RUMIN’s ESSAY


    旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第2回)
      96年5月号(4/15発売)













強風になびく草原

地球の裏っかわ(チリ)
中村 元  
 成田からロスを経由して、ブラジルのリオまで28時 間、そこで乗り換えてチリの首都サンチアゴまで4時間、 今度は国内線に乗り換えて南へさらに6時間。飛行機に 閉じこめられている時間だけで丸々2日間かけて到着し たのが、南米の最南端プンタアレナスの空港だった。  運動量や体内時計とは無関係に毎度出てくる機内食で、 胃はブロイラーのようになり、することもなく飲み続け たスコッチに、肝臓はフォアグラのごとく痛めつけられ ているに違いない。  吐き気をこらえながらあいそをふりまいて握手した迎 えのガイドに、そこからさらに車で2時間地道を走るこ とになると告げられて、私は思わず目眩を覚えた。  「えらいとこまで来てしまった…」 プンタアレナスは日本から見るとちょうど地球の裏側あ たりにあるまちだ。ただし緯度はかなり高くて南緯53 度付近、北半球でいえばカムチャッカ半島の中央あたり だろうか。夏でも防寒具の必要なこのまちには、世界最 南端のシティーという形容詞までついている念の入れよ うである。  私の目的地はプンタアレナスのまえに横たわるマゼラ ン海峡だった。南米大陸とフェゴ島に挟まれて、太平洋 と大西洋を繋ぐこのマゼラン海峡に、白黒のコントラス トが美しいイロワケイルカが生息しているはずなのだ。  私たちの基地はプンタアレナスの市内から100キロ 以上離れた石油基地の中にあった。  街を抜けると放牧された羊たちが迎えてくれる。この あたりは人家のあるところ以外に森や林はない。そもそ も人家自体がないのだから、見渡す限り草原の丘陵が続 いている。その理由はじきに分かる。  風があまりにも強いのだ。西から東に向けて風速10 メートル以上の風が休むことなく吹いている。それがな にかの拍子に20メートルを越え、30メートルに達す るのである。  風の力は恐い。風速15メートルを超えると、小石が バラバラと飛んでくる。ご丁寧に街と基地を結ぶ道路は まっすぐ東西に伸びているから、突風による砂埃のかた まりが目の前にもわもわっと迫って来たら、車を止める 他に手だてがない。石つぶての速度と車の速度でフロン トグラスが割れてしまうのだ。  追い風もまた恐い。自分の車の上げる砂埃が、追い風 によって当の車より早く前に行くので、前がまったく見 えなくなる。風速(秒速)20メートルの風を時速に直 せば約70キロ。日本だったら4輪駆動車か耕耘機しか 走らないようなでこぼこの地道を、時速70キロ以上で 走らねば前が見えないのである。  夏でも防寒具の必要な寒さと、休むことを知らない強 風。とてもじゃないが、木々がのんきに生えるような状 況ではないわけだ。   こんなところに本当にイロワケイルカのような華奢な イルカがすんでいるのだろうか?少々心細さを覚え始め た私の視界に、強風の中に立っている何者かの姿が見え た。ダチョウのような姿のそいつはパタゴニアとアンデ スの高地という寒冷地だけに生息する巨大な鳥ダーウィ ンレアだった。私はカメラを持って車から降りた。 人の背ほどもあるレアはもちろん飛べない鳥だ。その かわり、実に堂々と歩き、胸を張って走る。草原に入っ て彼に近付く私に気付いて、小さな頭をこちらに向けて いる。  そのうち彼は向こうを向いてゆっくりと歩き始めた。 後ろから小さな影が4つちょこちょこと付いていく。彼 は子供連れだったのだ。  子供連れの彼?そう、ダーウィンレアはオスが子育て をする。成熟したオスは繁殖時にハレムをつくるがそれ は名ばかりのハレムで、メスは卵を産むとさっさとどこ かへ行ってしまう。抱卵から子育てまで彼の仕事なので ある。つまり子供を何羽養育できるかは男の甲斐性とい うことらしい。メスは交尾すると卵を産みっぱなしにし て、別の甲斐性のありそうなオスを探しに行くのだ。  哀れなオスと考えるなかれ。この地球の果ての地で寒 さと風に耐えて生き抜き、自分の子孫を残すことのでき る喜びは、なにものにもかえがたいに違いない。

ダーウィンレア  

 ダーウィンレアは走鳥類    の仲間だ。飛ぶことの代わ  りに俊足と巨大な体を手に 入れた。巨体のおかげで凍 り付くような寒さに耐える ことができる。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.
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