「ナナコヤエビの勘違い」 目的はなんだったのか? 著:中村 元(地球流民) |
「NGOが地球を動かす」 武器はパソコン 著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭) |
一人の力では、力に勝てない 地球流民 |
七小屋珊瑚礁の住民は困っていた。この一帯の有力者であるサメとウミガメが、勝手に珊瑚議会をつくり、自分たちの都合のいい政策を進めるので、移動のできないサンゴたちや、小さなスズメダイという、多くの住民の生活は悪くなるばかりなのだ。そこでみんなは、サメとウミガメに談判にいくことにした。 しかし2匹のナナコヤエビたちが、それを止めた。「待て待て、お前たちじゃ力がなさ過ぎる。オレたちがこの腐った政治を変えてやるよ」サンゴもスズメダイも喜んだ。大きなナナコヤエビならなんとかしてくれそうだ。 一匹のナナコヤエビは、さっそくウオッチング・ザ珊瑚議会をした。それだけで相手に圧力になるだろうと思ったのだ。案の定、サメとウミガメの会議は身勝手な内容だった。しかし調子に乗って二度目に傍聴した帰り道で、彼はサメに喰われてしまった。 もう一匹のナナコヤエビは、ウミガメに頼み込んで議員にしてもらい、しばらくすると珊瑚議会に加わった。 みんなは、議会に加わったナナコヤエビが、きっと政治を変えてくれるだろうと期待して、ウオッチ・ザ珊瑚議会に出かけた。しかしナナコヤエビを味方にしたウミガメが余計に勝手になっただけで、中身はなにも変わってはいない、ますます勝手な会議だった。 珊瑚礁の小さな住民たちは、結局立ち上がることにした。彼らには力はなかったが、サンゴという仲間がいた。スズメダイが、サメとウミガメの勝手な珊瑚議会の様子を傍聴して、サンゴに伝えると、サンゴたちは枝同士で複雑につながっている伝言網で、七小屋珊瑚礁の全てのサンゴに伝え、それはそこに暮らす全ての住民にも伝えられた。 次の日から、サメもウミガメも新しく加わったナナコヤエビも、議会での自分の発言や提案が、すべて七小屋珊瑚礁の住民に知れ渡っていることに気がついた。 サンゴがウミガメに言う、「あんな発言するんなら、もう二度と囓らせてあげないよ」 コバンザメがサメに言う、「アンタ評判悪いから、アンタに付いてるとオレまで格好悪い。もうさよならだ」 そうやって、七小屋珊瑚礁のすべての住民が、彼らの発言にいちいち反応したから、サメもウミガメも、次第にみんなの意見を聞き、まともな発言をせざるえなくなった。。 そして珊瑚礁は急速に、住民のためのものに変わっていった。弱いスズメダイと、動けないサンゴたちのネットワークの勝利だった。 さて、もう誰からも相手にもされなくなったナナコヤエビは、昼間は穴の中に隠れ、夜にだけヒゲを振りながら一人で威張って歩くようになったという。 (おしまい) |
武器はパソコン 村岡 兼幸 |
前回「いかに常識をくつがえしたのか!」というNGOの話しをしましたが、そのパートUです。対人地雷禁止法条約締結という、これまでは到底不可能と思われていたことを、NGOは中心的な役割を担いながら、具体化させることができたのは、オタワ・プロセスという進め方と共に、もう一つ大きな役割をはたした武器がありました。 この地雷禁止キャンペーンの原則は、 @対人地雷は一切製造・販売・使用をしない。A例外は認めない。 この原則を貫くことが大事だったのです。なぜなら、一つ例外を認めると、このような国家安全保障に関わるような微妙な問題は、求心力を失ってしまうからであります。 しかし、現実の動きの中では「一部、例外を認めて欲しい」との大国からの揺さぶりがありました。 1997年秋、対人地雷禁止条約の具体的な条文についての検討会議が始まりました。各国間、各国とNGO、NGO同士の活発な外交交渉やロビー活動が展開されました。 この時NGOからは、その会議で話し合われた内容や、ロビー活動の状況は、パソコンを使いインターネットを通じて世界に向けて発信されました。 毎日1万人以上のヒトがアクセスをしてきたと事実があります、すなわち世界中が見守っている中で話し合いは進められたのです。 ある時、各国政府の中で最も中心的な存在であるカナダが、この交渉の途中でアメリカからの圧力により、一時例外を認めてもいいのではという方向に傾きかけました。 この時NGOは、カナダがそれを認めたら、これまでのプロセス全てが崩壊をする。是非、原則を貫いて欲しいと訴えると共に、インターネットでその交渉の全てを流し続け、世界の人々に応援を求めたのです。 条約交渉にあたってのプレイヤー(各国政治団体)は、世界中の観客の目を意識せずにはプレーできなくなりました。最終的には、カナダはプレイヤーとして観客の応援に応え、アメリカからの圧力を跳ね返し、再び原則を守り抜くというスタンスを表明したのです。 それは、NGOが地球を動かした瞬間でもあります。そしてこの新しい流れをつくった一つの武器は、パソコン通信だったのです。 この事実は、何もこの問題に限らず、これからのまちづくりを考える上でも、大きなヒントを与えてくれます、 まちづくりは、最終決定はある意味で専門家(プレイヤー)に委ねなければなりませんが、情報公開、そしてアカウンタビリティー(説明責任)という武器によって、市民もプレイヤーも、それぞれの役割を全うすることができるのです。 (了) |