澁澤龍彦

昭和3年5月8日−昭和62年8月5日(1928−1987)

玉虫三郎物語

 

 

 

 

 略解

 「玉虫三郎物語」という作品は存在しない。澁澤龍彦にあと少し寿命があればそれが書かれていたはずの、構想だけが残された小説のタイトルである。
 新潮日本文学アルバム54『澁澤龍彦』(1993年、新潮社)の種村季弘「評伝 澁澤龍彦」は、こんな文章で結ばれている。

 没後、方眼紙にメモした次作『玉虫三郎物語』の簡潔な構想がのこされた。書かれるべき物語の詳細は不明である。ここで戦中の中学生時代を記した自筆年譜をもう一度引いておこう。「神田や本郷の古書店街には読むべき本なく、私はチベットや蒙古関係の本を苦心して集めていた。いまだに冒険小説や魔境小説の夢を追っていたのである」。
 その続きは以後も、昭和も終わりに近い六十二年八月五日頸動脈瘤破裂寸前まで、とぎれることなく一貫したのではあるまいか。すなわち、「いまだに冒険小説や魔境小説の夢を追っていたのである」。

 同書 p.96 には「玉虫三郎物語」構想メモの写真が収録され、「天草四郎」「曽丹」「持衰」「かまいたち」「茨城智雄」「蛭子縁起」などの語にまじって「藤原千方」の名が見える。もしも「玉虫三郎物語」が書かれていたとしたら、「冒険小説や魔境小説の夢」のなかで、藤原千方はさぞやノンシャランで愉快な叛逆者に描かれていたことだろうと想像される。


掲載 2001年2月16日  最終更新 2002年 9月 19日 (木)