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がんと闘う

生涯現役歌手
竹越 ひろ子(東京都世田谷区、歌手)

 三十年あまり前、 大阪のナイトクラブで歌っていた頃―。 故・力道山さん (一世を風靡したプロレスラー) にスカウトされ、 大阪生まれの私が、 東京赤坂のナイトクラブ 「リキ」 の専属歌手になった。 十八歳の春だった。
 三年後、 故・三橋美智也さんの紹介で、 キングレコードに入社。 「東京流れ者」 (昭和三十八年)、 「カスバの女」 (同四十二年) と立て続けのヒットで、 平均睡眠時間は三、 四時間。 振り返れば、 本当に忙しい毎日を送ってきた。 歌との付き合いは、 はや四十年近く。 もちろん生涯現役で、 と決めている。
 そんな私に、 最初にがんが見つかったのは四十三歳のとき。 胃がんだった。 主治医に、 「十時間後に亡くなる人もいます」 と言われ、 「これで死ぬのか」 と、 ただ泣いた。 告知は、 ドクターから直接聞いたが、 主人 (会社役員) と二人の息子 (現在大学生) に、 どう言おうかと悩んで、 まっすぐ自宅に帰れなかったことを覚えている。
 結局、 スパッと手術して、 「これで生き延びられる」 と喜んでいたら、 三年後に今度は、 子宮がん。 これも迷うことなく切除してもらって、 その後、 直腸がんの手術も受けた。 三度目はもう、 「こんなもの、 がんのうちには入らないわ」 と思って、 乗り越えたのだった。
人は、 いつか必ず死ぬ。 思いがけない事故で、 明日死ぬかもしれない。 でも、 がんは宣告されてもまだ生きられるのだから、 諦めちゃだめ。 甘ったれてもだめ。 「ああ、 だめだ」 と弱気になったら、 99%はストレスが原因でほんとに死んでしまう。 それが、 がんという病であると思う。 だから、 「がんよ、 おまえなんか怖くないよ。 さあ、 かかってらっしゃい」 と、 がんに立ち向かう気持ちを忘れずにいたい。
 過去十二年間に受けたがんの手術は三回。 でも、 大丈夫。 声だって、 しっかり出てるでしょ (注・確かに。 故三橋美智也さんの追悼公演で歌った 「東京流れ者」、 声も気迫も“絶品”でした‖広野光子)。  常にがんに対してファイティング・スピリッツ (闘争心) を燃やして生きてきた私。 今もプロの歌手として、 いつでも最高の自分を出せるように、 毎日ボイス・トレーニング、 体力トレーニングを欠かさない。リキと名づけた犬と朝夕一時間の散歩で、 体調も良好だ。“今日一日を精いっぱい生きる”―がんが私に教えてくれたこの生き方を貫いて、 生涯現役歌手であり続けたい。



明日泣く!
山中 元子(羽曳野市、主婦)

 昭和五十九年四月、 十二指腸潰瘍を切除、 平成四年七月には胆石の手術を受けました。
平成六年には左乳房に乳腺炎ができ、 生理が終ってもとれないので主人に叱られ病院へ行くと、 エコーで乳腺下にがんが見つかりました。
 先生に、 「もう、 これ以上手術はしたくない」 と、 泣きながら云いました。 「命とお乳と、 どちらが大事だ」 と叱られ、 入院。 手術をしました。 回復が早く、 喜んでいたら、 先生から放射線を二十五回受けないといけないと聞かされ、 ショックでおいおい泣きました。  その時の体重は三十八キロ。 主治医や放射線科の先生、 胃の先生からも 「体力がないから二十五回は続かないかもしれない」 と云われ、 不安と悲しみの中、 でも、 「一日も休まずに、 這ってでも、 車椅子に乗ってでも二十五回続ける!」 と決めたのでした。 最初十回は何もなく続けるうちに、 やがて喉の痛み、 吐き気、 体がだるく白血球が下がり、 起きられない| など、 副作用もきつかったのですが、 それでも休まないで、 自分で歩いて二十五回続け、 やっと退院しました。
 退院の日に、 看護婦さんに 「山中さんの体、 胃と胆石と盲腸を繋ぐと“環状線”やね。 乳がんの後は“びわ湖”みたい」 と云われてしまいました。 家に帰って一人になると再発の不安、 傷の痛み、 腕の痛み、 鏡を見た時の自分の姿に泣きたくなります。 でも、 主人が 「本人も辛いが、 辛い姿を見ても何もしてあげられない僕も子供たちも、 もっと辛い」 と言った時、 もう泣かないでいようと思いました。
 体も日に日に元気になり、 お昼からのパートにまた行き始めた平成七年十二月、 リンパにがん!自分でしこりを見つけた時、 もう長くは生きられないと思い、 なぜ私がこんな病気ばかりするのかと又々泣きました。 その時二男が 「お母さん。 手術をして元気で帰ってこい、 長生きをして、 兄貴と俺の結婚式を見るまで頑張れ」 と言って泣きました。 その姿は忘れません。
 術後、 良性と聞かされた時のうれしさ。 家族と聞かされた時のうれしさ。 家族の喜び|後になって、 主人も、 私が一年も生きられないと思ったそうです。
 前向きに明るく過ごしている私に、 病気はまだ去ってくれません。 今は甲状腺低下症で足も体もだるく、 うつ病になりました。 主人に対し、 愚痴や嫌味を言う毎日です。 でも、 何も言わずに聞いてくれ、 行きたい所へ連れて行ってくれます。
 六月から生理が多く、 病院へ行くと 「卵巣が腫れて水が溜まっている、 筋腫だ」 と云われました。 腰が痛く立っているのが辛い状態です。
 高校時代に、 ラジオで森繁久彌さんが、 「本当の幸せに咽び泣きたいなら、 友よ、 明日泣け」 と云っていました。 この言葉が私は好き。 泣けばがんに負けてしまう。 泣きたい時は、 皆さん“明日泣きましょう!”

 



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