ニュージーランド・ペンギン街道/THE CARD

NewZeaLand ペンギンの時間の中で。
ダイアモンドプレス THE CARD Travel & Resorts 2000年増刊秋号に掲載



これは私の、初の旅行記者経験。とても楽しい仕事でした。
ここでは私の写真ですが、T&Lでは、検見崎 誠さんのすごい写真です。


ニュージーランド固有種のキガシラペンギン












ニュージーランド。
南島の海
ペンギン街道を行く

 ペンギンはどうして直立歩行をするのか? それは、泳ぎたかったからだ。 水中を泳ぐには、体が真っ直ぐで、推進機関である脚は真後ろについているのがいい。
 紡錘形の尻にスクリューのついた潜水艦の形。そんな体型の鳥が陸上に上がると、二足歩行のバランスをとるために見事に直立歩行となる。

 かくして、ペンギンはヒトと並んで、世にも珍しい直立歩行の動物となった。 おかげでペンギンは子供たちに愛され、水族館の人気者であり続け、そして私はニュージーランドのペンギン街道にやってきたというわけなのである。

 ニュージーランドはペンギンの国だ。 この国が領土とする島々には、現存する18種類のペンギンのうち6種類が生活し、そのうち2種類がニュージーランド固有種である。
 さらに、ペンギンの化石種が最初に見つかったのもニュージーランドなら、最も多く化石が見つかっているのもニュージーランド。 世界一のペンギンの国と言って過言ではない。

 ただし、数はそう多くはない。 どこからかやって来た同じ直立歩行のヒトに、棲家の森を牧草地に変えられてしまったからだ。
 ペンギンたちは、南島の南端に開発から取り残された原生林と、沖合遠く離れた小島、そして一部の人々の良心によって残されたほんのわずかな海岸に、細々と生きているのだ。
 ペンギン街道はそんな人々の心を巡る街道だった。

ボランティアに守られたタイアロア岬

 翼を広げると3メートル、時速120キロで飛ぶロイヤルアルバトロス(シロアホウドリ)は、その大きさのせいで、自力で飛翔することができない。 高い崖から飛び降り、風に乗って滑空するのである。

 飛ばない巨鳥モアが絶滅したように、飛び立てないアルバトロスも、ヒトや他の動物による圧力を受けやすく、普通は絶海の孤島にしか住んでいない。 ところが、ダニーデン市街から33km、オタゴ半島の先端タイアロア岬では、その勇姿を見ることができるのだ。

 タイアロア岬は、オタゴ半島トラストという非営利組織によって、サンクチュアリとして管理されている。 岬にはトラストが建設したロイヤルアルバトロスセンターがあり、専門家の案内で彼らの営巣地を観察することもできる。

 観察小屋から双眼鏡で覗くと、間近にアルバトロスの白い横顔が間近に見えた。 風に向かってたたずむさまは哲学者の風貌である。
 アホウドリなどと名付けたヒトの語彙の貧しさに心が痛む。

 アホウドリとは、この鳥の羽毛を羽根布団にしていた時代、阿呆のように殺されるからと付けられた名前だ。
 それほどに敵を知らずに生きてきた育ちのいい鳥だから、ヒトだけでなく、ヒトによって持ち込まれた犬や猫、イタチ、テンなどの捕食動物にも、雛や卵を強奪された。

 トラストは、そんな障害を少しでも取り除き、この優雅で美しい鳥を保護するとともに、半島一帯に生活するブルーペンギンやニュージーランドオットセイの未来のために活動を行っているのだ。

 トラストには、世界的に有名な鳥類学者、故L.E.リッチデール博士の精神が受け継がれている。
 リッチデール博士は、農学の講師をするアマチュアの研究家だったが、この岬最初のレインジャーとして、ヒトに追い出されていたアルバトロスを再び呼び戻した。 さらに彼はペンギンたちの保護に情熱を傾けて、後にペンギン生物学の基礎を築いたのである。

 博士は、第二次世界大戦中にさえも、海岸の監視所から双眼鏡で日本軍の襲来ではなく、ペンギンの様子ばかりを観察していたという。
 博士の存在無くして、今日のペンギン学も、オタゴ半島の野生生物保護も語ることはできない。
 ニュージーランドには、博士のようなアマチュアの専門家が多く存在し、それぞれ大きな実績を上げている。 

 ロイヤルアルバトロスセンターからの帰りがけ、岬を海から見上げる船に乗った。
 オットセイたちが、とろんと昼寝をする海岸の前を通り、岬の下に船が停泊すると、断崖絶壁のはるか上にアルバトロスの巣を見上げることができた。
 さきほどよりも風が強くなり、船はうねりと波に酷く揺れるが、おかげで何羽ものアルバトロスが大きな翼を開いて飛び立っている。 何度か船の近くまでやってきてくれた。

 やっぱり、ヒトは鳥に見下ろされているのがいい。 この身もすくむような断崖絶壁と荒れる海では、翼を持った彼らこそ主人公なのである。

タイロニア半島





ロイアルアルバトロス
和名では、シロアホウドリ。




アルバトロスは風がないと飛べない。
でも、飛べば大きくて格好いい。






絶滅したモア。
めっちゃ大きいよ。




















これが、とろんと昼寝するオットセイの図



オアマルの港の倉庫裏
ニュージーランドならではの動物交通標識
ペンギンの絵のセンスがちょっと外国っぽい。









崖を登りきって、広場を横断しようとするブルーペンギンたち
平地を歩くときには、腰がまがっているので、つんのめって走っているみたい。




ブルーペンギンの雛。
親の帰りを待っている
小さなペンギンの行進に幸せを感じる

 夕刻、ブルーペンギンコロニーに向かう。 ブルーペンギンとは、オーストラリアからニュージーランドにかけて広範囲に生息する、最小のペンギンの一亜種である。
 早朝に海に出かけ、夕暮れとともに群れをなして海岸に帰ってくるのが日課で、海岸から巣までの行進はペンギンパレードとして有名だ。

 目指すコロニーは、オアマルの港の倉庫裏を通った突き当たりにあった。 ずいぶん俗化したところに住んでいるものだ。倉庫の横に立つ「ペンギン注意」の交通標識だけが、無理矢理雰囲気を醸し出そうとしているかのようだった。
 実は、小型のブルーペンギンは、波が穏やかで比較的浅いところで採餌するから、港を求めるヒトと接して住んでいることが多いのだ。 ヒトが後から来て港を作ったのであり、ペンギンが俗化しているというわけではない。

 階段状の観察スタンドの左手が海で、10メートルほどの崖になっている。 一段と暗くなった頃、崖の下に最初のグループが戻ってきた。 魚が跳びはねるようにパシャパシャと不器用に上陸する。

 ブルーペンギンは、少し前屈みなスタイルなので、崖を登るのに危なげがない。一列に並んで軽やかに崖を登りきる。
 ところが、彼らはそこで固まってしまうのだ。岩陰から広場に出ていくのをためらっているらしい。
 グーグーと鳴きながら、前にいる奴を押し出そうとするが、それでも動けない。 広場の奧の林では、雛の声がピーピーと高くなる。親が帰ってきたことを知って腹が減ったと訴えているのだ。
 その声に引っ張られたのか、一羽がつんのめるように前に走り出た。 するとそれに触発されるかのように、みんながバラバラと走り始める。 家路に急ぐ姿は愛らしく、凍えた体を幸せな気分にさせてくれた。

 ブルーペンギンは、一年中営巣地から離れない。そのために、ペアが毎年継続されることが多いペンギンの中でも、特に絆が強く離婚率は毎年18%程度である。
 そのおかげで、コロニーでは通年通して観察イベントを行うことができる。

「昨年は2万3千人のゲストが来た」と、スタッフは胸を張った。 日本には、その程度の人数なら一日で集客する施設はいくらでもあるが、ここでは人数が大切なのではない。
 ペンギンたちのコロニーを保護するための収入があり、理解をするヒトが増えればいいのだ。 その数字に、彼らのペンギンサイズの満足感を感じた。

美しくシャイなペンギンたち

 まだ薄暗い早朝、朝靄に煙った牧場を歩き、広い砂丘の海岸に出た。 そこから起伏のある砂丘を縦断する。 牧場の車止めから歩き続けること小半時間、やっと小さな小屋に着いた。
 小屋に細く開けられた窓から、崖を降りて海に向かうキガシラペンギンを観察する、サンシャインペンギンウォークと称されたツアーだ。

 キガシラペンギンは、頭に黄色のメッシュの入った美しいペンギンで、光るようなレモン色の目を持っているので、ここではイエローアイと呼ばれている。 数が少ない上に、とてもシャイなペンギンだから、こうして遠くから観察するのである。

 崖の上に、キガシラペンギンが顔を出す。 まわりを見渡しながら、ゆっくりと海岸に降りて行くのだが、姿を現してから海に入るまでは、もどかしいくらいに何度も立ち止まる。
 早朝から砂丘を歩き続けるという実にたいへんな思いをして、そんなもどかしいペンギンを3羽見たらもう帰る時間だった。

 このツアーは、ドイツから移住してきた夫婦によって運営されていて、一回の参加者は6名まで、体力に自信のある人に限られている。
 実にタフなツアーだが、本来、野生の生物に会うにはそのくらいの覚悟が必要だし、それによって得るものも大きい。 そして、そんなツアーを運営している人がいることに感激した。

 それでも、やっぱり体力的に心配という方には、オタゴ半島のペンギンプレイスがお薦めだ。
 海岸に面した農場の一角を、キガシラペンギン、ブルーペンギン、そしてニュージーランドオットセイのために開放してサンクチュアリが運営されている。

 シャイなキガシラペンギンも、ここでは鼓動が聞こえてきそうな間近で見ることができる。 地面に掘られた塹壕のような道に隠れて、ペンギンの目の高さで観察できるのだ。
 元来は木立の影を使い、他のペアから見えない場所でしか営巣しないキガシラペンギンのために、三角屋根のペンギン小屋を点在させてあるのが少々白けるが、ここでは繁殖の手助けが第一義に考えられているのである。
 さまざまな人たちが、それぞれの信念に従って、このシャイなペンギンの保護を実行しているのだ。

サンシャインペンギンウォークの海岸。
砂が柔らかくて、毎日歩いていたら甲子園に出られるくらい。



いちおう看板があったし、途中でペンギンに会うこともできた。









ペンギンプレイス。
こんな風に、トンネルが縦横無尽に掘ってある。
昔の鳥羽水族館にも、こんな水槽があったっけ。



ペンギンプレイスのペンギン小屋で、雛ときっと母親。


夕暮れになると、キガシラペンギンたちが帰ってくる。
ひどく慎重で、なにか気に入らないとまた海に戻っていく。



崖の上に立って、海を眺めるキガシラペンギン。太陽にほえろ!みたいですごくカッコいい。
ここから、まだずっと先の山へ登っていく。



カトリングコーストツアーで出会ったアシカの雄。
みんな威圧感があって、けっこう恐い。



こっちは、メスか子供のオットセイ。
ペンギンになって海を眺める

 ダニーデンを少し南下した街カトリング。 まだ明るい夜8時、私たちは壮大な緑の牧場を横切って海岸に出た。

 ブッシュに隠れて少し待つと、一日の漁を終えたキガシラペンギンが一羽また一羽と波打ち際に立つ。 翼を大きく広げて水を切ると、ペンギン特有の首を傾げる仕草で周囲を検分する。 しばらくすると納得したのか、海岸を山手に向かって歩き始めた。

 途中で何度も立ち止まる。 ブッシュに隠れる私たちの目の前では、何か気に入らないらしく立ち止まって、しきりに首を傾げ聞き耳を立てた。
 水中での視力を重視しているペンギンは、陸上ではひどい遠視なのだ。 だからその分耳がいい。 あまりの近さに、シャッター音を立てることもできず、私たちも固まった。

 ようやく、正面の崖にたどり着くと、登山道を登り始める。 ペンギンたちが何万回も通っただろう小径は、行く手に茂ったブッシュに、彼らしか通れない小さなトンネルが口を開けていることで、ペンギン道だと分かる。
 トンネルに入ってしばらくすると、崖の頂上に再び現れて満足げに海を眺めた。 そこは海面から4階建てのビルの屋上ほどの高さがある。 ここからさらに遠くの巣を目指して帰るのだ。 どのペンギンも、この場所で海に向かい遠くを眺めていたのが印象的だった。

 翌日のカトリングコーストツアーで、私たちはこのペンギンたちと同じような思いをすることができた。 海岸のツアーは目に映るよりも距離が長く。砂浜もブッシュも歩きにくい。

 途中の砂浜では、ニュージーランドアシカのオスたちが、ガンを飛ばしあっている。 そこを遠慮がちに通り抜け、断崖絶壁の頂上に立ち海を眺めると、なぜかしら大きな満足感と幸福感に包まれた。
 ここにはペンギンの時間が流れているのだ。 昨日の崖の上のキガシラペンギンに、自分が重なっていく。

 サンクチュアリを運営する人たちには、常にこの時間が流れているのに違いない。 彼らの暮らしは、まるで社会からドロップアウトしているようなのだが、ペンギンの時間で見れば、そんな暮らしこそが生きる者たちの本当の生活なのだ。

 空飛ぶ鳥から泳ぐ鳥へと進化を成し遂げ、今は頑固にスタイルを崩さないペンギン。 それと同じように、レインジャーたちの生活は、頑固なまでに、自然環境と生きることを見つめ、少しずつ社会を変えようとしている。

 ヒトによって棲み家を奪われたペンギンたちは、今このペンギン街道で、ペンギンのように暮らす人々と時間を共有しながら、未来へのかすかな希望を遠く眺めているのである。

この雑誌は、DCゴールドカードを所有の方に配布されている旅雑誌。
私を使ってくれた、ダイヤモンドプレスの富田美子さんに感謝です。

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(C) 2000Hajime Nakamura.
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