現在千方

謡曲 室町時代末か近世初頭の成立(1570年代)

ワキ 「抑これは天智天皇の臣下。紀友雄とは我が事なり。爰に藤原の千方といへる逆臣あり。風鬼火鬼水鬼隠形鬼とて。四色の悪鬼を従へつゝ。王位を掠め国を乱す。万民の煩なるに依つて。急ぎ追伐仕れと。某宣旨を蒙りて候。いかに誰かある。
トモ 「御前に候。
ワキ 「逆臣千方が有様を委しく聞きてあるか。
トモ 「さん候かの千方と申すは無量無辺の通力を得。殊に四性の鬼神を従へ。天地を掠め国を侵す。凡人の身を以ては。安々と従へ申さん事。覚束なく存じ候。
ワキ 「汝が申すもさる事なれども。もとより我が朝は神国と云ひ君の宣旨を帯しぬれば。是非に勝負を遂ぐべきなり。扨かの四性の鬼神の事。
トモ 「風鬼は風を起しつゝ。黒塵人の目を晦ます。
ワキ 「水鬼は水を自在にし。雨を降らせ浪を立て。
トモ 「天地を返す術を得たり。
ワキ 「火鬼は火の雨猛煙を立て。
 「隠形鬼はもとよりも。々々。隠るゝ術を身に享けて。霧や霞に変じて。人の心をたぶらかす。四道の通力自在にて。神変はいさ知らず。人間の身として。討ち得ん事は不定なり。されども我が国は。神代の昔より。淳なるみことのり。大和の国と名づけては。大きに和らぐと訓ませつゝ。人の心も直ければ。悪鬼いづくに住むべきや。唯疑ふは人心。
ワキ 「土も木も皆我が君の国なれば。
 「鬼神やたけに思ふとも。神の誓は有明の。月の光の潔く。影暗からぬ日の本の直なる法に引く弓の。やがて逆臣は亡び失せ。民安全に栄ゆべし。

狂言シカジカ

ワキ詞 「さらばこの歌を持ちて。千方が方へ行き四性の悪鬼に見せ候へ。
トモ 「畏つて候。あつぱれこれは大事の御使を承り候ふものかな。まづかう急ぎ候ふべし。

狂言シカジカ

シテ・立衆次第 「光普く照る影の。々々。月日も奪ふ威勢かな。
シテ詞 「これは藤原の千方なり。いかに四性の鬼神はなきか。
 「御前に候。
シテ 「さても某此度の逆心。天理を背くといひながら。運命強き験にや。攻むるに背く者もなく。招くに靡かぬ味方もなし。爰に一つの物語あり。汝等に語つて聞かすべし。近う参り候へ。

狂言シカジカ

 「それ日本開闢の初は。伊弉諾尊伊弉冊尊。天が下に降り下りて。一女三男の神を生み給ふに。一女と申すは天照太神宮の御事なり。然るに太神宮。勢州度会の郡。かみが瀬下津岩根に跡を垂れ給ひて。万代不易の利益を現し。国土を治めみそなはしめ。神国となりし処に。爰に第六天の魔王。眷属無数の天魔を引具し。応化利生妨げしかば。天照太神神勅あり。二度障礙をなさゞりせば。我が三宝に近づかじと。誓を立てゝ神勅ある。さるに依つて魔ども怒を抑へ天上せり。これ我が朝へ天魔鬼神の障礙をなしゝ始とかや。其後神武の帝の御時。紀伊の国に土蜘蛛住む。その手の長さ二丈余の。千筋の糸の乱れあふ。網を張ること十重廿重。改むるに力も尽きぬとかや。是等をこそ世の人の。由々しき天下の患と。思ひし事は何ならず。我はもとより通力に。
 「殊には無類の鬼神夜叉。々々。忽然と従へば。その威勢みち汐の。さしも貴き神の国。半に過ぎて従へば。程なく日の本の。主とならん嬉しさよ。主とならん嬉しさよ。
トモ詞 「いかに陣中へ案内申し候。
シテ 「案内とはいかなる者ぞ。
トモ 「これは右大将紀友雄が方より申すべき子細ありて。何某の士官が参りて候。

狂言シカジカ

シテ 「やあ面々はこの歌の心を存じ寄りてあるか。
 「何々見れば。土も木も。
シテ 「我が大君の国なれば。
二人 「いづくか鬼の栖なるらん。
 「いづくか鬼の栖ぞや。実に理なり土も木も。我が君の国なれば。障礙をなさじとや。天七地五のみことのり。天つ日嗣の絶えせずも。伝はり靡く日の本の。疎なり我々が。望をかけし事よとて。一首の和歌の徳により。四色の鬼神座を立ちて。千方を見捨て雲を踏み。虚空に翔り失せにけり。実に目に見えぬ鬼神。猛き心も和ぎて国淳なる功は。大和歌の力なれ。々々。

中入

後ワキ・立衆 「よせかけて。吹くや嵐の音高く。梢も噪ぐけしきかな。
ワキ 「抑これは。天智天皇の勅を受け。友雄唯今向ひたり。逆臣とく々々退散せよ。
シテ 「千方はこれを聞くよりも。
 「千方はこれを聞くよりも。あらもの々々しや何程の事あらん。いで物見せんとて。鉾ひつさげ。傍を払つて出でたる形。陽疫神も。面を向くべき様はなし。太鼓あり 寄手の兵是を見て。寄手の兵是を見て。我討ち取らん。討ち取らんと。切先を並べ寄せくる浪の。打ち合ふ刃の光は秋の野の。尾花が末の。乱るる有様と覚えたり。
シテ 「さしもに勇む寄手の勢も。
 「千方が威勢にかけ立てられて。暫く後陣へ引きにけり。働あり
ワキ 「友雄はこれを見るよりも。
 「友雄はこれを見るよりも。いでいで某千方と組むで。勝負をつけんと。夕日に輝く剣をかざし。走りかゝつて。二打三打は合ふよと見えしが。無手と組むで。大地にかつぱと倒れふし柳。よれつもつれつ二ころび三転。鎧の袖を打ち重ね。鎧の袖を打ち重ね。多くの軍兵落ち重なつて。千方を生捕り悦の鬨の声を揚げ。さゞめき帰るやさゞ浪の。志賀の都へ帰洛をなすこそめでたけれ。

 略解

 掲出は「現在千方」詞章全文。底本は改行なしで組まれているため、改行、行空けを施した。二字にわたる踊り字(繰り返し符号)は「々々」で代用した。
 『太平記』巻十六に基づき、紀朝雄による藤原千方と四鬼の討伐を描く。天智天皇を支配者とする時代設定や話の結構、天地開闢以来の天魔鬼神の障礙を説き、紀州の土蜘蛛を例示する点など、『太平記』の千方伝説にほぼ拠っているが、

金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼  風鬼・水鬼・火鬼・隠形鬼
木もわが大君の国なればいづくか鬼の棲なるべき  も木も我が大君の国なればいづくか鬼の栖なるらん

 といった変更も見られる。また、『太平記』では「伊賀・伊勢の両国」とされている千方と四鬼が領した土地の名も明示されておらず、千方は王位簒奪を企んで「国を乱す」国家的叛逆者として描かれている。

 成立を室町時代末か近世初頭とするのは、金井清光『能の研究』(昭和44年、桜楓社)に準じた。同書第一部「能の研究」の「鬼能から切能へ」から、田楽能「四疋の鬼」に関する考察を引く。

しかし南北朝ごろの四匹の鬼と云えば、太平記(巻十六・日本朝敵の事)に見えている四匹の鬼を連想するほうが自然であろう。天智天皇の御代に藤原千方が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼という四匹の鬼を使って朝廷にそむいたとき、宣旨を賜わって立向った紀朝雄が、「草も木もわが大君の国なればいづくか鬼のすみかなるべき」とよんだのを聞いて鬼は逃亡し去り、千方も勢を失って討たれたというのである。この伝説は祝言の語り物として中世にかなり流布していたようで、太平記のほかに能本「田村」「土車」にこの話がとり入れられており、「草も木も……」の歌は「御裳濯」「嵯峨女郎花」などに引用され、これを「土も木も……」と改めた歌が「高砂」「難波」「田村」「土車」「大江山」「羅生門」「土蜘蛛」「現在千方」などに引用されている。「現在千方」は新謡曲百番の中に収められているから、まず室町末か近世初頭の作であろうが、右の伝説を脚色しており、現在の名を冠しているから、同じような内容で古作の「千方」があったはずである。丸岡桂氏が古今謡曲解題において「千方」を「現在千方」の別名としているのは誤りである。申楽談儀に
  石河の女郎の能は十番を一とをりして、中年よりて元雅すべき能なり。千方も年よりてしみ出で来てすべし。
とみえている「千方」は、今日佚して本文が伝わらないが、「現在千方」の粉本であったにちがいなく、したがってやはり右の伝説を扱った能であったと思われる。「石河の女郎の能」はもと田楽能の「恋の立合」を世阿が改作したものであり、それと並記されて同じく元雅が中年になってから演ずべき能とされている「千方」も、もとは田楽能であったのを猿楽者が改作したものと考えられよう。とすれば、そのもとの田楽能は、おそらく文和年間の「四匹の鬼」であったと思われる。以上の推測が正しいならば「四疋の鬼」は高野辰之氏が考えたような幽霊の出てくる複式能ではなく、紀朝雄が千方や四匹の鬼を退治する物まねであったと考えられるのである。

 『太平記』の成立以来ほぼ二百年のあいだに、千方伝説は祝言の語り物として流布し、田楽能の素材になったあと、謡曲の「千方」や「現在千方」に改められて広く受容されたという。しかし現代では、千方伝説はほぼ忘れ去られ、「現在千方」が演じられた例も絶えて聞かない。


掲載 2001年4月24日  最終更新 2002年 9月 19日 (木)