「浦島青太郎」 今やらねばできないこと 著:中村 元(地球流民) |
「誰が何時、挑戦するのか」 オフィス町内会の挑戦 著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭) |
今やらねばできないこと 地球流民 |
「ああ、すぐに帰れば働けたのに・・・」 昔々から100年経ったくらいの昔、浦島太郎の孫にあたる浦島青太郎という若者がいた。息も絶え絶えの老人となって突然戻ってきた祖父の太郎を見つけたのは青太郎だった。 彼は祖父から今際の言葉に、竜宮城と玉手箱の話しを聞いた。最後の言葉が「ああ、すぐに帰れば働けたのに・・・」だったのだ。 青太郎が浜を歩いていると、大きな海亀が子供たちにいじめられていた。青太郎はただちに子供たちに小遣いを与えて、海亀を助けてあげた。思った通り海亀は青太郎を竜宮城へ連れていってくれた。 竜宮城は聞きしにまさる極楽だった。乙姫様はいい女だったし、ヒラメやタイは舞い踊り、食べ物は海の珍味の大振る舞い。乙姫様は何度か、「玉手箱をあげるから、それを持って帰りなさい」と忠告したが、青太郎はそれを聞くどころか、乙姫様を口説き始める始末だった。 実は清太郎にはそれなりの計算があったのだ。青太郎は村にちょっとした土地と小金があった。村はちょうどリゾートブームで土地が値上がりしていたから、竜宮城で数日過ごして戻れば村では数十年経っている。その頃には土地は数倍の価値になっているに違いない。そうすれば青太郎の欲しかったカツオ船が1隻買えるではないか。いや金さえあれば、働く必要だってない。要するに玉手箱さえ開けなければいいのだ。 程良い日々を竜宮城で暮らした青太郎は、乙姫様にそろそろ帰ると告げた。お約束のように大きな玉手箱を一つもらった。 乙姫様は「すぐに帰るなら、この玉手箱を開けるとよかったのですが、今となっては絶対にこれを開けてはなりません」と青太郎に告げた。もちろん青太郎は最初から開けるつもりなどなかった。 村に帰ると、ちょうど数十年ほどの歳月が過ぎているようだった。村の衆は青太郎が昔のままの若さで戻ってきたことに驚いた。青太郎はさっそく土地を売ることにした。 しかし、あの景気はどこへ行ったのか、土地は暴落し、ひどいインフレで貯金は無いに等しかった。その上不在だった間の税金を請求され、青太郎は途方にくれ、へたへたと玉手箱に座り込んでしまった。そしてその拍子に玉手箱の蓋が開いたのだ。 中からは煙が出てきて、青太郎はあっという間に白髪のお爺さんに、そしてなんと煙の向こうに、青太郎があれほど欲しがっていたカツオ船が朽ちていくのが見えたのだった。 「ああ、すぐに帰って、働けば・・・。」浦島青太郎は今際の際に、そうつぶやいて朽ちていった。 (おしまい) |
村岡 兼幸 |
「白色度70%」という言葉を初めて聞いたとき、それが何を意味するのかよく分かりませんでした。1994年、MOTTAINAIを世界へ拡げようという運動を担当していたときに、「白色度意識改革プロジェクト懇話会」のメンバーになったことによって、この言葉に出会ったのです。 「白色度70%」は、適度な白さの再生紙を普及させることで、製紙産業が抱える様々な環境問題を解決していこうという運動ですが、今回は、この運動がどこから始まったのかということを、みなさんに知っていただきたいと思います。 それは、今ある社会の仕組みは何故そうなっているのか、それは決して変えられないものなのか。新しいネットワークを組むことによって、社会に新たな「豊かさ」を与えられるのではないか。と考えた一人の個人から始まりました。 真っ白な紙はパルプを大量に必要としますからせっかく回収した古紙が余ってきます。また、再生紙を白くしようとすると、それだけコストもかかり、その過程でダイオキシンなどの有害物質も排出します。 しかし現実問題としては、再生紙を使うことの必要性はわかっていても、市場でたくさん消費される商品ほど安く提供されるという市場原理があり、その主流は結局真っ白な紙だったのです。 そこで半谷栄寿氏の主宰するオフィス町内会では、何故そんな社会のメカニズムになっているのか、それを変えるためにはどうしたらいいかと考え、日本人の再生紙の白さへの過度なこだわりに注目しました。「我々は本当に真っ白なコピー用紙を求めているのだろうか?」とアンケート調査から始めたのです。 すると結果は思った通り、製紙メーカー以外は、誰も白さを追求などしていませんでした。そこで半谷氏は「白色度70」を常識にするために、様々な人たちとのネットワークを組み、経済性をも考えた白色度70%の再生紙の普及運動を始めたのです。 そして今では、企業や行政も巻き込んだ運動に発展し、ついには白色度70%の再生紙の方が安価になってしまっています。 今までがそうであったからといって、これからもそうであろうと予測していたら、世の中は思いもつかない方向へと進んでいきます。 また、みんながそう思っているのだから誰かがやってくれるだろうと全ての人が思っていたら、結局世の中は変わりません。 今までだれもが気付かなかったことに気付き、そしてとにかく気付いた自分が今やらねばならないとすぐに始めたところに、この運動の真価があるのです。 (了) |