同朋舎「GEO」にて掲載 1998年5月号
人喰い編−3−
人喰いスッポンの噂

中村 元

冬にスッポンと言えば体の温まるスッポン鍋、年輩の方には強壮剤を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれない。あるいは「噛みついたら雷が鳴るまで離さない」という伝承におそれをなす方もおられるだろう。
そう、スッポンには強烈で執念深いイメージがある。

そんなスッポンの中でも、王者の貫禄があるのがコガシラスッポンだ。なんせ故郷のクワイ川では「人喰いスッポン」と呼ばれているというのだから恐れ入る。
知り合いから、「人喰いスッポンが手に入ったのですが飼いませんか?」と言われたときには、思わずのけぞって笑ったが、写真を見せてもらって納得した。人の腕とスッポンのしっぽが同じくらいの太さではないか。

東南アジアのスッポンには大型種が多く、甲長数十センチなどざらにいるのだが、コガシラスッポンは群を抜いて大きい。日本で初めて鳥羽水族館にやってきたオスは、なんと甲長110センチ、長い首を伸ばせば全長2メートルにもなる個体だった。

やってきた早々に、ステンレス製の柵は壊されるし、それを止めようと出したデッキブラシは、ブラシの部分を噛みとられてしまった。その上普段は20センチほどしかない首は、驚くほど素早く長く伸び、餌の鶏頭を丸飲みする。担当者の一人は、その一撃で肘に傷を負った。
恐ろしく攻撃的なスッポンだ。こいつに指を噛まれたときには、雷が鳴る前に指の方が離れてしまうに決まっている。

なんでも、現地では小舟から落ちた赤ん坊が一飲みにされたとか、岸辺で遊んでいた子供が川に引きずりこまれたというような話があるために、人喰いスッポンとして恐れられているのだという。

ところがこのスッポンを公開するやいなや、タイの寺院の池には、甲長2メートルを越える大物が飼われているという噂や、中国の動物園で、畳二畳敷のスッポンを見たことがあるという御仁まで出現した。どうやらこの手の巨大話は、次々と噂を呼ぶものらしい。

現地の「人喰い」話も、あながち嘘だとは思えないのだが、そう頻繁に子供が消えていて、それがこのコガシラスッポンのせいだと分かっていたら、オオカミのように、とっくの昔に絶滅させられているだろうと思うのだ。

だいたい名前のコガシラとは、小さな頭という意味である。もちろんそれは巨体と比較してということで、ヒトの拳くらいなら一飲みにできるほど十分大きいのだが、赤ん坊を丸飲みはちょっと無理だろう。
でも、ジャングルに潜むこの巨漢である。謎めいた話がつきまとうのも、なかなかいいものではないか。

ところで、一つだけ謎でも不思議でもないことがある。それは、この人喰いスッポンが捕まると、スッポンスープにされて、ヒトがおいしくいただいているということだ。
きっとコガシラスッポンの世界では、ヒトは「スッポン喰い」として恐れられているに違いない。


鳥羽水族館情報

在鳥羽水族館に飼育されているコガシラスッポンは甲長90センチほどの、この主としてはまだ小振りの方ではあるが、スッポンの王者の風格は十分だ。
ただし残念なことに、公開はしていない。理由は、他のカメが多くて入れる場所がないからだ。土日に実施しているバックヤードツアーに参する機会があれば、ぜひリクエストをしていただきたい。
しかしくれぐれも、スッポンスープに持って帰ろうなんて考えは起こさないでほしい。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.