1997.7 JR東海「CJR」ESSAY EXPRESにて掲載
河童のいる川

中村 元

 梅雨が明けて、ゴロゴロゴロと空が鳴ると思い出すやつがいる。子供の時に出会った河童のことだ。
 …夏休みだったと思う。その日はあいにく、悪友たちと決めていたいつもの集合時間に出遅れてしまい、みんながどこへ行ったのかわからなくなっていた。しょうがないから連中の行動の目算をつけて、ガード下の河原に向かったのだ。

 たいていの子供たちがそうであるように、私もそれなりに向こう見ずのようであって、実は小心者だったから、一人で川に入って泳いだり魚を獲ったりはできなかった。そのかわり、ポケットに突っ込んであった爆竹を取り出して、爆竹が砂に穴を空ける実験やら、何本でビンが割れるかという実験を始めた。
 そしてなぜかそこだけ曖昧模糊としているのだが、私は何かとてつもなく悪いことを思いついたのだ。どきどきしながら座り込んでその悪いことにとりかかっていた。

 しばらくすると、ドドーンと遠くで雷が鳴った。突然うそ寒い風が吹く。ふと顔を上げるとさっきまで明るかった広い河原がまぶしさを失っていた。空はいつの間にか真っ黒な雲で覆われている。
 ゴロゴロゴロ!背中で空が鳴った。びっくりして振り向くと、そいつがいた。空の真っ黒な雲が降りてきて人の形になったような色だった。顔は帽子のつばのように広がったザンバラ頭の影に隠れてよく見えない。

 でも私には分かっていた。そいつは河童なのだ。この川で悪さをしていると河童に連れて行かれると、小さい頃から聴かされていたから間違いない。私は声も上げずに逃げ出した。
 気が付くと、手に爆竹を握りしめて道ばたに立ちすくんでいた。そこに悪友たちがやってきた。大勢いれば怖くない、みんなで河童を見に行こうということになった。しかし勇んで河原に戻ってみるとそいつはもういなかった。ただ、そいつが居たあたりの石ころだけが黒く濡れていた……。

 考えてみれば、ほんの30年前はその辺の川のいたるところに河童がいた。祖父母の時代だと河童は人と相撲をとったり、美しい女にいたずらをしたりしてたらしい。でも今はとんとそんな話を聴かない。
 科学的に証明されないからだろうか?そうではないと思う。現に私は今も河童の存在を信じている。実際に見たのだものしょうがない。でも今、川を見ると、もうこの川で河童に会うことはないだろうとも思う。

 河童はコンクリートに囲まれた水路のような川には住めないのだ。いやたとえ住んでいたとしても、河原もなく悪さをする子供もいなくなった川には、河童は現れはしないものなのだ。
 先日、オーストラリアのタスマニアへ、カモノハシの水中撮影をしに出かけた。幹線道路を少しはずれると、うっそうとした林が覆い被さり、ごろた石がころがっている見事な川が姿を現す。「この川には河童がいる」私は直感的に感じた。
 川で石をひっくり返しながら遊んでいる子供たちに「カモノハシを見たことはあるか?」と聴いた。本当は「河童を見たことはあるか?」と聴きたかったのだ。
 そばかすの彼は、矯正器のついた歯でにっと笑って、「あるよ」と答えた。その瞬間タスマニアの空は急に暗くなり、ゴロゴロゴロと雷が鳴った。


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(C) 1996 Hajime Nakamura.