RUMIN’s ESSAY


    旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第15回)
      97年6月号(5/15発売)













  水中のオットセイはま
 るでアクロバット飛行機
 のように自在に泳ぐ。

オットセイの少年
中村 元 
 前回のタスマニアからの報告は、孤島で水中撮影のた めに久しぶりに潜水した私が、ジャイアントケルプにか らめ取られ、ほうほうの体で脱出したところまでだった。 そうやって私がヒトの弱さをさらけ出し、死の恐怖にお ののいている間も、目の前の海ではオーストラリアオッ トセイ達が、実に気持ちよさそうに泳ぎ回っていた。  よくオットセイとアシカはどう違うの?と聞かれるが、 オットセイは、まぎれもないアシカ科の仲間であり、他 のアシカ科の仲間とオットセイの違いなど、素人目には 区別のつけようがない。  ところが英語では他のアシカの仲間がシーライオン( 海のライオン)と呼ばれるのに、どういうわけかオット セイだけがファーシール(毛アザラシ)と呼びならわさ れている。  まあ、アシカとアザラシの違いだって、よくわからな い人のほうがはるかに多いのだから、別になんだってい いのだろう。でもちょっと耳を貸していただくなら、犬 みたいに陸上で走ったりできるのがアシカ科、陸上では イモムシみたいに這ったりごろごろと転がるしかないの がアザラシ科だから、それはもう犬と猫ほどに違う動物 なのである。  なのにアシカ科であるオットセイが、毛アザラシなん て呼ばれているのはなぜなのか?おそらく毛皮としての 価値によってついた名前なのだと思う。  つまり「いい毛皮になるアザラシのような動物」とい う意味なのだ。それは「霜降りの牛」という言い方とな んらかわりのない名前。商品名としてはよく考えられた 名前かもしれないが、オットセイにとってはまったく迷 惑な名前である。  実際「いい毛皮のアザラシ」であるオットセイは、他 のアシカ科の仲間やアザラシに比べて、格段に多くヒト に殺され毛皮にされてしまっている。  そんなわけで、彼らにとっては疫病神でしかないヒト である私が、海藻のはりつけになっていたところで、心 配して見にきてくれるような奇特なやつは、一頭もいな かった。  しかし再度潜って、かれらの遊んでいる水域に近づい た時、どこからともなく一頭のオットセイが現れた。ま だ少年の幼さの残っている若いオットセイだった。  若いオスは好奇心が強い。どうやら泳ぎの下手なドジ な動物を偵察にきているようだった。最初は5メートル ほど離れたところへ、飛び込んでは逃げて行くだけだっ たが、そのうちだんだん近寄ってきて、私の目の前で首 をひねっている。「お前、変なかっこうしてるけど、ま さかサメじゃないだろうな…」とでも尋ねかけているよ うだ。  「やあ、ボーイ」私はできるだけ友好的に振る舞おう と、水中マスクの中で思いっきりいい顔をして見せる。 分かるわけなどないのだけど・・・。  彼は数度にわたり、握手できるほどそばにやってきて、 私のマスクやカメラのレンズを覗いていた。ところがど ういうわけか、現れたのと同じようにして突然姿をかく してしまったのだ。  1分近くたっても彼は戻ってこない。最初は水中ビデ オカメラの点検などをしていた私も、もしや巨大鮫が近 くにやってきたのではないかと不安になってくる。今日 はさっきからついていないし、ちょっと船に戻った方が いいかもしれない…と思いはじめたその時。  10頭以上のオットセイ達が大群でこっちを目指して くるのが見えた。あっと言う間に私の目の前は、オット セイで一杯になる。  私をちらちら見ながら行ったり来たりしているやつ、 遠巻きにじっと浮いたまま首をかしげて見つめているや つ、すごい勢いで突っ込んできたと思ったら頭上に体を かわしていくやつ、いろんな連中がいる。そして一頭見 覚えのある奴が近づいてきた。さっきのボーイらしい。 「待たせたな、ダチ公」と彼は言っていた。「やあ、ま た会えたな、ボーイ」私は嬉しくなって、再び思い切り いい顔をしてみせる。  それを見ていた他の連中が、遠巻きにしていた距離を 一斉にちぢめ、私はオットセイの編隊に囲まれた。楽し い映像が撮れそうだ。  きっと、あのボーイがこのエキストラたちを連れてき てくれたのだ。私は勝手にそう思うことにした。
 


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(C) 1996 Hajime Nakamura.