続「大変革夜明け前」1998名古屋JC-TIMES連載
12月号
もう一つの、
ニワトリたちのデモクラシー
だれが何をするのか?
著:中村 元(地球流民)
『幸せの方程式』
新しい方程式を求めて

著:村岡 兼幸(日本JC直前会頭)



もう一つの、「ニワトリたちのデモクラシー」
だれが何をするのか?
地球流民 
その日の朝、ニワトリたちの主人は一向に現れなかった。そして代わりに現れたのは、まだ小さい主人の子供だった。彼は桶に入ったエサを重そうに持っていた。

年長のニワトリが聞いた「おやまあ、いったいどうしたんだい?坊や」
「お父さんが病気で動けなくなったんだ。だからこれからボクがみんなの世話をするんだよ。でも、ボク小さいから、こんなにたくさんの卵を拾って市場に行けないや」朝から産み落とされたたくさんの卵を見て、その小さな主人は途方に暮れたように肩を落とした。

ニワトリたちはそれを聞いて、口々に不安をもらした。「卵がたくさん売れなきゃ、エサも買えないよ」「主人がいなきゃ、だれが掃除しをしてくれるの?」そうやって、大騒ぎになりはじめたニワトリ小屋の中で、小さな主人は一生懸命にエサを分け始めたが、仕事はなかなかはかどらなかった。
それをじっと見ていた年長のニワトリは、小さな主人に言った。「ねえ、坊や。あなたどう考えても一人じゃ無理よ。私たちを自由にしてくれない?」
彼は少し考えたが、これから毎朝こんなことが続いたら、きっと今度は、自分が病気になってしまうような気がしたので、みんなをケージから放してあげることにした。

年長のニワトリは、小さな主人を指さしてみんなに言った。「私たちの主人は突然、こんなに小さく弱くなったわ。さあ、私たちは、何をするべきなの?」
みんながてんでに考えを言った「私、早くエサを食べたいから、みんなにエサを分けるわ」「じゃあ私はその間、小屋の中を掃除するわ」「坊やが卵を拾いやすいように、転がして集めようか?」

次の日の朝、小さな主人がやってきて扉を開けると、ニワトリ小屋はもうすっかりきれいになっていて、エサを分配しやすくするために、いくつかのグループに分かれていた。
扉の近くを見れば、今朝彼女たちが産んだ卵が、きれいに並べられていた。ニワトリたちが自分で集めてくれたのだ。
ニワトリたちの世話をしなくてもよくなった小さな主人は、その時間を使って卵を一輪車に乗せ、市場に売りに行った。もちろん帰りにはエサをたっぷり買って帰ってきた。

ニワトリたちは、新しい仕事のせいで、産む卵の数が減ってしまっていた。でも、小さな主人の交換してくるエサの量が減ることはなかった。なぜなら、自由のおかげで健康になったニワトリたちの産む卵は、大きくて殻も厚く、前よりもずっと高く売れたのだ。いつの間にか、そのニワトリ小屋の卵は、市場で最も評判の卵になっていた。
 (おしまい) 


『幸せの方程式』
新しい方程式を求めて
村岡 兼幸 
これまでの幸せの方程式は、分母に「欲望」を、分子に「財」を置いていました。財はモノやお金、と置き換えてもいいのかも知れません。つまり「欲望」分の「財」、我々はこの分子の財を増やせば増やすほど、大きくすれば大きくするほど、豊かに幸せになれると思って頑張ってきたのです。確かに豊かになり、ある意味での「幸せ」を勝ち得たのだと思います。しかしどんなに分子の財を大きくしようと、人間の欲望もまた限りなく大きくなっていきます。

例えば生活の豊かさを表した「三種の神器」は、高度経済成長の中で、どんどん変わっていきました。財による満足は新たな欲望を次々と生み出すのです。結局、財をどんなに増やしても本当の意味での「豊かさ」や「心のゆとり」は生まれてはきません。ましてや、地球環境問題という有限な地球の壁にぶつかっている現在、これ以上分母の欲望も、分子の財も大きくすることは出来ません。つまり、「欲望」分の「財」による方程式は解を失ってしまったのです。

では、どうやって新しい方程式を見つければいいのでしょうか?どこに新しい幸せの解はあるのでしょうか?
確実に言えるのは、成長を前提とした方程式はもう成り立たないということです。社会は成長するのではなく、成熟するのであると考えるべきでしょう。成長社会では、成長の目標となる結果の予測が大切でしたが、成熟社会では成熟そのものに目的があります。

世界の先行きが誰にも分からないときに、結果を性急に求めることはありません。道筋も方程式もないのに、結果が予測できるわけはないのですから。つまり今は解を見つけるよりも、方程式を組み立て作り上げることに喜びを見いだすときなのだと思うのです。
幸いにも、人間は誰も自分の結果を予測できません。だから結果を知ることよりも方向を探ることに喜びを憶え、過程を楽しむことに満足を感じるのが本来なのです。それはちょうどJCの事業が、結果だけに成否を見いだすのではなく、そのプロセスに意義を持っているのと似ているのかもしれません。

 「大変革の時代」それを夜明け前にするために、小さなメダカたちが川上に向かって泳ぎ続ける・・・・。それが、みなさんにずっと投げかけ続けてきたメッセージでした。そう、一人一人が、あるいはそれぞれの地域が、行動というプロセスを通して、幸せの方程式を掴んでいくしか、新しい幸せに近づく道はないのです。
私はもう卒業した身ですが、「生涯一Jaycee」そんな感覚で、プロセスに意義を見いだしながら、新しい幸せの方程式をつくりあげていきたいものだと考えています。
(了) 


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(C) 1996 Hajime Nakamura.