山乎 弟世登吾將見 礒之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉 君之 在常不言尓
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うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世いろせとわが見む 礒いそのうへに生おふる馬酔木あしびを手折たをらめど見すべき君がありと言はなくに
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- 底本 『万葉集 一』日本古典文学大系4、1957年5月、岩波書店、校注=高木市之助、五味智英、大野晋/p.70-71、94-97
●略解
底本頭註の語釈と大意を引く。
巻2/105、106
詞書
大津皇子
天武の皇子。母は大田皇女(持統天皇の姉)。堂々たる身体で度量も大きく、雄弁で文武ともにすぐれ、詩賦を振興し、天智天皇に特に愛された。天武十二年(六八三)はじめて朝政をきいたが、新羅の僧行心が骨相を見て、久しく臣下でいたら身があぶないといったので反逆を企て、天武天皇崩御後二十余日、朱鳥元年(六八六)十月二日に発覚、翌日死を賜わる。二十四歳。万葉集・懐風藻に辞世がある。反逆事件は皇子をおとしいれるために作り上げられたとも言われている。大伯皇女
大津皇子の同母姉。斉明七年(六六一)正月八日、備前の大伯の海で生まれたための名。大来とも書く。十四歳で斎宮となり(天武紀二年)、朱鳥元年十一月帰京、時に二十六歳。大宝元年(七〇一)十二月二十七日没。四十一歳。
巻2/105
わが背子を大和へ遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡れし
遣る
帰したくないのに帰してやる気持の言葉づかい。暁露
未明の露。アカトキは明時。五更。大意
弟を大和へ帰しやるとて、見送ってたたずんでいると、夜はふけて、未明の露に私はぬれてしまったことである。
巻2/106
二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が獨り越ゆらむ
いかにか
イカニに疑問のカの添った形。大意
二人で行っても物淋しく行き過ぎがたい秋の山を、今ごろはどのようにして弟は一人で越えていることであろうか。
巻2/163、164
詞書
京に上る時
朱鳥元年(六八六)十一月十六日帰京。時に皇女二十六歳。
巻2/163
神風の伊勢の國にもあらましをなにしか來けむ君もあらなくに
なにしか
どうしてか。このところイカニカと訓む説もあるが、イカニカは状態・手段・方法に関する単純な疑問を表わす。ナニカ・ナニシカは原因・理由・目的に関する疑問・詰問などを表わす。来けむ
ケムは過去に関する推量を表わす。大意
伊勢の国にいればよかったものを、どうして大和へ帰って来たのだろう。逢いたい君(大津皇子)も、もはや生きてはいないのに。
巻2/164
見まく欲りわがする君もあらなくになにしか來けむ馬疲るるに
見まく
見むことの意。マクは推量のムのク語法。大意
見たいと欲する君ももはやなくなってしまったのに、どうして上京したのだろう。馬が疲れるのに。
巻2/165、166
詞書
葛城
奈良県と大阪府との境をなす連峰。奈良県がわは南北葛城郡である。二上山
北葛城郡当麻村。北に雄岳(おだけ)、南に雌岳(めだけ)の二つの峰があるのでこの名がある。大津皇子の墓は雄岳の山頂近くにある。
巻2/165
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世とわが見む
うつそみ
現世。この世の人の意の、ウツシオミのつづまった語。utushiomi → utsusomi → utsusemi。現身とするは誤。いろせ
イロは同母を表わす語。蒙古語 el(母方の親戚。腹)と同源か。イラツコ・イラツメのイラは族長を表わす古語。ミクロネシヤ語などで現在も用いるイラ(族長)と同源の語か。セはイモの対。男を呼ぶ称。兄弟・恋人・夫の場合が多い。大意
この世の人である私は、明日からはこの二上山を弟と思って眺めよう。
巻2/166
礒のうへに生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありと言はなくに
礒のうへ
岩のほとり。生ふる
オフは大きく伸びて成長する意。ハユは芽を出す意。馬酔木
山野に自生する常緑の灌木。春、白い小さい壺状の花をつける。言はなくに
イフは人々が言う。ナクは否定ヌのク語法。大意
岩のほとりに伸びている馬酔木を手折ろうと思うけれど、それを見せるべき弟がこの世にいるとは誰も言わないことである。
巻2/166
左註
京に還る時
帰京は十一月だから花期に合わない。この注は誤。哀咽
かなしみむせぶ。むせびなく。
斎宮歴史博物館 開設者:斎宮歴史博物館(三重県多気郡明和町)。1999年4月19日開設。博物館の概要や斎宮制度などを紹介し、詳細な「斎宮事典」を掲載する。[2001年2月14日]