続「大変革夜明け前」1998名古屋JC-TIMES連載
3月号
「101匹イワシ、大行進」
地域主権が国を救う
著:中村 元(地球流民)
「地方分権は地方の手で」

著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭)



101匹イワシ、大行進
地域主権が国を救う

地球流民 


101匹のイワシたちは群を大きな魚の形にして泳いでいた。スイミーという絵本で覚えた、大きな魚に食べられないための技だった。
途中でサメのジョーズに出会った。「君、君、ずいぶん立派な魚だね。名前はなんて言うの?」ジョーズは舌をペロリと出して話しかけた。
サメのジョーズはイワシたちを食べたかったのだ。

イワシたちは一斉に答えた「大きな形に名前はないよ、でもボクはイワシ1」「ボクはイワシ2」「ボクはイワシ3」・・・・「ボクはイワシ101」

101匹のイワシが一斉に答えたので、ジョーズの耳はガンガン鳴ったけど、彼は我慢して言った。「おやおや、それは変だね。せっかく立派な魚の形になっているのに、みんな名前が違うなんて。それに、だれが目で、だれがお腹で、だれが尻尾かも決まっていないのは、もっと変だ。それじゃあ立派な魚としては認められないね」

そう言われたイワシたちは、みんなで相談して、目の役を決め、口の役を決め、尻尾の役を決めた。
「さあ、これから、ボクたちの名前はビッグイワシだよ。みんな役割も決まったから、大きな魚として仲間に入れてくれよ。」口の役になったイワシが言った。

ジョーズは、大きな三角の歯をむき出してニヤリと笑った。「ヘヘッ、大きな魚として食ってやるよ」そしていきなり飛びかかった。
「わー!逃げろー!」ビッグイワシになったイワシたちは、いっせいに逃げたけど、いつもより大変だった。

なぜって、目になってサメを見る者、頭の役になって行き先を考える者、尻尾になって尾ビレを振る者、みんなが役割にそって動かなくてはならなかったから・・・・。
尻尾役のイワシが「右だ」「左だ」と思っても、目の役のイワシにはサメが見えなくて、頭の役のイワシにはみんなに指令を出せなかった。

ジョーズは悠々と、尻尾になっているイワシたちから食べようとした。
ようやく気が付いた誰かが叫んだ「みんな一人一人に戻れ!」イワシたちにそれぞれの目と考えがよみがえった。
イワシたちはそれぞれの感覚で、自然に3つの群に別れ、跳びかかったジョーズの歯は空を切った。

101匹のイワシたちは一斉に言った。「ボクはイワシ1」「ボクはイワシ2」「ボクはイワシ3」・・・・「ボクはイワシ101」誰も食べられていなかった。
そうしてまた、大きな魚の形をつくった。でももちろん、それはもうビッグイワシじゃなかった。 

(おしまい) 



地方分権は地方の手で

村岡 兼幸 

昨年の暮れに、東京プレスセンターにて、100人近い報道関係者を集め「NPO支援宣言、変革は地方から」と題した記者会見があり、私もそれを発表する側として出席しました。

2月号で触れましたが、NPO法が国の法律としてなかなか整備されない状況の中、国の出方を待っているのではなく、出来ることについては地方からすすめていく、地方同士が横の連携をとりあい、少し大げさに言えば縦型社会に楔を打ち、地方から変革を前進させようという動きであります。

出席者は高知県橋本知事、宮城県浅野知事、岩手県増田知事という全国の中でも若手でしかも注目を集めている方々ばかりですから、そのおかげもあってか。報道関係者が多く集まりました。
ところが翌朝、「変革を地方から」というメッセージがどれくらいマスコミに取り上げられているか全紙に目を通しましたが、扱いは本の数行、しかも写真は3人の知事を写したものだけでした。

3人の知事がある目的のために東京に集まり、記者会見をしたという事実も、もちろん重要でありますが、それは結果でしかありません。
それ以上にもっと大切なことは、この集まりが政策NPOの呼びかけに対して知事が集まったものであり、しかもたぶんこれまでなら、国の動きを見定めてから地方が動くのが普通だったのが、今はその理念が正しく、市民に向けて情報公開されるのであれば、知事の判断で動くようになったというプロセスが重要なのです。

つまりこれは、地方分権の時代を予感させる画期的な出来事であり、本来それが前面に出されるべきなのです。
質疑応答の中で、ある知事がこんな発言をされました。『今は全国知事会が定期的に開かれるが、これからはある目的のためにそれに賛同する人だけが集まるといったような、知事NPO会が結成されるかもしれませんね。テーマによって集まるメンバーは変わって当然だと思います』と。

国によって決められた枠で動くのではなく、多様な意識を持つ自治体として、互いに手を組んでいく可能性を諮詢する言葉です。
変革は地方から、まさに自分たちのことば自分たちでやる、地域のことは地域で決める……という地域主権型社会に近づきつつあることを予感させる一日でありました。

我々が本気で、地域主権型社会にしようとするのであれば、中央にそのお膳立てを全て任せるのではなく、地方の手で勝ち取る具体的行動こそが必要なのです。
(了) 



「続・大変革夜明け前」目次に戻る
essayRUMIN'S ESSAY 表紙へ        地球流民の海岸表紙へhome
(C) 1996 Hajime Nakamura.