同朋舎「GEO」にて掲載 1998年6月号
人喰い編−4−
クロコのバッグ

中村 元

10年ほど昔、たった一度だけパリに行ったことがある。その時にお金持ちの女性から、「クロコのバッグ」とやらを買ってきて欲しいと頼まれた。どうせカードで支払うのだから、代金は後でいいよと言って、指定された店でそれを買い求めると、30センチほどの小さなハンドバッグには、なんと私の給料の3倍もの値段がついていた。(驚愕!)

そして私はバッグを手にして初めて、なぜそんなに高額なのか知ることになった。クロコとはクロコダイルの革のことだったのである。恥ずかしいことに私は、そんなことも知らずに、哀れなクロコダイルから剥いだ革で作られたバッグを買い求めていたのだ。

絶滅の恐れがあるからと、わざわざ養殖までして革を剥ぎ、生きている時の名前をそのまま商品名にするようなことを、ヒトは平気でする。
そんな酷い行為の片棒をかついでしまった私が、ワニを人喰いとして紹介せねばならないのは、実に心苦しいのだが、ワニ族の一部は紛れもなくヒトを襲う。特にバッグになっていたクロコダイルの仲間が、ヒトを含む大型動物を好んで襲うのだから、因果な関係である。

クロコダイルの仲間は、現存する最大の爬虫類であり、成長すると全長6メートル、時には7メートルを超える大物もいるらしい。
世界中の川や沼、そして海にまで広く生息していて、水辺に近づいてきた大型のほ乳動物などを襲う。特にイリエワニやナイルワニは、危険なクロコダイルとして知られている。

いかなる動物も、水がなければ生きられないから、ワニにとっては、常に千客万来と言ったところだろう。そしての中に例外なくヒトも入っているのである。
水牛ほどの巨大な動物であろうが、捕食性の肉食獣であろうが、かまわず襲いかかるクロコダイルにとって、ヒトはまったくだらしない獲物なのだ。ほんの一瞬のうちに川に引き込まれて、骨まで引き千切られるだろう。

そんなふうに子供をさらわれ、仲間が襲われたことのある人たちにとっては、ワニは許し難い存在に違いない。
しかしである、ワニが近所に住んでいない我々までが、ワニを冷血な人喰いだと信じているのは、あまりにも決めつけが過ぎると思うのだ。

昔から気になっていたのだが、動物と仲のいいはずのターザンでさえも、ワニとは仲が悪かった。
ところがワニだって、世の中に悪意を持って生きているわけじゃない。彼らは、卵や子を守り(なんと他人の子であっても守る種類もいる)、縄張り争いさえも尾を咬むだけで納得する。実に愛情豊かでジェントルな動物なのである。

ヒトはクロコダイルのバッグを手にするたびに、彼らの人生やら子供のことにまで気を回しはしまい。ならば、腹を減らして水辺でじっと待っているクロコダイルにしてみれば、獲物であるヒトの人生を考えている余裕など、それ以上にありはしないのだ。
 革剥と人喰い……。どうやら人喰いに分がありそうだ。


■鳥羽水族館情報
 「森の水辺」ゾーンに、アリゲーター科のミシシッピワニが居る。いずれもまだ2.5メートルちょっとだが、大きいものは6メートルに達し、人喰いの例もあるとのことだ。
 しかし、クロコダイルの仲間に比べれば、ずいぶんおとなしいワニであるらしい。同居していたミズオオトカゲとのエサの奪い合いで、魚をくわえた顎をその上から咬まれて顎を開けられなくなり、困った顔をしていたのが可愛かった。


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(C) 1996 Hajime Nakamura.