続「大変革夜明け前」1998名古屋JC-TIMES連載
1月号
「タコのジェーシー」
不連続の連続をやっているだろうか?
著:中村 元(地球流民)
「不連続の連続」

著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭)



タコのジェーシー
不連続の連続をやっているだろうか?

地球流民 

 
 そのあたりの磯では、誰かが岩場を仕切ることになっていた。あっちの岩場、こっちの岩場、それぞれの岩場を暮らしやすくするために、岩場の主が必要だったのだ。
 タコのジェーシーは、手八丁の多いタコの中では珍しく口八丁の男だったので、魚たちに期待を寄せられて、彼の育った岩場の主となった。

 彼は就任演説で言った。「この岩場は暮らしにくい。先進的な岩場を見習おうじゃないか!」そして暮らしやすいと評判のいい近所の岩場に視察に行き、その岩場の主たちに、岩場づくりの秘訣を聞いて回った。
 岩場の掃除対策、人間どもの釣り師対策など学ぶべきところは多く、魚たちはタコのジェーシーの緻密な報告に、大変満足をした。
 ジェーシーは嬉しくなって、今度はさらに遠くの磯に出かけて、新しい情報を仕入れてきては次々に報告した。彼らの岩場はちっとも改善されなかったが、それでも精力的に回るジェーシーにみんなは満足していた。

 やがて交尾の季節がやってきた、そこかしこで雄ダコたちが競い合い、雌ダコに必死でモーションをかけ始めていた。しかしジェーシーは他の雄ダコと争うのも、雌ダコを口説き落とすのもおっくうだった。
 そこでジェーシーは宣言した。「僕はみんなが仲がいいのがいいんだ。それにまだこの岩場を暮らしやすくする議論が終わってないから、結婚は来年することにするよ」
 魚たちは、ジェーシーはなんて大人なんだと、口々に称えた。

 実は問題もあった。この岩場はいつも汚くて病気で死ぬカニが増えたし、釣り師対策が出来ていないので仲間がしょっちゅう釣り上げられていく。でも、立派なジェーシーなら、きっといつか解決するだろうと、岩場のみんなは思っていたのだ。
 ところが凍える冬になった頃、頼りのジェーシーは突然顔を見せなくなった。心配した魚たちは彼の蛸壺に様子を見に行った。

 なんとジェーシーは息も絶え絶えになって、死にかけていた。考えてみればタコの寿命は1年だったのだ。
 彼はしかし立派なタコだったから、ほほえみながら言った。「僕はもう死ぬよ、でもやることはやったんだから本望だ。後は後任に任せることにする」

 次の年、ジェーシーの後任は現れなかった。彼が子供を作らなかったからだ。結局今度は手十丁口十丁のイカが主になった。
 彼はみんなに言った。「この岩場はひどい有様だ。僕はまず近所の岩場を視察してくることにするよ」
 そしてまた、新しい一年が始まった。
 (おしまい) 



不連続の連続

村岡 兼幸 

 「JCっていったい何するところ?」それは一言では答えられない、とても難しい質問です。JCの持つ多様性こそが、JCの特徴でもあるからです。
 しかしあえて答えるならば、社会に対して青年として堂々と意見を表明する、場合によっては具体的な行動をしてみるということであろうと思います。
 だから私は、所信というものをメンバーに対してはもちろんのこと、社会に対して、市民を意識して書いてきました。

 JCの用語に「不連続の連続」という言葉があります。もちろん単年度制であるJCのデメリットを克服するための概念ですが、それだけではありません。
 JCの40才卒業という組織文化の中では、この単年度制が、デメリットを補って余りあるほどのメリットをもたらすからこそ、続いている形なのです。
 一見不連続のように思える事業や運動を、連続性のあるものにしていこうとする努力やプロセスが、運動の理念を探求し、真のデモクラシーを生み出します。

 私は、由利本荘JCの理事長であった8年前から、一貫して、社会に意見し行動するというスタンスをとり続けてきました。会頭になったから、急に新しい考えを打ち出したのではなく、自らの活動の延長線上に会頭所信をつくったのです。
 そして、新たな1年間の経験をふまえて、自分の考え方を社会に発信するために、さらに次の運動、次の自分に環げるために、「大変革夜明け前」という本を出版しました。
 しかし私の活動はまだまだ未完成です。なぜなら、大事なことは、その考え方をいかに地域社会で、私が、仲間が、実践していくかにかかっているからです。私の心の中では、「メダカたちのデモクラシー」は、今も連続しているのです。

 ところで、鈴木理事長は私とは全く違う道を歩みながら、所信を書かれました。しかしそこにある「社会に意見する青年であれ」という呼びかけは、私が常に追い続けてきたものと強く共鳴しています。
 別々の時間と空間で、それぞれの立場で接点の無かったもの同士が、全く同じスタンスを持つにいたっていたということです。
 それはJCという総体の中では、ある意味で、時空を越えた不連続の連続とも言えるでしょう。
 そしてそれはどこかで手を結ぶものなのです。現にこのコラムでは、「メダカたちのデモクラシー」の仲間である中村元さんが、寓話の部分を担当するとのこと。酒井委員長が中村さんと私を、そして鈴木理事長とを環げてくれ、不連続が連続を呼んだのです。

 JCの不連続の連続たる運動上で、一人一人が、また一つ一つのLOMが光り輝きながら、環がり、社会にゆらぎを与えることになることを、私は信じています。
(了) 



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(C) 1996 Hajime Nakamura.