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エッセイ集
相次ぐ火山噴火に思う

 日本列島を包むあのマグマの不穏な動きは果たして偶然だろうか?

遂に今日平成12年9月4日をもって三宅島の島民全員が避難のため後ろ髪を引かれる思いで島を離れました。地震予知連絡会の予測では火山活動は収束に向かっているということでしたが現実はさにあらず。火山特有の硫黄を含んだ噴煙は数百km離れた本土の東京までたなびいたのでした。衛星写真にはその噴煙がはっきり写っています。

気象庁によれば同日4日午後10時すぎ、今度は北海道の駒ケ岳が噴火したと発表しました。北海道と周辺4町は、災害対策本部を設置したということです。

今年は北海道の有珠山から始まって、これで火山噴火三連発。一体これは何を意味するのでしようか。

こんなことを言うと非科学的だとバカにする人もいるかもしれませんが、私はこの自然現象は人間社会の乱れと無関係ではないと思います。人間界の命の濁りがそのまま自然界にも反映しているのだと感じられてなりません。

私は母の交通事故とその後に訪れた家庭崩壊の危機を通じて、司法・医療の数々の矛盾に出あい多くの事を考えさせられました。そのことがこのホームページ立ち上げのきっかけになったわけですが、今ある一つの想いに耽るようになりました。

というのは、今から思うと脳外傷問題はそれだけで独立して存在しているのではなく、一見何の関係もないような他のいろいろな社会現象と密接につながっているということです。

脳外傷問題はどういう問題かというと、まずは医療関係者のなかでもよく把握していない人が非常に多いということ。このことがまず大問題です。

最近医療過誤問題がメディアで取り上げられるようになって俄に注目を集めていますが、これも脳外傷問題と本質的に同じなのではないでしょうか。すなわち、医療関係者の怠慢です。多くの患者さんが救いの手を差しのべられることなく家族とともに地獄の日々を送っています。

最近リンク集に「US医療のページ」というのを加えさせていただきました。お母様を医師の怠慢で失ったとして医師を相手に民事裁判を起こし、その経過を逐次アップロードしています。

それでは一体なぜこのような医療関係者の怠慢に起因する問題が後を絶たないのでしょうか?山崎豊子さんがあの有名な小説「白い巨塔」で取り上げた医学界の矛盾はいまなお相変わらず残っているということでしょうか。確かあの作品が著されたのは昭和39年か40年だったのでは?とにかく今から35年も以前のことです。

私は一度この問題の本質を暴き出してみたい。直感から私は自分も含め社会全体が倦んでいるのだと思う。誰が悪いと特定するのも大切だけれど、それだけでは片づかないもっと本質的なものが背後に潜んでいる気がする。しかし、それが何かというと今は言葉にできない。

前に叫んでみた「誰かこの問題をテーマに小説に描いて見ろ!」という話し・・・。自分がやってみようかな、と今思い始めています。「こんなに被害者は苦しんでいる、何とかして欲しい」、とか「加害者の刑は軽すぎる」といった数々の叫び。それだけのテーマに終わらず、もっともっと深いところにあるものをえぐり出してみたい。それが今の私の欲求です。

火山噴火から始まったこのエッセイ、思わぬ方向に展開してしまいました。私の言いたかったこと、それは、

「世の中の矛盾はとどのつまり人間の傲慢さから起こる。そしてそれは自然界にも反映し、ついには自分たち人間自身にはね返ってくる。一日も早く自然界からの警告のメッセージを素直に受け止め謙虚に反省しなければならない。そうしなければ、やがて数億年という長期間反映した恐竜があっという間に滅びたように、人類絶滅の日が遠からずやってくる。」

ということ。人類の繁栄といってもたかだか数千年かそこらの話。何か全てを克服してしまったかのような奢りが自分にも確かにあったと思います。私を怒鳴り返した脳外科医も私も、程度の差こそあれ五十歩百歩。大した違いはありません。

一連の火山活動の活発化を通して、何か不気味なものを感じるのは私だけでしょうか。過去の歴史を振り返ると、天災が頻発し始めるとき必ずといってよいほどその後にくるのは戦争という最悪の災禍なのです。

Mon, Sep. 4, 2000