2001年げきじょう61号にて掲載
エリートアシカになる条件

中村 元

 二十一世紀の夜明け、ボクはホッと胸をなで下ろし、新世紀に生きられる喜びに一人うち震えていた。
 心配性のボクは、子どもの頃からノストラダムスの大予言なんかを頭のどこかで信じていたりして、ボクの二十一世紀はきっと来ないだろうと思い込んでいたのだ。 実に間抜けだったが、性格の違いは生き方やその結果にまで発展する。

 ボクは動物の中でもとりわけアシカの仲間が好きで、近くにアシカのコロニーがあると聞けば、必ず行って挨拶をしてくるほどなのだが、そこで出迎えてくれるのが、好奇心一杯といった顔をした1〜2歳の子どもたちの小グループだ。
 アシカたちは、生まれてすぐの頃から、近所に生まれた子どもたち同士が吠えあったり咬みあったりして、ボディーランゲージを覚える。 そう、ちょうど幼稚園の砂場で社会を学ぶみたいに。
 それを学ばないと、将来ハレムを奪い合うときに、無駄に戦って疲れたり、ごめんなさいを言えずに大怪我をして来年の希望さえもなくしてしまうことになる。

 そして、少し大きくなると、今度は小さなグループを作り、波打ち際や丘の向こうまで出かけたり、突然現れたボクを調べに来たり、冒険ごっこをするのである。
 たいてい、目をグリグリさせたいかにも大胆そうな顔のガキ大将が先頭を跳ねまわっている。 その後を、幾分警戒心を持っているらしい利発そうなのが立ち止まりながらやってくる。 そして一番後でへっぴり腰なのは、おどおどとした臆病な子だ。

 闖入者であるボクは強そうじゃないが、彼らにとってはひどく変な格好をした怪しい動物だ。 それにキラキラ光るレンズのついたカメラがさらに怪しい。 カメラを構え直すたびに、彼らは驚いてバタバタと転げ回るのだ。
 それでも子どもの好奇心は抑えられず、ついに手を伸ばせば届くようなそばにたどり着く。 もちろん、大胆、利発、臆病の順だ。
 そんな時、不意にフィルムが終わり、カメラがジャーという音を上げて自動巻き上げを始めると大パニックが起きる。
 まず利発そうなのが一番に異常を察知してバタバタと逃げる。
 その逃げる音に驚いて、大胆なガキ大将も身体を翻して走る。
 哀れなのは臆病な子だ。 逃げるみんなに跳ねとばされて踏みつけられて、気が付けば目の前にボクだけがいるのだからもう散々。 それから毛を逆立てて一番遅れて逃げていくことになる。

 きっとこんな風にして、彼らの性格は生き方そのものに発展していくのだろう。 大胆な子は益々大胆に、警戒心の強い子はますます強く、そして臆病な子は益々臆病に育っていく。
 当然、大胆な子は、ボディランゲージも得意だし、海に出るのも深く潜って魚を獲るのも早いから、経験も豊富でよく育ってハレムのエリート候補である。
 でもだからといって、大胆な子だけがハレムマスターになれるというわけではない。 彼らの住む海岸の多くには、子どもたちが海に泳ぎ出す頃を狙って、サメやシャチがやってくるのだ。
 平和な海では、臆病な子は一生繁殖に参加できないだろうが、危険な海に生まれたら、一番先に海に出て深く潜ろうとする大胆な子から食べられてしまい、警戒心の強い子や臆病な子しか生き残れない。 そしてほとんどの海が危険である。
 つまり、どんな性格や生き方だったら将来成功するかなんて、実は誰にもわからないことなのだ。

 間抜けにもノストラダムスの大予言を信じていた心配性のボクは、二十世紀の最後の十年間を、いつ死んでも悔いのないようにと全てのことに全力で取り組んでいた。 でもそのおかげで、ボクの二十一世紀はちょっと楽しくなりそうな気がしているのである。



「げきじょう」は、NPO法人子ども劇場全国センターの機関誌です。



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