RE:海より広く、海より深く、海より碧い、海がある。 地球流民
すっかりご無沙汰のAQ秘話・・・。
このままじゃ、しらないうちに廃刊になってしまったりしてと、みなさん思っていらっしゃることでしょうね。
どっこい流民は生きている。 まあ長い人生、元気の無いときもあったりするってこと。
さてさて、久しぶりの水族館談義でも・・・。
>でも。鳥羽水は「生きている環境をみせる」という気が私はしているのだけど、須磨水は「魚の生態を紹介する」って感じだったんですよね。
実は須磨AQっていうのは、巨大水族館の一番手で、私はけっこうライバル心を燃やしたのです。(だから、須磨AQオープンの時には、関西に思い切り広告費をつぎ込んだりしたり、その内容も動物の写真いっぱい出して、「これがいるから鳥羽水族館」みたいなのにしたくらい・・・ああ大人げない。)
でも、当時の須磨AQのコンセプトは、実に「新しい時代の水族館はこうあるべき」という気概が感じられて、心の底では素晴らしいと唸っておりました。
そのコンセプトというのが、「動物の生きざまを見せる」というもので、それは私も考えていたことと一緒だったのです。
当時、新鳥羽水族館の企画を考え始めていた私は、こりゃ参ったとなったのですね。
だって、昔から他人のやってること真似するのも、真似したと思われるのも、絶対嫌なタイプだったんだもんしょうがない。
それでこっちは、もっと大きく行くぞ〜!と、「地球で生きる命を見せる」水族館にするという猛ハッタリをかまして、そこから鳥羽水族館のイメージコンセプト「海より広く、海より深く、海より碧い、海がある」をひねり出したのです。
つまり、うちは動物じゃなくて海そのもの地球そのものを見て欲しいんだよという訳です。
しかも、鳥羽水族館には他の水族館じゃかなわないくらいの珍しい動物がいたから、けっこう嫌味なコピーのつもりでした。
・・・が、今だから言えるこの話しで分かるように、須磨AQの誕生は私にとってというか、超水族館の誕生にとって、なくてはならなかった歴史といえるのです。
そして、もちろん今でも私の中では、磨AQの存在は、海遊館の存在よりも大きいのです。
だから、さるさんが感じた、須磨水は「魚の生態を紹介する」は、当たってますね。
でも、それ自体が当時の水族館では画期的なことだった。それまでは(ていうか今でも)生態じゃなくて魚そのものを紹介するというのが普通だったのだから。
(地球流民)