続「大変革夜明け前」1998名古屋JC-TIMES連載
2月号
「ピノキオの成功」
目的はなんだったのか?
著:中村 元(地球流民)
「誰のため、何のため?」

著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭)



ピノキオの成功
目的はなんだったのか?

地球流民 

小山のようなクジラに呑み込まれたピノキオの目の前に、思いもかけない顔がありました。「お爺さん、ベゼットお爺さんだね!」「おおっ、そこにいるのはピノキオじゃないか!いったいどうしたというんだ?」

ピノキオを捜して旅に出たベゼット爺さんは、乗っていた船が嵐で沈み、同じクジラに呑み込まれていたのです。
「ベゼットお爺さん。二人でここを脱出しよう。脱出したら、ボクの体は木でできているから、お爺さんをおぶって泳いでいけるよ。でも作戦を立てなくちゃね。」

しばらく考えた後、ベゼット爺さんが妙案を思いつきました。「このクジラはきっと、やさしいヒゲクジラじゃ、喉をくすぐれば大きなくしゃみをするに違いない。くしゃみと一緒に飛び出せばいいじゃろう。」

 しかしピノキオは反対しました。「だめだよ、このクジラはマッコウクジラかもしれないじゃないか。マッコウクジラには大きな歯があるから、勢いよく飛び出したりしたら、歯に刺さってボクたちは穴だらけになっちゃうよ。」
再び二人は考え込んでしまいました。

「そうだ!いい考えがある。」ピノキオが言いました。「そのロウソクの火で、お腹の中をあぶってやるんだ。マッコウクジラなら怒って暴れるし、ヒゲクジラなら水を飲み込んで冷やそうとするよ。」
「でも、ピノキオ・・・・」ベゼットが止めようとするのも構わずに、ピノキオはさっそくロウソクの火で天井をあぶり始めました。

すると、『ぐあ、熱ジジジジ・・・』天地がふるえるような声が轟くではありませんか。そのとたん、洪水のような海水がゴゴゴーと音を立てて、流れ込んでくるできました。
あっと言う間もなく、ロウソクの火はかき消され、ピノキオたちはクジラのお腹の奥深くまで流されてしまいました。

狭くて身動きもとれない暗闇で、ピノキオは得意げに言いました「ほらお爺さん、ボクの作戦は大成功だ。これでこのクジラは、ヒゲクジラだっていうことが分かっただろう?」
ベゼット爺さんは小さな声で応えました。「ヒゲクジラと分かっても、これではもう、喉をくすぐることはできないよ、ピノキオ」

でもピノキオは満足げです。「ベゼットお爺さん、一つ一つ確かめることは大切なことなんだ。ボクたちは今、それをやり遂げたんだよ。」
溶けかかってきた足を見ながら、ベゼット爺さんはタメ息をつきました。
「ピノキオや、わしたちの目的は、ここから脱出することじゃなかったのかい・・・?」
 (おしまい) 



誰のため、何のため?

村岡 兼幸 

JC運動の目的は?その事業は何のためにやるのか?最初は十分に確認しながら始めたつもりのことも、途中でその目的を見失ってしまうことはよくあることです。

今、国中で論議をされているNPO法案を例にとって話しをしてみましょう。
NPO法は、97年の日本JCでも、JCが考えるNPO法を策定し発表したように、私たちの運動に、非常に大切な法律です。
ではそもそもNPO法とは何のためにつくろうとされている法律なのでしょうか?

一言で言えば、「市民の力」を社会で発揮しやすいように、法的な環境整備を行うことを目的とした法律だと言っていいでしょう。
すでに皆さんはご理解のことと思いますが、これから来る地方分権の時代には、社会づくりの原点であったはずの、自分たちのことは自分たちでやる、みんなのことはみんなでやることが望まれています。
その時、市民が自ら行う活動をしやすい環境を整えるための法律がNPO法です。

いろいろな議論の中から、現在のNPO法は衆議院を通過しました。私から見てもけっして百点満点の答案ではありません。しかしそういう法律を整備して欲しいと働きかけたNPO団体自身は、現時点で及第点を出しています。
なぜなら、今の社会の問題は、満点の正解を出すことのできない難問ばかりだからです。とりあえず六十点の及第点でもかまわない。それが目的に向かって前進するのであれば、一日も早く成立させ、走りながら考え、さらに質を高めていくというスタンスこそが重要だと考えられているのです。

ところが参議院においては、十分な審議さえもされず、ただいたずらに時間稼ぎの継続審議となりました。それは何のために、誰のためにつくられるのかという目的を忘れているからに他なりません。
誤解を恐れずに言えば、NPO法の本来の目的を見失い、政治的駆け引き、すなわち各党間の調整が遅れたこととか、誰が手柄を立てたいかといった類の、本来の目的外のところで、法案づくりがストップしてしまっているのです。

大切な時期の大切な法案を前に、目先のことばかりにとらわれている日本。私にはそれが残念でなりません。
こんな時代だからこそ、本当の目的とは何か、そのためにはどんな戦略を立てて、いかに具体的に行動をしていくのかが問われる時代なのです。

目的を見失った活動も、目先の考えの中での成功をもたらし、いっときの満足を得ることはできます。しかしだからこそ、さらに多くの人の目的を消失させます。あれほど新聞を賑わせたNPOの文字が、今ではほとんど見かけないのがいい例でしょう。
 目的は何だったのか?何度でも確認しながら、行動したいものです。
(了) 



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(C) 1996 Hajime Nakamura.