同朋舎「GEO」にて掲載 1998年3月号
人喰い編−1−
ピラニアの水槽に手を入れる

中村 元


「人喰い」という呼び名には、他の凶暴さを表す言葉とは違う、なにか特別の戦慄を感じさせられる。そして「人喰い」の動物が現れるのは、たいして頻繁ではないにも関わらず、広く喧伝され、猛獣たちは必要以上に怖れられることになる。

ヒトは、大はクジラから小はクロレラ菌まで、手当たり次第に食べまくるくせに、喰われるという感覚には、大変な恐怖を覚えるのだから勝手なものである。
もちろん、ヒトが水の世界から離れることのできない動物である限り、海や川にも「人喰い」と呼ばれる動物は存在する。

さて、病原菌や吸血性の昆虫などを別にすれば、地球上の動物でヒトを専門的に餌としている生物は、皆無と言っていいだろう。だから「人喰いトラ」という場合でも、すべてのトラを指しているわけではなく、ヒトの味を知った特定の個体を指す。
ところが、その種全体が人喰いとして決めつけられているものがいる。そう、アマゾンの人喰い魚・ピラニアだ。

映画「緑の魔境」で、牛を一瞬のうちに白骨化するピラニアの群が紹介されて以降、活劇映画の悪党の根城に池があれば、そこには必ず腹を減らしたワニかピラニアが飼われ、運悪い下っ端悪党が悲鳴を上げながら喰われるというのは定番となった。それほどピラニアは「人喰い」として名前の通った魚だといえる。

確かにピラニアの顔には猛魚の相がある。鳥羽水族館で飼育されているナッテリーという種類は、中でも特に凶暴で数が多いと言われているが、鋭く大きいノコギリのような歯、三泊眼、スキンヘッドを思わせる額、ギラつく鱗と、人相はすこぶる良くない。サンパウロで観た30pもあるブラックピラニアの剥製は、死んでなお、威圧感のある迫力だった。

その上、弱った仲間を見れば、すぐに共食いを始めるのだから始末に負えない。しかしそんなことは日常茶飯事なのだろうか、体の片側の肉を削り取られ、二枚おろしのようにされてしまったピラニアを別の水槽に隔離したら、じきに肉が再生して元気になった。悪魔のごとき生命力も持ち合わせているのだ。

しかしあろうことか、私は飼育係の頃、ピラニアの水槽に手を突っ込んで水槽掃除をさせられたのである。理由はピラニアは他の大型魚のエサになっている魚だから、臆病なのだというものだった。

アマゾン川のクルーズで、アマゾン育ちの船員に聞いた話では、「ピラニアは普段は怖くなく、死体か死にかけた動物しか食べない。気を付けるべきは、乾季で水がなくなった川底などの水たまりに群れているピラニアだけだ」とのこと。そこに足を入れたら空腹のピラニアの群が狂ったように食らいつくのだと説明された。

次の日、私は水族館での経験と、その船員の言葉を信じて、アマゾン川に飛び込んで泳いでみた。狂ったようになったのは、止めろと叫ぶ同行していた日本人だけで、川も魚たちも実に穏やかだったのは言うまでもない。


鳥羽水族館情報

鳥羽水族館では、「ジャングルワールド」のゾーンに、ピラニアナッテリーが展示され、ご多分にもれず、水槽の中には獣のものらしい白骨が、沈められている。
最近、飼育係の指先が、餌と間違えられて削りとられたが、それにも関わらず、勇敢な飼育係たちは水中眼鏡をつけて、頭まで突っ込んで掃除をしている。運が良ければそんなシーンをご覧になれるかも。

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