続「大変革夜明け前」1998名古屋JC-TIMES連載
5月号
「黒連島のウンチ会議」
正しい行動はいつか広がる
著:中村 元(地球流民)
「NGOが地球を動かす」
いかに常識をくつがえしたか!
著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭)



黒連島のウンチ会議
正しい行動はいつか広がる

地球流民 

黒連島は、たくさんの動物たちが一緒にくらす、適度に調和のとれた島だったが、このところ大きな問題が持ち上がっていた。
数の増えすぎた動物たちが、ところかまわずするウンチで、島じゅうがウンチだらけになってきたのだ。
おかげで、島のどこもが臭かったし、海鳥のフンで海岸の花はしおれてしまった。病気が蔓延しはじめて、小さな動物の子供たちが野牛のウンチに足を取られて動けなくなることだってしばしばあった。

困った動物たちは、代表者によるウンチ対策会議を開いた。ウンチはトイレですることを義務づける掟をつくろうとしたのだ。
ところが、会議が始まると、それぞれが勝手なことを言い始めた。

オオカミはこう言った。「オレたちのウンチはマーキングに必要なんだ。それができなくなったら、島の警察官としての仕事だってできなくなる」

野牛はこう言った。「私たちは数も量も多いから、大きいトイレがたくさん必要よ。そんなの不公平だわ」

海鳥はこう言った。「鳥が飛ぶ前に、ウンチをして体を軽くするのは常識だよ。鳥族だけには適用しないでくれ」

そんなふうに言い始めたら、すべての動物に理由があって、けっきょく「ウンチはトイレで」の掟は締結されなかった。
それから数日後、動物の会議には出席できない花のヒマワリが、ネズミに言った。「ねえネズミさん。私の足下で、ネズミの子供が野牛のウンチで死んだの。あなたたちだけでもウンチをトイレでしたらどうかしら」
感じ入ったネズミ族はさっそくトイレを作った。おかげでアリたちが喜んだ。

そんなふうにヒマワリは、次々とウンチで困っている動物たちに呼びかけた。リスが、キツネが、シカが、しまいには海鳥や野牛までもが、ヒマワリの呼びかけに応じていった。
みんな、どこかでウンチに悩まされていたし、ウンチなんかによる怪我や病気で死ぬのなんてまっぴらだったのだ。
耳を貸さなかったのは、オオカミだけだった。あいかわらずどこでもウンチのし放題。

でもある日、彼らも気が付いたのだ。ところかまわずウンチをしているのは自分たちだけだということに・・・・。
周りを見渡せば、道ばたでウンチするオオカミを見て、バカにした笑いや軽蔑のまなざしがいたるところにあった。
それに気付いたオオカミは、ヒゲの先まで顔を真っ赤に染めて、草むらに慌てて駆け込んだ。その日からオオカミは、どこにウンチをしても砂をかけて隠すようになった。
 (おしまい) 



NGOが地球を動かす
いかに常識をくつがえしたか!

村岡 兼幸 

長野オリンピックの開会式において、義足・義手の聖火ランナーが走りました。彼は地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)というNGOのメンバーの一人でした。彼自身が対人地雷の除去活動の中で犠牲にあったのです。開会式を見た人にとっては、まだ記憶に新しいことでしょう。

対人地雷には、今でも世界中に一億個以上が存在し、20分に一人が世界のどこかで殺戮されているという悲惨な現実があります。
そして、これまでこの対人地雷禁止の問題に関しては、解決することは不可能。すなわち、各国の軍縮交渉においては「夢」とされてきました。
これまで、国家の安全保障にかかわることは、国の最需要先決事項であり、加えて、国際的な取り決め(条約)というものは、その交渉に関わった国の全てが納得した上で、サインをするのが外交条約の常識だったからです。

しかし、小さなNGOの世界中のネットワークが、その常識をことごとく覆し、「夢」を現実に引き寄せたのです。
1996年1月。NGOから各国政府への一通の招待状から、その物語は始まりました。初会合は、8各国の政府代表者が集まっただけでしたが、その場に参加した人は何かが動き出すと予感したそうです。
そしてその運動は、わずか2年足らず、1997年の12月には、121カ国が条約にサインし、その年のノーベル平和賞を受賞するまでに広がっていったのです。
「彼らは、いかにして常識を覆したのか!」

国家の安全保障という従来の枠組みから、人間の安全保障という次元でこの問題を考えたとき、国家という概念を越えて活動しているNGOの専門的知識と、実績に裏付けされた話しは、説得力を持っていたのです。
政府がむしろNGOから多くのことを学びました。すなわちNGOが政策をつくり、国家をリードしたのです。更には、賛成する国だけで条約を結んでいく…大切なのは条約の中身であって、参加したくない国は無理に参加しなくてもいいというプロセスも、今までの常識にはないことでした。

私が思うに、これらのプロセスや精神は、私たちJCがいつも主張しているところの地球市民的発想、地球益に基づいた政策づくりと同じです。
常識を覆すということは、何も奇をてらうことではなく、今まで当たり前と思っていたことの本質を、今一度見極めることなのです。
そして、未来を見据える洞察力と、変化をつくりだす行動力こそが、それを可能にするだと、改めて考えさせられたのでした。
(了) 



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(C) 1996 Hajime Nakamura.