2003年4月

●4月30日(水)
 眉村卓さんの新作「エイやん」、ご堪能いただけたでしょうか。年来の眉村ファンにとって、これは思いもかけないプレゼント。一読して何かしら懐かしさに似た感懐を抱いたファンもいらっしゃることでしょう。
 その感懐はむろん、久しぶりに眉村さんの小説を(病床にあった奥さんのために書かれた短い作品ではない小説を)読むことができ、以前と変わらない眉村さんの小説作法や文体に触れることを得た、その事実によっていると思われます。
 実際、六十代も末を迎えた「エイやん」の主人公は、かつて眉村さんによって描かれた青年たちと同様に自問自答をくりかえし、逡巡と決断、懐疑と納得を重ねますが、そのさまはまさに昔のまま。加齢によってもたらされるであろう退嬰めいたものがいささかも見られない点は、むしろ奇異の念さえ覚えさせるかもしれません。
 したがって読者が抱く懐かしいような感覚は、かつての登場人物に再会できたことによっているとも考えられます。主人公の思考と行動はファンにはおなじみのものであり、作品の設定や結構の面からいっても、たとえば「ねじれた町」や「夕焼けの回転木馬」を懐かしく思い出したファンも少なくないものと思われます。
 私の場合はというと、眉村さんの短篇の系譜に存在する、団地住まいの若夫婦を主人公にした一連の作品を連想しました。連作と呼べるほど緊密な関連性をもつものではありませんが、それでも“団地もの”とでも呼んで一括りにしてみたい気にさせられるそれらの作品を、私はひところかなり愛読したものでした。
 「エイやん」に描かれたのは、紛れもなくかつて“団地もの”に描かれた若夫婦の、妻に先立たれた夫の老境であり、ひとり残された夫によって発見された夫婦の本質的な関係性だと見受けられます。「エイやん」はひとつの集大成として、文字どおり書かれるべくして書かれた作品であるといっていいでしょう。
 集大成といえば、この小説は眉村文学そのものの集大成といった趣をも感じさせます。眉村さんの作品は多かれ少なかれ、端的にいってしまえば単独行者の独白とでもいった側面を有しています。その独白によって、さきほども記した主人公の逡巡と決断、懐疑と納得が読者に伝えられます。
 「エイやん」の主人公は、

 それもいいのではないか。
 あの道を行こう。

 と独白し、そこに示された逡巡と決断に導かれて、日常を少しずつ踏み外してゆきます。つづく。


●4月29日(火)
 いよいよ佳境に入ると申しますか、早くもだれてきたと申しますか、特定の世代からのみ圧倒的な支持と共感を集めながら(こんなことばっかいってますが)お送りしております光文社版少年探偵江戸川乱歩全集巻末広告、ちょっと休憩することにいたします。
 世間では統一地方選挙が終了しました。乱歩のお膝元豊島区でも27日に区長選挙と区議会議員選挙が行われ、即日開票の結果、現職の高野之夫区長が再選を果たされました。豊島区のホームページから投票速報と開票速報を録しておきましょう。

4月27日午後8時00分現在(確定)の投票速報をお知らせします。
当日の有権者数  201,529人
投票者数     87,895人
投票率      43.61%
http://www.city.toshima.tokyo.jp/senkyo/kugi-kuchosen/kucho_tohyo.html

4月28日午前0時40分確定の開票速報をお知らせします。(開票率 100%)
1 日本共産党  山本 としえ  16,032票
2 無所属    高野 之夫   62,142票
3 無所属    柿沼 久雄   6,294票
http://www.city.toshima.tokyo.jp/senkyo/kugi-kuchosen/kucyo_kaihyo.html

 43%という投票率はいかさま低すぎますが、まずはお祝いを申しあげたいと思います。
 思い起こせば四年前のことです。帝国ホテルで行われた中島河太郎先生のお別れの会の翌日、乱歩邸にお邪魔して平井隆太郎先生にご挨拶を申しあげ、
 「ゆうべY前さんに銀座のお店でおごってもらったんですけど、ああいうところはやっぱりかなり高いんでしょうか」
 「いや、私にはわかりませんね」
 みたいなお話をしていたおり、じつはきょうこれから新しい豊島区長が乱歩記念館のことで挨拶に来てくれるのだ、と教えていただいたのが、私が高野之夫さんとおっしゃる豊島区長の存在を知った最初でした。
 以来幾星霜、豊島区の乱歩記念館建設構想は結局断念されるに至りましたが、われらが名張市は豊島区長からひとかたならぬお引き立てをいただいて現在に至っております。乱歩がとりもつ縁というやつです。死せる乱歩が生ける豊島区長と名張市長を走らせ、豊島区と名張市が姉妹都市だかなんだかになろうかという話も出ているそうです。ま、私はさしたる興味も覚えませんが。

チキン唐揚げ弁当への帰還

 さてここで、取ってつけたように、インターネット上で公開されている眉村卓さんの新作小説「エイやん」のご案内を。

エイやん

 掲示板「人外境だより」で少し前、「エイやん」を掲載したホームページ「とべ、クマゴロー!」を主宰する大熊宏俊さんからご紹介いただいたのですが、そのときのご投稿はすでにあと白波と消え去っておりますので、あらためてリンクを掲げる次第です。


●4月28日(月)
 いやどうも。旭堂小南陵でございます。いえそんなことはありません。何わけのわからないこといってるんでしょうか私は。

9 宇宙怪人

怪人は、もう二メートルほどのところへよってきました。銅仮面のまっ黒な三日月がたの口が耳までさけてニヤニヤと笑っていました。なんともいえない、なまぐさいにおいがただよってきました。「キミ、フルエテイルネ。」人間の声ではない言葉がきこえてきました。

 世に名せりふと称されるものがありますが、乱歩のいわゆる少年ものの名せりふはさしずめこれではないでしょうか。

 怪人は、もう二メートルほどのところへ近よっていました。銀仮面の、まっくろな三日月がたの口が耳までさけて、ぶきみに光っていました。なんともいえない、なまぐさいような、いやなにおいが、ただよってきました。
 「キミ、ボクガ、ダレダカ、シッテイルネ。」
 人間の声とは、どこかちがった、へんなことばが、きこえてきました。
 「キミ、フルエテイルネ。コワイノカ。シンパイナイ。ボク、ナニモシナイヨ。」
 水谷少年は、もう、息がとまりそうでした。

 小林少年もこの怪人に遭遇します。

 ああ、その手。
 カエルの手を、千倍も大きくしたような、水かきのある、みどり色の手でした。つめたくて、ヌルヌルして、なんだか、なまぐさいような、いやーな、においのする手でした。
 「フルエテイルネ、コワイノカ、コワクナイヨ、ナニモシナイヨ、キミニハ、ナニモシナイヨ……、サヨナラ、サヨナラ。」

 キミ、フルエテイルネ。コワイノカ。
 このせりふを喋りたいというただそれだけのために、怪人二十面相はくりかえしくりかえし、手を替え品を替えて少年読者の前に現れつづけたのでした。
 中井英夫は乱歩の少年ものをテーマにした卓抜な評論「孤独すぎる怪人」で、このように述べています。

 乱歩こそ実は、あまりにも孤独にすぎるため、次から次と扮装を変えて少年たちの前に現われずにいられなかった、あの“存在そのものの恥”怪人二十面相そのひとだったのである。

 キミ、フルエテイルネ。コワイノカ。
 このせりふは乱歩その人が少年読者にくりかえし囁きつづけていた言葉でもあったと思われます。

10 鉄塔の怪人

どこかしらの山おくに、西洋のお城のような、恐しい鉄の塔がそびえているらしいのです。そしてその塔には、カブトムシを万倍も大きくしたような、せなかにがい骨のもようのある妖虫がウジャウジャすんでいるらしいのです。その数ひきが東京に姿を現わしました。

 この色の字には傍点。
 えー、きょうもいささか愛想がありません。どうも申し訳ございません。旭堂小南陵でございました。
 なお、「宇宙怪人」の引用は江戸川乱歩推理文庫34(昭和63年1月、講談社)、「孤独すぎる怪人」の引用は手近なところで文藝別冊『江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団』(2003年3月、河出書房新社)に拠りました。


●4月27日(日)
 怒濤のごとく暴風のごとく押し寄せる圧倒的な世代的共感に身を揉まれつつお送りしております光文社版少年探偵江戸川乱歩全集巻末広告。
 いまさらなんにもいいません。
 ひたすら走ります。

7 透明怪人

大友君はあまりの恐しさに体がガタガタふるえてきました。自分の顔がなくなっていたのです。鏡にうつっているのは学生服だけ…大友君はいつか透明人間にされてしまったのです。一生目に見えない人間として暮さなければならないなんて恐しいことがあるでしょうか。

 さらに走ります。

8 怪奇四十面相

「私の新事業とは“黄金どくろ”の秘密をあばくことだ。それには、このろうやを逃げ出さなくてはならぬ。だが、その日も目の前に迫っている。私はやすやすとろう破りをしてみせるぞ。」新聞にデカデカとのせられたこの手紙をよんで、世間の人はアッと驚きました。

 この色の字には傍点。
 えー、走りすぎて息切れがしてきましたので、本日はここまでといたします。愛想がなくて相済みません。

 A Glimpse of Rampo
 受賞の言葉:西村京太郎
書名:殺意の断層 「オール讀物」推理小説新人賞傑作選1/編:文藝春秋/1984年11月25日第一刷/文藝春秋、文春文庫/p. 8〔歪んだ朝〕
 
初めて、推理小説と云うものに接したのは、中学一年の頃、伏字のある江戸川乱歩の「黒蜥蜴」だったと思います。その時は、推理の面白さよりも、セクシアルな描写に、刺戟されたのを憶えています。
○こまさんから目撃情報のご通報をいただきました。

 それから下記は、グリンプスどころか全体の四分の一が乱歩の記述にあてられているらしい博士論文なのですが、詳細はいっさい不明。とりあえずメモのつもりで録しておく次第です。

Mark Hastings Silver, Purloined Letters: Cultural Borrowing and Japanese Crime Literature, 1868-1941, Ph.D. Dissertation, Yale University, 1999.

 ジェフリー・アングルスさんからお知らせいただきました。


●4月26日(土)
 いまや確信犯としての自覚と自信に充ち満ちてご紹介申しあげておりますところの光文社版少年探偵江戸川乱歩全集巻末広告、本日も突っ走ります。
 ここでついでに記しておきますと、「確信犯」という言葉を誤用する方がたまにいらっしゃるみたいです。手許の新潮国語辞典第二版から語釈を引いておきますと、「政治・思想・信仰上の信念から、自分の行為を正しいとしてなされる犯罪。また、その犯人」。いや別に思想や信念ってほどのものを持ち合わせてるわけでもないんですが。
 さて、本日はわれらが乱歩の記念すべき戦後第一作、「青銅の魔人」から。かりに少年探偵団シリーズのベスト作品選出アンケートなんてのが行われたら、必ずや上位に躍り出るであろう作品です。

5 青銅の魔人

大木のかげのくらやみから、あいつが姿をあらわしたのです。銅像のような顔、銅像のような体、全身金属の怪物です。ポッカリほら穴のように開いた両眼、三日月型にキューッとまがった口。ギリ、ギリ、怪物は機械のようなぎこちない歩きかたでジリジリ近づいてきます。

 お話は夜の銀座から始まります。
 銀座か。
 銀座にもずいぶんご無沙汰してしまいました。
あれはたしか1999年6月のことでしたが、帝国ホテルで催された中島河太郎先生のお別れの会のあと、初めてお会いした評論家のY前先生にとあるお店へ連れていっていただいて以来、銀座からはもう四年も遠ざかっています。そういえばあのときのお店から先日はがきが届いて、「4月25日をもちまして、閉店させていただくはこびとなりました」。ありゃりゃ。つまり奇しくもゆうべが最後の夜だったわけですが、これも不況の影響でしょうか。私は一度あのお店でY前先生におごり返さなくちゃいけないな、と思いつづけてきょうという日に至ったのですが、その機会はこれで永遠に失われてしまいました。残念なんだかどうなんだか。

 冬の夜、月のさえた晩、銀座通りに近い橋のたもとの交番に、ひとりの警官が夜の見はりについていました。一時をとっくにすぎた真夜中です。
 ひるまは電車やバスや自動車が、縦横にはせちがう大通りも、まるでいなかの原っぱのようにさびしいのです。月の光に、四本の電車のレールがキラキラ光っているばかり、動くものは、何もありません。東京中の人が死にたえてしまったようなさびしさです。

 両手からまた洋服のポケットというポケットから、何十個とも知れぬ鎖つきの懐中時計をぶらさげた一人の怪人が、ギリギリ、ギリギリと、巨人の歯ぎしりのような不気味な歯車の音をさせながら、人通りの絶えた夜の銀座を歩いてゆきます。
 といった開巻劈頭のシーンをあどけなくまたいとけなかった子供のころ、私はこわごわ読み進んだものでした。そんな記憶がいまもまざまざと蘇ってきます。
 ところで、青銅の魔人は時計を盗みます。ひとことでいえば時計泥棒です。時計泥棒とは時間を盗む人の謂ででもあるのでしょうか。
昭和23年に書き始められた戦後第一作で、少年探偵団シリーズという永劫回帰の世界にふたたび姿を現した怪人二十面相は、どうしてまた時計なんかを狙ったのでしょうか。

6 虎の牙

こんなふしぎなことがあるでしょうか?天野勇一君の体が空気よりもかるくなってフワフワと宙にまいあがったのです。そして首がきえ、胸がきえ、足だけがしばらく空中にのこっていましたがそれもフッときえて、ウオーッという猛獣の声が聞こえてきました。

 六作目ともなると、おなじみの名場面もすっかり定着します。名探偵と怪盗、巨人と怪人、ほとんど形影相伴うがごとき稀代の好敵手が相まみえる場面です。

 「そのひとりというのは?」
 魔法博士の挑戦です。
 「品川沖で一度死んだ男だ。いや、一度だけではない。二度も三度も死んだ男だ。死んだと見せかけて、生きていた男だ。」
 「その生きていた男は?」
 「きみだ、きみがその不死身の男だ。怪人二十面相だッ。」
 そのとき、小林少年は、まるで海の底にいるような感じをうけました。音という音が消えうせて、時間の進行が、そこでピッタリとまってしまったかと、うたがわれたのです。名探偵も怪人も、まるで石になったように動かなかったのです。

 ほら読者諸君。やはりここでも時間が盗まれています。
 なお、「青銅の魔人」と「虎の牙」の引用は江戸川乱歩推理文庫32・33(昭和62年11月・12月、講談社)に拠りました。

 A Glimpse of Rampo
 キャラクター小説の作り方:大塚英志
書名:キャラクター小説の作り方/著:大塚英志/2003年2月20日第一刷/講談社、講談社現代新書1646/p. 80 - 81〔第三講──キャラクターとはパターンの組み合わせである\江戸川乱歩のミステリー小説観〕
 
かつて自分たちのジャンルの小説は写生文的なリアリズムに基づかないと言い切ったのは日本の探偵小説の祖ともいえる江戸川乱歩ですが、探偵小説には「名探偵」という現実には成立し得ない職業(現実の「探偵」が行うのは浮気調査であって、殺人事件の解決ではありません)が成立していますし、殺人犯もわざわざその謎が解ければ自分が犯人だと判るトリックを仕掛けます。
○大江十二階さんから目撃情報のご通報をいただきました。


●4月25日(金)
 えー、著作権者の方はいらっしゃいませんか。光文社の方はいらっしゃいませんか。
 それではそそくさとつづけましょう。
 「怪人二十面相」にひきつづいて天皇がいまだ神であった時代に(いやむしろ、天皇がつかのま神であった時代に、としたほうが正確でしょう)執筆された三作品、まとめて行ってしまいます。

2 少年探偵団

東京中にひろがった「黒い魔物」のうわさ…なんでもそいつは、全身にすみをぬったような、恐しくまっ黒なやつだということでした。その悪魔を向こうにまわしてたたかう者は、十人の勇敢な小学生で組織された少年探偵団。団長はもちろん明智探偵の名助手小林少年。

 「怪人二十面相」の冒頭はよく引用されたりもして、「そのころ、東京中の町という町、家という家では……」という例のフレーズをすらすら暗誦できる方もいらっしゃるかもしれません。「少年探偵団」の冒頭にも、やはり噂が登場します。

 そいつは全身、墨を塗ったような、おそろしくまっ黒なやつだということでした。
 「黒い魔物」のうわさは、もう、東京中にひろがっていましたけれど、ふしぎにも、はっきり、そいつの正体を見きわめた人は、だれもありませんでした。

 お話を噂から始めるのは「黄金仮面」以来の得意技。都市伝説の心理学、なんてものを乱歩は巧みに利用していたと見受けられます。

3 妖怪博士

「ワハハハハ……『少年探偵団』なんて生意気なことをいったって、お化けにかかっちゃ、かたなしじゃないか。おれは胸がスーッとしたよ。きみたちには、いつもひどいめにあわされているが、おれのかたきうちはこれからだぜ。」ほら穴にひびく大コウモリの声……。

 ああ、コウモリ、大コウモリ……。真っ暗な洞窟のなかで少年たちは何を見たのでしょう。

 すると、そのまるい光の中へ、向こうのやみから、何かしらびっくりするほど大きなものが、ニューッと姿をあらわしたのです。少年たちはその姿を一目見ますと、あまりのおそろしさに、ツーンとからだがしびれたようになって、もう身動きさえできなくなってしまいました。
 ああ、この世にこんなおそろしい動物がすんでいたのでしょうか。それはもう、なんともいいようのない、いやらしい、ゾーッとするような化け物でした。

 どんなものが見えたのかを具体的に知る前に、少年読者は作者によって、作中の少年たちが感じた恐怖をいきなりたっぷり二段落にわたって共有させられます。これが乱歩のいわば常套。いとけない子供相手になんてことするんだッ、といまにして思いますが、おかげでまあ恐かったこと怖かったこと。

4 大金塊

ししえぼしをかぶるとき、からすのあたまのうさぎは三十、ねずみは六十…」奇怪な暗号にひきよせられてやってきた、離れ小島の地の底…聞こえるのはゴウゴウと渦まく水の音ばかり。もう小林少年の胸のへんまでもジャブジャブとまっ黒な水がのぼってきたのです。

 文中この色で示した文字には原文では傍点が附されています。不肖カリスマ、このししやえぼしの暗号文ならいまでもしっかり諳んじています。歴代天皇名はほぼ忘れてしまい、神武、綏靖、安寧、懿徳……、ここまでしか思い出せない情けなさですが。
 なお、「少年探偵団」と「妖怪博士」の引用は江戸川乱歩推理文庫31・32(昭和62年9月・11月、講談社)に拠りました。

 A Glimpse of Rampo
 日本SFの元祖知って徳島出身の作家・海野十三大阪の講談師旭堂南湖さん来月11日に紹介:無署名
紙名:朝日新聞徳島版/2003年4月24日/朝日新聞大阪本社
 
「一代記」は、海野の葬式に集まった小説家の江戸川乱歩や横溝正史らが海野について語る形で、海野を紹介する創作講談。
○小西昌幸さんから目撃情報のご通報をいただきました。


●4月24日(木)
 河出書房新社から3月に刊行された文藝別冊『江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団』、あなたはもうご覧になりましたか。などとお訊きするまでもありますまい。あなたのことです。とっくにご覧になったことでしょう。
 あの本には、「『少年探偵団』あやしい魅力」と題された北村薫さんと戸川安宣さんの対談が収録されていました。その最初のほうに、

北村 〔略〕「少年探偵団」モノというとどうしても忘れることができないのは、光文社版のうしろにあった、あの……。
戸川 はいはい、全巻広告(笑)。挿絵の部分絵と内容紹介なんですが……。
北村 あれ、名文句ですよね。あの情報っていうのはありますか。誰がつくったんですか、編集部?
戸川 編集部なのか宣伝部なのか……、あれはすごいですよね。
北村 うん。あれはすごい。〔略〕

 といったやりとりがあったこともまた、あなたはあるいはご記憶かもしれません。
 お子供衆お若い衆にはまるで縁なきことながら、光文社版少年探偵江戸川乱歩全集で育った世代ならすぐにもああ、あれだなと打てば響くような反応が返ってくるはずの、あの巻末広告の話です。
 あれはいつでしたか。山田風太郎がこの世におさらばした夏のことであったと思いますが、私が電子掲示板「小林文庫の新ゲストブック」に毎日のように出入りしていたころ、同掲示板で談たまたま上記巻末広告に話題が及び、それならば『江戸川乱歩著書目録』の解題にあの巻末広告を全点引用できるかどうか考えてみましょう、みたいな安請け合いをしたような記憶があります。
 どうも申し訳ありません。
 『江戸川乱歩著書目録』の解題では、巻末広告のかの字にもこの字にも触れることができませんでした。
 だって紙幅が全然足りなかったんだもん。と、言い訳をしております。
 いくらカリスマだって泣く子と紙幅には勝てないもーん。と、開き直っております。
 すなわち私は『江戸川乱歩著書目録』をめぐる言い訳と開き直りにそそくさと突入しているわけなのですが、よろしい。こうしましょう。
 とにかく執筆者不明の文章ですから著作権者の了解も求めようがなく、むろん光文社に仁義を切らなければならぬのかなとは思われますものの、あの巻末広告はいまやわれわれの世代のパブリックドメインであると判断して(もう無茶苦茶な話です)、とりあえずこの伝言板でご紹介申しあげることにいたしましょう。
 もしも著作権者の方がご覧になっていらっしゃったら、ぜひご連絡いただきたいと思います。もしも光文社の方がご覧になっていらっしゃったら、どうか大目に見ていただきたいと思います。
 底本は少年探偵江戸川乱歩全集23『鉄人Q』(昭和35年9月10日初版、光文社)。原文は総ルビです。

1 怪人二十面相

あの恐しい青銅の魔人となったり、ふしぎな宇宙怪人にばけた「怪人二十面相」は、はじめてこの物語の中にその不気味な姿をあらわすのです。どうして二十面相は、明智探偵と小林少年をあんなにいじめるのか?そのわけはこの本をよまないと、よくわからないのです。

 「どうして二十面相は、明智探偵と小林少年をあんなにいじめるのか?」というのは、もしかしたら少年探偵団シリーズの本質の一側面に迫り得る設問かもしれません。あるいは逆に、明智探偵と小林少年はどうしてあんなに二十面相をいじめるのか、という設問もまた。

 A Glimpse of Rampo
 凡例:無署名
書名:浮世草子集/校注:野間光辰/昭和41年11月5日第一刷/岩波書店、日本古典文学大系91/P. 45
 
本書の底本として使用したのは
   好色万金丹(元禄七年板)   天理図書館蔵
   傾城禁短気(無刊記初摺本)  京都大学文学部蔵
   新色五巻書(元禄十一年板)  故江戸川乱歩氏蔵
である。

○ほりごたつさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●4月23日(水)
 といったような次第で、江戸川乱歩と小酒井不木の往復書簡集を三重県予算で刊行しようというパブロフの犬作戦、現時点でのご報告はひとまず終了といたします。
 何かしら進展があればまたお知らせいたしますが、三重県の「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」などという愚劣な事業、こちとら早く叩きつぶしてやりたくてうずうずしております。むろん逆立ちしたって叩きつぶすことなんてできないわけですが、2004伊賀びと委員会のみなさんにはせめて事業計画くらい早いとこお決めくださいなと申しあげておきましょう。

キミ、フルエテイルネ

 そんなことより当面の問題は、やっぱりこれに尽きるでしょう。

『江戸川乱歩著書目録』近刊予告

 ご覧いただいた画像は3月23日、徳島県の北島町立図書館・創世ホールで催された竹内博さんの講演会「三人の怪獣王──円谷英二、香山滋、大伴昌司」(北島町立図書館・創世ホール主催)で入場者に配付していただいたチラシです。
 いま気がついたのですが、チラシにある「乱歩の著書千四百二十四点を網羅し」という文章は、ちょっとおかしいかもしれません。たとえば乱歩が序文を寄せた他人の著書(こういうのは普通、乱歩の著書とは呼びません)、なんてのも含めて千四百二十四点を網羅したのが『江戸川乱歩著書目録』です。しかしなにしろ著書目録のチラシですから「著書」と謳って何が悪いか。
 みたいな言い訳と開き直りをですね、『江戸川乱歩著書目録』の刊行前からぼちぼち並べておくことにいたしましょうか。


●4月22日(火)
 読者諸兄姉のなかにはきっと、わざわざ名乗り出てくれた奇特な出版社があるのだから、ぐずぐずごたごたしているらしい三重県の「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を恃みにするパブロフの犬作戦なんかさっさと中止して、その出版社に乱歩不木往復書簡集の話を進めてもらえばいいではないか、とお思いの方もいらっしゃることでしょう。
 しかしまあお待ちください。
 といったって、私は何も「伊賀の蔵びらき」事業関係者の面子を慮って遅疑逡巡しているわけではありません。私はだいたいが面子の顔の立場の体面のと、何かというとそんな言葉を持ち出す人間をあまり好みませんし、そんな人間に限っていざとなると真っ先に責任回避を決め込んでしまうものだということは、名張市役所のお役人衆を拝見していてよくよく了解してもおります。
 しかし不肖カリスマ、僭越ながらパブロフの犬作戦を遂行しながら同時進行で「伊賀の蔵びらき」事業に対する批判も展開したいとの野望を抱いておりますので(むろんこんな批判は書簡集の上梓を心待ちにしてくださっているみなさんには何の関係もないことですが)、とりあえず「伊賀の蔵びらき」事業の内容が確定しないことには手も足も出すことができず、いまはただ切歯扼腕しながら推移を見守っている次第であると申しあげておきましょう。
 ここで打ち明けてしまいますと、現時点におきましては、「伊賀の蔵びらき」事業を主催する2004伊賀びと委員会と奇特な出版社のコラボレーションが実現できぬものかと私は算段しております。
 しかしこれは難しいか。
 何かというと面子の顔の立場の体面のと口やかましく騒ぎ立て、そのくせいざというときには真っ先かけて責任回避を決め込んで怪しまない、独りよがりな手柄主義と狭量な縄張り意識にこりかたまったお役人衆の体質をほぼそのまま踏襲したかに見えるあの2004伊賀びと委員会に、コラボレーションだなんてそんなことを期待するのは難しいか。
 とはいえ、名張市役所のお役人だって去年ちゃんと豊島区とコラボレーションすることができたんですから、望みはまったくないというわけでもないかもしれません。
 と思っておくことにいたしましょう。


●4月21日(月)
 いや時間がない時間がない。ぼやぼやしてたらあっという間に時間がなくなってしまいました。
 時間がない時間がないとぼやきながらサイト内の画像を整理していたら、なんですかこんなのが出てきてしまいました。

半ケツのお姉さん

 私はいったい何を考えてこんな画像をアップロードしたんでしょうか。一応記念にと思って上記のリンクを設定したわけですが。何の記念なんだかはよくわかりませんけど。
 ではまたあした。


●4月20日(日)
 そういった次第で、これまでにお伝えしてきた乱歩書簡三十二通と不木書簡百十八通、計百五十通が現時点で判明している乱歩不木往復書簡のすべてです。不木宛乱歩書簡はほかにも存在しているはずですが、どこかの蔵かなんかで眠っているのか、あるいは何かの事情で散逸してしまったか処分されてしまったか、とにかく所在が知れません。しかしまあ、いま存在が確認されている書簡を刊行するだけでも大きな意義が認められます。
 ところで乱歩は、他人への手紙をカーボンコピーで保存していました。江戸川乱歩推理文庫64『書簡 対談 座談』(1989年4月、講談社)に収録された中島河太郎先生の解題には、こんなふうに記されています。

 大正十一年十一月十五日付の二山久に宛てた手紙の冒頭に
 「俺にとっては、自分のメモとして日記帳に書く事と、友達に自分の当時の感想を書き送ることと、その内容が殆ど同一である。だから二重に書く面倒、と同時に二重に書かねばならぬ為につい手紙を書かなくなる不精とを避ける為に、複写簿によって手紙と同時に日記を書くことを思いついた。これは其第一回の試みである。」
 と述べているのが、乱歩の残している手紙の一号である。以後自分で書いたものは複写で保存し、相手のものもやはり保存しているのだから、膨大な量にのぼるはずである。

 不木宛の書簡も複写が残っていたはずなのですが、きわめて残念なことながら、複写された手紙は晩年に至って乱歩自身の手で焼却されてしまいました。まことにもって残念至極。
 ですから現在判明しているかぎりでは、乱歩の手になる最後の不木宛書簡は昭和2年6月8日付。休筆して放浪中の乱歩が旅先から出した絵葉書です。まだ見ぬ不木宛書簡もひょっこりどっかから出てこないもんでしょうか。


●4月19日(土)
 乱歩と不木による書簡のやりとりをもう少し見てみましょう。
 大正12年7月3日発の不木書簡を受けた乱歩書簡は7月22日付。江戸川乱歩推理文庫64『書簡 対談 座談』(1989年4月、講談社)から冒頭を引きます。

小酒井光次宛 大正十二年七月二十二日付

 先日は御叮嚀な御返事を頂きまして感謝致します。森下さんへ送りました「恐ろしき錯誤」はどうも不評の様で、増刊にのらず九月号乃至十月号に廻るらしいのです。一寸悲観しています。それが、本日「新青年」のルヴェルの短篇を読んで、更らに倍加しました。実にルヴェルはすばらしいと思います。私の永々しい説明沢山の「あれ」なんかとは大した相違です。

 ちなみに、このとき乱歩が読んだルヴェル作品は「新青年」8月号に掲載された「夜の荷馬車」「親を殺した話」「ある精神異常者」「情状酌量」の四篇。「ある精神異常者」に「最も引きつけられました」と乱歩は述べています。

新青年八月號(第四卷第九號)

 そして月日が流れ、ミラボー橋の下をセーヌ川が、江戸川橋の下を神田川が流れました。
 一年以上の空白を経て大正13年11月、乱歩は不木に書状を出し、別便で「心理試験」の原稿を送付して、自分が探偵作家として一人前になれるかどうかの判断を仰ぎます。
 この書簡が昨年、成田山書道美術館の企画展「わたしからあなたへ−書簡を中心に−」に展示され、読売新聞や毎日新聞の東京本社版で報道されたことが、いまから振り返るとパブロフの犬作戦発動のそもそもの契機となったわけでした。
 その企画展からほぼ一年。
 乱歩と不木の往復書簡集刊行が夢でなくなりつつあるのはまさに夢のような話です。書簡集の内容についてもう少しお知らせしておきましょう。
 まず書簡そのものですが、書簡集には書簡の画像と翻刻文をあわせて収めたいと思います。ただし画像全点の収録が可能かどうか、紙幅その他の都合がありますから未確定。
 ほかに解題と関連年表なども加えます。
 もしかしたら乱歩と不木がお互いのことを書いた随筆の類、たとえば不木の「『二銭銅貨』を読む」や乱歩の「肱掛椅子の凭り心地」などを入れることになるかもしれません。
 書簡の翻刻文には脚注が必要か。
 人名索引と作品名索引はどうでしょう。
 どうでしょうといきなり尋ねられてもお困りかもしれませんが、読者諸兄姉も書簡集に盛り込むべきアイデアを思いつかれたら、どうぞお気軽にご教示ください。
 さるにても、パブロフの犬よどこへ行く。三重県の「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業はいったいどうなっているのでしょうか。


●4月18日(金)
 えー、ついさっき起床しました。二日酔いです。どうもすいません。ではまたあした。


●4月17日(木)
 乱歩宛の不木書簡百十八通は乱歩によって一巻に製本され、先ごろ開催された豊島区の「江戸川乱歩展 蔵の中の幻影城」でも展示されていました。会場で口を半開きにして飽かず眺め入った、とおっしゃる方もいらっしゃることでしょう。
 往復書簡集にはこの不木書簡百十八通を収めます。不木の著作権はとっくの昔に消滅していますが、話が本決まりになったら一度ご遺族にご挨拶を申しあげる予定です。
 いっぽうの不木宛乱歩書簡三十通は昨年4月から5月にかけて成田山書道美術館で開かれた企画展「わたしからあなたへ−書簡を中心に−」で初めてその存在が明らかになったもので、同美術館学芸員の方と書簡所有者の方(当時は某古書業者の方)のご高配をたまわって全点の写真撮影を行いました。
 往復書簡集にはこの乱歩書簡三十通を収めます。乱歩のご遺族からは公刊のご承諾をいただいております。話が本決まりになったら、つまり書簡集の版元が決定したら、ご遺族ならびに成田山書道美術館の学芸員の方と書簡所有者の方(現在は某コレクターの方)にあらためてご挨拶を申しあげる予定です。
 不木宛乱歩書簡はこれ以外にも二通、存在が確認されています。江戸川乱歩推理文庫64『書簡 対談 座談』(1989年4月、講談社)に収録された大正12年7月1日付、同年7月22日付の二通がそれです。
 往復書簡集にはこの二通も収めたいと思います。書簡の現物がどこにあるのか現時点では不明ですが、最悪の場合でも上記『書簡 対談 座談』を底本とすることが可能です。不木宛乱歩書簡、これで三十二通となります。
 ではここで、乱歩が初めて不木に呈した書簡の冒頭を『書簡 対談 座談』から引いてみましょう。

小酒井光次宛 大正十二年七月一日付

 ずっと以前から御手紙を差上げよう差上げようと思いながら、つい今日まで失礼して居りました。御名前はもう久しく伺って居たのですが、私としては、拙作「二銭銅貨」を御批評下さいましてから、特に先生に関心を持つ様になったのでした。あの「新青年」にのりました御讃辞に対しては、あの時すぐにも御礼申上げるべきでしたが、何かの都合でついつい怠っていたのでした。どうか悪しからず御許し下さいませ。
 「一枚の切符」に対する御批評も森下氏から間接に伺い、御助言に従って訂正したりしたのでした。
 先生の犯罪科学犯罪文学に関する御造詣には分らぬ乍ら、随分驚歎しています。そして、翻訳でない日本語で、ああした興味深い論文を読み得ることを感謝しています。

 といった具合に不木への敬意と謝意から書き起こされ、とはいえ「先生に関心を持つ様になった」なんてあたりは敬語的表現に意を用いて添削してやりたい気にもさせられますが、まあご愛敬ご愛敬。
 書面ではこのあと「私は生来人一倍好奇心の強い男でして」と探偵作家志望の青年による自己紹介が縷々述べられ、「脳髄の盲点」をテーマにした「恐ろしき錯誤」を書きあげて新作「赤い部屋」に着手したことが報告されています。
 これを受けた不木の返信は『小酒井不木全集 第十二巻』(昭和5年5月、改造社)に収められています。ついでですから行っちゃいましょうか。

江戸川乱歩氏宛 七月三日発

 御手紙うれしく拝見致しました。御親切な御言葉を切に感謝致します。森下さんから『二銭銅貨』の原稿を見せて頂いたときは、驚嘆するよりも、日本にもかうした作家があるかと、無限の喜びを感じたのでした。私の眼に誤りがあるかもしれませぬけれど、あなたには磨けば愈光る尊いジニアスのあることを認めて居ります。どうか益つとめて下さい。『創作のために費さるゝ時間の少い』といふことは如何にも残念ですが、あなたのやうな見方で人生を観察さるゝ方は、『無味乾燥』な生活のうちにも題材は得られませうから、怠らず心懸けて下さるやう御願ひします。

 全文をお読みになりたい方は当サイト「乱歩百物語」でどうぞ。

[第二話]書簡:小酒井不木

 それにしてもいかがですか読者諸兄姉。わずか二通をちらっとご覧になっただけなのに、あなたの胸には乱歩不木往復書簡集への期待がいまや春雷のごとくどろどろと不吉な高鳴りを響かせているのではありませんか。どうして不吉なのかは不明ですが。不一。


●4月16日(水)
 パブロフの犬作戦は乱歩と不木の往復書簡集を三重県の予算で刊行しようという一大プロジェクトですが、版元の候補としてはほかに財政非常事態宣言都市名張市があり、さらにはごく最近になってありがたいことに東京の某出版社からも名乗りをあげていただいております。
 出版社から出してもらえるのであれば三重県民または名張市民の血税を投入する必要はさらさらないのですが、とりあえずもうしばらくは「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のなりゆきを見守りたいと思います。
 むろんどこが版元になろうとも、書簡集の内容そのものは不変です。概要を示しておきましょう。

小酒井不木の江戸川乱歩宛書簡 118通
江戸川乱歩の小酒井不木宛書簡  30通

 いまのところはこれだけです。
 本日のところはこれまでです。


●4月15日(火)
 まず画像をご覧いただきましょう。
 2004伊賀びと委員会(事務局:三重県伊賀県民局企画調整部)が主催する「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」(あまりにも長々しいですから以下、「伊賀の蔵びらき」と略します)事業パンフレットの一ページです。

「伊賀の蔵びらき」事業パンフレット

 「この事業では、世界に誇りうる芭蕉さんの生誕360年をきっかけにして、自然や風土、歴史、文化といった伊賀や三重のあらゆる魅力を発信し、交流します」に始まる「実施目的」などが記されています。
 ご用とお急ぎでない方は、三重県伊賀県民局のホームページに掲載された「伊賀の蔵びらき」事業の案内もお読みください。

「伊賀の蔵びらき」事業

 上記ページからは Word 文書「「伊賀の蔵びらき 」事業企画案」(平成14年11月28日策定)をダウンロードできるのですが(じつは不肖カリスマ、パソコンを新しくして初めて Word ユーザーとなり、おかげでようやくこの文書を読めるようになりました。やっと世間に追いつきました)、いくら暇でもわざわざダウンロードしてみようという酔狂な人はいないでしょうから、同文書「本文1(企画案)」11ページ、「「秘蔵のくに」の文人たち」と名づけられたプランから関連事項を引いておきます。

■事業名 江戸川乱歩
■時期 春〜秋
■事業内容
○「秘蔵のくに」乱歩蔵びらき〜あやしの世界
未発表小酒井不木との書簡集の発刊、伊賀の乱歩に関わる作家・研究者の紹介、文学講座、シンポジウムを行います。
○乱歩モダン・ミュージアム
乱歩が生きた時代の懐かしいものを集めた風俗・大衆文化展や「なつかしの住宅地図」の作成、乱歩作品の上映等を行います。

 ご覧のとおり、乱歩不木往復書簡集発行というプランもちゃーんと組み込まれております。われらがパブロフの犬作戦、おかげさまで権力の内懐にしっかり食い込んでおります。なお書簡集発行以外の文学講座やシンポジウムなどの企画につきましては、不肖カリスマいっさい関知しておりません。
 ただし文書に「この事業企画案は、2004伊賀びと委員会における検討案で、事業の実施を決定したものではありません」と記されているとおり、これらの事業はまだ正式には決定されておりません。
 それならいったいいつ決まるのか。同文書7ページから関連事項を引きましょう。

《事業企画検討・決定》
○平成14年11月28日 2004伊賀びと委員会事業企画案策定
○平成15年2月28日 委員会企画事業・市町村実行委員会企画事業・募集事業締切
○平成15年3月 事業実施計画案決定
《実施計画検討・決定》
○平成15年6月 事業毎の事業内容決定
○平成16年3月 事業毎の事業費決定
《事業の実施》
○平成16年5月16日〜平成16年11月21日

 つまり2004伊賀びと委員会が策定した企画案のほかに、伊賀地域七市町村にそれぞれ設けられた実行委員会、さらには地域住民からも企画案を募集して、それらを取捨選択し総合した事業実施計画の大枠が3月中にまとめられることになっていたのですが、計画はやや遅れ気味でごたごたしながら進みつつあるようです。
 とはいえこれまでのところでは、イラクの自由作戦や衝撃と恐怖作戦の陰に隠れながらもわれらがパブロフの犬作戦、いわゆる slowly but surely って感じで進行してきたとご報告申しあげておきましょうか。


●4月14日(月)
 さてその江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』の件なのですが、まあ長い目でご覧ください。いずれは刊行できるでしょう。進捗状況を仔細にご報告申しあげるべきかとも思うのですが、印刷製本をお願いしている田舎の印刷屋さんの悪口につながりそうですからやめておきます。
 といってしまってはあまりにも愛想がありませんゆえひとつだけ書いておきますと(人外境だよりでは、本文がベタ送りになっていなかったから全ページ組み直してもらいました、みたいなことをごく簡単にお知らせしましたが)、たとえば欧文のハイフネーションという問題があります。私は DTP ソフトで組んだデータとプリントアウトした原稿を印刷屋さんに渡すとき、欧文のフォントはフォントによって幅が微妙に違いますから(このあたりの説明は簡略に済ませておきますが)、原稿の段階ではハイフネーションを行っておりません、適宜ハイフネーションを、と口頭でお願いしておきました。ところが初校を見るとハイフネーション処理が行われておりません。私は朱を入れた初校を渡すとき、適宜ハイフネーションを、とふたたび口頭でお伝えしました。ところが二校でもまだでした。私は朱を入れた二校を渡すとき、適宜ハイフネーションを、とみたび口頭でお伝えしました。その日の夕刻のことでしたっけ。印刷屋さんから拙宅に電話がかかって、
 「あのー、ハイフネーションって何ですかあ」
 とじつに屈託のない声でご下問をいただきましたのは。
 とにかくもうしばらく、もうしばらくお待ちください。

パブロフの犬よどこへ行く

 お話はころっと変わりまして、きのうは統一地方選挙の投票日でした。三重県でも知事選挙が行われました。パブロフの犬作戦にも多少は関係のあることですから、結果を記録しておきます。

▽三重県知事選(選管最終)
当473246 野呂 昭彦 無新
 173433 水谷 俊郎 無新
 171200 村尾 信尚 無新
  48616 鈴木  茂 無新
http://www.chunichi.co.jp/00/detail/20030413/top_____detail__003.shtml

 三重県知事選は、無所属新人で前松阪市長の野呂昭彦氏(56)=民主、自由、社民推薦=が圧勝、やはり無所属新人で前県議の水谷俊郎氏(51)、元財務省課長の村尾信尚氏(47)、元高校教諭で革新三重をつくる県民連合会長の鈴木茂氏(75)=共産推薦=を大差で破った。投票率は59・97%で前回知事選を2・22ポイント下回った。
http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20030414/mng_____sei_____000.shtml

 今回の知事選挙は改革派として名を馳せた北川正恭知事の任期満了に伴う引退を受けたもので、北川県政のいわゆる後継者を選ぶ選挙だと位置づけられています。江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集を三重県予算で刊行しようというパブロフの犬作戦の勧進元である「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は、敢えてひとことでいってしまえば北川知事によるばらまき行政の一環にほかならず、もちろん野呂県政にもそのまま引き継がれるものとは思われますが、こんなばらまき行政を見過ごしにしていいものかどうか、という気はいたします。
 なんてこといってたらパブロフの犬作戦はどうなるのか、という気もいたします。
 日々これ自己矛盾自家撞着。


●4月13日(日)
 乱歩というのはいったい何なんでしょうか、などといまさら驚いていても致し方ありません。とにかく眼にすることの多い乱歩の名前なのですが、どっかの文章にそれを見つけたからといってその文章がそのまま“乱歩文献”や“乱歩小説”になるわけではなく、「RAMPO Up-To-Date」に記載するには及ばぬもののかといって無下にネグレクトしてしまうのも忍びない、といった事態に小さな胸を痛めつづけてきた不肖カリスマ、場当たり的に思いついてこの伝言板でこんな試みを始めることにいたしました。本日は取り急ぎ二件ほど。

 A Glimpse of Rampo
 「奇譚クラブ」の育ての親 須磨利之:北原童夢
書名:「奇譚クラブ」の人々/著:北原童夢、早乙女宏美/2003年4月30日第一刷/河出書房新社、河出文庫/P. 13
また、江戸川乱歩も興味を抱いていて、須磨氏に絵画を描いてくれるよう依頼した。
 浪漫的な行軍の記録:奥泉光
書名:浪漫的な行軍の記録/著:奥泉光/2002年11月30日第一刷/講談社/p. 37
すなわち、乱歩先生もあっと驚くような、後世に残る傑作探偵小説をものして出版したいという願いがそれだ。

 これだけでは何のことだかよくおわかりにならないでしょうか。いやいや、賢明なる読者諸兄姉にはきっとご理解いただけるはずです。なにしろ不肖カリスマはカリスマ歴もいまや七年の余を数え、江戸川乱歩という名前に異様に反応してしまう体質となり果てました。漢字五文字で江戸と入っている名前ならたちどころに反応してしまうわけなのですが、新聞のテレビ欄を眺めていてふと胸騒ぎを覚え、よく見直した紙面に江戸屋小猫という名前を発見したときのあほらしいような情けないような気分といったらあなた。ともあれ「RAMPO Up-To-Date」のみならず「A Glimpse of Rampo」に関しても、乱歩の名前に敏感に反応した諸兄姉のご通報をお待ちしております。
 さて本日のお知らせ。
 名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックを美麗な装幀で飾ってくださっている戸田勝久さんの個展が開かれています。会期は4月11日から5月31日まで、会場は京都の恵文社一乗寺店。本屋さんでの展覧にふさわしく、「書物の旅−彷徨う本達−戸田勝久展」というタイトルです。

戸田勝久展ダイレクトメール

恵文社一乗寺店

 ところであなたはもしやいま、そういえば江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』はどうなっているのだろう、いくらなんでももう刊行されていいころなのだが、とお思いになったのではないでしょうか。そ、その件に関しましては……


●4月12日(土)
 それにしても乱歩というのはいったい何なんでしょうか。昨年6月から十か月間、ホームページを更新できなかった期
間のあれこれを「RAMPO Up-To-Date」にまとめているところなのですが、関連書籍関連文献から展示会テレビ演劇その他もろもろ、
 蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲
 蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲
 蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲
 といった感じでぞろぞろ出てくるわ出てくるわ。いちいち記録していたわけではありませんから記載漏れも多々あるはずですが(お気づきの点はご教示ください)、没後四十年近くを経過した作家がここまで時代に受容される例はまずめったにないものと思われます。
 「RAMPO Up-To-Date」を更新するためにひっぱり出してきた書物につい読みふけってしまう、みたいなこともあってなかなか作業が進みませんが、そんななかから没後二十年を過ぎ生誕百年を経た横溝正史のエピソードを、横溝亮一さんの「父・横溝正史のこと」から引用してみましょう。収録は『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(平成14年5月、角川書店、編=角川書店)。
 文中に「この頃」とあるのは、結核を病んだ正史が療養生活を送った上諏訪時代(それは乱歩が早く死にたいと述べていた昭和9年に始まり昭和14年までつづきます)のことです。

 この頃から、父の心にはある抜き差しならぬ思いが芽生えていたのではなかったろうか。それは、後に述懐していたのだが、
 「どんなに血を吐こうが、何しようが、負けるものか、俺は、誰にも負けはせぬぞ」
 という思いである。晩年、酒に酔うと、
 「乱歩なんかに負けてたまるか、俺はいつもそう思って、乱歩さんを目標にした。乱歩なんかに負けるか、その気持ちが、俺にいろいろな物を書かせたのよ。そういう目標であってくれた乱歩さんは、誰にも代えがたい、恩人なのさ」
 そういうと、父は手放しで泣き出し、窓を開けて隣近所もはばからず、「乱歩さーん。あんたも書いてくれえーっ」と大声で叫びたてるのだった。

 「北海タイムス」の「江戸川乱歩氏と語る」に照らし合わせると、乱歩と正史の違いがよくわかります。当時の乱歩にもむろん小説への執念はあったのでしょうが、正史のそれに較べればとても執念とは呼び得ないものでしかなかった、のではありますまいか。正史が結核に冒されていたという事情はあったにせよ、生への執着においてもまたしかり。


●4月11日(金)
 「北海タイムス」に三回にわたって掲載された「江戸川乱歩氏と語る」は、ちょっと確認してみたところ『貼雑年譜』にもスクラップされてはおらず、初めて眼にする方がほとんどだろうと思われますが、乱歩がえらく率直に心境心情や文学観人生観を吐露している点が眼を惹きます。
 本日は最終回、昭和9年12月7日(金)掲載分です。

大衆作家縦横談(7)

江戸川乱歩氏と語る

 (下)『早く死にたい』

『近頃すこし真面目になつてゐるんですがね。かせぐ原稿をすくなくして、──これも不健康からきてゐる。それは、金が欲しくない〔。〕放浪しないでうちにぢつとしてゐるものだから……』
『金が欲しくないつて境地はうらやましいですね。』
『いや、ほしいにはほしいんです。僕自身はさう必要でないが、周囲のために、……しかし、それもだんだんすくなくなつてきた。金が欲しくないといふことも、いゝことか、わるいことかわからないが〔、〕僕のやうな非社交的な人間にはひどく必要ではない。……僕のやうな無気力な人間は、大衆作家のなかにはすくないですね。』
 広い額以上に禿げあがつた五分刈りの頭、三ケ月形のやさしい眉〔、〕底に鋭さをひそめてゐるが柔和な眼、……話しながら、つくゞゝ江戸川氏の顔をみてゐると、なんとなく高僧の像にでも接してゐるやうな気がする。
『あなたのお顔は、坊さんのやうですね。』
『みんながさう云ひますよ。地蔵〔、〕石地蔵……』
『食物はどんなものを──?』
『幼稚です。女子供の好きさうなものが好きです。だから、贅沢はいひません。日本料理だが、酒をのまないから、酒呑みのむづかしさはありません。』
『たとへばどんなものを──?』
『卵焼きが好きですね。』と笑ひながら『だから、これには敏感で、よほどよく焼いてないと……それから鯛のあら煮、鯛の頭をあまく煮た奴ですね。』
『勝負事は──?』
『駄目です。闘志がないからすべて闘志を要するものは駄目です。』
『映画などは──?』
『いゝといふ噂のあるものは見に行きます。結局、観るものでは映画がいちばん面白い。『商船テナシテイ』などもちよつといゝものですね』
『お読〔み〕になるものは──?』
『大衆小説は読んで面白くないですね。身辺小説の方が面白い。ほんとうのものが出てゐる。拵へたものではない。さういふ意味で、座談会の記事をよむのが好きです〔。〕ところが、僕のやつてることは、こしらへたものばかりで──。しかし、本格の探偵小説は、大衆小説と本質的な相違があると思ふんですがね。』
『どういふ相違が──?』
『僕は本格の探偵小説は大衆小説じやないと思ふ。謎小説のほんとうのものは読む人が尠い。探偵小説は理論的な遊戯ですが、日本人はその理論的な遊戯をあまり好まんやうですね。これをほんとうに好む人はマニアになる。これは極少数だ。たとへば、ほんとうに探偵小説が好きなら、外国のそれも好きにならなければならない筈ですが、バンダインのものなどが出版されて、訳は相当にいゝものですが、一万と売れない。五千以内です。これをみても、本格の探偵小説は大衆的に読まれないのぢやないかと思ひます。』
 そ〔れ〕から、さらに探偵小説が進展し、外国の作家の話が出、ふたゝび人生観の問題になり、氏がどうしても物事に酔へず、驚けず、感激出来ないといふ述懐があつたあとで、
『だから、あきらめが強い。一つのことに熱中して、無理をするやうなことがない。行き詰ると、雑誌などもひと月くらゐスツポかしてしまふ。』
 といひ、最後に
『僕にとつては、生れて来なかつたことがいちばんいゝことで、その次にいゝことは、早く死ぬことです。』
 と結んだ。

 ときに乱歩四十歳。早く死ぬことは適わずこのあと延々三十年の日月を閲することになるわけですが、晩年には、

青年時代には人生五五の春、花の盛りにこの世を去らんにはと考えていたこともある。たとえそうでなくても、昔の定説「人生五十年」はとても生きられまいと思っていた。還暦をすぎる五年余の今まで生きているなどとは、実に思いもよらないことであった。青年時代には老醜たえがたきを予想していたが、年とってみれば、またちがった考えになる。血圧があがれば降圧剤を服用して、長命を計りもするのである。これが生物というものであろう。

──作者のことば(昭和35年4月、日本推理小説大系月報1)

 なんて述懐にふけったりしています。生への執着をいきなり生物の本性に還元してしまうあたり、なんかいかにも乱歩だな、といった感じがしないでもありません。
 この「江戸川乱歩氏と語る」に関しては塩原将行さんからご教示とコピー提供をいただきました。記して謝意を表します。


●4月10日(木)
 突然ですがパブロフの犬作戦の経過報告です。
 昨日関係者からお聞きしたところでは、江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集を三重県の予算で刊行しようというパブロフの犬作戦の勧進元となるべき「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は、残念ながらと申しますか当然のことですがと申しますかざまあご覧なと申しますか、すらすらすいすいとは進行していないようです。ごたごたしているみたいです。3月31日に確定するはずだった事業実施計画もなんだか曖昧なままなのですが、本年6月末には予算を確定しなければならぬとのこと。部外秘をしれっと明かしてしまいますと、この事業に三重県が投入する予算は最高で三億円なんだそうです。三重県庁の莫迦と伊賀地域の莫迦がつるんで自己満足にすぎぬお祭り騒ぎをくりひろげるのに三億円が投じられるとのことです。責任者出てこい、と莫迦騒ぎをくりひろげるのはもう少し先のことにいたしますが、それにしてもパブロフの犬作戦はほんとにどうなってしまうのでしょうか。
 さて、「北海タイムス」の「江戸川乱歩氏と語る」。本日は昭和9年12月6日(木)掲載分です。

大衆作家縦横談(7)

江戸川乱歩氏と語る

 (中)タネがつきる

『いまのは何んですか?』
『会つてみると、むかし池袋で僕が化粧品製造の手伝ひをしてゐた時の同僚なんだ。』
『広告に──?』
『さう……』
と答へて、
『僕の話は大体わかつてゐるだらうから、勝手に想像してかいてくれてもいゝんだ。』
 気軽にかういふ江戸川氏は、益々、想像してゐた気むづかしい人とは反対である。そこで、先づ、最近の流行である文壇人が写真入りで広告に動員されることへの感想から質問する。
『はづかしいと思ふ。たゞでさへ恥かしいのに、小説を書いてゐてさへはづかしいのに、その上はづかしいことはしたくないと思ひますね。』
『………』
『それに、さういふことをしても、大して効果もないだらうと思ふ。小説をよんで作者の名前を知つてゐるものは、全体の五%くらゐぢやないかしら?』
『さうでもないでせう。』
『いや、案外、作者の名前を知つてゐる人はすくないものですよ。』
『あなたが一年間小説の執筆を中止されたのは、一昨年でしたね?』
『えゝ、一昨年……しかし、一年と限つたわけではなく、当分休みたいと云つたのです。』
『何か特別の意味でもあつたのですか?』
『つまり、疲れて、かく気がしなくなつたまでゝすよ。ちようど、玉ノ井の八ツ切り事件の直後で、日々新聞の記者がきて、その事件への感想をきいた時、『あゝいふ事件も不愉快だ。』と話したのをそのまゝ新聞にかゝれ、あの事件のために執筆を中止したといふ風につたへられましたが、……非常に不健康なんですね。いまでもさうですが、……』
『どこかおわるいのですか?』
『どこといつてハツキリしないが〔、〕生活も不規則ですし、……子供の時からさうで、学校もよく休みましたよ。──とにかく、自然の情熱がおきないと小説もかけないのだが、現在ではそれを無理にかいてゐるやうな状態ですね。』
『探偵小説は特別に疲れるものでせうか?』
『そんなことはない。たゞ行き詰るといふことはありますね。本格的な探偵小説は、手品ですからね〔。〕しばらくやつてゐるとタネがつきますよ。犯罪ものや怪奇ものをふくめると、行き詰ることもありませんが。──しかし本格の探偵小説は、一個人は行き詰る。でも、他の個人が出れば大丈夫で、だから探偵小説全体としては行き詰るといふことはありませんね。今年は画期的な新人が出ましたよ。小栗虫太郎と大木〔ママ〕高太郎。この二人は際立つてゐる。』
『あなたは人にお会〔ひ〕になることを、ひどくお嫌ひになるつて評判ですが──?』
『さういふ営業上のことはさうでもないのですが、いつたいに気分のわるい日が多いものですから………』
『これからも、本格の探偵小説は大いにおやりになるつもりですか?』
『大いにつてほどでもないが、どちらもやつて行くつもりですが、どちらに余地があるかといへば、犯罪小説ですね。しかし、いまの時代はヅケヅケかくわけにも行かないし、このことなども情熱が起らない一つの原因ですね。いまの時代は国民的な人生観を持つてゐる人にはいゝが、僕のやうに否定的に考へるたちの人間には、どうも……』
 こゝで教養と伝統の話が出たが〔、〕極めて静かな落ついた話振りである。

 文中に大木高太郎とありますのは、ボボ・ブラジルとヘッドバット合戦かました往年の原爆頭突きプロレスラーじゃないんですから、これは木々高太郎の誤りです。仮名づかいに怪しいところも見られるのですが、そんな問題はこの際どうだってよろしいでしょう。この記事自体はなかなか有能な記者の手になるもののようで、昭和9年当時の乱歩の肉声を如実に伝える貴重な文献となっております。


●4月9日(水)
 心も軽く身も軽く名張人外境の更新に着手いたしましたが、歩みは蝸牛にさも似たり。どうぞ長い目でご覧ください。

早く死にたいと乱歩はいった

 昭和9年12月、「北海タイムス」に「江戸川乱歩氏と語る」という記事が掲載されました。連載「大衆作家縦横談」の第七回で、上・中・下の三回にわたって分載。執筆者名義は「一記者」とあります。七十年ほど前の新聞記事ですから権利関係にはいっさい頓着することなく、いきなり転載してしまいます。
 本日は昭和9年12月5日(水)掲載分。旧字体は新字体に改めました。〔  〕内は脱落分の補足、ないしは註記。

大衆作家縦横談(7)

江戸川乱歩氏と語る

 (上)広告撃退

『僕、江戸川です』
 ひどく気むづかしい人だらうといふ想像を裏切つて、江戸川乱歩氏は案外に気軽に電話口にあらはれた。さびのある落ついた声である。
『水谷君を通じておねがひしてゐたものですが、ちよつとお眼にかかつてお話をうけたまはりたいと思ふのですが……』
 実は、江戸川氏は隠栖を愛し、滅多に人に会はないといふことをきいてゐたので、知り会ひの水谷準氏に前もつて電話をかけておいてもらつたのである。
『いつですか?』
『御都合よかつたら只今から……』
『お待ちしてゐます』
 この調子ならば世の風評ほどでもないと安心した。
 江戸川氏から電話できいた道順通り、池袋駅の西口を出、立教大学前でバスを降り、三等郵便局の横をはいつたのだが、教られたやうに、半丁ほど行つた左側に『江戸川』といふ標札は見あたらなかつた。ずんずん行くと向ふの大きな通りに抜けてしまふ。行きつ戻り〔つ〕しながら。あるひはこれは江戸川氏のいたづらではあるまいかと頭をひねつてみた。(まさか)と思ひながら、車をひいてきた八百屋で買物をしてゐる近所のおかみさんにきくと、
『ああ、その方なら、そこの平井さんです』
 すこし戻ると、果して少し奥まつた家に、『平井太郎』の標札が出てゐる。記者はうかつにも江戸川氏の本名を知らなかつたのである〔。〕
『いまお客様がおかへりになるところですから、ちよつとこちらでお待ち下さい』
 と、奥さんに案内されて、囲炉裏を切つてある六畳の間に通された。襖を隔てた隣の部屋が主人の居間らしく、電話できき知つた江戸川氏の声が、そして客の声が漏れてくる。
『……あとで何です……』
 と、主人の声。
『くどいやうですが、是非一つ』
 と、客の声。
(ハハア、雑誌者〔ママ〕の原稿依頼かな)
 と思ひながら、耳にはいつてくるまま、きくともなしに隣の部屋の後をきいてゐると、
『御勘弁ねがひたいのですが』
『是非どうぞ』
『さういふことは柄にないですから……』
『そこをひとつ……』
『大へん恐縮だけど……』
 客のねばりも大したものだつたが、江戸川氏の辞退も強硬のやうだつた。しまひに、やつと客はあきらめたと見えて、
『では、どなたかに御紹介ねがへませんでせうか、この御近所にどなたかゐらつしやいませんでせうか?』
『この近くには大下宇陀児君もゐるにはゐるけれど、紹介するのは……自分が賛成しないのに紹介は困るなア』
『名刺でもかいていただけないでせうか』
『名刺をかくと紹介になる』
『ふいにおたづねしたんでは、なかなかお会ひくださらないでせうし……』
 雑誌記者にしてはどうもおかしいぞと思つてきいてゐたが、こゝまでくると(なるほど!)と合点が行つた。つまり、このごろ流行の、文士を広告に利用しようといふのらしい。
 やがて、客はかへつて行った。
『お待たせしました』
 客をおくつて玄関に立つた江戸川氏は、そのかへりしな、障子をあけて額の禿あがつたのが先づ眼につく顔を出した。

 あすにつづきます。


●4月8日(火)
 ご無沙汰してしまいました。
 昨年6月3日を最後にホームページの更新ができなくなり、思いつくかぎりの悪戦苦闘を重ねてもプロバイダのサーバーに接続できぬ日がつづいたのですが、それはもう指折り数えれば十か月もつづいたのですが、どうやらパソコン本体の不調が原因であったらしく、新たに購入したパソコンで試みると嘘みたいにすんなり接続できてしまいました。
 ところが私はやはり莫迦なのか、更新の要領をほぼ忘れてしまっております。ホームページ作成ソフトの扱い方をすっかり忘れ果てております。いまも遠い記憶をたぐり寄せながら、結局はおずおずと手探りで作業を進めている状態です。更新のテンポが旧に復するまでにはしばらく時間が必要かもしれませんが、ひきつづきよろしくお願いいたします。
 さて、世間では2003年度がスタートいたしました。おかげさまで不肖カリスマ、このたび下記のごとき辞令を頂戴して、新年度も天下無双の名張市立図書館嘱託としてお仕事できることになりました。

辞   令

中   相 作

乱歩資料嘱託員として平成15年9月30日まで任用する
月額80,000円 を支給する
図書館勤務を命ずる

 平成15年4月1日

名張市教育委員会

 なーにさ名張市教育委員会風情がえらっそーに、などといってはいけません。私が教育委員会と交わした労働条件の契約書には「退職に関する事項」というのがあって、「職員としてふさわしくない非行があったとき」には任用期間中でも任用を解くと明記されております。あんまりなこといってると馘になってしまうわけです。新年度もカリスマとしておとなしくお仕事をしたいと思います。ありがたやありがたや。
 ふと気がつけばきょうは4月の8日、奇しくもお釈迦様の誕生日ではありませんか。あるいは仏様のお導きによって、わが名張人外境はきょうという日に息を吹き返すことができたのかもしれません。南無帰命頂礼。ありがたやありがたや。