1998年光琳社出版 「海の散歩」にて掲載
アシカに戻るとき
中村 元

私はアシカと過ごすのが好きだ。海外に出かけて、近くにアシカだかオットセイだかの営巣地があると聞けば、必ず写真を撮りに立ち寄る。
コロコロとした子供のグループが近づいてくると嬉しくてたまらないし、母親が子供をかまっているのも微笑ましい。時折、癖のよくない奴に、追いかけられたり咬みつかれそうになったりするのだが、それも楽しくてしょうがない。

かつてアシカショートレーナーとして幾度となく彼らに咬まれた経験のある私には、いつの間にかアシカの血が流れているらしいのである。
いきさつを述べると長くなるので、「行きがかり上」ということで片づけるが、私が水族館で仕事をするようになったのは、まさしく行きがかり上仕方なかったからだ。

だから海や動物に興味を持っていた訳でもなく、ましてや魚類学とか獣医になる学問とかを勉強したこともなかった。そんな訳で、魚類の名前を覚えるのも、ややこしい無脊椎動物を理解するのも面倒だった私は、迷わずアシカショーチームを選んだ。
なんと言っても、アシカたちは私の好きな犬に似ていたし、アシカチームの担当にはペンギンの飼育も入っていたのだ。犬と手乗り文鳥なら何度か飼ったことがある。アシカとペンギンなら、自分にだってなんとかなるだろうと思っていたのだ。

そしてもう一つ、物言わぬ動物たち相手に黙々と世話をする飼育係の仕事の中で、アシカショーはいかにも華やかだった。そこには昔テレビで観た密林の王者ターザンや、わんぱくフリッパーの世界があった。
動物と心を通じ合わせ、時には言葉を交わすことができるアシカショートレーナー。動物がさほど好きではない私にとっても、それは魅力のある仕事だといえた。

しかし、現実はえらくひどく違うものだった。
犬はヒトから誉めてもらうだけで喜ぶ動物である。主人たるヒトにかまってもらえることを無上の喜びとしているのだ。そしてそれは、彼らがヒトの友人としての長い歴史を持っているからに他ならない。
もちろんところが、野生のアシカには、そんな気持ちの欠片もない。

それに気付かされたのは、配属1日目のことだった。水族館で生まれたという可愛い子供のアシカに、「やあよろしく」と差し出した手を、思い切り咬まれたのである。
それからというもの、私の手や足、はては尻や顔にまで、咬まれ傷の絶えることはなかった。先輩が横にいる間はいいのだが、一人の時にはやたら咬まれる。彼らは餌の出し方が悪いと言っては咬み、機嫌が悪いからと言っては咬み、隙があったからと言っては咬む。

咬まれていてはトレーナーなど務まらないから、咬まれたらぶちかえすよう先輩に言われているのだが、ことはそんなに簡単ではないのだ。
彼らの攻撃は、あまりにも素早い。首をムチのようにしならせて、バン!と叩くように咬んでは、さっと身を引く。叩くように咬むから、手には牙の跡が穴になって残り、周りは打ち身でズキズキと数日痛む。
痛あ!と思ってぶち返そうとすると、もう彼らは私の手の届くところにはおらず、知らぬ顔で今にも口笛を吹かんばかりなのである。

しかし間抜けな私も、彼ら同士のケンカを見ているうちに、咬まれたら次の瞬間には、相手を咬んでいないとダメなことに気がついた。私も同じように咬まれた瞬間にぶちかえして、後から痛さを噛みしめればいいのである。それに気が付いてから、私にもめでたく反撃をすることが出来るようになった。

それから突然、嘘のように彼らは私のことを認めてくれるようになったのだ。しかしそれは、トレーナーとして認めるというよりは、私を一個人として認めるという感覚だった。
相変わらず彼らは私を咬む、しかしやたら咬むのではなく、意志表示をするという咬み方に変わった。私の出方をうかがっているようでもある。私の喜怒哀楽も伝わっているようだ。
「このやろ、ぶつぞ」と思っていると、妙に気を使い始めるのが分かる。私の機嫌が悪いとそわそわし始める。
私の方もまた、アシカたちの考えていることや性格などが分かってきた。そろそろ咬んでくるな……とか、こいつはちょっと臆病らしい……とか、それなりに察知できるようになったのだ。

アシカにとって、相手を咬むことができなければ一人前ではないのである。しょっちゅう咬み合いをして自分の存在やテリトリーを主張しあっている彼らにとって咬むことは会話と同じ。だから相手を咬むことのができなければ、文字通りお話にもならないのだ。

アシカたちのいる海岸に行くと、必ず同じ年頃の子供たちが、数頭のグループを作って遊び回っている。カメラを構えている私に、向こうから近づいてくるのは、そんな子供たちのグループだ。
その中には、ガキ大将もいれば臆病な者もいて、見事にヒトの子供と同じ社会をつくっている。冒険好きのガキ大将は、他の連中を追いまわしたり、咬み合ったりしながら、みんなをそそのかして徐々に私に近づいてくるのである。

そして手も触れんばかりになったところで、突然誰かがおびえて逃げ出す。そんなとき一番機敏なのもガキ大将、遅れてしまうのは、気の毒なことにびっくりして転んでしまう臆病な奴である。
こうして彼らは、会話を覚え、自分の性格を作っていくのだろう。冒険好きの者は大胆に生き、臆病な者は注意深く生きる。どちらがいいとは限らない、人生色々だもの。会話のあるアシカたちだから、性格の多様性が現れ、それが結果的に、いろんな困難を乗り越えて群を維持してきたのだろう。

そして、アシカと対等に咬み合いができるようになった私も、そんな仲間に入れてもらったのである。
だから私も、一つのアシカ人格を持たねばならない。いつも同じ態度で接するのだ。毎日違う価値観をもった人格では、彼らもとまどうに違いないのだから……。とはいうものの、ヒトが単純な人格を保つのはなかなか難しいものだと知った。

朝から妻と口論をしてきた日には短気になり、悩み事があるときは無関心になり、ボーナスの出た日には突然気前よくエサを上げてしまう。それは人情というものだろう?と言いたいが、アシカたちには分からない。そんな感情の変化を読みとって、戸惑い、慌て、パニックに陥り、ショータイムは大失敗。くそっ、獣にヒトの精神が分かるもんか!

でもたぶん逆なのだ、彼らは、「アホだなあお前、そんなこと大したことじゃないじゃないか。今日も生きていて、エサを食べられて、自分がここにいることが一番大切なことだよ」と、私に言い聞かせようとしているのに違いない。
こうしていつの間にか、アシカにショーを教えるはずの私は、アシカに哲学を教わっていた。生きることと、自分の存在を確かめること、それが最も大切なことなのだと……。

今も、複雑なヒト社会と、やっかいな感情の渦に疲れたとき、アシカたちの海岸で、私はあの頃のアシカに戻ることができる。そして私に流れるアシカの血は、確実に自分の存在を取り戻させてくれるのである。

この文章は、光琳社出版から出版された「海の散歩」の第一章「ショータイム」の巻頭に掲載されたものです。


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(C) 1996 Hajime Nakamura.