続「大変革夜明け前」1998名古屋JC-TIMES連載
8月号
「未来アリとの遭遇」
未来は与えられない
著:中村 元(地球流民)
「住民参加のまちづくり」
本当の豊かさを探すには?
著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭)



未来アリとの遭遇
未来は与えられない

地球流民 

そのアリは疲れ切っていた。厚い雲に覆われた空、吹き付ける寒風。最近の異常な冷害のせいで、エサを探すのが困難になっていたのだ。貯蔵庫のエサは底をつき、もう長いことわずかなエサで我慢していた。「オレたちはいったいどうなるんだろう?」彼は凍えた手をすり合わせて、ため息をついた。

その時、目の前に不思議な格好をしたアリが現れた。確かにアリなのだが、体は銀色に輝き、スマートなサングラスをかけている。 そいつは彼と同じアリ語をしゃべった。「やあ、驚かせてすまない。ボクは21世紀の未来から、タイムマシンでやって来た未来アリだ。つまり君たちの子孫ってことだね。おっと、君たちの部族がこれから生き残っていければの話しだが・・・・」

「えっ?生き残るって、何か悪いことでも起こるのかい?」アリはたずねた。
「今の状況を見れば分かるだろう?これからこの国は長い寒冷期に入る。大地は凍りつき、当然エサはますます少なくなる。右肩下がりの経済ってことだね」未来アリは言った。
「助かる道はないのかい?」
「もちろんあるよ。それを教えに来たんだ。皆で女王アリを担いで、少しでも環境のいいところに引っ越すことだ。新しい子供が生まれるたびに、だんだん寒さと餓えに強い体になっていくよ。君たちで部族の未来を創りあげるのさ」そう言い残すと、未来アリは他の部族にも伝えるからと去っていった。

アリは慌てて帰って、皆に知らせた。しかし豊かだった頃のこの土地のことが忘れられない女王アリは迷うばかりだった。そして地上の状況を知っている働きアリたちの意見もまとまらなかった。南に向かえと言う者、山がいいという者、ただ怯える者。多くの者たちが、自分だけでもと勝手に巣穴を後にした。
彼は決心した。卵室から持てるだけの卵を持ち出すと、未来アリの乗ってきたタイムマシンに忍び込んだのだ。「なんとか、子孫を残さねば・・・・」それだけを考えて。

じきに未来アリは帰ってきて、タイムマシンは未来に着いた。彼は卵を抱いて、そっと外に出た。しかしそのとたん、身を切るような吹雪が体を襲い、触角がピシと凍り付いた。卵にも霜が張り付き、見る見る生気を失っていく。「ウッ寒い!助けてくれ!」

彼の叫びに未来アリが気付いてやってきた。「なんてことだ!忍び込んでいたのか?昔のアリの体でここで生きていけるわけがないだろう!自分たちで考えて、選択のプロセスを経てきた者だけが進化を遂げるんだ。それを伝えに行ったのに・・・・」
「君たちで未来を創りあげるのさ」その意味を、遠のく意識の中で彼はやっと悟っていた。
 (おしまい) 



住民参加のまちづくり
本当の豊かさを探すには?

村岡 兼幸 

住民の声を十分に反映させて行政を行うべきだというのはよく聞く話しですが、それはどの程度までの範囲を指していうのか非常に難しい問題です。
十人いれば十人の意見がある、まさに十人十色、加えて意見を聞けば聞くほど多くの人々の多様な価値観がぶつかり合うことになるのです。こちらを立てればあちらが立たずとというのは世の常でしょう。

中には「俺は市民だ。市民の声を無視して何が民主主義だ!」と乱暴なことを言う人をたまに見かけますが、それは民主主義をはき違えています。
「俺の意見」がいつの間にか「私たち市民の声」にすり替わって論じられているのです。そう、「私たち市民の声」というのは一つではありません。
しかも一人一人の意見を全て具現化することなどできません。そんなことをするには、無限のお金と、無限の土地と、無限のシステムが必要なことでしょう。
大切なことは、できるだけ多くの人の意見に耳を傾けるシステムをつくりあげることです。今こそ、住民の意見を十分に聞き議論する場をつくり、そのプロセスを大切にすることが求められている時代なのです。

戦後四十年くらいまでは、行政の目指してきた豊かさのベクトルと、住民の目指した豊かさのベクトルが、ほぼ一致していました。そのために行政は、住民の声をまとめる努力を省略することができました。
つまり、行政はプロセスは省くかわりに、最大公約数的なまちづくりを責任を持って遂行し、住民の側はそれを受け入れるという関係を続けてきたのです。
しかし、ある程度のナショナルミニマムを達成した現在、豊かさの定義は新たな局面を迎えています。こんな社会背景にあっては、今までないがしろにしてきたプロセスを大切にして、新たなる「本当の豊かさ」を探ることこそが重要なのです。

そして実は、そこにデモクラシーの原点があるのです。みんながそれぞれの立場で少しずつ役割を分担しあいつつ、力を発揮して創りあげるという民主主義の原点を理解しなければ、市民主体は市民のわがままという意味にしかなり得ません。
住民が自分の役割に責任を持ってまちづくりに参加すれば、そのプロセスの中から、新しい「本当の豊かさ」の方向性が、あるいはそのコンセンサスを得たり、それを具現化する方法が見いだせることでしょう。
住民参加のまちづくり、それはまちに責任を持った住民の「デモクラシー運動」そのものに他ありません。
(了) 



「続・大変革夜明け前」目次に戻る
essayRUMIN'S ESSAY 表紙へ        地球流民の海岸表紙へhome
(C) 1996 Hajime Nakamura.