うみねこ掲示板過去ログ#501-600

この掲示板ではクオリアの中でも志向性に関連する生命の自発性 spontaneity of life について論じます

そのためには流動的な媒体の中で活動を継続できる動的な構造が必要なのだ
The dynamic structure which can operate in a fluidal medium
is required to act with spontaneity.


書き込みはこちら



[579] 計算論的神経科学が描き出す脳の描像は自発的ではない 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/09/21(Tue) 17:17

 昨日(2004年9月20日)は大阪国際会議場で開催された市民公開講座「Neuro2004」を聴きに行ってきた。ちなみにこの大阪国際会議場では21-23日にわたって神経科学学会と神経化学会の合同大会も開催される。ここは初めて行ったのだが、正直なところ交通の不便さには驚かされた。隣接するリーガロイヤルホテルに宿泊する人はともかく、この会場はアクセスすること自体が難行である(笑) なんで阪大の学内を会場にしなかったのだろう・・・
 それはともかく、講演者は計算論的神経科学の川人光男氏、神経精神科の武田雅俊氏、そして「バカの壁」で一世を風靡した養老孟司氏である。

 今回の川人氏の講演は、いわば計算論的神経科学の概論であった。川人氏の研究はTVでも模倣ロボットがよく紹介されているし、講演も何度か聴いたことがあるのだが、私がいつも感じることは詰まるところ、計算論的神経科学が描き出す脳の描像は自発的ではない、ということである。
 先日見たソニーのQRIOの踊るパフォーマンスで、QRIOは持っていた扇子を偶然落としてしまったのである。もしも人間が扇子をうっかり落としたのであれば直ちに拾うか、踊りのタイミングに合わせてなんとかスマートに拾おうとするだろう。しかし、QRIOにそんな芸当などできるはずがない。QRIOは所詮、動作があらかじめプログラムによって完全に作り込まれた操り人形なのである。そして、QRIOはなぜ自分が扇子を持っているかなども理解していないことも明白である。それを理解しているのは制作した人間、パフォーマンスの面白さも、それを理解しているのはQRIOではなく制作した人間なのである。では川人氏の模倣ロボットはどうだろう。実はこれも、学習というプログラムによってあらかじめ作り込まれた操り人形なのである。よくエアーホッケーのパフォーマンスが披露されるが、ここで偶然あの球が割れたり、ホッケーのボードから転がり落ちてしまったら、人間であれば直ちにプレイをやめて割れた球を取り除いたり、落ちた球を拾おうとするだろうが、あのロボットはどうするだろう。
 事故というのは何が起こるかということを本質的に予測することができない、したがってプログラムであらかじめすべての事故に対処することは不可能なのである。しかし、人間であれば事故に対処することを諦めることも含めて、何らかの方法で対処しようとする。それはあらかじめ教えられていなくてもできる。それができるためには自発的でなければならないのである。エアーホッケーのパフォーマンスは実は、人間の方がロボットの都合に合わせているだけなのである。その都合に合わない事態(事故)が発生したら、もはやロボットにはどうすることもできないだろう。
 このことが理解されない限り、計算論的神経科学に則った人工知能やロボットは3歳児どころか死んだシステムのまま留まるだろう。

 武田氏の講演では、私が前から感じていた表面的な行動の異常に基づくDSM IVによる診断の問題点と、統合失調症では確かに正常範囲から逸脱した脳の代謝または機能が認められるが、そもそも脳の代謝または機能の異常がこの疾患の原因なのか、それともその状態をもたらす思考方法または行動様式が原因なのかが明らかではない、という問題点を再確認した。

 養老氏の講演では事象をカテゴライズする能力(「同じ」ものか「異なる」ものか)が人間とそれ以外の動物を分ける能力だということをおっしゃっていたと思うが、声が聞き取りにくく、また他の演者のようにスライドなどの理解のための補助手段が用いられなかったのでほとんど内容が分からなかった。氏の講演スタイルはよく分かった(笑)



[578] 灯台もと暗し 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/09/10(Fri) 14:29

 私は人間関係において、気がついても気がついていないフリをすることがよくある。だから、中には鈍感な奴と思っている人もいるかも知れない。しかし、気がついたと思っていることが、実は自意識過剰(行きすぎると被害妄想から関係妄想の世界に入る)によるものであるかも知れないのだ。だから、よほどの確信がない限り、表には出さない。ただし、たとえばネットでのやり取りにおいて、匿名が保たれていると感じるうちはわりと平気で表に出すこともある。一種の空気抜きだろう。
 しかし、上で書いたことは人間関係だけに留まらない。私は「憶測でものを言ってはならない」ということを自分に厳しく課しているつもりだ。

 しかし、ま、こんなことはどうでもよい。

 石ころにも意識やクオリアのカケラがある、と主張する物理学者氏は本掲示板、『[547]動的な構造』で書いたことに対する反論を次の著作で示してほしい。

つけたし:まさかそう思っているとは思わないけれども、私はモワノンプリュ氏ではないよ。私が仮に多くの人々が目にするメディアに書評などを書く時が来たら、その時は絶対に匿名では書かない。
それから、そちらがもう掲示板に書き込んだりメールするのはやめてくれと言うから黙っているのに、その後でそちらのサイトでそういう真似をするから、こちらも自分の掲示板でこんなくだらないことで応答しなければならなくなるのだ。これ以上、cowardな真似はやめてくれ。



[577] 余震? 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/09/06(Mon) 00:00

先ほどの地震の余震だろうか・・・
それにしては揺れが強く、時間も長かった・・・



[576] 地震 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/09/05(Sun) 20:56

 先ほど(19時7分)、紀伊半島沖を震源とする地震があった。関西地方ではあの阪神淡路大震災以来の規模で、当地(三重県名張市、震度4)では揺れている時間も長かった。しかし、幸い被害はほとんど出なかったようだ。
 これで東海、東南海、南海地震のエネルギーが多少とも放出されたのであればよいのだが。



[575] ×active perception ○action-perception cycle 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/09/04(Sat) 10:40

 茂木氏の9/4の日記(http://6519.teacup.com/kenmogi/bbs)から:

> 心脳問題は倫理問題でもある。
> 認知とは、行為することで時に
>転び、傷つき、脳内の世界把握が変化していく
>プロセスであるという昨今のactive perception
>の論理的帰結は、
> 世界がこうである(Sein)、と認識するという
>ことは、すなわちこのように行動すべき、という
>Sollenの問題でもあるということである。

 "action-perception cycle"を"active perception"と言い換えることで問題のすり替えが行われている。結局、茂木氏も伝統的な"perception-action cycle"の思考から逃れられていないと思う。行動した結果帰還してくるフィードバック情報により、我々の外界認知に絶えず変更が加えられるのは分かり切っていることである。次に問われるべきは、なぜ我々は先に情報を持たずとも行動できるのか、という点だと私は思う。

 倫理など関係がない。この世に善悪など存在しない。そんなものは単なる結果論、それもある特定の立場(それはしばしばヒトという種であったり、その時代の一般大衆であったりする)から見た場合の結果論に過ぎない。「行動すべき」なのではなく、その都度、我々は複数の選択肢のうちのいずれかを能動的に選択しているのだ、と私は思う。ただし、それはしばしば安易な方が選択されることが多い。化石燃料はいずれは底をつくのは分かり切っている。それでも我々は車を捨てて歩く方を選択せず、車に乗り続ける方を選択する。その方が楽だからだ。そして、その選択をとり続けている現代の我々の世代は未来の世代によって恨まれることになる、かも知れない。



[574] 「痴呆」の呼称改訂 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/09/02(Thu) 05:03

 松元さんとのメールで面白いやりとりができました。松元さんのお考えも窺い知ることができました。どうもありがとうございました。

 さて、私は約10年前から「精神分裂病」という病名は誤解を与えるので改めるべきだとして微力ながら活動してきましたが、ご存じのように最近「統合失調症」に改名されることになったのはまずまずよかったと思っています。
 そして今回は厚労省が「痴呆に替わる用語検討会」で痴呆に対する新たな呼称として6つの案を提示し、今月中旬から1か月間、同省のホームページで国民から意見を募るそうです。候補の6つの案とは、「もの忘れ症」、「認知障害」、「認知症」、「記憶障害」、「記憶症」、「アルツハイマー」です。
 私は仕事でこの分野の文献を翻訳する機会も多いのですが、私の狭い経験に基づく印象では最近は英語の文献でも"dementia"という言葉は控えられ、"patients having cognitive dysfunction/disorder/impairment"などに言い換えられる例が増えているように思います。その私の考えを述べると、「アルツハイマー型痴呆」というのは痴呆の一部に過ぎず、とくに日本では脳血管型痴呆が多いことからも「アルツハイマー」はあまり適切ではないと思います。また「もの忘れ症」、「認知症」、「記憶症」という言い方はどうも漠然としていて、医師は好まないでしょう(笑) それから「記憶障害」は「認知障害」に含まれる障害だと私は思います。
 以上から、英語文献における趨勢も考慮して、6つの案から選ぶとしたら私は「認知障害」が適当かと思います。



[573] 松元さん、こんにちは 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/31(Tue) 17:58

>広大の入戸野さんと言う方、
>神経細胞の自発発火に根拠を求めているわけでは
>なさそうですが、うみねこさんと似た考えをされています。

 なるほど。入戸野氏は存じませんでしたが、阪大の人間科学部のご出身で事象関連電位(ERP)を研究されている方ですね。ここの伝統ですね。
 理研で非公式のセミナーが開催されるとのこと、部外者でも聞きにいけますか?
 後ほどメールします。



[572] こういう人はご存じですか? 投稿者:松元 投稿日:2004/08/31(Tue) 12:47

うみねこさんとは以前に直接お話ししたことがありますが、
ここにははじめて書き込みます。
理研でサルの脳の研究をしております、松元です。

URLを貼っておきましたが、広大の入戸野さんと言う方、
神経細胞の自発発火に根拠を求めているわけでは
なさそうですが、うみねこさんと似た考えをされています。
何か月か前にメールのやりとりをしたことがあるのですが、
今週金曜に理研でセミナー(非公式)をなさるとの
アナウンスがあったので楽しみにしているところです。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/nittono/profile.html



[571] 台風16号 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/29(Sun) 20:40

 今年は台風の上陸・接近が多く、すでに大変な被害をもたらしている。しかし、ただいま接近中の台風16号はなかでもとくに大型で勢力も強い。今後の進路が気になるところである。当地(三重県)でもまだかなり離れているというのに、昨夜から突風が吹いたりして不穏な空気に包まれている。

 ところで、台風については近年の観測技術の発達のおかげで、かなりの精度で進路が予測できるようになってきた。しかし、これが台風ではなくゴジラのような怪獣、生物であったとしたらどうだろう? これも台風と同じように毎年何頭も日本を襲うものだったとして、ではこの怪獣の進路は予測できるようになるだろうか。意見は分かれるだろうが、予測できないと考える人の数は台風よりははるかに多いだろう。これはどうしてだろう。

 生命は非平衡開放系だと言われることが多い。しかし、これはいったいどういうことを意味しているのだろう。そして、この命題は真か?
 これから折に触れてこのことを考えていきたいと思う。



[570] Re[569]: 無題 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/27(Fri) 15:23

> だからこそいえるが、「前頭葉」が萎縮しているヒトが少数に過ぎない。黒体の変化が最も有名だとおもうけど。

 なるほど。黒体ではなく黒質(substantia nigra)です。あの病気は病型がいくつかありますからね。私は最近、パーキンソン病の文献を翻訳する機会が多かったのですが、黒質-線条体系に関してはその病気とパーキンソン病は逆の病態という感じですね。

 あ、そうそう。あの長期入院患者の話は相当昔の話です。今は精神科も通院が可能になり、雰囲気もずいぶん変わったでしょうね。

 お大事に。



[569] 無題 投稿者:亡くなった白黒猫 投稿日:2004/08/27(Fri) 14:23

前頭葉を実行機能と指しているのですか。知りませんでした。
私は人工知能に「意識」という不確定存在を排除して考えています。

自分の親は統合失調症だ。だからこそいえるが、「前頭葉」が萎縮しているヒトが少数に過ぎない。黒体の変化が最も有名だとおもうけど。まぁ、この病気は症状でくくったものだから、個々において病気の原因が違うと思うので議論は避けたい。原因もウイルス説と遺伝説いろいろあって馬鹿らしいことになってますが。

なるほど自発性に大きな食い違いがありますね。
うみねこ的自発性: 活動→結果(行動の結果)→処理 自発的
亡くなった白黒猫: 行動を引き起こすトリガー→処理→行動 受動的 受動的の連続=自発性と錯覚してしまう

前提とする考え方が違うことがよくわかりました。
ログを読み直してもそうみたいね。



[568] 質問 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/27(Fri) 13:59

 時間ができたので、亡くなった白黒猫さんにひとつ質問させていただきたいと思います。かなり辛辣になっていますのでご覚悟のほどを・・・

構造上無理・・・
 我々が「知能」とよぶ能力を「生命という機械」が備えているのであるから、どうして人間も「知能を持つ機械」を作れる、とは考えないのでしょうか? 「機械」とは金属やプラスチックなどでできた固い物、という固定観念があるのではありませんか? 私は人間が了解可能な作用で機能する構造物はすべて機械とよべると思います。材質など関係ありません。「生命」は未だ人間がすべてを理解したわけではないけれども、決して人智を越えた存在ではなく、本質的には人間がいずれは理解可能な作用で機能する構造物だと私は思っています。

「狼に育てられたヒト」
 狼に育てられたヒトは少なくとも狼の知能を持っている、とはどうして考えないのでしょう? 知能はヒトにしかない能力ではありません。たとえ狼でも、ヒトの仕掛けた罠にかかって命からがら逃げおおせたとしたら、その狼は少なくともその場所には近寄らなくなるでしょう。これは狼にも知能があることの証拠です。

社会がなければ知能は生まれない?
単体での知能はあり得ない?
 上であげた、罠を逃れた狼は二度と罠にかからないという例で、その狼は他の狼からそこに罠があることを教えられたから罠に近づかなくなるのでしょうか? また、その狼は他の狼にそこに罠があることを教えるでしょうか? おそらくそんなことはないでしょうね。私はかつて、ネズミを用いて学習実験をやっていましたが、それは通常1匹ずつ取りだして訓練するのです。そしてそれでちゃんと成績は上昇していくのです。ネズミは飼育箱の中で、迷路の解法を、あそこは右に行って、次は左に行くんだ、とかいうことを教え合っているのでしょうか?(笑) それこそ考えにくいですよね。
 また[567]で例を挙げた、火に手をかざすと熱いから避けるようになるのは、人に教えられたからそうするようになるのでしょうか? 違いますよね。私はむしろ、知能は個体レベル(単体)でこそ発揮されるものだと思います。社会やコミュニティの理想は、その個体レベルでの知能が発揮されやすいように構造化されていることだと思います。



[567] 実行機能 判定 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/27(Fri) 05:35

 亡くなった白黒猫さん、こんにちは。
 言うべきことが多すぎて頭がまとまらない、というのが正直なところなのですが、ご質問の件だけとりあえず。

 実行機能(executive function)という言葉が用いられるようになったのは比較的最近のようですが、指している内容は昔から知られていることです。これは一言で言うと、前頭葉の機能です。ロボトミー(前頭葉白質切截術)という言葉はご存じだと思いますが、暴力的な人物のこめかみからメスを差し込んで前頭葉をスパッと切ると人が変わったようにおとなしくなるということで、戦前から戦後にかけて日本でもよく行われたらしいです。この手術を開発した医師には、その『功績』に対してノーベル賞も与えられているそうです。その症状は簡単に言うと、無気力になり計画性のないその日暮らしの生活を送るようになるというものです。
 また、精神分裂病(現在は統合失調症に改名)の長期入院患者は前頭葉が萎縮している、というのもよく知られています。それが疾患によるものなのか、当然長期間投与されている抗精神病薬の副作用によるものなのかについて1980年前後に精神科領域で多少論争があったようですが、その症状はロボトミーを受けた患者とよく似ているのです。
 実行機能についてはたとえば、"Executive Functions"に簡単にまとめられています。これを一言で言うと、「自発性」になるでしょう。しかし、私のいう「生命の自発性」はこれとはまた別のことです。それが細胞内部では循環的な酵素化学反応が継続されていることを指しているのですが、今はとりあえず、こういうことだとご理解ください。

 それからこれもここでも何度も書いていることですが、我々の行動に対する考え方として、私は「我々(生物)は入力された情報を処理して反応するのではなく、まず行動してその結果還ってきたフィードバック情報を処理しているのだ」と考えています。認知科学というのは知覚心理学や認知心理学を母体としているように、「入力された情報の処理」を主に研究しているわけですが、私は認知科学の行動の系列に対する考え方(入力された情報を処理して反応する)自体を、まず行動してその結果還ってきたフィードバック情報を処理しているという考え方に改めなければならないのではないか、と言っているのです。そして、そのためには我々はまず自発的に行動できる必要がある、というわけです。
 この場合においても、もちろん「判定」は行っています。いや、判定は行われなければなりません。たとえば、自発的に火に手をかざすと「熱い」というフィードバック情報が還ってきた。ということは火に手をかざすという行動が熱いという嫌悪刺激の原因なのだと判定し、それ以降は火に手をかざないようにしようとする、ということです。この体験が我々の知識になるのです。「火は危ない」という言葉だけでは我々は理解することはできません。上の例や、ストーブやたき火に手を当てる、あるいは手を突っ込む(自発的な行動)と暖かい、火傷した(フィードバック情報)とか、そういう多数の細かい体験・知識があってこそ、「火は危ない」ということが理解できるようになるのです。



[566] 無題 投稿者:亡くなった白黒猫 投稿日:2004/08/27(Fri) 00:10

2chの続き

私は「人工知能」は「人間の知能」を追う必要はないし、構造上無理なのでしないかと考えるからだ。ヒトの知能の「自発性」と呼ばれている者は、社会というシステムの産物だからと考えているからだ(2chの787参照)(かつ、ヒトの知能は社会があることが前提で機能するように作られている)。よって単体での(自発性≒創造できる)知能は困難だと考えている。
私はあなたの考えている、「生命の自発性」と「知能の自発性」が同一とは考えていない。また生命の自発性が全く定義が無いので私は議論できない。

ヒトの知能は社会(コミュニティー)というシステムの前提でできていると考えた大きな要因は、「狼に育てられたヒト」がヒトの知能をもっていたかということを考えたからだ。簡単な本などを読むと、ヒトとしての知能を獲たのはコミュニティーに接触したからだということが解かる。つまり、単体では知能の自発性が発生しないと考えた。

ゆえに、もともと構造上無理があるから、「(ヒトの)知能」と「人工知能」は別物として追い求めるべきであると考えたわけ。しかし、ヒトの脳は認識や言語理解などの優れた機能がある。だが、この機能は遺伝的なものであり、個体で形成しているのだから、構造を理解すればその機能をコンピューターで再現できるのではと考えた。(もちろん駄目なら、それができるシステムを考るよ)。大脳はコラムといったもので形成されており、そのコラムが特定の信号の判定をしており、その判定を基に認識(判別・系列化・選定 )が行われている。 

つまり(端折るけど)知能の根底は「判定」から行われているのではないかということ。
ゆえに、(あなたのモデルでは)判定を知能と認めるか?という質問をしました。 実行機能は、素直にそんなものあったか?と思ったから質問したのです。

ref.
787
自分の人工知能論
「フレーム問題」「自発性」は存在しないものだと思っている。
ヒトの自発性はそう見えているだけで、他人のコピー(物まね)でしかないということ。
ヒトとヒトのコピー(ものまね)は完全には出来ないから、
その差異、誤差が自発性(オリジナリティ・想像)というものを形成していくのではないかということ
つまるところ、一種の社会現象(言葉がみつからん)ではないかと思うわけ。
人工知能論じゃなく自発性の説明になったけど。

自分のモデルが確立してできているわけでないから抽象的にしか説明でなくてすまんな

単体での知能形成は不可能だと思っている



[565] 何をする機械? 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/24(Tue) 01:59

 我々とは異なる文明の中で使用されていた機械は、我々にはその使用方法が分からないことがよくある。Syberiaにもそんな機械が登場する。

 外観は中世ヨーロッパで使用されていたような古くさい機械である。上にタライのような大きな容器がある。その容器の下にはコックがあるが、今コックをひねっても何も起こらない。左側に取っ手があって、それを引っ張ると、容器の中に入っている物から湯気が上がるのが見える。どうやら容器全体が温まるようである。しかし、それ以上のことは何も起きない。その機械の側面には糸のようなものがぶら下がっている。コックの下には箱のようなものがあってフタを開閉できる。これはいったい何をする機械なのだろうか?
 いじってもとくに危険はなく、独立したスタンドアロンのような機械なので、あちこちいじり回してみる。どうやら箱のフタを開けるとその箱に糸がセットできるようになるようである。取っ手を引っ張って容器を温めてみる。しかしこの状態では何も起きない。コックもひねることができない。しかし、箱に糸をセットした状態で箱のフタを閉めてからコックをひねると、何かどろどろした液体が箱の中に流れ込むのが見える。それからフタを開けると、ある物ができあがっていた。そう、これは○○を製造する機械なのであった。今までは試行錯誤であちこちいじくり回していたが、いったんそれが何をする機械であるかが分かると正しい操作法も直ちに分かるようになる・・・



[564] Syberia II(シベリア II) 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/15(Sun) 15:59

 フランス製の傑作アドベンチャーゲーム、"Syberia"を全編を通してプレイした。パッケージにも書かれているが、「彼女(主人公の女弁護士、ケイト・ウォーカー)の選択は勇敢か、それとも愚かなのか?」はなかなか言い得て妙である。

http://syberia2-game.com/syberia2/english/

 前編はオートマトン(からくり)作りの天才、ハンス・ボラルバーグの創った人工の世界を探検することが多かったが、後編はとくに雪の中の世界という自然界を探索することが多かった。前編はともかく、後編は試行錯誤で解かざるを得ないような謎解きが多かったので少し閉口したが、この掲示板[506]でも書いたように、このストーリーにはいくつかのテーマが隠されている。
 その中のひとつのテーマとして、オートマトン(ロボット、ひいては人工知能)は人に仕えるために作られるのか?というものがある。もちろん、ボラルバーグはそのように信じており、彼が作ったオートマトンの機関士、オスカーも最後は自分の宿命を悟って(?)自分の身体を制作者ボラルバーグに捧げるのだ。ボラルバーグはそのようにオスカーを制作していたのだ。

 しかし、私は納得がいかない。かつて余所で議論したことだが、調理ロボットは人間のユーザーが指定する料理をうまく作ればそれでいいのだろうか? もちろん、人間の味覚に適う料理を作るのはそれなりに高度な知能が必要だろう。しかし、いつも肉料理ばかり作ることを命令して、それを言われた通りに作るロボットでいいのだろうか。少なくともあなたの奥様はそうはしないはずである。なぜか。それは現在の医学的知識に照らして肉料理ばかり食べていたのでは身体に良くないことを知っているからである。だから、あえて希望(または命令)に逆らって野菜料理を作ることがある。そして、我々が調理ロボットに望むのも本当はこういう動作ではないだろうか。

 あるいは別の例として人間とロボットが共同作業を行う場合を考えてみる。ボラルバーグの考え方ではロボットは人間の命令に従わなければならない。しかし、その命令が誤っていることは往々にしてあることである。では、当の人間は誤りに気がついていないけれども、人間と身体を共有していないがために異なる視点から問題を見ることができ、その視点から見てその誤りに気づける可能性のある立場にあるロボットはその誤った命令に従うべきなのだろうか。人間の共同作業担当者ならそうはしないはずである。相手の誤りを指摘して、改めさせようとするだろう。そして、私を含め、多くの人々はそういう動作をロボットに求めているのではなかろうか。

 将棋NN#314さんはどう考えますか?



[563] 自分が卑怯であることに気がつかない卑怯者がいる 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/15(Sun) 15:16

 前から一言書かなければならないと思っていたのだが、たとえば「茂木健一郎氏のクオリア日記(http://6519.teacup.com/kenmogi/bbs)」を読んでいると、その卑怯さにしばしば吐き気を催すことがある。こういう人物は自分がいかに卑怯であるかに気がつかない得な性分をしていると思う。

 自然と触れあいたくとも、海外に出かけたくとも、時間的経済的余裕がないためにそれがどうしてもできない人間はいるのである。それをNHKの自然番組やアッテンボローの自然ドキュメンタリーなどはそれを垣間見させてくれる。自然と触れあわなくてはダメだというのでは、自分が良いと思っているこれらの番組を否定することになってしまう。

 現代は息の臭さや不潔さが妙に嫌われる時代だが、臭い息を吐く場面は自然の中にいる方が多いだろう。たとえばクマに遭遇し、注意深く風下に回ってクマが通りすぎるのを固唾を飲んで見守っている瞬間は胃液の分泌が過剰になり、それが食道をはい上がってくるので息が臭くなっているはずである。自然の中にいる方が不潔になりやすいのも言うまでもない。飼い犬より野良犬の方が、篭の中の鳥よりカラスの方が、ヒトが感染するおそれのある病原体を持っている可能性がはるかに高い。

 私だってたとえば群馬と新潟の県境、「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という川端康成「雪国」の有名な書き出しに登場する三国峠で深夜、たったひとりで遭難しかけたことがある。一晩で雪が1メートルも積もるかも知れない彼の地で雪に対する備えを一切持たずにひとりで佇み、しかも自分がそこに居ることさえ誰も知らない(当時は携帯電話などなかったので連絡の取りようもなかった)、という状況の心細さは表現のしようがない。
 しかし、なにも都会から遠く離れたところまでわざわざ出かけなくとも、自然と触れあうことはいくらでもできる。たとえば「工事中」の看板が立った、少し広めの工事現場にでも深夜に行ってみるがいい。看板が人や車の立ち入りを禁止しているおかげで本物の自然が創り出されているのだ。真冬なら3時間もそこに留まっておれば、剥き出しの土に雪がみるみる積もっていく様子や汚水だまりの表面が徐々に凍っていく様子を目のあたりにすることができるだろう。



[562] 将棋NN#314さん、こんにちは 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/12(Thu) 19:50

 返事が遅れてしまって申しわけございません。ひさしぶりに少し大きな臨床試験実施計画書の仕事が来て、それにかかりっきりになっておりました。

 さて、私の考えの要は「我々(生物)は入力された情報を処理して反応するのではなく、まず行動してその結果還ってきたフィードバック情報を処理しているのだ」ということです。この考え方を我々の行動に徹底的に適用し、この処理シーケンスを持つ機械が開発できたら従来の情報処理工学の体系(ちなみに今のニューラルネットも今のままではこちらの体系に入る。私に言わせると「ニューラル」ネットなどと自称するのはおこがましい)とはまったく異なる体系が生まれるだろうということです。そして、おそらく人工知能もこの体系にあって初めて可能になる。この考えが受け入れられるかどうか・・・

 しかし、将棋に関しては従来の体系の通り、所詮は狭い定義域の中を探索すれば(時間がかかろうとも)いずれは解ける(いや正確にはすでに解けてしまっているのだが時間がかかるために全体像が見えないだけ)問題だと思います。しかし、それでも、上で述べた新たな体系のもとではまったく挙動の異なる将棋機械(おそらくソフトウェアではないでしょう。しかし図体はソフトかも知れません)が実現するだろうと思います。この機械の挙動は人間の棋士の挙動とまったく同じ。だって脳がそうなんですもの。

 脳はなにも入力されなくとも活動できるが、放っておくと暴走するので外界の刺激がその活動を補正していると考える。そして、なにも入力されなくとも活動できるということは、その活動はすべて内部に由来する。意識もクオリアも・・・



[560] お邪魔します 投稿者:将棋NN#314 投稿日:2004/08/10(Tue) 23:54

うみねこさん、今晩は。将棋NN#314です。
コンピュータ将棋スレッド(特に番外編)ではお世話になっています。

コンピュータ将棋に関する私の関心の出発点は2チャンのスレッドにも書きましたようにニューラルネットへの関心が先にあるんですよ。まず脳の研究をしたいなという願望からNNへ興味が行ってそれを適用する課題としてコンピュータ将棋が面白いかなと。
私が関心を抱き始めた当時(大学生時代)はニューラルネットというとローゼンブラッドのパーセプトロンがミンスキー達にボロクソに叩かれてずいぶん下火だった(ほとんど消えかかっていた)時代でしたが。コンピュータ将棋ソフトの方も弱々でしかもアセンブラで書かれていたというような時代でしたね。
それからしばらく経って、自己組織化だのカオスだの散逸構造論だの複雑系だの(当時はそんな用語なかったかな?)を知ったものですから私の中でこの三者?のうち前二者(コンピュータ将棋とNN)は結びついているんですが後者の方の難しい概念の方は単に個人的に勉強したい課題にずーーっと止まっております。
また後者の難解な概念(理論)の方は一般向け解説書をちょろっと読んだレベルのほんのうわっつらを舐めた程度にしか知りません。生命の神秘の鍵はこの辺にあるに違いないと私のゴーストが囁く(w)のですが、大学での数学は解析学の初歩当たりで落ちこぼれた身としては如何せんプリゴジンの散逸構造論などは難しすぎます。(泣)



[559] 監督の視点と選手の視点、または第三者的視点と主観的視点 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/08/07(Sat) 16:06

 今、ロボット同士でサッカーの対戦をするプロジェクト(ロボカップ)が進行中のことはよく知られているが、どうも気になるのは
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20040620AT1D1809J19062004.html
などを読むと、ソニーの方針はロボット同士をネットで接続し、各ロボットの挙動はネットの方で判断させる仕組みらしいという点だ。しかし、このネットが判断することは、サッカーの試合では普通、選手ではなく監督が考えることである。つまりこれは選手の動きを「第三者的視点で命令する」ことである。そして、ネットさえうまく機能しておれば、選手は監督の考えた通りに行動する。

 しかし、人間同士が行うサッカーの試合では監督や選手同士がネットで接続されているということはなく(もちろんそれに近い役割を果たすのが「合図」であるが)、選手は自発的なエージェントであって、もちろん監督の命令には従おうとするだろうが、完全に従えるわけではない。また、選手個人の目から見た他の味方選手の動きはチームとしてトレーニングを積んでおればおおよその予想がつくとしても、完全に予想できるものではない。主観的視点というのはそういうものだ。だから、各選手は時々賭けをせざるを得ない。そして、賭けに勝った時は祝福されるが、賭けに負けた時はくそみそに貶される。しかしそれは単に結果論であって、大事なことは我々は賭けをすることがあるという点である。

 いわゆるうまく行った試合というのは、勝敗は問わず(もちろん勝った方がいいのに決まっているが)、監督が考えた通りに(監督の指示または計算通りに)選手が動いた試合だろう。しかしこれは、ある選手が監督の予想以上の働きをみせて得点をあげる場合がある(つまりその選手が賭けに勝った)、ということが考慮されていないのである。

 どうもまだうまく言えないが、AI研究のさまざまな現場で「第三者的視点と主観的視点の混同」が生じているような気がする。



[558] フランシス・クリック博士が亡くなった 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/07/30(Fri) 07:54

 1954年にジェームズ・ワトソン博士とともにDNAの構造解析でノーベル賞を受賞したクリック博士が亡くなった。分子生物学は言うに及ばず、生命は隕石に含まれる高分子に由来するというパンスペルミア説、最近ではコッホ博士との共著(The astonish hypothesis)でその主張の内容はともかく、多くの生物学者を脳研究に振り向ける役割を果たした功績は大きい。とにかく話題に上ることの多い人だった。

 パンスペルミア説自体は19世紀の理論だが、クリック博士の主張では地球環境では自然には合成されにくい高分子は宇宙空間の強烈な電磁波によって生成されたとする点が重要。発表当初は奇異な目で見られたそうだが、私は生命誕生の説明を容易にするものとしてすぐに受け入れたものだった。

 "The astonish hypothesis"は邦訳された本の表題「DNAに魂はあるか」にはまったく腹が立ったものだが、あともう少し早く著されていたらなぁ(笑)というのが個人的に残念な点。



[557] 電子ブック…。 投稿者:ほっぺたフェチ 投稿日:2004/07/30(Fri) 00:53

デジタルのデータは、蛍光ペンでマーキングしたり、
インデックスを貼ったり出来ませんからねぇ…。
そこが難しいところであったりするかも。

基本的に、ネットのテキストファイルは、
全部紙に印刷して、ホッチキスで留めてからじゃないと
じっくり読めない人間だったりするもので…。

電子ブックの解像度の問題とかも課題ですね…。
文字の拡大縮小をするのにも、挿絵を表示するのにも、
解像度がついて回りますからねぇ…。
もっと解像度を上げてもらわないと、読みづらい、見づらい…という
トホホな現象が多発するんじゃないかなぁ…と思います。

http://www.crazarl.net/



[556] 受動的であることは能動的であることより楽 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/07/27(Tue) 06:53

 森山和道氏のウェブ日記
http://www.moriyama.com/diary/2004/diary.htm#diary.04.07.26
で電子ブックが普及しない理由として、「本」というハードウェアの持つ特性とエンコーディング技術の未発達が挙げられているが、私はちょっと違うと思う。

 「聞く」とか「見る」というのはどちらかというと受け身だが、「読む」という行為はそれ自体能動的で、より多くの処理資源を必要とする。音楽や映画はぼーとしながら鑑賞していても感覚器官から情報が勝手に入力されていくが、読書は内容を理解するために眼を積極的に動かしで情報を取り込まなければならない。つまり、音楽や映画鑑賞に比べて読書の方がはるかにしんどい作業なのだ。そして、書籍が最も身近にあった昔と違い、アクセシビリティの点で書籍と音楽や映画との間の差がなくなってしまった現代、人々が楽な方に流れるのは当然と思われる(もちろんこのことを良しと言っているのではない)。

 もちろん処理レベルの深さという問題はある。音楽家や映画監督が音楽や映画を鑑賞する時は一般人よりははるかに深い処理を行っているだろう。しかし、一般人は、とくに音楽は「ながら鑑賞」ができてしまうことでも明らかなように、放っておいても感覚器官から情報が入力されるので、それに対してたいした処理を行っていなくとも鑑賞した気になれるものだ。ところが読書はそうはいかない。よく速読を自慢する人がいるが、私はあまり信用していない。速読するというのは情報を浅いレベルの処理で済ませている可能性があるということであり、本に書かれている新規な点や細かいニュアンスの違いなどを見落としているかも知れない。

 いずれにしろ、森林資源の保護の観点からも私は書籍の電子化、電子ブックに大賛成だが、これだけ電子化される書籍が少なく、私があまり読まないベストセラー小説からしか電子化されない状況ではどうしようもない。本の体裁などどうでもよい、本の本質はテキストデータなのでそれがほしい、となると書籍にする内容をウェブで公開するのがこれから有力な手段になるだろう。ま、今さら言うまでもないが。



[555] 夏目漱石やワグナーはくだらない 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/07/24(Sat) 06:19

と言うのは大変勇気の要ることだが、素晴らしいと言うのは安全だ。
現在ではそのことに反論できる者など居やしないから。

 誰かがフェルメールがいいと言ったらワーとそれに飛びつき、誰かが歌舞伎がいいと言ったらまたそれに飛びつくのは恥ずかしいと思わないのか。

 「歌舞伎は芸術である」というのは世襲制だかなんだか知らないが長い間受け継がれてきたその歴史性(重み?)が、「歌舞伎は昔の大衆娯楽に過ぎない」と言うことを憚らせている、その裏返しに過ぎないのではないだろうか。そういう歴史性を取り払って歌舞伎を観てみると、たとえばあの隈取りの俗悪さに吐き気がしてこないだろうか。

 ま、私も公衆の面前ではこういうことは決して言わない。その代わりに、映画を超える総合芸術になりうると信じるコンピュータ・ゲームを熱く語ることになるだろう。映画でも小説でも演劇でもいいのだが、主人公の振る舞いに不満を感じたことはないだろうか。しかし、オーディエンスのそんな不満などお構いなしにストーリーは進行する。こういうものを、すでにストーリーの決まった作品は無視しているのである。しかし、そこをプレイヤー(従来の読者や観客)が主人公に成り代わって振る舞えるとしたらどうだろう? コンピュータ・ゲームはそんな可能性を秘めている。



[554] 精神が肉体を創る 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/07/13(Tue) 01:24

 医学論文や医学業界紙の記事などの翻訳に従事していると、時々おや?という文献に遭遇することがある。

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肉体運動がニューロンの成長を促進

〔ニューヨーク〕

 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(ロサンゼルス)神経外科のRaffaella Molteni博士らはProceedings of the National Academy of Sciences USA(PNAS、2004;101:8473-8478)に、動物実験に基づき自発的な運動がニューロトロフィン依存性メカニズムを介して成熟動物の脊髄神経節(DRG)ニューロンの軸索再生を促進すると報告した。今回の報告によると,肉体運動は損傷されたニューロンの軸索の再生を促進することができる。肉体運動がニューロトロフィン信号伝達メカニズムを介したシナプスの可塑性と再生能力を変化させると思われる。
------------------------------------------------------------

 これはある記事の冒頭の一節。ここで言う「自発的な運動 voluntary exercise」とは、回転篭を側壁に取りつけた飼育箱でラットを飼うと、飼育者がとくに仕向けなくともラットが勝手に回転篭に乗って運動することを指している。回転篭はラットが自分で回すのだ。走行距離は1日10キロに及ぶことがある。わざわざ言うまでもないことだが、運動選手の鍛え上げられた身体も、自分で身体を鍛えようとする自発的な意図があってこそ形成されるものだ。私はこの記事の主題であるニューロトロフィン信号伝達系に関してはさほど興味が沸かないが、化学反応機械でしかない(笑)はずの我々にこんな能力が備わっているとはなんとも不思議ではないか。やはり精神と肉体は別々の、独立した存在なのだろうか?

 しかし、私の解釈ではそうはならない。どうも、
流動性のある媒体中を「自由に移動できる」基質や酵素が動的な構造(化学反応の回路)を形成し、活動を継続している→
各細胞は自発的(spontaneous、意志が介在しない)に活動できる→
その中でもとくに自発的に活動する神経細胞のネットワークが「意志」とよばれる活動を産み出し→
身体というシステムとして自発的(voluntary、意志が介在する)に活動できる
という因果関係が存在すると思う。



[553] 強化学習との違い 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/07/10(Sat) 18:47

 私の議論が強化学習とどう違うのか?という疑問が時々投げかけられるので、ここで強化学習との違いについて説明しておこうと思う。

 すでに述べたように知覚は自発的に動作(活動)して初めて得られるものであるので、自発的でなければ学習も起こらない。つまり、自発性は構造体(システム)が強化学習を問わず一般に学習するために、当のシステムが備えていなければならない特性だと主張しているのである。

 「砂糖」が正の強化因子になることは学習された後で分かることなので、そのことを前提に話を進めてはならない。しかし、「甘い」ということが当のシステムにとって「快」となることは学習するまでもなく、あらかじめ決まっていることである。これは波長700nm前後の光はなぜ赤に見えるのかという、クオリアと同じ種類の問題である。それが遺伝的に決まっていると言ったのでは説明したことにならない。問題は、遺伝的に決定された構造が何故そのような性質を持つことができるのか、ということなのである。

 それを量子力学その他の未知の物理法則に求める立場もあるようだが、私はそうではなく、なんらかの動的な構造がそのような性質をもたらしていると考えている(凍結したキンギョにも量子力学は同じように作用するが、それはクオリアを持ち得ないという議論[547]参照)。



[552] WIDE University, School of Internet 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/07/08(Thu) 03:46

http://www.soi.wide.ad.jp/contents.html

 ウェブ上にこんなサービスがあるとは知らなかった。今日はいいことを知った。

 この講義の中で、今夜は「自律分散協調論」の中でも「創発システムに向けて」を聴いてみた。その中で例によって人工知能(AI)の「知的エージェント」の話が出てきた。
 しかし、ここで私が何度も書いてきたように、AIの構成要素、知的エージェントを、
「知的エージェントは、ある環境をセンサで知覚し、ある環境にエフェクタを通して動作するものである。」
 と考えている限り、私はダメだと思う。
 私の考えではAIの構成要素は自発的エージェントでなければならず、それは
「自発的エージェントは、ある環境において無条件にエフェクタを動かして動作しており、その動作の結果(フィードバック)をセンサで知覚する、つまり動作することによって環境から情報を収集していくものである。知覚は動作することによって初めて得られるものである(動作を開始する前の自発的エージェントは何も知覚していない)。」と定義される(私の定義)。
 この授業(第11回 06/28/2004)の中で「自発性(pro-activeness)」という言葉が使われていた。この種の文脈で「自発性」という言葉が使用されているのを聴いたのは今回が初めてである。ただし、それに関してはほとんど説明が加えられていなかった。



[551] 誤解してるよ。 投稿者:生命は自然発生か?1 投稿日:2004/07/05(Mon) 23:35

実際、読んだんだが、、、。
今、半分は読んだな。
今日はもう帰ります。ここは漫画喫茶です。またメールします。

クオリアは検索でまあわかった。あなたの全文は今度来た時に読みます。
読んだかぎりの感想で言うと、もう少し”時間概念”が生生しい方が現実的な気がしました。
(生生しい時間概念はしばしば非科学的とも言われます。)
まあ、いいやまた来ます。俺はあなたに基本的には感謝してますよ。話がおもしろかったから。
また、読んでメールします。



[549] ソニー、また誤った方向へ 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/06/22(Tue) 10:13

http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20040620AT1D1809J19062004.html

 人間の脳は通信回線で結ばれていますか? また通信網は環境次第でいくらでも途切れることがある。その場合に、人間なら途切れた通信網を回復させる、そのこと自体のために活動することができる、ということは、人間は通信網に依存して行動しているのではないことは明らか。しかし、このQRIOは通信網が途絶えてしまうと何もできなくなってしまうだろう。

「自発型」ロボットなどといくら銘打っても、その実、まったく自発的ではない。



[548] 棒グラフでも人を騙すのは容易 投稿者:ほっぺたフェチ 投稿日:2004/06/18(Fri) 07:53

 0    100      1000000  1000100

A|──────(省略)──────────────
 |
B|──────(省略)────
 |
C|──────(省略)────────────────────────

実際にはそれほど差がなくても、途中に省略を入れると
ものすごい差があるように見えますよね…。

…。
……。
………。

…人間は、騙されやすい動物なのだと思います。
「>────<」と、「<────>」、どっちが長い?…の
目の錯覚とかがまずそうですし…。

…って、何言ってるんだろ、自分。
http://www.crazarl.net/



[547] 動的な構造 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/06/17(Thu) 04:09

 時々、石や鉱物もクオリアをもつと考える人が現れ、そのたびに戸惑わされる(たとえば「脳のからくり」茂木健一郎監修・竹内薫著)。得てしてこういう人々は物理・数学系の人に多い。しかし私は、彼らは「生きている」ということに関してあまりに無頓着すぎると思う。

 生きたまま液体窒素に浸して凍結したキンギョを考えてみる。キンギョくらいの大きさだと液体窒素に浸けるとほとんど瞬時に全身が凍りついてしまう。そして、そのキンギョは適切に解凍してやれば再び水中を泳ぎ出すのだ。もちろん、完全に凍結前の状態に戻るわけではないかも知れないが、少なくとも泳ぐという機能を果たすために必要な組織は凍結しても損傷されていなかったことが分かる。言うまでもないが、その組織には鰭から筋骨格系、神経系までが含まれる。では、凍結されたキンギョは死んでいるのだろうか、生きているのだろうか? 凍結したキンギョを金槌で割ってから解凍したのでは、さすがにキンギョは泳ぎ出さないだろう。凍結したキンギョの眼に光を当てるとどうなるだろう? 仮に水晶体や硝子体は凍結しても透明を保っていると仮定しても、眼の外表面から侵入した光は網膜には像を結ぶかも知れないが、それ以降の反応が続かない。つまり凍結したキンギョは眼が見えていないと思われる。光が網膜に像を結ぶまでの過程は光学(物理学)的過程で、これは温度に左右されないが、それ以降、像の信号が脳まで伝達されて認識されるまでの過程は突き詰めると酵素化学反応だ。そして、この酵素化学反応は凍結はおろか、低温では進行しないからだ。

 以上から、クオリアをもつためにはまずそのための構造が必要だ(金槌で割ったキンギョはクオリアをもてない)。そして、その構造は感覚刺激が入力されると活動する必要がある(正確にはその構造は感覚刺激が入力される前からあらかじめ活動している必要がある)、ということが分かる。つまり、クオリアをもつためには動的な構造が必要なのだ。そして、地球上の生物に関しては、その動的な構造は酵素化学反応によって維持されている。なぜ酵素化学反応は凍結状態では進行しないかというと、それは酵素の触媒活性が低いからというよりも、溶媒が固まっているために酵素は移動できず、触媒能を発揮しようがないからだ。

 改めて訊く。石にとってはその世界は極低温で、石は凍結しているようなものだ。凍結されたキンギョはクオリアをもてないのだった。ではこのような石はクオリアをもてるだろうか。さらに、石はそのための構造を備えているだろうか。



[546] ベンジャミン・リベット 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/05/22(Sat) 00:46

 森山和道氏の日記、
http://www.moriyama.com/diary/2004/diary.htm#diary.04.05.18
に『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(トール・ノーレットランダーシュ/紀伊國屋書店)が引用されている。

>つまり、三つの事象が起きている。まず<準備電位>が発生し、ついで被験者が行為の開始を意識し、
>最後に行為が実行される。

 私は本書をまだ読んでいないが、このリベットの結論は知っている。この結論を思い出すたびに、いったいこれは何を意味しているのだろう、と非常に悩んでしまう。<準備電位>が発生してから行為が実行される、というのはいい。だが、行為の開始を意識する前から脳は作動している(準備電位が発生している)というのはどういうことだろう。

 しかしその前に、この実験手続き自体にも疑問がある。「被験者が行為の開始を意識」したことは報告されて初めて分かることだ(言うまでもないが報告する方法は口頭によるものである必要はない。指を立てる、瞬きする、視点を動かすなどでもよい、とにかく外部から分かる行為なら何でもよいのだ。逆に言うと、外部から見てそれと分かる行為をする必要があるのだ)。つまり、意識したことを報告するという行為を発現すること自体にも時間がかかるのだ。ではこの「その報告するという行為の発現に要した時間」は考慮に入れられているのだろうか?

 現時点では、私は<準備電位>の発生にさらに先立つプロセスが存在し、そのプロセスが意志を決定していると同時に、そのプロセス自体が行為の開始を命令したことを意識させる機能をもっているのではないか、と考えている。そして、行為の開始を命令したことを意識したことを報告するという行為(これ自体にも意識してからそれが発現するまでの時間がかかる)に、本来の行為を開始させる<準備電位>の発生が先行するのは、たまたまそういう時間関係になっているに過ぎない、と考えている。これはプトレマイオスの天動説の観点では火星は一時的に逆走することになっているが、地球も火星もともに太陽を回っているとする地動説の観点では火星が一時的に逆走するのは地球と火星の位置関係からたまたまそう見える時があるに過ぎない、ということに似ている。この私の考え方では、やはり<準備電位>の発生に先立って意志は発生していることになる。

 いずれにしても、本書は読んでみたいし、リベットの実験を再考してみたい。



[545] このページを見て笑っている方が 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/05/21(Fri) 22:04

いらっしゃるそうなのですが、でしたら、いったい何がおかしいと思うのか、書き込んで
いただけませんか?
 ここをページの作成者が一方的に書き込む日記帳ではなく、双方向に書き込める掲示板
形式にしているのはそのためなのです。

 私は皆さんが何をおかしいと思うのか、皆さんには何が分かっていて、何が分かっていないのか
が分かりません。
黙っていたのでは永遠に通じ合うことはないでしょう。



[544] 写真でウソをつくのは簡単である 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/04/26(Mon) 16:53

 古い写真で恐縮だが、
http://www.e-net.or.jp/user/umineko/business.html
 これを見ていただくと、私の仕事部屋はなんときれいに整頓されているのだろう、
という印象を持たれるだろう。しかもバックを流れるショパンの有名なノクターン
第2番がそれをさらに演出している。

 しかし、この写真は机の上や床に散らばっていたゴミや本を一時的に脇にどけて
撮影したものに過ぎない。画面をわずか数センチずらせるだけで、今の画面には見えて
いないゴミクズがすぐに写ってしまうという代物である。そして、このことは私だけが
知っている。
 この写真を見て持たれた印象は誤りであり、このことは私にしか知り得ない情報なの
である。



[543] レポーターの理解の浅さと翻訳者の無知 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/04/23(Fri) 18:27

http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20040423301.html

 この記事を読んで思うのだが、おそらくこのレポーターは研究者が電子機器に置き換えたという「チームワーク能力」がどの程度のものか、そのレベルの低さに気がついていない。おまけに翻訳者の無知と誤訳が重なって、記事は読者を期待させすぎる内容になってしまっている。

 しかしそれでも、よく読むと今のロボット技術が人間の能力にはるかに及ばないことはすぐに分かる。
>「特定の方向に移動する命令を出しているのに、ロボットが命令を受けとらないという
>ことがよく起こる。たいていの場合は、地形の影響(ロボットが地下深くに潜りすぎて
>いる)やアンテナの設計といった干渉の問題が原因だ」
 こんなことは救助活動では日常茶飯事に起こるだろう。しかし、人間であれば外部と連絡が取れない場合が生じても、なんとかそれに自分で対処しようとするだろう。外部との連絡手段やセンサーはもちろん重要だ。しかし、人間はそれだけに頼っているわけではない。外部との連絡を遮る障害は自ら取り除いてこそ、外部と連絡を取ることが可能になるのだ。その能力は外部と連絡が取れなくても自ら発揮できなくてはならない。

 つまりこれというのも結局のところ、我々は何もせずにセンサーからの入力をただ待っているのではなく、あくまで行動した結果還ってくるセンサーからの入力を待っているからなのだ。このことに気がつかないことには、ロボット技術はもはやにっちもさっちもいかないところまで来ていると私は思う。



[542] 自発性というのも 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/04/21(Wed) 00:34

 結局のところ、限定された空間(コンパートメント)内に充填された流動性のある媒体(水溶液)中を、部品としての酵素群が自由に移動できるということに尽きると思われる。
 そのおかげで、その媒体内部で酵素群が回路を形成し、活動を継続することができるのだ。これは翻って限定された空間同士を結合しないことには活動を継続できない(それ自体としては活動を継続できない)蓄電池などは自発的ではない、ということをも意味する。

 そして昨夜の「地球・大自然」のメガネグマの敏捷な木登り動作を見ても、おそらく木登り動作の発動は脳が指令しているとしても、硬い骨同士はじかに繋がっているのではなく柔軟な腱を介して接続されており、それを動かす筋肉の柔軟さを実にうまく利用している。これは脳ではなく、アクチュエータそれ自体に備わった性質だ。

 だからヒューマノイドロボットを開発するとは、遠い将来、化学反応で活動するナノテクマシンを制作することになるのではないか。

 以上の考察が暗に意味するのは、鉱物や金属の塊は生命ではあり得ないこと、従ってコンピュータが半導体結晶に依存している限り、それがクオリアや意識を感じているかなどという議論は意味をなさないということである。



[541] 自発性は自由意志や創造性を支える基礎概念 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/04/19(Mon) 23:04

 生物も、人工の機械も同じ機械には違いないのだが、逆の論理に従って動作している。
 生物はおそらく約40億年前に他者の手を借りずに動作を開始したが、人工の機械は人間の手を借りることなしには起動することができない。生物はとくに他者による操作を必要とすることなく動作し、かつその活動を継続できるが、人工の機械が活動するためには必ず人による操作を必要とする。
 人工の機械の動作をその都度、他者(人間)が作り込んでいくのでは、作り込まれた動作が想定していない状況に対処することはできず、結局すべての状況に対処することは不可能である。一方、生物という機械は自ら動作し、その結果得られたフィードバック情報に応じて自らを作り込んでいくので、原理的には未知の状況を含むすべての状況に対処できる可能性がある。その対処の仕方の中に、我々が創造性を発揮したと考える対処法も含まれている。



[540] 同じ時期に正反対のことを書く 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/04/17(Sat) 17:08

 いわゆる物書きの中には同じ時期にある場所と別の場所で正反対のことを言ったり書いたり
する人物がいる。同じ本の中においても正反対のことが平気で書かれていたりするのだ。
具体的にそれが誰とは言わないが、これは本当に聴衆や読者を馬鹿にした態度としか私には
思えない。



[539] [538]続報 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/04/17(Sat) 16:15

 続報というほどでもないが、[538]以降、資料は届かず音沙汰も全くない。当方も先方の会社の名前を忘れてしまったので動きようもない状況。

 スパムメールやウイルスメールは相変わらず毎日山のようにやってくる。4/9にはソニーの「インテリジェント・ダイナミクス2004 シンポジウム」を聞きに行ったが、自宅に帰ると200件を超すスパムメールが届いていた。それを削除する間に操作を誤ったのか、当方のPCもウイルスに感染してしまった。慌ててNorton Antivirusの試用版をインストールしてウイルスを駆除し、現在に至っている。



[538] スパムメール配信仲介業者?の勧誘電話 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/30(Tue) 04:59

 最近は勧誘の電話が多く閉口しているのだが、そんな中、先週の金曜日にある勧誘電話がかかってきた。勧誘電話でもたいていは最初にハウスクリーニングの○○とか、○○証券の何某とか自己紹介するのだが、こんな場合は通常は用件を聞かずにさっさと電話を切るようにしている。しかし、今回は聞いたことのない会社の○○だと言ってきた。当方はたまに新規の無名の翻訳会社から仕事を受注することもあるので、念のため、用件を聞くことにした。ところが、その内容というのがメールを多数配信し、受信者のクリック数に応じて報酬を支払うというアルバイトの勧誘だったのだ。

 当然、すぐに切ろうとしたが、そのメールの配信方法に興味が沸いたので、少しだけ説明を聞くことにした。それは要するに、匿名のメールアドレスと自動的にメールアドレスを収集してくるプログラムを貸与するので、それを使ってメールを送る企業の魅力的なキャッチコピーを作成し(要するに受信者がクリックしやすいように工夫し)、1日数万のメールアドレスにメールを配信するという内容だったのだ。もちろんこういうメールはスパムと呼ばれ、インターネット上の回線を混雑させていることは知っているし、現に自分も毎日その処理に頭を痛めているものだ。しかし、こういう仕事がアルバイトとして存在すること、そのようなプログラムを貸与する企業が存在することには驚きを隠せなかった。もちろん、自分はそれに荷担する気はないが、それがどういうものかを知っておくのは悪くない。というわけで、一応資料だけは送ってもらうことにした(笑)
 3月29日現在、まだその資料は届かない。



[537] あれれ? 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/29(Mon) 15:17

今、三和タジマの回転ドアのページ
http://www.tajima-st.co.jp/es_rd_t.html
を見に行くと、「シノレス」型回転ドアが製品一覧から削除されている。



[536] 回転ドアの事故について 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/29(Mon) 06:57

現在はセンサーの感度に議論が集中しているようだが、

三和タジマの回転ドアのページ
http://www.tajima-st.co.jp/es_rd_t.html

を見て思うのだが、「シノレス」と呼ばれるタイプの回転ドア特有の構造上の欠陥では
ないかなぁ。回転体が単なる一枚扉ではない(ショーケース空間が取り付けられている)
ため、左回転する扉が右位置で閉じる時に、ドア枠とショーケースとの間でハサミのような
剪断力が発生し、挟まれたらそれをかわす手段がないのではないだろうか。
回転体が一枚扉なら、仮に首がはさまれても中に入って扉についていくことでじきに解放
されるのだ。



[535] ソニー、次世代ロボット研究所設立 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/15(Mon) 03:15

http://www.asahi.com/business/update/0314/006.html

 だそうだが、どの程度の発想に立って行おうとしているのか。以前、ここでもAIBOの動作を批判したことがあるが、所詮AIBOはプログラムの指示通りに動くだけの「からくり人形」に逸れてしまった。先日発表されたトヨタのトランペットを吹くロボットにしても同じだ。もちろん、たとえばセンサーに支えられたピストンを押す指の動作は大きな進歩を遂げているとは思う。しかし、これも従来技術をさらに精緻化したものであって、革命的な技術革新(ブレイクスルー)を含むものでは決してない。

>最大の特徴は、世界各地で研究されている脳科学の最新理論をプログラム化して、ロボットに応用すること。
 これは単に朝日新聞の記者が書いただけの文章かも知れないが、脳科学の理論をプログラム化できると考えている時点ですでに誤っているのかも知れない。また、プログラム化できると主張する脳科学の理論があったとしたら、その理論の方が誤っているのかも知れないのだ(笑) 本来予想通りに動かないものを指導によって型にはめていく、というのが教育のひとつの側面であるなら、教育そのものはプログラム化できるかも知れない。しかしその前に、本来予想通りに動かないという性質はどうやってプログラム化するというのだろう。
 それと、工学を基盤とする人工知能研究と、本来生物学を基盤とする脳科学との間のコミュニケーションの通じ難さには愕然とするものがある、と私は常々感じている。

 これらの壁をどう乗り越えていくか、私は今後数年の動向を興味津々の眼で見つめていこうと思う。



[534] 自発性仮説(笑) 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/11(Thu) 00:03

 2ちゃんねる哲学板の人工知能スレッドがきっかけで、「自発性仮説板」なるものを
開設していただきました。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/computer/11736/1077631311/

 最初の方は進行がぎくしゃくしていましたけれど、>>82以降でドンガラさんという
方が登場してから佳境に入ったようです。>>127の現時点ではお互いに言いたいことを
言い合って一段落といったところでしょうか。



[533] 自律走行車の『DARPAグランド・チャレンジ』 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/10(Wed) 23:30

http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20040310301.html

 どうも、[528]で批判したことよりはるか手前のレベルでつまずいているようだなぁ(笑)
 しかし、それでも3/13日の本番の結果がどうなるか、もちろん大いに楽しみにしています。



[532] イスラム社会における女性のローブ着用「義務」 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/09(Tue) 08:21

 日光に含まれる紫外線が日焼けや皮膚のコラーゲンを破壊することによるしわを生み、
皮膚癌の原因になっていることは現在ではほぼ確定している。

 今朝のNHKの番組を見ながら思ったのだが、イスラム社会における女性の厚いローブ
着用義務は女性の肌を保護する上で間違いなく一役買っているだろう。しかし、この着用
義務は本来、教祖が信者のためによかれと思って薦めたことではなかろうか。それが後の
世の宗教指導者によって義務化され、かえって人々の暮らしが不自由になった。こんな
構図が宗教が絡んだ文明のあちこちに転がっているような気がする。



[531] 米麻薬取締局、『エクスタシー』をPTSD治療に使う臨床試験を許可 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/05(Fri) 22:52

http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20040304303.html

 どうにも気になる。私はまだPTSD(心的外傷後ストレス障害)の疾患概念自体に疑問を持っているのだが、
そんな状況にもかかわらず、それを化学構造が覚醒剤とほとんど同じMDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン、
ちなみに覚醒剤はメタンフェタミン)で治療しようとする考え方、そもそも気分の変化に過ぎないかも知れない
ことを化学物質の投与で安定させようとする考え方、性同一性障害を外科的に性転換することで
治療しようとする最近の医療の方向にはどうにも強い危惧を感じる。

 何が気に入らないのか、言葉にするのは難しいが、これらには、共通して他のなにかに責任を
転嫁しようとする方向性と、それを肯定する意図を感じるのだ。
 これに比べれば、同性愛者の結婚を認めることなど可愛いものだ(罪がないという意味)。



[530] 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/03/04(Thu) 18:47

 吉田伸夫氏の「科学と技術の諸相」の気になるニュース「火星に大量の水の痕跡(04/03/04)」から、

> 生命の発生にとって、水はきわめて重要な役割を果たす。水分子は大きな電気
>モーメントを持っており、酸・塩・糖など他の極性分子や荷電分子と容易に相互
>作用する。また、タンパク質やDNAなどの親水基と疎水基を持つ分子は、親水
>基が外側になるように折り畳まれることによって、特異的な反応を実現している。
>水以外の溶媒で生命が発生する可能性は否定できないものの、水と生命を結びつける
>発想はごく自然である。

 いつもながら、物理学者、吉田氏の文章には説得力がある。確かにここに書いてある通りには違いないが、
生命の動作原理を考える場合には何も溶媒を水に限定する必要はないはずである。いみじくも吉田氏も「溶媒」
と書いているように、生命体内部は流動性のある物質で充填されている必要があり、このことこそ本質だと
するのが私の考え方だ。



[529] ヘッドホンから流れる音楽 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/02/28(Sat) 04:52

http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20040227203.html

 ニューヨークとロンドンで独立にこうしたラジオ番組があるらしい。主張したいことは
まるで正反対だが、私はロンドンのディレクターの主張に共感する。
 私は現在は仕事柄、音楽を聴く機会がめっきりと減ってしまったが、かつて通勤して
いた時はヘッドフォンステレオが欠かせなかった。そんな時に聴くテープは決して
ラジオからがんがん流れてくる、その時にヒットしている曲ではなかった。ウクライナ
人女性がユーロ・ポップのビートに乗ったシャーマンの祈祷を聴いていた、というのは
けっさく(笑) 中島みゆきさんの歌も結局それに近いのかも知れない。
 番組のレポーターが語っている、どうしようもなくひどい音楽、たとえば卑猥な歌詞が
山ほど出てくるものと聞くと、1970年にヒットしたブラスロックグループChase の"Get it on
(邦題:黒い炎)"を思い出す。曲としては悪くないのだが、歌詞が、ね。いや、まぁ曲名を聞く
だけで明らかだが。"Get it on in the morning now"とシャウトして終わるのだ。そういえば、
うちの高校の物理の先生が好きだったんだよな、これが(笑)
 しかし、自分は今まで知らなかったけれど、お、これはいい、という曲に出会えるのは
やはりラジオだ。



[528] 自律型走行車「サンドストーム」 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/02/21(Sat) 11:37

 今、この記事を読みながら考えている。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20040219301.html

 砂漠では砂嵐で地形が変わることがある。この自律型走行車「サンドストーム」は走行中にすり鉢のような地形にはまり込み、退路が断たれる場合も当然起こり得る。天気もそれ以降は変化することを示す兆しもない。入手できるものはすべて、そこから脱出できないことを示すデータばかりだとする。ではこの車はどうするのだろう?

 言えることは、生物であれば、たとえそうであっても脱出を試みるということだ。試行錯誤とは本来こういう事態においてこそ意味がある。そして、こういう事態においてこそ、生物は自発性を発揮するのだ。無駄と思ってもすり鉢を登ってみる。すると、砂が流れ落ちて山が崩れるというデータが新たに得られ、打開できる可能性が生まれるのだ。

 データは与えられるものではない。データは行動することで収集していくものだ。この車の設計者のように、先にデータを与えられるだけ与えようとする限りはフレーム問題は解けないし、人と対等に会話できるロボットは実現しないだろう。



[527] どこでボタンをかけ間違ったのか 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/02/15(Sun) 13:46

 もうどうにも修復不可能ということもあるらしい。残念だが仕方がない。
 いずれにせよ、茂木氏の主張する相互作用同時性も、私が流動性を基盤として細胞内の
酵素化学連鎖反応を継続できる性質が自発性の起源だと言っても、これではクオリアを
説明できないことは分かっている。まだまだ先は長いな。



[526] 今日の教育NHK将棋NHK杯戦はよかった 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/02/08(Sun) 13:25

 年度末も近づいてきて、教育NHKテレビ将棋NHK杯戦も好カードが目白押しだ。
今日の対戦は先手が森内竜王、後手が谷川王位、解説が羽生名人。棋界の事実上のトップ
スリーが顔をそろえるのだから、これを見ない手はない。試合の方は久々に熱気のこもった
一番だった。さすが。羽生名人の解説もわかりやすかった。よかったよかった。



[525] 言いたいことを正しく伝えるのは本当に難しい 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/02/08(Sun) 05:25

 標記のことはべつに今さら気がついたことではないが、[524]の疑問を別の場所で
ぶつけてみたところ、なぜそのように受け取られるのか理解できない反応が返ってきた。

 その反応の一つとして、
>そこにある総ての原子(とか)が相互作用して現象となってるという考えの方が真理に
>近いような気がする
 というものがあったが、確かにそれはその通りであったとしても、ではなぜ生命現象と
その辺の石ころを区別しようとしないのだろう? これが私には理解できない。



[524] ハトの飛行経路 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/02/06(Fri) 21:10

 たまたま見つけた資料
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/club/rss-suugaku/vol30/chap2.pdf

に関連して、私の持っている疑問、

-----------------------
 それから「ハトの飛行経路」でもう一つの問題は、隔離飼育され水上を飛行したこともないハトにこの実験をやった場合に、そのハトは最初からいきなりBPLの経路で飛ぶとは考えにくく、最初はBLという直線経路を取る可能性がある(ちなみに、ハトが水上を飛ぶのを避けるのは、突然の身体の不調のため着陸したい場合に水面だと着陸できないからだと考えると、最初は水上を飛行する距離の最も短い経路、その図でいうとBALの経路を取るかも知れない)。ところが、BLで飛行している限りは、LよりもPに寄った地点を目指す方が楽に飛行できるということにハトは気がつく「機会がない」はずだ。ではどうしてこのハトはBLからBPLに向けて軌道を修正していくことができるのだろう?
-----------------------

を某所にて呈示してみました。
 何か感想を持たれた方はお聞かせください。



[523] 流動性と駆動力 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/01/17(Sat) 01:08

 ガガーリンさん、こんにちは。変な話ですが、ここまで私の考えを読み込んで、ともに考えようとする姿勢を示してくれたのはおそらくガガーリンさんが初めてです。私は非常に感謝しております。今ここでのやりとりが、あとで大きな意義を持ってくるのではないか。

 ガガーリンさんのおっしゃる「欲望」は、「内部が流動的なシステムが情報を出力する駆動力」に相当するのではないか、そんな気がします。私が「流動性」に目をつけたのは直観としか言いようのないものですが、私はなにも「生化学」にこだわっている気はないのです。そうではなく、もっと一般的な「化学」。最近、太陽系外に表面温度がきわめて高温の惑星が発見されたそうですが、その記事には「鉄の雨が降る惑星」と記されていました。つまり、環境がきわめて高温のために鉄が液体のように降り注いでいるというのです。この時私が思ったのは、鉄を溶媒とする触媒反応系があり得ないか、ということでした。この考えを少し推し進めて、ここでの鉄は非晶質(アモルファス)な物質に取って代われるのではないか。結晶は共有結合やイオン結合で原子や分子が固く結びついていて互いに動くことができず、その内部は非常に安定で、化学反応(たとえば酸化)は空気のような流体と接する表面でしか起きない。一方、非晶質な物質は流動性を示すのですね。地球上では非晶質な物質の代表としてガラスがありますが、非常に長い時間をかけて徐々に下の方が厚くなったり、ステンドガラスに溶け込んでいる色素が浮き上がったり沈んだりする。これは単に重力に従った運動に過ぎない。だが、もっと高温環境ではガラスも速やかな流動性を示す。かつそのガラスにさまざまな物質が溶け込んで、代謝経路のような回路を形成するに至ったら。

 ガガーリンさんはエネルギーと情報との関係はどのようにお考えですか? 情報を出力するためにはエネルギーが必要? エネルギーの出力パターンそのものが情報になり得る?

 アメーバが触手を伸ばすのはどうしてでしょう。これは普通は圧力の低い表面に細胞質が流れ込むことによって生じると説明するらしい。もちろんそういうメカニズムはあるだろう。しかし、では圧力が完全に均等な場所ではアメーバは身動きできないのだろうか。仮に水分や栄養分を含んだ培地にアメーバを置きます。ただし周囲環境の圧力は均等とする。アメーバは増殖するより、その前に成長して自らの容積を増やすだろう。その容積がアメーバの細胞膜が耐えきれる閾値を超えた時、ついにアメーバは破裂する(死亡する)かも知れない。その直前で周囲の圧力を不均等にしてやる。そうすると、どこか圧力の低い場所に細胞質が流れ込んでアメーバは触手を伸ばすだろう。しかしこの場合のアメーバが触手を伸ばす「駆動力」は圧力の低い場所に細胞質が流れ込む力というより、アメーバが自らの容積を増やしたことによって生まれた力と考えるべきだろう。

 このアメーバは代謝によってエネルギーを用いて物質を結合することで容積増加に変換した例だけれども、エネルギーを情報出力に変換する例として、なにかうまい例はありませんかね。

 私はまだ「流動性」から離れられないようだ。



[522] 神経細胞が自発的に生成する情報の構造 投稿者:ガガーリン 投稿日:2004/01/15(Thu) 02:54

再度、長文、すいません。こちらはひまにまかせて書き込んでいるので、相手にするしないもご自由です。書き込むために文章にするだけで、考えがまとまります。

> アイボと子犬の例ですが、アイボには設計者がおり、そして、アイボの動作
> はその設計者の志向性を反映しているだけであるならアイボには自発性が
> ない、という考え方は私は有効だと思っています。しかし、われわれ人間は
> 何者かによって設計されているのでしょうか?

もちろん人間はアイボのように生物によって設計されていません。また、アイボが「設計者の志向性を反映しているだけ」であるならば、アイボに自発性がないと考えるのにも賛成です。
私は前の書き込みで「われわれ人間も(何者かによって)設計されているという事実はかわらないからです」と書きましたが、それを「人間もまた設計されたものであることは同様です(電子機械ではなく生化学機械ではありますが)」に修正します。
 我々人間も固有の構造を持つ存在なわけですから、ある特定の設計(構造)から、主体性(志向性=自発性)が生まれてくると考えることができます。つまり、ある設計(構造)を得たときから、設計者の志向性の継承とは無関係に、主体性(自発性=欲望)がうまれてくると考えるわけです。で、その自発性が生まれる構造を持つ機械は生化学機械でないといけないかどうかが、私たちが話し合っているテーマだと思っています。うみねこさんは、生化学機械でないといけないと主張し、私はそうでない可能性を探しているわけです。とはいえ、生化学機械でなくてもできると主張しているわけではありません。あくまでないのかと模索しているだけです。
設計されたもの(例えば人間)があり、それを設計したものがあると仮定し、そこに主格(人格)を与えたものが神ということができると思います。神に人格を与えなければ自然の摂理ということになると思います。ちなみに人間が(私も前の書き込みでしましたように)古来そこに人格を与えたがる(神を設定したがる)のは、人間が自分が人間だからだと思います。当たり前ですね。
このように人間という結果から神という原因を設定するのも、ある意味で、原因と結果を入れ替えた考え方のような気がします。設計されたものがあるとしても、必ずしも設計したものの存在を想定する必要はないのでしょう。つまり、設計者の有無を考える必要はなく、その構造にだけ目を向ければいいのではないかと言いたいのです。もともと、指向性についてはあまり重要じゃないつもりで書いたのです。

> 子犬は壁を叩いたり辺り構わず体当たりしたり、突起物に噛みついたり、
> 食物ではないものを食べてみたり、果ては自分の排泄物を摂取したり、
> 自分の尾や手足をかじるようになるでしょう(痛さに耐えてでも飢餓から
> 免れようとする、のかどうかは知りません。子犬の多くはここまで行くま
> でに死ぬかも知れませんが。

>ではこれらの行動はすべて何者かが設計したのでしょうか?

このような現象だけならば、人間による設計によっても実現できてしまうのです(もちろんアイボはできませんが)。
ただし、そのような現象を再現する設計の場合、その現象以外の反応をすることはありません。しかし自発性があれば、創造性に満ちた予想できない反応が得られます。これこそが、私とうみねこさんが、共に主張していることだと思います。そこで、私は、その自発性をプログラミング(設計)する方法はないかと考えているわけです。それに対して、生化学構造を持たないという理由で、うみねこさんが否定していることはわかります。後で書くように流動性が(自発性=主体性=欲望の)本質的な理由だとすると、プログラミングで再現するのは難しい部分もあるかなとも思いますが、一応、まだ設計可の可能性が否定されたわけではないので、考えることを続けているのです。
あとニューロコンピュータだと、設計しなくても学習によって、これらの行動が発現しそうです。ただ、事前に犬と同じ機能の肉体を与えておく必要はあります。本物のニューロコンピュータならば、後で説明する素子間の非同期動作が実現できるはず(あまりくわしくない)ので、うみねこさんの主張の一部が肯定されつつ、自発的に動作する可能性もあると思います。現状のニューロコンピューティングは計算機式コンピュータでシミュレートしているだけなので、何か本質が損なわれている可能性もあると思います。
ちなみに私は、(非生物でも心がもてるという)その可能性が否定されれば、人間としてうれしく思います。人間機械論には心情的に受け入れにくいものがあるからです。ですから、うみねこさんが決定的な否定要因を提示してくれれば、すなおに受け止めるだけです。
また、否定するロジックを展開するためにも、肯定的な仮説を立てることは重要だと思います。

> 結果が同じなら原因が同じだという考え方が因果の方向性を間違え
> ているのはその通りですが、結果が同じなら原因が同じことが多い
> というのはまったく事実に反します。

そうですね。同じことが多いような気がするのは、単にそういうケースのものを人間が自分らのまわりに集めているからでしょう。

>ここで、私には「素子間の非同期動作」というのがよく分かりませんので説明していただけますか?

「素子間の動作の独立性」と言い換えればいいでしょうか。素子は協調して動作するが、各素子は本質的に独立して動作可能ということです。非同期処理というのは、協調動作するときに、必ずしも、他の素子の応答を待つ必要がないということを意味します(同期処理は他の素子から応答があるまで待機する)。コンピュータの場合、膨大の数の素子が情報を処理しますが、それらは同期がとれらています。ただ、タイムシェアリングで複数の処理を直列化して、擬似的に非同期動作を実現する方法もありますし、また、グリッドコンピューティングなど並列動作は、非同期動作する素子間で同期をとって、一つの処理装置のように見せかける(同期動作)技術もあります。
うみねこさんの主張する論は、この後者の「非同期動作する素子間で同期をとって、一つの処理装置のように」動作しつつ、かつ、各素子がそれぞれ(独自に=自発的に=非同期的に)情報を自己生成している(神経細胞の自発発火)モデルと理解しています。

> なぜそれが可能かというと、それは上述したように、究極的には生命
> は限定された空間内で酵素化学連鎖反応を継続しているからです(代謝)。

私は上記のようにうみねこさんの主張を解釈しているので、素子レベルで大切なのは情報の生成の独立性であって、代謝(エネルギー供給)の独立性ではないように考えています。だから、3の「各素子が個別でエネルギーを調達」を重要視していないのです。生物のケース(構造)では、独立した情報生成をするためには、独立したエネルギ供給が必要だったということではないでしょうか。とはいえ、コンピュータが共有の電源を経て共有化されたエネルギー受給手段をもつとはいえ、多細胞生物の細胞も、その源泉では消化器官からのエネルギー供給に頼っているという意味では似ていると思います。また、電子回路も回路設計的に、各単位(トランジスタ)ごとに独立して電源供給できる形をもっているということもできます。ただし、そこには流体的化学物質のような不安定(ランダム)性はありません(量子力学的にいうとあるのかもしれません)。

>素子の構造的流動性ですが、そもそもこれは固体で実現することはできるでしょうか。

私はできないとおもいます。しかし、私が求めているのは、電子的に生物をつくることではなく、「欲望をプログラミング」することです。プログラミングとは何かについてちょっと説明しておくと、プログラミングとは物理構造を設計することです。プログラミングしてコンパイルしたデータをメモリに読み込むと、メモリの物理構造が変化します。この構造に依存した機能(作用)をコンピュータは提供します。つまり、コンピュータとは物理構造をプログラムによって簡単に変化させられる機械だということができます。
私が望んでいるのは、生物の特性のすべてではないので、生物の心的機能(欲望)を発生させる源泉が、物理的に流動性にあるとしても、その流動性によって神経細胞が生成する情報の構造をモデル化(例えば数式化)することができれば、それを擬似的に実現するのに、その装置の構造が必ずしも流動的でなくてもいいと考えています。もちろん、情報の構造をモデル化するためには、情報の構造がわからないといけないわけですが、それは私にはわかりません。うみねこさんにとってもその情報の構造を知るのは重要だと思うので、私たちの求めているものは同じだと思います。というのは、その意味がわからない以上、生物の心的機能に素子の流動性が必要だということを完全には証明できないからです。もちろん、その内容によっては固体では実現できない可能性もあると思います。それならそれで、上記のように私は人間としてうれしいです。うーん、しかし、世の中には構造化できる情報とランダムな情報しかないのでしょうか。それもおかしいですね。生化学反応でしか生成できない情報内容をもち、(当然)ランダムでなくかつ構造化不可能な情報構造が、生物が生成する情報に発見されれば、そのときがうみねこさんの主張が全面的に認められるときだと思います。もっとも、その場合も、人間の構造解析能力が低いために構造化不可能なだけかもしれないという疑いは残ります。

>固体の各素子に独立した太陽電池をつけるというシステムは以前、考えた
>ことがありますが、その太陽電池への光の当て方には無限通りがあり得る
>けれども、ひとつの光の当て方に対する素子の反応は一意的に決まってし
>まうでしょう。これではその素子が自発的とは言えません。レベルがまだ一
>段階低いのです。

うみねこさんは、生物の素子(細胞)の自発的情報生成は、独立したエネルギー供給(代謝構造)に依存していると考えているわけです。私は生物学はよくわかりませんが、おそらくそのとおりなのだと思います。ただ、それ(自発的情報生成)をモデル化する上で、必ずしも独立エネルギー供給構造が必要かはわかりません。必要だとするならば、太陽電池のような方法を考えないといけませんし、その場合、うみねこさんが指摘するような問題はあるかと思います。また、実装という意味で現実的でありません。

細胞の自発発火によって素子レベルで生成される情報の内容を考えた場合、その生成される情報の規則性(不規則性)は、うみねこさんの主張するように細胞の物理的流動性(化学的不安定性)に依存していることは、ほぼ、間違いないように思います。それが規則的ならば数式で表現できますし、完全に不規則ならば、ランダムとして扱えばいいわけです(まぁ、コンピュータはこれも苦手なんですが)。個人的には、そのどっちもいやなだなーと思っています。あまり、ロマンチックではないからです。
何か、生化学反応が持つ、固有のコード体系みたいのに依存していたりすると面白いかなと思います。あくまで願望ですので批判しないでください。というか、このあたりが生物学と物理学のミッシングリンクだといえるでしょうから、そこに秘密があっても不思議ではありません。で、そのコード体系自体が、生命(多細胞生物、DNAの螺旋構造)の出現を予言していたりすると、なかなか、かっこいいのではないかと思います。というか、現に生命が生まれている以上、自然界に人間発生の予告はそこかしこにあるわけですが・・。人間原理宇宙論とまではいかなくても。
ちなみに、このようなコード体系に依存している場合、そのコード体系が読み取れれば、モデル化できる可能があります。つまり、ロボットに自発性を持たせられる可能性があるということになります。

生化学反応によって自発的に生成される情報の内容で、電子機械では理論的に生成できないパターンとは何かを考えるのもいい方法かと思います。うみねこさんは情報を生成する装置の構造的(電子機械と生化学)な違いによって、同じ情報を生成することは不可能だと主張しているように見えますが(原因が違うので結果が違うはず)、それだけでなく、その情報の内容(情報の構造及び意味)にも目を向ければ違うものが見えるかもしれません。 とはいえ、素子の自発性は「素子が自発的に生成する情報の内容に依存している」という考えは、うみねこさんの主張を、あくまで私が独自に解釈したものに過ぎないですね。
うみねこさんは、構造が違うものは決して同じ結果を得られないと考えておいででしょうか? これは論理にはどうなのでしょう。確かに完全に同じには絶対にならないでしょうが、例えば「手」だとか「計算処理」のように人間の一部の機能を同じように模倣できるように「心」という機能も模倣できるかもしれません。ところで、この機能という言葉自体がすでに志向性を帯びた言葉です。ですから、志向性に依存するような「手」だとか「計算処理」の機能は模倣できるが、志向性それ自体が依存するような「心」という作用は模倣できないとかいう結論かもしれません。心脳問題はいろんなところに落とし穴があるような気がしています。

いずれにしても、いろいろ考えていると悩ましいが、楽しいことも事実です。私はそれを楽しむことにしています。多分、どんなに考えても決定的な結論は出ないと思いますが、思考実験を繰り返すことで見えてくる一部の真実もあると思います。大切なのは、どんな可能性も可能性がある限り否定しないで検討することだと思っています。



[521] Re[519]: アイボの欲望 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/01/14(Wed) 20:54

 アイボと子犬の例ですが、アイボには設計者がおり、そして、アイボの動作はその設計者の志向性を反映しているだけであるならアイボには自発性がない、という考え方は私は有効だと思っています。しかし、われわれ人間は何者かによって設計されているのでしょうか? 限定された空間(たとえば脂質二重膜で囲まれた空間)内で化学連鎖反応(ヌクレオチドを巻き込んだ連鎖反応を考えるのが主流ではあるけれども)が継続されるようになったことをもって生命の誕生とし、当時は無数にあったであろう生命形態のうちのただひとつの系統(アミノ酸からなる蛋白という触媒による遺伝暗号解釈系をもつ系統、または四種類のヌクレオチドの鎖を遺伝暗号とする系統)のみが三十数億年間途切れることなく維持されてきた、とする現代生物学が到達した考え方から見ると、ガガーリンさんの人間(生命)は何者か(神?)によって設計されているとする考え方は、突き詰めると創造論になってしまいます。
 アイボと子犬を、アイボは充電器のない部屋に、子犬は餌のない部屋に閉じ込めるとします。私はアイボの仕様はよく存じませんが、この状況でバッテリが不足してきたアイボがすることはせいぜい、人を呼ぶためにブザーを鳴らすか、動作を止めて電力消費を抑制することくらいでしょう。あとはバッテリが切れるのをただ待つだけです。言うまでもなく、これは設計者が設計した仕様ですね。一方、子犬は最初は啼くでしょう(腹が減ったから啼くのか、飼い主を呼ぶために啼くのかは知りません)が、それだけには留まらないでしょう。ここからまさに生物たる所以、自発性が発揮されるのです。子犬は壁を叩いたり辺り構わず体当たりしたり、突起物に噛みついたり、食物ではないものを食べてみたり、果ては自分の排泄物を摂取したり、自分の尾や手足をかじるようになるでしょう(痛さに耐えてでも飢餓から免れようとする、のかどうかは知りません。子犬の多くはここまで行くまでに死ぬかも知れませんが。「子犬」はそんなことはしないというなら「マウス」にでも読み替えてください)(私は車中に放置されて熱中死した赤ん坊や、飢え死にした赤ん坊のニュースを聞くたびに、このことを思って胸が張り裂けそうになる)。ではこれらの行動はすべて何者かが設計したのでしょうか?

 結果が同じなら原因が同じだという考え方が因果の方向性を間違えているのはその通りですが、結果が同じなら原因が同じことが多いというのはまったく事実に反します。試験に不合格になったという結果の原因には直接的な原因から遠因までさまざまなものを思いつくでしょう。腕の関節が曲がるという結果には屈筋が収縮する、または伸筋が弛緩するという少なくとも二通りのまったく逆の原因があります。薬剤がシナプス結合を増強したという結果には、その薬剤が伝達物質分解酵素を阻害した、前シナプス側での伝達物質の取り込みを阻害した、後シナプス側の受容体に対して作動薬として働いた、という少なくとも三通りのまったく機序の異なる原因が考えられます。
 一方、少なくともニュートン力学は原因が同じなら結果も同じということを教えているではありませんか。サイコロは厳密に規定された方法で振ってしまえば(原因)、出る目(結果)はすでに決まっているのです。

 以上は前置きです。

 素子レベルでの自発性というのは、私の主張する本来の意味では神経細胞の自発発火ですね。なぜそれが可能かというと、それは上述したように、究極的には生命は限定された空間内で酵素化学連鎖反応を継続しているからです(代謝)。これを継続できなくなった細胞は死んでいるのです。
>1 素子間の非同期動作
>2 素子の構造的流動性(化学的に不安定)
>3 各素子が個別でエネルギーを調達(代謝系をもつ)
 ここで、私には「素子間の非同期動作」というのがよく分かりませんので説明していただけますか?
 素子の構造的流動性ですが、そもそもこれは固体で実現することはできるでしょうか。固体というのは要するに、その固体を構成する原子が身動きできない状態にあるわけです。この状態において、いくら電子には可動性があるといっても、それを外部に出力するための駆動力は生まれるでしょうか。「代謝」というのは別の言い方をすると、溶液に溶け込んだ原子や分子が回路を形成し、その回路の回転を通じて外部から取り入れた物質からエネルギーを取り出してその回転を継続させると同時に、その他の細胞としての活動(神経細胞ではそれが自発発火として表現されている)を行う連鎖反応です。これが細胞としての活動を外部に出力するための駆動力になっているのです。そこでは触媒や基質が絶えずくっついたり離れたりの「運動」を行っており、この運動が可能であるためには素子内部は液体でなければならないと私は思います。
 固体の各素子に独立した太陽電池をつけるというシステムは以前、考えたことがありますが、その太陽電池への光の当て方には無限通りがあり得るけれども、ひとつの光の当て方に対する素子の反応は一意的に決まってしまうでしょう。これではその素子が自発的とは言えません。レベルがまだ一段階低いのです。



[520] Re[519]: アイボの欲望 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/01/14(Wed) 03:21

 ガガーリンさん、初めまして。長い投稿をどうもありがとうございます。
 今、尻に火がついた仕事を抱えているので返信はもうしばらくお待ちください。
 いくつかの論点が含まれているので、頭を整理しながらじっくりと考えてみたいと思います。



[519] アイボの欲望 投稿者:ガガーリン 投稿日:2004/01/13(Tue) 11:55

はじめまして。ガガーリンです。
ロボット(ノイマン型コンピュータ)に欲望をプログラミングかるにはどうしたらいいかを考えているコンピュータエンジニアです。
エレクトロニクスに関する基本的な知識もあります。

アイボにはバッテリが不足してくると、自分で自分を充電しにいくという機能があります。これは一般的な言葉の意味で、アイボが自発的にエネルギー供給をするということができると思います。
一方で、本物の子犬はお腹がすくと、近くにあるエサを自発的に食べます。
これらの両者の行動は本質的に同じものでしょうか。この例題をあげて心脳問題に興味のない(つまり普通の)人にたずねると、大体、半分の人が同じだといい、半分くらいが違うといいます。同じだという人に理由をたずねると「現象が同じだから」と答えます。違うという人に理由をたずねると「何となく」とこたえます。
私は個人的には違うと思っています。その最大の理由は「その方が(同じ生物として)うれしいから」です。もちろん、確かめようもありません。ただ、「現象が同じだから、その行動の実質が常に同じ」という考えは間違っているでしょう。現象(結果)が同じ場合、原因が同じだという考えは、因果の方向性を間違えています。とはいえ、結果が同じ場合は、原因が同じことが多いことも事実です。
いずれにしても、私が想像するに、充電器に向かうアイボには、空腹の子犬がエサに向かうときに感じる欲望がないように思えます。これはエサ(エネルギー)に対するクオリアがないということもできますし、また、主体性がないということもできます。また、うみねこさんが言う意味での自発性もないように思えます。私が、ここで、欲望とクオリアと主体性と自発性を同軸で扱っていることに注意してください。おそらく、これらの一つの要素を持つものは、すべての要素を持つ(可能性がある)のだと考えています。ただ、ここで考えるべきなのは、これらのどれが原因で結果かということです。つもり、欲望を持つものは、結果として主体性やクオリアや自発性を持つのか、あるいは、他の要素が先行するのか、あるいは同時多発的なのかということです。私はなんとなくですが、欲望がその元にあるような気がしたので、欲望を持つようにコンピュータをプログラミングするにはどうしたらいいのかと設問を設定したのです。
アイボの場合、設計者がおり、その設計者(主体)の志向性を継承しているだから、アイボには主体性(自発性)がないという考えもありますが、この考え方に私は否定的です。なぜならば、われわれ人間も(何者かによって)設計されているという事実はかわらないからです。設計者に主体性がある場合は設計者の志向性を継承し、そうでない場合には志向性の元となる主体性がうまれるということはないように思います。また、子供のつかいの例をみても、主体性がないから志向性を受け継ぐというわけでもありません。
やはり、もしアイボに自発性がないならば、それはアイボが自発性をもたないような構造をしているからだと考えるのが妥当です。

われわれが他の人間の行動を見て、自分と同じように自発的だと推測するのは、次の2点に依存していると思います。
1 反応(現象)を自分と同じように示すのだから、自分と同じように自発的であるはず。
2 相手も自分と構造(組成)が同じなので、自分と同じように自発的であるはず。

アイボと子犬の行動を同じだと考えるか否かは、この2番目の条件を重んじるか否かなわけです。
ならば、私のように、アイボと子犬が違うと考える場合、子犬とアイボの構造上の違いを指摘する必要があります。まず、自分の活動エネルギーを得る目的で、目標に向かう(同じ)という意味では、両者は共通しています。
では、何が違うのかを考えたときに、私が思いついたのが次のようなことです。
1 自己保存(複製)の能力の有無
2 外部環境との関係付けの能力の高低
そして、うみねこさんの書き込みをみて、素子レベルでの自発性というのもありえるかもしれないと考えました。これはアイボと子犬とでは決定的に違います。うみねこさんの主張する素子レベルの自発性は、次のようにまとめることができると思います。
1 素子間の非同期動作
2 素子の構造的流動性(化学的に不安定)
3 各素子が個別でエネルギーを調達(代謝系をもつ)
私はうみねこさんの主張の中では、素子間の非同期動作がポイントにあるような気がします。また、非同期動作だけならば電子的に再現することもできます。よく人間の脳は超並列コンピュータと表現されたりしますが、まさに並列コンピュータを実装すればいいわけです。
とはいえ、2の流動性である可能性も否定はできません。素子の流動性を電子的にシミュレートする方法はないかと考えているところです。
3はあまり重要でない気がします。また、これを電子的に再現するのはどうしても大掛かりになってしまいます。各素子に独立した太陽電池をつけるとか・・・。とはいえ予算を気にしなければ電子モデル化自体はむずかしくはありません。



[518] 金子邦彦「生命とは何か」 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/01/11(Sun) 14:04

 上記の書籍が届いた。あまりに漠とした表題なので購入をためらっていたのだが、ぱらぱらとめくってみて、私の若い頃に分子遺伝学や生化学一辺倒ではないこの種の考え方が登場していたら、と時代を恨むばかりである。

 金子氏は生命の特徴のひとつとして「自主性」という言葉を用いておられるが、これが私の考える「自発性」と同じものであろう。



[517] 流動性 投稿者:うみねこ 投稿日:2004/01/09(Fri) 00:54

 どうも内部が流動的であることが生命の、ひいては意識を持つ上においての要件のように思える。

 「生命」とは物質とは別の存在なのではなく、流動的な溶液中で酵素群や基質群が化学的な連鎖反応を継続している「状態」なのだ。そして、酵素や基質同士が互いにあまり離れていては散乱してしまってこの化学反応が継続できないので、この要件が細胞の大きさを規定していると考える。「意識」も、それは脳の機能ではなく、流動的な溶液中に浮かぶ神経細胞が相互作用を継続している「状態」なのだと考える。この相互作用を継続できるのも、神経細胞が流動的な溶液中に浮かんでいるおかげなのだと考える。

 最近、量子コンピュータが話題になることが多いが、これも内部が液状であることを要求しているようだ。酵素の触媒作用には量子効果が関与しているだろうが、しかし、脳におけるその量子効果(受容体と伝達物質との間に現れる)が意識に関与しているとする考え方にはやはり懐疑的。しかし、いずれにしろ、現在のソリッドステートなコンピュータが意識を持つ、と見なされるようになることはないだろう。



[516] ひさしぶり 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/12/31(Wed) 06:41

 どうもこれだけ間が開いてしまうと書き込むことができなくなってしまう。その間にもいろいろと考えることはあったのだが。

 今年はいくつかタネをまいてみたのだが、どれもあまり芳しくなかったようだ。来年はタネではなく、実弾をまいてみようと思う。

 近況というと、最近、辞書や論文の図の説明などの細かい文字が見えにくくなったのでメガネを新調することにしたのだが、近場がよく見えるように調整すると遠方の視力が予想以上に低下することが分かった。今までのメガネは1.2まで見えていたのだが、辞書が楽に読めるように調整すると0.6まで低下するのだ。これでは車の運転はできない。当分は遠方用と文字を読むための二種類のメガネを持ち歩くことになる。



[515] 今回の日テレ視聴率事件で思うこと 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/11/19(Wed) 06:09

 民放が通常の視聴時間帯での視聴率を重視するのは、より多くのスポンサー収入を得るためやむを得ないだろう。
 しかし、その番組で得た収入を単に自社の社員に還元するのではなく、その収入で民放自社がスポンサーを務めて自社の責任の下、純粋に自社で番組を制作し、通常の視聴時間帯ではない(つまり本来儲からない)時間帯(深夜)にたとえ1-2時間でも流してくれれば、その民放の評価も上がろうというものだろう。



[514] 文献抄録翻訳の仕事が 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/11/19(Wed) 05:50

どうも当面エンドレス・ワークになりそうだ。年内に終わりそうにない・・・

と言いつつ。



[513] 柿が200個 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/10/29(Wed) 12:02

 うちの裏庭には柿の木が1本植えてある。15年前に亡父が苗を植えたもので、現在の背丈は4メートルくらい。5年前に父が亡くなってからこの実家に越してきたのだが、世話というと毎年春に背丈が伸びないように天辺を刈り込むくらいである。ろくに世話もしていないので、べつに期待しているわけではないが、実がなるのは毎年せいぜい数個。昨年は1個しかならなかった。それでこの春に、この際、木を切ってしまおうかと母と相談したこともあった。
 ところが今年はなぜか、たくさんの実がなった。全部もいで数えてみると約200個。なんでこんなになったのか分からない。来年からは毎年これくらいなるのだろうか。母がご近所に配っている。今日は同じ町内のフィリピン女性が柿が欲しいと言うので分けてあげた。ちょっと調べただけでは分からなかったが、フィリピンでは柿はならないのかも知れない。



[512] ホリィ様 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/10/26(Sun) 02:40

 壁紙は18禁ゲームの「セイクリッド・プルーム」に登場する魔女、ホリィ様が初めてその正体を現すシーンです。
 ゲームでも18禁ゲームのシナリオはゲームのいわば付け足しみたいなもので、あまり重点を置かれていないというのが通説らしいですが、私はこのゲームのシナリオの、とくにホリィ様の物語が気に入りました。
 300年前、人間、魔族、獣人との間で繰り広げられた聖戦を誘発したのが、ホリィ様(魔族)の元恋人であった魔族の長。しかし、ホリィ様は魔族でありながら人間や聖少女と共闘して魔族の長に抵抗し、これを滅ぼして平和が訪れた。その際に聖少女も力尽きてしまったけれども、魔族の長がいまわの際に語った「300年の未来に復活して今度こそ世界を混沌に陥れる」という言葉を真剣に受け止め、その再来を300年間待ち受けているのがホリィ様というわけです。
 実際は300歳を超えるホリィ様がふだんは10歳くらいの少女の姿で登場し、その姿に似合った可愛らしい声で、その姿に似合わない老人口調で含蓄のこもった言葉を発する、そのギャップが非常に面白いのです。



[511] Blogって? 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/10/23(Thu) 21:33

 最近、Blogが騒がれているようだが、どうもよく分からない。

http://www.salon.com/blogs/

 この定義を読んでも思うのだが、従来からあるWeb掲示板や日記とどう違うというのだろう。そのためにわざわざ専用ソフトが必要?
 ソフトというと、この掲示板もKent氏の公開している掲示板cgiを使わせてもらっているのだが、そんなに特殊なcgiというわけでもない。ただ、検索エンジンはcgiが生成した動的なページを拾ってこないので、当方では掲示板のログをhtmlに書き直してアップロードしているわけではあるが。



[510] 初めまして 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/10/19(Sun) 02:44

挨拶が遅れましたが、南風さん、初めまして。

ここのところ、あるホルモン製剤の研究論文抄録の翻訳を集中的にやっています。
フルペーパーの翻訳だと読み進んでいくうちに内容が分かってきて面白くなるのですが、
未知分野の、それもそれぞれに著者が異なり、癖のある文体の抄録をまとめてやると
気分的に滅入ってきます。あとまだ150件くらい残っています。今月中に上がればいい
のですが。



[509] あしあとひとつ 投稿者:南風 投稿日:2003/10/13(Mon) 18:49

ヒヨコ翻訳者の南風と申します。
挨拶代りに足跡を。。。

医学分野の翻訳からはすっかり遠ざかっております・・・

また立ち寄ります。

ご挨拶まで。



[508] スキーマ、スクリプト 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/10/08(Wed) 01:13

 アドベンチャーゲームは"MYST"もそうだったが、今回の"Syberia"でも、人間が持つごく日常的な知識、認知心理学でいわれるスキーマとかスクリプトを実にうまく利用しているんだな。たとえばホテルに到着したらどうするか、まず受付に行く、受付に人がいない場合はどうするか、呼び鈴を押す、といったごく当たり前の問題解決過程がうまく組み合わされてゲームが進行していくんだ。
 そんな中でちょっとした機転が求められる。たとえばさっきまで酔っぱらっていて、今は酔いが覚めた宇宙飛行士を宇宙船に乗せて宇宙に送り出すシーンがあるのだが、宇宙船に搭乗する時は飛行士の健康状態を検査するために採血が行われる。当然さっきまで酒を飲んでいたので血中のアルコール濃度が高く、宇宙船は発進してくれない。ではどうするか。"Syberia"の中ではこの謎解きが比較的難度の高い方だったな。まぁ分かる人にはすぐに分かるんだろうけど、私はなかなか分からなかった。
 こんな場合、映画なら観客はただ見ているだけで、登場人物が自分で謎を解いてしまうが、アドベンチャーゲームではその謎をプレイヤー自身が解かないとストーリーが進行しないわけだ。



[507] 人の心 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/10/06(Mon) 22:36

 あなたの知人が向こうから歩いてくる。ところが目が合ってあなたが挨拶しようとしたら、
その知人は突然後ろをふり向いて走り去ったとする。あなたはどう解釈しますか?
後でその知人に再度会った時(その機会があったとして)に、「あのときは私を避けた
のか?」と訊いたら、その知人は「いいえ、財布を忘れてきたことにはっと気がついた
から」と答えたとします。では、この知人の答えは真実なのでしょうか? あなたが
懸念したように、本当はあなたを避けていたのだとしたら?
 このように、コミュニケーションが取れる人間同士と言えども、他者の行動を理解する
ことは難しいのです。いや、原理的に他者の行動を理解することは不可能なのかも知れない。
結局はどこかで「こうなんだ」と思い込むしかない。そうは思いませんか?

 しかし、物理学で扱う物体はそうではありませんね。

私の好きな例:
サイコロは振るや否や、出る目は決まっている。
では人がそのサイコロを振ること自体は、あらかじめ決まっていたのだろうか?
サイコロを振った後のことしか扱ってこなかった科学(物理学)が人の心を云々することは
できるのだろうか?



[506] Syberia 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/10/05(Sun) 15:01

 アドベンチャーゲーム"Syberia"のプレイを完了した。比較的短いゲームだったが、謎解きに詰まると物語が進行せず、何時間も苦しむというアドベンチャーゲーム特有の嫌らしさはあるものの、ストーリーは感動モノだった。尻切れトンボという話もあるが、私は1本の映画としては完結していると思う。とにかく雰囲気が抜群で、謎が解けた時に流れる感動的なBGMが何とも言えない。
 話はニューヨークのおもちゃ産業の大企業がフランスの片田舎のおもちゃ工場を買収する契約を結ぶために主人公である女性弁護士が訪問するところから始まる。ところが訪問の前日に工場の持ち主が死亡し、しかもすでに死んだと思われていた相続人が生きていることが分かり、主人公は契約を結ぶためにその相続人の足跡を追って冒険が始まる。
 物語にはいくつかのテーマが隠されているようだ。相続人は一種のサバン症候群のようだが、からくり作りに特異な才能を発揮し、いくつかの地で大きな功績を残していく。からくりといっても等身大の動く人形(原文ではオートマトンと言っている)から機関車に宇宙船まで及ぶ。面白いのはそれらの機械はすべてゼンマイと歯車で動くのだ。何を動かすにしても、まずゼンマイをねじで巻かなければならない。
 冒険を続けるうちに強くなっていく主人公と、平和なニューヨークでビジネスの喧噪に明け暮れる友人との携帯でのやりとりが面白い。
 ついに契約を成立させた主人公は弁護士の前途を約束されるも、それを振り切って相続人とともに、あるモノを追って酷寒の地シベリアに向かって旅を続ける方を選択したのだった。



[505] Re[495]: 新パソコン不調 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/09/30(Tue) 16:55

 先に述べた新パソコン不調の件だが、送り返したパソコンについてショップに問い合わせてみると、なんと3枚のVGAすべてで初期不良が確認されたそうだ。偶然が重なったとは言え、ショップによると、この頃パソコンパーツ(しばしば台湾のメーカーだったりするのだが)の初期不良率が増えているという。パソコンをこれから自作する人は、使用を本格的に開始する前に十分に試験した方がいいだろう。



[504] 身体性 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/09/30(Tue) 10:10

 身体性というのは、自分の身体を自ら動かすことによって初めて見えてくるものだ。これはアフォーダンスの考え方ときわめて近い。したがって、自ら身体を動かすことのないデスクトップ・コンピュータや将棋の駒が身体性など理解しているはずがない。HeldとHeinによるゴンドラネコの実験を思い出せ。
 われわれは事実上、地球の表面にへばりついたまま、表面上を平行移動する生活をしている。こういう身体性を持つがゆえに、われわれは長い間、地球の表面は平坦だという固定観念から逃れられなかったではないか。



[503] my home page 投稿者:一茶 投稿日:2003/09/29(Mon) 22:06

私のところは、以下のサイトです。
http://www.din.or.jp/~itoh01/main.html
上記にいくつかのプログラムを置いています。



[502] Re[501]: 画像編集ソフトのこと 投稿者:うみねこ 投稿日:2003/09/29(Mon) 11:22

一茶さん:

> それでは、β版ができた時点で、英語の表現等を調べて貰えればと思います。
> ということで、うみねこさんにはこちらにメールを送って頂ければ、パスワード
> を通知したいと思います。(これはユーザID毎に異なります。)

当方のPCのゴタゴタやHDDのクラッシュなどが重なって一茶さんのメールアドレスやHPのURLが分からなくなってしまいましたので、私の上記メールアドレスまでメールください。また、下に一茶さんのホームページのURLをお知らせください。



[501] 画像編集ソフトのこと 投稿者:一茶 投稿日:2003/09/28(Sun) 21:03

>こちら方面はあまり詳しくありませんが、よろしければご相談に乗ります。
>いつでもどうぞ。

それでは、β版ができた時点で、英語の表現等を調べて貰えればと思います。
ということで、うみねこさんにはこちらにメールを送って頂ければ、パスワード
を通知したいと思います。(これはユーザID毎に異なります。)

さてXPに対応しているかどうかはよく分かりません。
基本的にベーシックな作りで、凝った作りのものではないのでXPでも動くと思いますが。




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