<花壇にて>
公園の立派な花壇の管理者は役所氏です。役所氏は忙しかったけど、とても生真面目な人なので、毎日の花壇の水撒きは、花たちに均等に水が行き渡るようにしていました。 その花壇は、まちのみんなから愛されていましたが、中でも近所に住む花好きのエヌ氏は、見て楽しむだけでなく、時々雑草を抜いたり水をあげたりしていました。 管理者の役所氏が、いつものように水を与えて帰っていったあと、花たちは話を始めました。 日当たりのいい場所の赤い花が言います。 「役所さんったら、生真面目なのにも程があるわ。ここは日当たりが良すぎるから、喉が乾いてカラカラよ。場所によって水の量を考えてくれればいいのに。」 端の方の黄色い花が答えました。 「いえいえ、赤い花さん、役所さんが生真面目だから、私たちのような端っこの花も、干からびずに済むのよ。ありがたくて感謝してるわ。それよりも、時々遊びに来てくれるエヌさんは、私たちのことは見向きもしないで、あなたたちの世話ばかりしているじゃないの。不公平じゃないかしら」 それを聞いていた白い花が笑いながら言いました。 「はっはっは。エヌさんは赤い花がとりわけ好きなんだよ。昔々奥さんに、赤い花でプロポーズしたらしい。ホントは花ならなんでも好きなんだけどね、もうお年寄りだし、水を運んでくるのも、雑草を抜くのも大変だから、いつも喉をからして雑草もよくはえる赤い花たちの世話をするんだ」 そんなふうに花たちが話しているうちに、エヌさんがやってきました。今日は孫のピオちゃんを連れてきています。 「わあ、きれいなお花畑ね、おじいちゃん!」ピオちゃんが花壇に駆け寄ってきました。 「おじいちゃんの好きな花はどれ?」 「赤い花だよ。でもいつもしおれそうになっているから、おじいちゃんが水をあげているんだ」 エヌ氏は答えながら、いつものように赤い花の回りの雑草を抜き始めました。日当たりがいいので、雑草もすぐに生えてくるのです。 それを見ていたピオちゃんは、「私は黄色い花が好きだから、黄色い花のところの草を抜いてあげよう」と言って、エヌ氏を真似て草抜きを始めました。黄色い花の回りにはあまり雑草が生えていないので、小さなピオちゃんにもできそうです。 草抜きが終わって、満足そうに花壇を見ているエヌ氏に、ピオちゃんは心配顔で尋ねました。 「でも、おじいちゃん、白い花はどうするの?それに、明日はみんなで旅行だから、水もあげられないよ。」 エヌ氏は笑って答えます。 「大丈夫、白い花が好きな人もいるさ。それにね、役所さんという人がいて、毎日ちゃんと世話をしてくれているんだ。ホントはおじいちゃんがいなくても、花は枯れないんだよ」 ピオちゃんは、安心して言いました。 「そうか。でも、おじいちゃんと私が世話をしてあげたら、さっきよりきれいなお花畑になったよね」 「そうだね。またこようね」 花たちも、うなづくように風に揺れました。
(おしまい) |
この花壇の花は、行政である役所さんの仕事だけでも咲きます。でも役所さんには、公園の他の管理もしなくてはならないので、きめ細かく花を世話する余裕はありません。そして仕事の上で重要なのは、全ての花を枯らさないということにあるのです。
逆に、花のそれぞれのことを最もよく知っているのは、毎日ゆっくり花を楽しんでいるエヌ氏です。エヌ氏のボランティアは、全ての花には行き渡らないけれど、それでも花壇のことをよく知っているので、花壇全体の美しさを高めることができています。さらに、ピオちゃんという、自由意志による責任感を持ったもう一人のボランティアを育てました。 すべての市民に公平な最低限のサービスを求められる行政は、私たちがみんなで決めた社会の骨格のようなものです。そして、個人の自由意志で行われるNPO活動は、さまざまな目的を持って自立的につけていく筋肉のようなものです。 そして、行政とNPOの協働とは、それぞれのそのような性格を明らかにして、互いに補完することにあります。つまり行政にしかできないことややるべきことと、NPOの方が得意なことを、バランス良くつなげることが協働なのです。 今までは、社会のことは社会づくりのプロである行政の方がよく知っていて、それに頼ってさえいればいいと、市民も行政さえも疑っていませんでした。しかし、実は、市民が生活している社会のことは、市民がもっともよく知っているはずです。 私たちは今、行政とは、コミュニティーでできなかったことを、仕組みをつくって、機能させるものだったのだという事実に気付かねばなりません。そうすればきっと、協働への新しい第一歩を踏み出すことができるでしょう。 |