季刊金つなぎ 金つなぎ

医療コラム

ホスピスの窓から 1996年(平成8年)秋季号

藤田保健衛生大学七栗サナトリウム
院長 渡辺 正

いつものようにホスピス病棟の回診をした。 普通に行っている日常業務である。 「こんにちは、 今日は如何ですか?息苦しさは少しは良くなりましたか?」 といった会話の後で、 「先生、 今朝早く起きて窓から日の出を見ていると、 日が昇っていくに連れて、 前の稲穂の色と輝きが刻一刻と美しく変わっていくのは本当に新しい発見でした」 と言われた。 ホスピスの窓からは、 まるで緑の絨毯を敷きつめたように遠くまで稲穂が広がっている。

 そういえば以前入院されていた乳がんの患者さんも、 「窓から日の出の前の薄紫色の空と木をどうしても撮りたくて、 何度も早く起きて撮ったけど、 今日やっといい写真が出来てきました」。 と言って幻想的で美しい写真を戴いたことを思いだした。 そして隣の部屋へ。 「病状に関するやりとりの後、 「先生、 孫から先日外泊したときの写真を送ってきました」。 見るとVサインをしながら愛敬たっぷりのカラオケ風景である。 「随分のってますね」 と言うと、 「本当にこんな風に楽しめるなんて思いもよらなかったし、 兄弟も一体どこが悪いの、 と言ってくれました」と。 ここへ来られる前まで、 つらい治療と痛みで落ち込んでいた方とは別人のような姿を見入って退室した。 つぎに看護婦から血圧が下がりつつあると聞いている肺がんの患者さんを訪室した。 静かな寝息の患者さんのまわりには、 家族が五人付き添っておられる。 娘さんが 「お父さん、 渡辺先生ですよ」 と患者さんに話しかけられた。 目を閉じて眠っておられた患者さんが 「今まで、 よう仲ようしてくれましたなあ」 と一言。 また目を閉じて眠っていかれた。

 窓からはまだ昼の光が差し込んでいる。 このような会話から、 患者さんは自分の中に力を湧き立たせてくれるもの、 自分の心を支えてくれるもの、 生きていることの実感を感じさせてくれるもの、 それが自然の美しさであれ、 家族との交わりであれ、 そういうものをいつも求められていることを強く感じる。 以前患者さんの中には、 院内で娘の結婚式をされたり、 病苦の夫に聞かせようとフルートの演奏会を開かれた方もあった。 ホスピスは死に行く所ではなく、 命を感じ、 創造的に生き切る場所である、 と思っている。



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