季刊金つなぎ 金つなぎ

がんと闘う

転移がん
末廣 和子

 私の病歴を申しますと、 昭和六十三年六月に左乳がんの手術を施行、 がんの大きさは直径七ミリで大胸筋リンパ郭清術で、 大きく切除しましたので、 安心していました。 ところが、 平成四年四月に左鎖骨下リンパ節に転移が見つかり、 放射線のリニアック治療を二十五回受け、 腫瘍マーカーも上昇しませんでしたので、 安心して勤務しておりました。 疲れもなく、 ただ十二月頃に咳が出る、 しかし風邪気味でもない。
「アメ」 をなめていれば咳は止まる。 少々おかしいと感じCEAを計りますと17・2と上昇しており不安となり十二日にCT骨シンチ等の検査を受けましたが、 心配することない、 と診断されました。
 でも、 心配はつのります。 平成六年を迎え、 一月三十日に堺で 「癌にかかった時、 如何に生きる」 のテーマでシンポジウムがあり、 医師伊丹仁郎先生のモンブラン登山実行の講演を受講しました。 その折に司会をされた河合達医師に私が心配している症状を聞いて欲しいと、 ふと思いましたので、 二月十六日堺の鳳胃腸病院を訪ねました。 その時CEAは32に上昇しておりました。 河合医師は診察して 「当院では無理の様ですから他院を紹介しますが、 遠くても行かれますか」 と聞かれ、 私は 「どこまでも行きます」 とお答えしました。 その時はわらをもつかむ気持でした。
 紹介されました病院は、 高槻の大阪医科大学付属病院でした。 三月一日入院、 種々の検査の結果、 肝臓に二センチ、 肺に一センチぐらいの腫瘍が発見されました。 私には思わぬ悪報です。 でも、 心のどこかでは「やっぱり…」と思いました。 仕方がありません。 自分の力ではどうすることも出来ません。 次の段階である手術をしなければのりこえられない道であると思いました。
 三月二十三日朝八時半、 冷たいストレッチャーにのせられ病室を出ましたが、 そのあとは全く何も記憶がなく、 翌日の十二時にICUより病室へ。 手術時間は午前九時から午後六時まで九時間かかったそうです。 背中には痛み止めの細いチューブ。 右胸と肝臓のあたりに二本ずつと合計五本のチューブで体に固定され、 身動きは出来ず、 何を考えどうして欲しいという欲望もなく、 何故何故こうなったのかと悲しい思いばかりでした。
 それからは抗がん剤の点滴、 熱発、 発汗、 抜毛……これからどう生きて行こうかと考えても答は出ません。 ただ生かされた命のあることに感謝して大切に日々を過ごして行くことであろうかと思い、 広い大学病院の庭を歩けることに感謝して、 運動も致しました。 食欲もあり、 体重の減少もなく、 六月十日約百日の入院生活を終え、 その後通院で再び抗がん剤の点滴、 治療を受けました。 帰りの電車の中で気分が悪くなっては他人に迷惑をかけると思いますと高槻から梅田までの長いこと。 早く就寝したいと思い、 駅より小走りに走ると、 脈が早まり、 呼吸が苦しくなり、 熱発と発汗と苦しいことも。
 お蔭様で昨年十二月で点滴も終了し、 CEAも正常値近くに下降し、 現在は二週間ごとに投薬と診察に通院しております。 病院の治療以外に知人等のアドバイスで針治療のほかに野菜ジュース、 プロポリス、 プルーンとか良いと云うものは挑戦しております。
 その他リンパ球の活性や自己免疫の力が大切であることを知りました。 今後ますますがん治療が向上して行くことを期待し、 一日でも生かされた命を大切にして、 日々の生活を送りたいと存じます。



悪性黒色腫との出会い
吉原 敦子

 平成六年六月二十三日は、 私にとって、 生涯で一番心にダメージを受けた日となりました。
 子供の頃から、 左足内くるぶしの下に、 小さなホクロがありました。 それを、 十数年前に、 灸をするとなくなると聞き、 自分で時々灸をすえたりして、 数年が過ぎました。 ホクロは、 やがて黒い色がぬけて、 肌色になり、 形も大きくなって、 靴をはくとすれて邪魔になる様になりましたので、 近所の整形外科で診察を受け、 スピール膏を張ったり、 カミソリで削ったり、 と非常に原始的な治療を、 五年間ほどしてもらっていました。
 ところが、 平成六年一月頃から、 ホクロの表面がとれて、 薄皮一枚の状態になりました。 その下は、 血のかたまりとなって、 絶えずキズテープを張っておかなくては、 血がにじむようになってきたのです。 化膿でもしたら大変と思い、 阪大病院に行きましたところ、 「汗腺腫」 と診断され、 六月十五日に、 一時間程で、 梅干大ぐらいの腫瘍を摘出しました。
 一週間の入院生活は好きな読書に、 休養にと、 ルンルン気分で過ごしておりました。 ところが、 いざ抜糸、 退院という時に、 処置室に呼ばれ、 「検査の結果が、 出ましてね。 腫瘍には悪性と良性がありまして、 吉原さんの場合は、 悪性の部類に入るものが、 見つかりましたので……」 と言われたのですが、 もうそこで、 私の記憶は、 とぎれています。
 その後も先生は、 何か説明をしてくださいましたが、 「がん」 「がん」 だけが、 頭に浮かび、 視力障害を持ち腎臓病と闘っている息子のこと、 老親三人のことなどが、 頭の中をグルグルかけめぐるばかりでした。
 その次の日に、 主人、 娘、 私とで、 手術と、 化学療法 (抗がん治療) の説明を受けた時は、 冷静に、 聞いていたつもりでも、 半分ほどは記憶になく、 娘に、 何度も叱られたり、 励まされたりしたような始末です。
 六月三十日から、 第一回目の、 抗がん治療が始まりました。 点滴をすると間もなく、 吐気におそわれ、 これが、 今まで他人事と思い、 気楽に聞いていた抗がん剤との闘いかと心が萎えてゆきました。 でも、 耐えなければ家に元気で帰れない、 と思い直し、 頑張りました。
 五日間の点滴を終え、 七月十一日に再手術を受けました。 左足鼠蹊 (そけい) 部の、 リンパ郭清術、 前回より四倍大の摘出術、 土ふまずをかかとに移植したりした結果、 左足は内くるぶしからかかとまで、 パッチワーク状になり、 下腹部から太ももまで四十センチの傷も残りました。
 九月始めに、 ようやく自力で歩けるようになり、 合計六回の化学療法を終え、 平成七年三月に、 退院出来ました。
 その後の化学療法は、 随分悩みましたが自己免疫力を上げる事に力を入れようと、 阪大と併用して漢方医のお世話になっています。
 漢方を飲みだしてから調子は良く、 いつもおだやかに話をして下さる先生に、 私は心酔しています。
 先生は、 「病人だから、 体をいたわりましょう。 でも病名は、 忘れましょう。」 と教えて下さいました。
 励まし力添えをしてくれる友人、 家族と共に、 今日も 「明るく前向きに」 をモットーに、 頑張っています。
 皆様も、 どうか一緒に、 元気に前進しましょう。



インフォ-ムド・コンセント
芝原 健夫

 平成六年春ごろから食道に異常を感じ、 秋に大病院に入院した。 二十日間にわたる精密検査の結果は、 がんによる食道腫瘍。 入院に際しては、 初めから、 後に述べるインフォームド・コンセントのための書類を用意しておき、 主治医に手渡した。 主治医にとってはかなり風変わりな患者であったかもしれないが、 外科医らしくすんなりその主旨を了解し、 まず私本人にすべての情報を公開することを約束してくれた。 その結果、 病名 (がん) を私自身が十分納得してから、 私の判断に基づいて家族にも伝えた。 普通とは逆のようだが、 私にとってはごく自然といえる順序を取ることができた。 十月中頃の切除手術後二か月、 昨年末に退院し現在自宅療養中である。
 いわゆるインフォームド・コンセント (以下ICという) を、 当初 「説明と同意」 というまことに明らかな欺瞞と、 悪意にあふれた誤訳をあえて普及したことは、 診療側の悪知恵の結果であろうという推測について、 私はすでに何年も前から論文や著書に繰り返し指摘して来た。 言葉はイメージをかたち造るという意味で、 この悪質な誤訳は決して軽視できない、 と私は考えている。
 英語の原義ではコンセント 「患者との同意」 が主語であり、 インフォームド (情報を伝えられた上での) は単にその形容詞に過ぎない。 ところが日本語訳では 「情報伝達」 と 「同意」 は全く同格となり、 おまけに 「情報伝達」 は単に診療側の勝手な 「説明」 (エクスプラネーション) という言葉に置き換えられてしまっている。 これでこの訳語が、 診療側の責任を可能な限り隠蔽しようとする意図的誤訳であることは明らかであり、 このことは辞書を引くまでもなく、 どなたにも容易に賛同して頂けるのではないかと思う。
 もうひとつ大事なことは、 ICは単にそれだけで独立した概念ではない点である。 それは次の二つの要件、 一つはトゥルース・テリング (真実を伝える) ことと、 もう一つはセルフ・ディターミネーション (患者自身による決定) という要件に支えられていることを忘れてはならない。 この二要件に支えられて初めて、 ICの概念は正しく機能する。 したがってICは、 「すべての情報が伝達された上での患者自身の決定による同意」 とすれば、 少しは真実に近づくのではないだろうか。
 そういえば入院中こんなことがあった。 診査を終わった若い医師が、 何の説明もなしに 「はい結構です」 という。 私は 「結構じゃありません。 情報は私のものですから、 きちんと説明をどうぞ」。 若い医師は一瞬驚いた顔をしたが、 その後懇切ていねいに説明をしてくれた。
 さてそれでは、 私自身のICはどうだったのだろうか。 以下は当初私が主治医に署名捺印して手渡した書類の全文である。

主治医/○○病院□□先生
インフォームド・コンセントについてお願い

  1. すべての医療情報は、 患者である私本人にお知らせください。
  2. 情報はよい情報も悪い情報も、 すべて真実だけをお知らせください。
  3. 処置については先生と患者である私本人の最終的な合意で行なってください。
  4. もし化学療法や放射線療法が必要な場合でも、 必要最小限に止めてください。
    以上の合意の結果については、 すべて患者である私本人の責任と致します。

    一九九四年十月△△日
    住所 氏名


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