旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第1回)
96年4月号(3/15発売)














  サンゴ礁の海の美しさは地上の
 花園を思わせて呼吸さえも忘れて
 しまう。好きな素潜りでは自分の限
 界を忘れ、海水を飲んでしまうこと
 など毎度のことだ。


 初めてのサンゴ礁
             中村 元  


  連載の最初というのは、いつもドキドキワクワク
 と心臓が忙しい。 そいつは水族館に一歩入った時
 の、得体の知れない不安と期待感に似ているのかも
 しれない。
  私が初めて水族館なるものを経験したのは、奇し
 くも現在働いている鳥羽水族館だった。
 その頃の水族館は暗くてじめじめとしていて、いか
 にも海底の世界への秘密の通路という感じだった。
 入館した人のうち何人かはサメに食べられたり、半
 魚人に変身してしまって、戻って来れなくても不思
 議ではなさそうな雰囲気が漂っていたものだ。

  それはきっと私の子供心にも、海に対する畏れや
 あこがれが頭の中に渦巻いていたからに相違ない。
 入り口をくぐり抜けて暗闇の中からいきなり目に飛
 び込んできたエイの白い腹、ギロリと目を剥く生き
 ている魚たち、ゆらゆらと身をくねらせるウツボの
 群、おめき散らすアシカの巨体。そんな得体の知れ
 ない動物たちを創り上げ、その生活を包み込んだ、
 海の意志のようなものが、水族館という空間に充満
 していたのだ。

  それから20年近く経って、ひょんな事からその
 鳥羽水族館に入社し、動物を飼育し、彼らの野生の
 生活を観察することになった。動物についてまった
 くの素人であった私にとって、それはもう宇宙船エ
 ンタープライズ号の航海日誌ほどに驚きの連続だっ
 た。

  今でも、初めてサンゴ礁の海に潜った時の感動を
 覚えている。それは世界有数のサンゴ礁の美しい島
 「石垣島」の海だった。情けないことに水族館の職
 員でありながら船にはからきし弱い私は、ほとんど
 仮死状態になりながらダイビングボートに揺られて
 いた。ダイビングポイントに到着してからも、揺れ
 る船の上で仲間に機材を着けてもらわねばならない
 有様だった。

 ところがやっとの思いで海に飛び込んだ私の目に
 映ったのは、地獄から天国をかいま見るような光景
 だった。 目の前に広がるサンゴ礁の雄大な美しさ
 に、私はしばらくの間呼吸をすることさえ忘れてい
 た。確かに背負ったタンクの中の無粋な空気など呼
 吸しなくても、この海でなら生きていけるような錯
 覚に陥るほどの美しさだったのだ。

  南の海の暖かさは、優しく私を 包んでくれてい
 た。無数のサンゴ礁魚類たちは互いに色とりどりの
 コスチュームを身にまとい、生きていることの美し
 さを誇っているようだった。

  サンゴの一つ一つが海のうねりに揺れながら咲き
 誇り、巨大なシャコ貝がまるで夜の女のように艶っ
 ぽく、うっすらと口を開く。
  まさにこの世の楽園。生命の誕生は海でなければ
 ならなかったはずだと、私は一瞬のうちにそう信じ
 た。

  植物のように見えるサンゴ礁だが、実はサンゴ虫
 という腔腸動物たちが造ったアパートのようなもの
 だ。ところがサンゴ礁は地上の森と同じ役目を果た
 している。小さな無数の動物たちの隠れ家や繁殖場
 所を提供し、時には彼らのエサにもなり、乱暴な波
 や海流を吸収する。さらにサンゴ虫が自らの養分を
 得るために共生させている褐虫藻という藻類が、光
 合成を行って、莫大な量の酸素を海中や大気中に放
 出しているのである。

  また石灰質のサンゴ礁は地球上の二酸化炭素を大
 量に固定している。数億年の間に巨大な島まで作り
 上げたサンゴ礁の残骸までを含めると、サンゴが固
 定している二酸化炭素の量は、現在の大気の成分を
 左右するほどのものであると考えられている。

 そんな様々な大切なことが、地球や生物と対峙する
 ことによって容易に見えてくる。それは本を読んだ
 り映像で学ぶこととはちょっと違う、対峙し体験す
 ることによってのみ感じとれる地球の真理なのであ
 る。

  これからこの連載で、みなさんと共に、地球や生
 物から発信されているメッセージを、感じることが
 できればと考えている。


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(C) 1996 Hajime Nakamura.