21世紀に残したいふるさとの風景

写真●菊田実   文●石原弘子

 菊田実氏(名張写友クラブ会長)は、「紅に染まるローツエを見たくてヒマラヤへ出かけた」という山岳写真家と同じで、朝日の神秘さ、夕日の荘厳さ、そして風、雨、雪、霧など、大自然の瞬時のスペクタクルを撮るために、誰も寄せつけない自然の中に踏み込んで行く。
 孤独の中で自然と一体になり、暑さ寒さや市井の雑事からいっさい解放された無我の境地で、文字どおり無心にシャッターを切り続ける。
 アマチュア写真家として自然の風景を撮り続けて、もう三十年が過ぎたという。
 大自然に身を委ねて捉えた数々の傑作は、今もこの脳裡に鮮やかに焼き付いているが、過去に撮り溜めた膨大な量の写真から、カメラマンの視点で選んだ「21世紀に残したいふるさとの風景」を挙げてもらった。
 平成十三年にちなんで、全十三景。
 ふるさと名張への限りない愛着はもとより、美しい自然が失われて行くことへの懸念もまた、これらの写真から強く感じられる。
 21世紀の開幕を飾る十三景が、十年後、二十年後にもこのままであり続けることを祈りたい。

第一景
大屋戸天神雪景色

 「天神さん」の通称で親しまれる杉谷神社は、菅原道真にちなむ奇祭ずぐし祭りで知られる。冬の太陽が昇る直前、県指定文化財の本殿がしんと静まり返り、木々の雪に大気も清められる。天神さんには雪景色がよく似合う。

第二景
藤堂家邸雪の朝

 江戸時代に名張を治めた名張藤堂家の広大な屋敷跡には、往時の二十分の一程度の建物が残る。一帯はかつて「桔梗ヶ丘」と呼ばれた高台。屋敷跡は史跡として整備され、枯山水の庭園も公開、四季を通じて見学者が訪れる。

第三景
朝日町雪の沈み橋と竹藪

 大雨で川が増水すると、水中に隠れてしまうのが沈み橋。朝日町の沈み橋は菊田氏が子供の頃の遊び場だったそうだ。とうとうと流れる川と、重なり合って緑を濃くする竹藪。被写体としては寒々とした風情が魅力だという。

第四景
赤目長坂梅のさと

 春に先がけ凛として咲く梅は、花も香りもいとおしい。遠く民家を望みながら赤目四十八滝に向かうと、ふくいくたる香りが漂う。冬から春へ、やがて青い実のなる季節。規模は及ばないが、月ヶ瀬を想起させる梅の名所だ。

第五景
黒田堤の桜並木

 名張に桜の名所は多いが、ここもその一つである。借景に大谷山を眺めながら名張川の流れに目を遊ばせ、桜並木をそぞろ歩きする楽しさ。台風で古木が倒れたり、樹勢が衰えてきているのを、心配する声も聞かれるのだが。

第六景
赤目延寿院のしだれ桜

 延寿院の由緒は天正伊賀の乱で失われ、江戸初期の資料しか現存しないが、境内に建つ鎌倉時代の石灯ろう(国指定文化財)にはかつての隆盛がしのばれる。樹齢三百年以上のしだれ桜も、いまだに初々しい華やかさを誇る。

第七景
青蓮寺川霧の朝

 幻想的な霧の芸術は、墨絵の山水画そのまま。三ケ村井堰の朝霧は最近、近郊のカメラマンの好被写体となっている。好天の朝、太陽が昇った直後のわずかな時間にシャッターを切る。いくら撮っても飽きない風景だという。

第八景
紅葉の積田神社参道

 秋といえばここ、春日大社創建にまつわる由緒を秘めた積田神社を忘れてはいけない。銀杏と紅葉が文字どおり金銀綾錦を織りなし、名張の隠れた紅葉の名所である。散り敷いた黄金の絨毯に夕日が照り映えて、まさに圧巻。

第九景
秋の大屋戸川原

 秋の風景に沈み橋が溶け込んで、落ち着いた雰囲気を醸す。写真家の故前田真三先生もこの地を気に入り、たびたび訪れては傑作をものにされた。秋の昼下がり、橋の上を通る地元の人々が絶好のアクセントになってくれる。

第十景
夜明けの鍛冶町橋

 日の出の時刻。名張川の川原から見上げると、少し湾曲した鍛冶町橋のフォルムに朝日が射して、右手に見える瀬古口稲荷の鎮守の森と美しくマッチする。晩秋の朝、太陽がその日の最初の光を地上に投げかける瞬間である。

第十一景
秋の寿栄神社太鼓門

 寿栄神社の名は名張藤堂家の始祖・高吉公の法名に由来する。ここに残る太鼓門は藤堂屋敷の正門だった。いまは県指定文化財。日に日に紅葉する木々の下の参道を歩くと、歴史を見守った太鼓門が過ぎた時代をしのばせる。

第十二景
夏見廃寺晩秋

 古代のロマンを秘め、静かにたたずむ雑木。この地にはかつて壮麗な伽藍があった。国指定史跡・夏見廃寺跡として整備されたせいで、木立そのものの風情は面白味に乏しくなったが、礎石に立つと思いはいつか白鳳時代へ。

第十三景
古代をしのぶ馬塚の落日

 美旗古墳群を構成する大小七基の古墳のなかで、一番大きいのが前方後円墳の馬塚。周囲は肥沃な田園地帯で、遮るもののない北風が吹き過ぎる。沈む夕日と冬の雲をバックに、古墳の影は古代の荒々しさを思わせて色濃い。

初出 「伊和ジャーナル」2001年1月1日号−21日号
掲載 2001年1月22日