乱歩先生のこと
名張は、どことなく古い日本の伝統が残っている町だ。どちらかといえば、京都の影響をうけている感じがした。町を歩いていると“江戸川乱歩先生生誕の地”ときざまれた小さな石標があった。
僕は、びっくりした。まさか、乱歩先生が名張で生れたとは知らなかった。その細い横丁へ入ってみた。右側に溝がある幅二米余りの露地をすすんだ。
両側にぎっしり家が建てこんでいるのに、妙に清潔で、ひっそりと静まり返っている。僕の胸がはずんだ。乱歩先生に久しぶりで、お目にかかるような気がした。百五十米ほど奥へすすむと、右側にお医者さんの家があり、その玄関前に、幻影城──ときざまれた碑が立っていた。僕は、その前に、立ちはだかり、息を詰めた。そして頭を垂れた。
先生の面影が、まざまざと思いうかぶ。昭和三十七年の夏、戸川昌子君と一緒に、乱歩賞を貰ったときのことが思い出された。
見知らぬ初老の婦人が、僕のそばへ寄ってきて、
「乱歩さんが、生れたのは、ここですよ」
といって指さしてくれた。生家は、石碑のあるところではなく反対側の、民家である。先生のお父さんは、役場の書記のようなことをされ、くらしは余り楽ではなかったと、教えてくれた。
|