1998年:月刊ミュゼにて掲載
ミュージアムの本『水族館の本』
これは、月刊ミュゼの「ミュージアムの本」の紹介
水族館編のために書いたものです。
中村 元

 近年になって、少しばかり熱狂的な水族館ブームというのがあったために、かなりの数の水族館に関する本が出版されたのだが、その中から「ミュージアムの本」という枠組みをつけて紹介しようとすると案外難しいものだ。
 なぜなら出版された本の多くが、全国の水族館ガイドブック的であったり、どこかの水族館の楽しい飼育裏話であったりして、水族館の博物館としての在り様を伝えるものではないからである。

 おそらくそれは執筆者のせいではない。この国のほとんどの人たちが、水族館が博物館の一形態であるなどとは信じてはいないのが原因なのだ。そして、その存在意義や展示方法を研究してみようと考える読者に至っては、あまりにも少なすぎるのだ。小論やエッセイならばともかく、水族館ブームに便乗して本を売るには、ガイドブックや裏話の本を出版するのが、実にまっとうなやり方なのである。

 しかし、最近思わぬところで、水族館のことを真剣に研究された方が書かれた本に出会った。それは「青い水族館の惨劇」川田弥一郎著(祥伝社刊)、なんと推理小説である。アフロディア水族館という物語上の水族館で次々に起こる殺人事件がストーリーとなっているのだが、その登場人物たちの会話が実にミュージアムの本的なのだ。現代の水族館が、好むと好まざると持たされている、博物館とアミューズメント施設としての二面性。そしてその間で揺れ動きながら、己を確立しようとしている水族館の苦悩がよく現れているのである。

 著者の川田先生が、水族館を舞台にした小説で、よりリアリティーを出すために水族館について渋々研究せざる得なかったのか、あるいは元々興味を持っておられて、水族館の在り様を追求することも目的だったのか、筆者には知る由もないが、おかげで現代の日本の水族館というものが客観的に捉えられた、唯一の本ができあがったのである。

 名誉なことに参考文献の一覧には筆者の「水族館のはなし」(技報堂出版刊)も記載されており、そのせいか水族館が自然科学を追求する博物館であると言い切るアフロディア水族館の副館長の言葉には、相通ずるところがあり、ウンウンと同調してしまう。
 と、さりげなく拙著を紹介する振りに持ってきてしまったのであるが・・・。筆者は「水族館のはなし」の中で、水族館は自然史系の博物館でありながらも、その展示形態は美術館に限りなく近いものであると述べている。

 画家のパウル・クレーは「芸術は目に見えるものを再現するのではない。目に見えるようにするのだ」と言った(これも美術館で見つけたのだが)。それはまさに水族館の水槽の一つ一つのことである。芸術家の能力はオブジェへの優れた理解力によって決まり、水族館展示者の能力は自然に対する深い理解力によって決まる。画法や展示方法は表現するための技術にすぎないと思うのだ。
 つまり動物の可愛らしさを追求することや、水槽の巨大さや奇抜さを競い合うことなどは、博物館としてはあまり意味のあることではない。展示意図がきりりと明確で、その裏付けが安心できるほどにしっかりしていることの方がむしろ重要なのである。

 現在、鳥羽水族館の機関誌「T.S.A」において、博物学者であり作家である荒俣宏先生に、「荒俣宏の水族館史夜話〜うたかたの夢〜」(現在15話)を連載していただいているが、それを読めば、1815年にイギリスで世界初の水族館展示が行われてから延々と、水族館の歴史は学者たちの飽くなき水中世界の追求であり、それを一般市民の”目に見えるようにする”膨大な努力の賜物であったことがよく分かる。
 海を見せたい、生命の真理を知らせたい、地球の在り様を感じさせたい・・・という多くの学者たちの鬼気迫る魂が、わずか200年弱の間に、水族館という新しい形態の博物館をここまで成長させたのである。
 もし荒俣先生の連載がまとめられて、一冊の本として上梓されていたら、本コラムで紹介するのに最もふさわしい本であったに違いない。


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(C) 1996 Hajime Nakamura.