大津皇子
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おおつのみこ
天智二年−朱鳥元年十月三日 天武天皇の第三皇子。大来皇女の弟。母は天智天皇の皇女・大田。筑紫の娜大津(福岡県福岡市)で生まれた。 |
歌集 奈良時代末ごろ成立 二十巻
巻2/107
足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沾 山之四附二 ▼
あしひきの山のしづくに妹いも待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに
巻2/109
大船之 津守之占尓 將告登波 益爲尓知而 我二人宿之 ▼
大船おほぶねの津守の占うらに告のらむとはまさしに知りてわが二人宿ねし
巻3/416
百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隱去牟
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ももづたふ磐余の池に鳴く鴨かもを今日のみ見てや雲隱がくりなむ
巻8/1512
經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黄葉尓 霜莫零 ▼
經たてもなく緯ぬさも定めず少女をとめらが織れる黄葉もみぢに霜な降りそね |
- 底本 『万葉集 一』日本古典文学大系4、1957年5月、岩波書店、校注=高木市之助、五味智英、大野晋/p.70-73、198-201
『万葉集 二』日本古典文学大系5、1959年9月、岩波書店、校注=高木市之助、五味智英、大野晋/p.310-311
●略解
大津皇子の四首のほか、参考として石川郎女と草壁皇子の歌も掲げた。
底本の頭註と大意を引く。
巻2/107
詞書
大津皇子
天武の皇子。母は大田皇女(持統天皇の姉)。堂々たる身体で度量も大きく、雄弁で文武ともにすぐれ、詩賦を振興し、天智天皇に特に愛された。天武十二年(六八三)はじめて朝政をきいたが、新羅の僧行心が骨相を見て、久しく臣下でいたら身があぶないといったので反逆を企て、天武天皇崩御後二十余日、朱鳥元年(六八六)十月二日に発覚、翌日死を賜わる。二十四歳。万葉集・懐風藻に辞世がある。反逆事件は皇子をおとしいれるために作り上げられたとも言われている。【巻2/105頭註】石川郎女
伝未詳。久米禅師と贈答歌のある同名の人とは別。一一〇の歌の人物と同じか。それなら大名児である。
巻2/107
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに
あしひきの
枕詞。山にかかる。大意
妹を待つとてたたずんでいて、私はすっかり山のしずくに濡れてしまった。
巻2/108
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巻2/109
詞書
石川郎女
一〇七の石川郎女と同人であろう。津守連通
和銅七年(七一四)正月、正七位上から従五位下になり、十月美作守。養老五年正月、学者や技術者たちと共に陰陽師として朝廷から賜品を受け、七年(七二三)正月従五位上に叙せられた。
巻2/109
大船の津守の占に告らむとはまさしに知りてわが二人宿し
大船の
枕詞。泊るところの意で、津にかかる。占に告らむ
うらないにあらわれるだろう。まさしに
ぴったりと。名義抄、期・適・的 マサシ。大意
津守のうらないに出て分るだろうとは、前からはっきり知っていながら、私は二人で寝たことだ。
巻2/110 詞書
巻2/110
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巻3/416
詞書
磐余
奈良県桜井市の香具山の東から桜井付近。【巻3/282頭註】
巻3/416
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隱りなむ
ももづたふ
枕詞。イ(五十)またはヤソ(八十)にかかる。五十、六十…百につたい行く意。大意
磐余の池に鳴く鴨を見ることも今日を限りとして、私は死んで行くことであろうか。○懐風藻に皇子の臨終と題する詩がある。「金烏臨西舎、鼓声催短命、泉路無賓主、此夕離家向」○この時、皇子の妃、山辺皇女が殉死したことを持統紀に「被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷」と記している。
巻8/1512
經もなく緯も定めず少女らが織れる黄葉に霜な降りそね
経もなく
タテはヨコに対す。ヨコは左右。タテは上下。機織りの縦(たて)にわたす糸。ヌキの対。ヌキは横に織る糸。大意
たて糸もよこ糸も定めずに少女らが美しく織った黄葉に霜よ降らないでおくれ。○大津皇子の懐風藻の作に「天紙風筆画雲鶴。山機霜杼織葉錦」がある。類想である。
漢詩集 天平勝宝三年(751)成立 撰者未詳 一巻
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- 底本 『懐風藻』講談社学術文庫、2000年10月、講談社、全訳注=江口孝夫/p.55-61
●略解
「臨終」の「此夕誰家向」を「此夕離家向(このゆふべいえをさかりてむかふ)」とするテキストもある(日本古典文学大系69)。底本は宝永二年刊本による。
底本から現代語訳と語釈を引く。
4
春苑ここに宴す(春苑言宴)
現代語訳
御所の池のほとりにくつろぎ
御苑を散歩し、景色を眺め見る
澄んだ池底に水草がゆらぎ
霞んだ連峯は薄墨色にたたずむ
さざ波は琴の音とともに
鳥の声は風に乗ってくる
酩酊した諸公をのせた船の帰るさ
淵明の宴をたれか論ぜんやさ語釈
○ここに宴す 言宴と記されている。「言」を意味の軽い助辞とみたが、「宴を言ふ」とも読まれる。 ○衿を開いて くつろいださま。 ○霊沼 宮中の池。 ○目を遊ばせ 見た目を楽しませる。 ○金苑 宮中の庭。 ○■〔日+奄〕曖 光がなく暗いようす。 ○驚波 立ちさわぐ波。 ○哢鳥 さえずる鳥。 ○倒に載せ ひっくり返しに積みこむ。酔って正体のない者を物質を扱うように処理している。 ○彭沢 東晋の陶淵明のこと。陶淵明は彭沢県の県令となっていたことによる。
5
遊猟
現代語訳
朝に芸能の名士を択んで狩に出
暮には万騎の勇士と酒宴を開く
肉をほおばり心のびのびと朗らかに
盞を傾けてうっとりと酔うている
勇士の弓は谷間にきらりと光り
旗の幔幕は峯の前にひるがえる
日はすでに山の端にかくれたが
友はなお留まり気炎をあげている語釈
○三能 芸能に秀でた士。三台、三公の意に準じて用いたもの。 ○臠 切った肉。 ○豁 視界が広がっていること。支障となるものがなくほがらかなさま。 ○陶然 心地よく酔う。うっとりと酔ったさま。 ○月弓 弓のこと。月弓には月のごとき弓と、弓のごとき月との両様の用法があるが、ここでは弓をいった。 ○雲旌 旗が多くたなびいているさま。旌ははた。この語も月弓に準じた用法があり、万葉集の豊旗雲はこの逆で豊旗は雲の修辞。 ○曦光 日の光。 ○壮士 勇気ある者、若者。 ○留連 とどまっていること。滞在する。
6
志を述ぶ(述志)
現代語訳
大空の紙に風の筆勢で雲翔ける鶴を描き
山姿の機に霜の飛び杼で紅葉の錦を織る
(このような壮大華麗な詩文を作りたいものだ)
書をくわえた赤雀は飛んでこない
潜竜は時をえず寝りにも就きえない語釈
○天紙 大空を紙に見立てていったもの。 ○風筆 風の吹くように勢いのある筆力。 ○山機 美しい色彩につつまれた山を織機とみなした。 ○霜杼 木の葉を色づける霜を織機の杼と見たてた。 ○葉錦 紅葉した錦。 ○赤雀 瑞鳥。 ○書を含んで 本をくわえる。瑞応図に王の治世が天道にかなうと、赤雀が書を銜んでくるという。 ○潜竜 淵に潜んでいる竜。竜は天子の意で用いられ、潜竜は皇太子、まだ帝位につかない者にいう。
7
臨終
現代語訳
太陽は西に傾き
夕べの鐘に短い命が身にしみる
泉途よみじを行くは一人の旅
夕暮れどこへ宿ろうとするのか語釈
○臨終 死に臨んだ時に歌った詩。辞世の歌。 ○金烏 太陽。 ○西舎 西の建物。西方。 ○鼓声 夕べを告げる鐘の音。 ○短命を催す 短い命をいよいよ短く意識させる。〜の思いを催促させる。 ○泉路 死地、黄泉、冥途。 ○賓主 主人と客人。主も客もなく自分一人という意に用いた。
矢釣宮 開設者:沙耶。2000年10月3日開設。生涯をたどる「史書」、詩歌を集めた「歌集」、小説や漫画を紹介する「図書」などで大津皇子の来歴と魅力を語る。[2001年2月14日]