スイスアルプス
申し訳ありません。ただ今詳しい報告を鋭意作成中です。期待しないでお待ち下さい。

ブライトホルン西峰からリスカム
 日頃の大言壮語はどこへやら、スイスアルプスへ行く時は100%、おのぼりさんと化している。「マッターホルンは登らない」というのだけがせめてもの言い訳...。というわけで、ミシャベルの山や、ベルナーオーバーラント中部の氷河に興味を持っている。日本人がめったに泊らない山小屋にも行くので、珍しがられて、いろいろ話しかけられることも多いのだ。
なかでも「日本人はなぜあんなにマッターホルンに群がるのだ?」という問いは、スイスの多くの岳人が共通に持つ疑問だということがわかる。私はこう答える、「私もなぜだかわからない」。 そう話を逸らせて、ワインで乾杯!

オートルート '98.4-5
右又出合
'98の連休はオートルートへ行きました。アローラからツェルマットまでの行程です。
前日、アローラで泊り、晴天のなか、一日目はピエルス氷河を登ってヴィネット小屋泊。
二日目にはシェンービール小屋まで行くつもりでしたが、あんまりゆっくりだったので、小屋への登り口が見つけられず、マッターホルン北壁の下で予想外のビバークのオマケつきでした。天気がよくて助かりました。一晩中、北壁からセラック崩壊の音が聞こえて、ガイドを頼んでいたら、こんなのんびりとはできなかったなあと、あとで思ったものです。
翌日も良く晴れて、ツェルマットまで、終始マッターホルンの北壁を右に見上げながら、ひたすら長い雪道を辿りました。

 写真(左):アローラからスイス山岳会 のビニェット小屋へのルート、ピエルス氷河を登っているところです。右手のピークはピーニュ・ダローラ峰3772m。風がなく非常に暑かったので、北壁の懸垂氷河から雪崩が頻発していました。北壁中央部のカンテ状のラインを外すと、登攀は危険なことがわかります、

 写真(右):バルペリヌのコルでシールを外す。もう陽が傾き加減なのに、喉は乾くわ、くたくただわ...。ダンデランとマッターホルンの北壁が手に取るように見えました。ヘタなスキーでは、そんな眺めも中くらいにしか堪能できなかったんですが、それは日頃の精進が足らないから。

アレッチホルン
'00は、ラウターブルンネン、ブリークを拠点にベルナーオーバーラントへ行った。
メンヒヨッホ小屋からフィーシャーホルンを目指すが、高度順化を目的に登ったメンヒで頭痛になり、パートナーのブーイング浴びつつ、アレッチホルンへ転進。ブリークからベラルプ経由オーバーアレッチ氷河を遡る。ブリークでSACの最新ルート図が入手できず、ヤマケイの古い4000m峰ガイドだけを頼りに南西稜ルートへ。
暗闇の中、取付き点がわからず下部岩壁帯の通過に時間を消費してしまい、3900m地点までで撤退した。このときほど不甲斐なく、悔しい思いをしたのは久しぶりのことだった。写真の赤線のルートが下山後オーバーアレッチ小屋で確認した最近の情報。ヤマケイ本(旧い情報)によれば左端から取付くこととなっている(緑線がヤマケイ本を信じた軽はずみな我々の過ったルート)。ガイドなしの場合、稜取付き点の前日偵察は必須ということだ。氷河の後退で、年々、ルートは変更されるようなので、スイス山岳会の最新ルート図集は必ず入手しようね。

ミシャベルのドム
'01は、ツェルマットに長逗留してマッター谷側からミシャベルを狙う。結果は、順化のために日帰りの予定で登ったポリュックスで、帰りのロープウェーの時間確認を怠り、ガンデック小屋に転がり込むという、時間設定ミスをやらしかた。練習で体力と時間を消耗したおかげで、ドムの頂上へとどいただけだった。しかし、ドムでは'97の失敗(高度障害)に学び、おおむね問題なく到達できた。登りのフェスティ稜は、フェスティヨッホから上400mほどがカンカンのブルーアイスになっていて、かなり緊張した。ハナシが違うぞ! その日のコンディションでは、とうてい下りには使えない。
ドムの小屋から夕暮れのヴァイスホルン