RUMIN’s ESSAY


    旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第16回)
      97年7月号(6/15発売)











 
 まるで、天翔る龍のように、 
悠然と泳ぐ、ウィーディ・シー 
ドラゴン  

タスマニアの龍
中村 元 
 タスマニアの州都ホバートから東南に下ると、わずか 数十メートルの幅の砂州を首にして、かつての大英帝国 の流刑場ポートアーサーがあるタスマン半島が広がって いる。  流刑場になるだけあって、海岸線の垂直に切り立った 断崖絶壁は見事なほど往来を拒絶している。 遊歩道の足下から海まで200メートルもストンと大 地が削り取られ、ビルが丸ごと入ってしまうような岩の アーチがいくつも作られ、海へ直接落ちる巨大な滝と打 ち寄せる海のうねりが、岸壁で白い牙をむき出し合い、 時には数十メートルもの高さの波しぶきを上げている。  まさしくさいはての地と呼ぶにふさわしい、自然の圧 倒的な力を見せつける光景がどこまでも続くのだ。  陸上からはとてもエントリーできない紺碧の海を見下 ろし、「明日はあそこで潜るのか……」私はいつものよ うにため息をついた。 岸壁の下で潜るには、ボートで海からエントリーしな くてはならない。この荒れた海で、またもや船酔いと人 喰いザメ(そしてあの私を絡め獲ったジャイアントケル プもだ)の恐怖に気分が重くなる。  しかし、波に放り投げられるように疾走するボートに 乗って到着した海は、見上げるような断崖絶壁に囲まれ た穏やかな入り江だった。ジャイアントケルプが無数に 浮いているのが気にはなったが、それを避けてゆっくり と潜水する。  ケルプの森は先日の私のようにドジなことさえしなけ れば、サンゴ礁の海と同じように美しく、興味深い光景 が広がっているものだ。  太陽の光が海底まで届き、ケルプが緑色に輝いたり薄 緑に透けて見えたりと、陸上の森もかくやというほどに 美しい。魚たちもヒトが珍しいのかあまり怖れていない ようだ。  そして巨大なアワビのなんとうようよといることか。 思わず水族館という立場を忘れ、舌なめずりをしながら、 ケルプの森の散策を楽しんでいたときである。 カメラのレンズの前に、水中ライトの光を反射して輝 く物体が突如として現れたのだ。そいつは私を一瞥する と、向きを変えて長い尾を見せながら、すうっと遠ざか っていった。広角のレンズを通して見るそいつは、まる でネバーエンディングストーリーのドラゴンが飛翔して いくワンシーンのように思えた。  そいつがウィーディ・シードラゴンだった。 ウィーディ・シードラゴンは、リーフィ・シードラゴン とともにオーストラリアを代表する、タツノオトシゴに 近縁の魚である。しかしその形といったら、龍の落とし 子なんかではなく、その名のとおり龍そのものなのだ。  中国画の龍を思わせる細長い体に、翼のような突起や 角のような突起が突き出ている。ウロコはライトの光を 受けて、金色がかった七色にぎらりぎらりと輝く。  しかもけっしてあわてることなく、私を恐れることも なく、実におごそかにゆっくりと泳ぐのだ。ケルプの茂 みを越え森を抜け、大きな円を描いてぐるっと上昇して いく姿は、私の目には飛龍そのものとして映っていた。 大きさにすればわずか30センチほどの生物だが、そ んなことすら感じさせない美しさと威厳がかれにはあっ た。  ヒトが考え出した空想上の動物と、本当に実在するシ ードラゴンがこれほど似ているとは、まったく驚くばか りだ。  生命はこの地球上で生き残れるかどうかという自らの 存在をかけて、より有利な方向に進化するようプログラ ミングされているものらしい。とすれば、現存の動物た ちは今の地球環境の下で最も成功している動物だという ことである。  そして彼らはヒトの価値観から眺めてみても、相当格 好のいい姿をしている。もしかすると生き残る美しさこ そ、地球上での完成された美しさであるといえるのかも しれない。  それが地球での「共通の美」の感覚であり、だからこ そ空想上の動物と実際の動物に共通点が見いだせるのだ ろう。 そんなことを考えながら彼に見とれていたら、近寄っ てきた大きなベラに、伸びかけていた無精髭ごと唇の上 の肉を囓られてしまった。 彼らにとって肉の塊でしかない私たちヒトは、果たし て生き残っていけるような美しさをもっているのだろう か?と気になった。
 


 翼のようにも見えるシー ドラゴンの突起は、海藻に 擬態した飾りものだ。タツ ノオトシゴのようにオスが 卵を育てる。ただし育児用 の袋はなくお腹に直接くっ つける。


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(C) 1996 Hajime Nakamura.