名張シンクス(名張市中心市街地活性化町づくりグループ)
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何故旧名張町なのか

p_eki.jpg  それでは旧名張町が地域の経済的中心地以外に都市機能として果たす役割はもうないのでしょうか。

 これからは地方分権とかいわれる新しい時代に向います。それに対応する新しい役割があるのかないのか。将来を見据えて旧名張町が名張市・伊賀地域に受け持たねばならない都市機能があるのかどうかを追求します。そこが私達、名張シンクスのまちづくりの出発点なのです。

p_emimae.jpg それともう一つ、何故旧名張町にこだわるのかに触れておきます。旧名張町には新興住宅団地や中高層マンションにはない住み心地があります。それぞれに一長一短はありますが、優劣ではありません。味わいです。新興住宅団地や中高層マンションには、また別の住み心地があるのですが、旧名張町住み心地といえば、ふるさとの感覚でしょうか。今様のカタカナ文字でいえばアイディンティティとでもいいましょうか。旧の佇まいには、かって何処にでもあった日本の町並みのなつかしい感覚が蘇ります。

 昔はどこの村でも自給自足の生活でした。でも村内では得ることのできない物資・資財を調達し、そのお金を得るのに作物などを換金するのが名張町でした。つまり地域経済の中心であったわけですが、人も情報も集積して、あそこに行けば誰かに会える、チャンスがあると期待できる地域の拠り所でもあったのではないでしょうか。

 名張町は周辺在郷部にとってあこがれの都心だったのです。まちにいくというのは大阪ではなくて名張町だった、という感覚は自動車の普及する以前、昭和の30~ 40年代の頃だったと聞かされたことがあります。そういう歴史を踏まえ、旧名張町には名張郡名張村の文化と伝統が集積しています。

p_naka.jpg 便利さと機能だけを追求すれば、新しい土地で計画した方が気楽にできるかもしれません。しかしそこにはアイディンティィというものはありません。そういう意味では旧名張町は旧名張町住民の町ではあるけれど、旧名張町住民だけの町ではないということも言えるのではないでしょうか。名張を代表する顔であってほしいと思いがあります。

p_matu.jpg 伝統や文化、ふるさとを維持するために地元の皆さんの負担は大変なものであるということを知りました。都会から来た人はそんな事情は知らず、田舎には自然とともに伝統・文化やふるさと感覚アイディンティィを求め憧れます。

 これまでは旧名張町、在郷部、新興住宅団地と棲み分けが行き届き、程のよい距離があって互いに摩擦が生じたりすることなく、美しい田園都市を体現してきました。

 でも時代は流れ動いていきます。現在、地元組が30,000人、転入組が55,000人です。 これまでのように住民サービスは行政にまかせっぱなし、住民は行政の採点だけをしていればよい時代は終わりました。否応なく枯渇していく市財政(全国的傾向です。名張市固有の問題ではありません)を背景に市民が市の運営を一緒に考え、行政と共に市民同士が結びつき協働しなければ市民社会そのものが成り立たない時代へ移行していきます。その時、名張市民の心の拠り所として旧名張町に期待するのです。

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