同朋舎「GEO」にて掲載 1998年7月号
人喰い編−5−
シャコが食べられなくなった方へ

中村 元

この水族館の嫌われ者たちのシリーズ、人喰い編ってセンセーショナルでいいじゃない!とおだてられて書き出したものの、よく考えれば水中の動物たちのなんとジェントルなことか。世の中に人喰い大ナマズとか、船を襲う怪物ダコとか、噂だけはあるけれど、どうも眉唾モノが多い。

かつて密林の王者ターザンが、巨大な人喰い貝(オオジャコだった)に足をはさまれてもがくシーンを見た私は、新婚旅行に行ったパラオのサンゴ礁で、結婚早々妻を未亡人にはさせられないとオオジャコを恐る恐る眺めていたが、シャコガイはゆっくり殻を閉じるし、そもそも肉を食べるような動物ではなかった。

実は海には、誰もがドキドキするそんな怪物たちよりも、はるかに人喰いな連中がいるのだ。こんな経験ってないだろうか?
お寿司屋さんで、シャコを旨そうに食べていると、ちょっと意地悪な友人が言い出すのだ「知り合いがダイバーなんだけどね、ある時水死体を見たら、シャコがびっしりと取り付いていたらしい。それから彼はシャコが食えなくなったっていうよ」たいていの人は、その話しを聞いたとたん、当分シャコを食べたくなくなる。
 
私も最初に聞いた時には、シャコが食えなくなった一人だ。でも、そんな話し一つで好きなモノが無くなるのは悔しいと、よくよく考えてみることにした。聞くところによると、ヒトというのは死んでもしばらくは浮いているらしい。でも浮いているうちにどこからかカニがやってきて取り付き、魚がやってきて突っつき始める。そこからすでに実に素早く人喰いは始まるのだ。
そして海底に沈むと、シャコや様々なカニ、そしてバイガイなど肉食の貝などの底性の動物たちが群がる。もちろん魚はどこからでもやってくるだろう。イシダイやカワハギなどはなんでも突っつきたがるから、ヒトの死体を見たら大喜びに違いない。それから、海底に沈んだ体は、ガスが溜まって再び浮いてきて……。ああ、これ以上は書いている私が気持ち悪いのでもう止めよう。

しかしどうだ、シャコがヒトを喰っていたかもしれないという理由で、寿司屋のシャコを食べられない人は、ワタリガニもバイガイもイシダイさえも食べられないではないか!
ヒトだって、死んでしまえばただの肉体。かりに肉食動物に食べられなかったとしても、分解されれば土に帰り、それを養分として植物が生える。その植物を食べる動物がいて、その動物を食べる者の中にヒトもいる。いや、直接植物の実を食べている場合だってある。つまり、我々も本来は食物連鎖の輪に入っているのだ。そう考えると、役にも立たない灰になってしまうことの方が、よっぽど理にかなっていないのかもしれない。

でもここまで言っても、やっぱりシャコを食べられない方は、きっとその悔しさで、横に美味しそうにシャコを食べている友人がいると、同じ話しをするのだろう。そうやって、この話しはまた新たなシャコ嫌いを増やしていく。ただの人喰いよりも死体喰いの方が恐ろしく感じるのもまた、ヒトだけの特徴かもしれない。

■鳥羽水族館情報
ヒトを喰うシャコというよりも、ハサミを使ってなんでも食べるシャコやカニの仲間はたくさんいる。シャコやカニのハサミは肉をちぎって食べるのに適している。ハサミといえばタスマニアオオガニなどは体重10キロ超に巨大なハサミを持っていて、よく人喰いガニと呼ばれなかったものだと思う。もちろんエサは他の動物と同じようにアジの切り身を与えている。

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(C) 1998 Hajime Nakamura.