2003年6月
6月6日(金)
<その1> |
曇りのち晴。花柄摘みつつ昨夜のムカデを思い出す |
沖縄では先月に梅雨入り宣言したというのに、名張の入梅は未だ…。 けれど、天候はぐずぐずとして定まらない。
久しぶりの休日。 新聞を取りに出て、パジャマのままで小一時間ほど、鉢植えの花の花柄摘みを楽しむ。 一日花のハイビスカス、サフィニア、ペチュニアなどは、こまめに花柄をとってやらないと、美しく咲いてはくれないのだ。
赤と濃紺混じりのコリウスに目がいって、はっとした。 昨夜の"事件"を思い出したからだ。
6月は新しい仕事が京都を中心に始まったため、1日は帰省中の息子一家と堺へ(泊)。翌2日から京都(泊)。3日、5日も京都行きで、5日午後11時に帰宅。そのまま、すねてしおれた花々のご機嫌取りを…。
玄関先で養生していた、赤と濃紺混じりのコリウスの鉢を何気なく動かして「ぎゃぁおぉぉ〜!!!」、声にならない声を上げた。 なんと、全長12センチ、幅1センチ、ぬれぬれ黒々した背中に、赤い足を多数生やした「ム、ムカデッ!」。 それも卍巴に、うねっと2匹も! 「恐わっ!!」、「どうしよっ!!!」 短い間に、熱湯処理…と思い浮かぶ。 おそるおそる鉢を元に戻し、慌てて湯を沸かす。 取って返して、やかんいっぱいの熱湯を、ざばざばぁっと2匹のムカデにかけて「ごめんね、ごめんね。南無阿弥陀仏…」と、片手拝みにしつつ仕留めた。
毎年1回、2匹づつ私の前に現れるムカデ。昨年は、金つなぎ・ドイツツアーから帰宅した夜、キッチンに、大きなのが「出たっ!!!」。 もう1匹は前の路上で死んでいた。
都会のマンションに住んで一生に1度も見ることのない方々もおられるのに、いったいナゼ、私の前には毎年2匹も現れるのか? ムカデは、もしや、業(ごう)の象徴なのではないか? がんを病んだ私の業を年に1度、必ず現れて思い知らせてくれるのではないか? がん発症の原因、闘病法、患者会のあり方など、これでいいのか、このままでいいのか、これからどうあるべきか…。私自身の死生のありようを含めて、思い知らせてくれるのがムカデなのかも知れない。
ムカデが与えてくれた、生きることの意味を考えつつ、明日も、元気に生かされていこう。
しかし、デカかったなぁ、一昨夜(おととい)のムカデ!
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6月6日(金) <その2>
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金つなぎ晴れ。病友8人と盛り上がった楽しい一日 |
ムカデの思い出を振り払い、掃除に専念。病友を迎える準備を。
午前10時前、四日市から琢ちゃん・和代さん夫妻が、相次ぎ大阪からeikoさん、悦子さん、HIROSHIさんが。美杉村から一光先生、少し道に迷った松阪のヨネさんも…。 いつ、どこで出会っても、初めてでも、旧知でも、あっという間に盛り上がってしまうのが"金つなぎ"! 早速に楽しいお昼が始まった。 キッチンで指揮を取るのはeikoさん。一光先生の奥さんから差し入れの豆ご飯、佃煮、eikoさんからお漬物、観音寺副住職の和代さんからご仏前の"お下がり"も有難く…。
病友の日常・非日常の話に花が咲き、金の玉ちゃん、ヒロセさん、ルナママさん、マイノリティさん、明美さん、三郎さん、皆さんの闘病に思いを致し、「Gamba!Gamba!!!」と呼びかける。
今日の集いは、eikoさんや悦子さんの発案で、我が家に山積している病友からの手紙への返信のお手伝いを…とのことである。 HPの「おしゃべりルーム」にカキコしたら、奈良の住井さんから「当日は失礼しますけれど、在宅で出来ることがあれば、どうぞ!」と、また、箕面のバロンちゃんから「次は都合をつけて、クルマでひと走り!」と、こもごも嬉しいお返事も届いた。 ばんざ〜い!!! 広域・金つなぎ!
食事の後は、皆で機関紙を発行順に全冊そろえたり、資料のコピー(これが、お一人分13枚!)やホチキス止め…など。 一段落ついて「滝谷の菖蒲園行き!」と決めて、近くの菖蒲園へ。花花と遊んで夕食は、名張・清風亭のう・な・ぎ! 古い小さな城下町・名張の名代のうなぎ料亭。 すだれ越しの爽やかな川風と風味豊かな川魚のお重づくりに、「ん〜、満足、満足!」
名張・清風亭、古くは江戸川乱歩や村上元三、岡部冬彦、瀬戸内晴美(寂聴)といった文人・墨客が杖を引いた老舗だ。 近くにeikoさんのおばあちゃんの別宅が今も残っているのが分かって、みんなで見に行く。小ぢんまりと品の良いたたずまいのお屋敷に、eikoさん、感激。同行の私たちも感動。 訳もなく、幸せ感が、ふつふつと身内に沸いてくる。 今日も、有難い一日だった。
起床:午前8時、就寝:翌日午前2時半
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6月22日(日) |
晴れのち雨、のち、金つなぎ晴れ!
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金つなぎ.死生を語る蛍狩り。
正午過ぎに、三重・松阪駅に到着。大阪から9人、名張から2人。 ホームで待っていて下さった病友の和子さんが「とても、明るく元気なグループなので、もしや? いえ、違う…?と、お声を掛けるのためらったわ」と。奈良から初参加の第一声を。 東京からは、ラジオ深夜便のリスナーさん・和子さんと野中さんご夫妻が、がんで逝かれた妹さんの写真をしのばせ"4人"でご参加。
松阪の良子さん、ルナママさん、ヨネさん、典子さん、和代さんがそれぞれクルマで出迎えて下さって、ほんとうに、有難う!!!
非日常の昼食は、国道筋のイタリアンレストラン「カピタノ」で。 イタリアのカピタノ本店で学んだ岡 豊裕シェフの「トマトのサラダ、わたりガニのパスタ、生ハムとルッコラのピッツア(ナポリから取り寄せた窯焼き!)」 美味しかった、幸せでした。
この日、松阪の病院に入院するという卵巣がんの佳子さんも昼食だけご参加。食事を楽しみながら、皆で激励する。 「絶対に大丈夫よ!」と、勝ち抜いてきた経験から、こもごも話す体験談には説得力があって、少しはお役に立てたよう…。
午後2時、カピタノを出る頃には、しのつく梅雨の雨。 ほ〜ら、来たっ。お約束の、金つなぎ晴れに向かう通過儀式…。 「蛍を見るころには、きっと晴れるからね。必ず晴れるからね!」。何の裏づけも無いのに、なぜか、確信をもって言い切ってしまう私がいる。 そして、必ずそのようになる金つなぎの催しがある。
蛍のうきさとむらに向かう間、川沿いの里道も山道も峠も、雨、雨、雨!!! 1年ぶりのうきさとむらに落ち着いて、お喋りに盛り上がっている間も、雨、雨、雨!!!
ところが、やっぱり上がりましたよ。雨が! 食事のはじまるころには、曇り空。 待ってて。もうすぐ、晴れるよぉ〜!!!
「焼きアマゴのつゆ仕立て」(割竹の清しい器に盛り付けて)、破竹と若芽の煮付け、手揉みこんにゃくの煮付け、ポテトサラダ、具だくさんのぞうすい、フルーツサラダ、焼き鳥」と食事がすすむうちに、雨は本格的に止んじゃった。
午後8時。近くの桜並木まで2〜3分歩いて、蛍に会いにいく。蛍に宿った逝友に逢いにいく。
ほ〜、ほ〜、ほうたる、来い! 「康子さ〜ん、弘子さ〜ん、亜紀さ〜ん、松井さ〜ん、稲田さ〜ん、賀世子さ〜ん、須美子さ〜ん、筒井さ〜ん、省三せんせ〜い、恵美子さ〜ん…」。ほか、いっぱいいっぱい、逝友の名前を呼んでみて、集まってくれた蛍(逝友)とともに、前になり後になり…、しばし散策を。
それから、軽トラックの荷台に乗って、例年の"蛍場"に向かう。 街なかでは、決して出来ない非日常の蛍狩り! 金つなぎとうきさとむらをつないでくださった上村真由先生、抗がん闘病中で、一時退院したばかりの金の玉ちゃん、ナースの娘さんとご参加の祥子さん、地元にお住まいの一光先生ご夫妻…。 いつもうきさとで私たちを励まして下さっていた書家の一光先生は、その後肝臓がんで入院。「金つなぎの新聞に、勇気を貰ったなぁ。ありがとう!」と。
乱舞する蛍に呼びかけながら、夜空に手を伸ばす。 今年も生き延びて、あなた方にお逢いできてうれしい、幸せ! 和代さんが、線香を灯してみんなに手渡してくれる。 有難う! 逝友の鎮魂と生友の安寧を願って、1本ずつ田圃のあぜ道に立てて祈った。
四日市の博子さんが、参加者全員にお土産に…と下さったラベンダーのポプリを枕元に置いて、芳香を楽しみつつ、おやすみなさい。
起床:午前8時、就寝:翌日午前1時半
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6月23日(月) |
雨、のち、金つなぎ晴れ! |
うきさとむらでの蛍狩りから、"金つなぎ・命のまほろば"猪の倉温泉へ、文字通り、命の洗濯に向かう。
朝から雨。「今日も、晴れますか?」とHIROSIさんに尋ねられる。 「いいえ、昨日の蛍狩りだけ、気合を入れて祈ったので、今日はもう何も分からないわ」と答える。 ところが…、猪の倉温泉に着くころには、またまた、曇り空。 雨が止んじゃった!
有難いなぁ! 守られてるなぁ!!
この幸運・強運を過信することなく、謙虚に、穏やかに、何があろうとも、明るく強く前向きに!!! 猪の倉温泉の露天風呂で、ぬるり・つるりのお湯と戯れながら、病友の無事・平穏を祈る。 あぁ、なんて、幸せ! 幸せ!
起床:午前8時、就寝:翌日午前1時半
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6月25日(水) |
晴れ、大阪は蒸し暑い |
新しい仕事で、各新聞社とテレビ局回りをする。 20年来の友人が誘ってくれて、京都にある、すこぶる元気な企業の広報のお手伝いをすることになったからだ。
10年あまり前は、取材依頼をされる側であったから、相手さんの心理は良く分かる。 大阪・京都の経済記者クラブ、報道各社、マスコミ特有の"におい"を心地よく感じながら、心身の喜ぶ声を聞いている私がいる… 広野光子、マスコミの仕事が、好きなんだなぁ〜
大阪の友人宅に泊まり、近所のスーパー銭湯に行く。 大阪のど真中に、鉄色の温泉が沸いている!
起床:午前8時、就寝:翌日午前1時
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