2003年6月

●6月30日(月)
 煎じ詰めて申しあげてしまいますと、江戸川乱歩と横光利一のあいだにはほとんど何の関係もなかったということになりましょうか。
 強いて共通点をあげるならば、乱歩が明治27年、横光が同31年の生まれとほぼ同世代であること、伊賀という土地にゆかりがあること、早稲田大学に学んだこと、乱歩は大正12年4月に「二銭銅貨」を、横光は同年5月に「日輪」と「蝿」を発表して同時期にデビューしたこと、自然主義文学に異を唱えたこと、プロレタリア文学への無関心ないしは反撥、映画への興味、終戦を疎開先で迎えた、どちらも男であった、とっくに死んでいる、といった具合にくだらないことを列挙してゆけば際限がないのですが、さしたる共通点は見出せません。
 横光利一と探偵小説もあまり関係はないようで、先日記しました小栗虫太郎が横光作品の影響を受けていたという未確認情報も、その影響が小栗作品に色濃く認められるわけではなく、横光も小栗も独特の悪文家ではありましたからそのあたりが似ているといえば似ているのですが、だからどうだということはまるでありません。「機械」や「寝園」などの横光作品に探偵小説的興趣を指摘することも可能でしょうが、そもそも横光は探偵小説なんぞにまったく関心がなく、乱歩作品を読んだこともなかったのではないかと推測される次第です。


●6月29日(日)
 えー、きょうは仏滅の日曜日ということで、勝手ながら休養ということに。なんか頭ががんがんしておりまして。


●6月28日(土)
 「芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を叩くのはまたあとでということにして、乱歩は蘭郁二郎の葬儀に関して「探偵小説四十年」にこう記しています。

 蘭君の葬儀は、たしか文学報国会主催で、青山斎場で行われた。文学報国会での先輩、甲賀三郎君も会を代表して弔辞を読んだものである。空襲の盛んなころで、交通機関も思うにまかせず、会葬者は多くはなかったが、数名の探偵作家の顔が見え、私はそれらの人々に久しぶりで顔を合わせたのである。

 葬儀の日付は明記されていませんが、蘭郁二郎が海外報道班員として南方に向かう途中、台湾で飛行機事故によって死去した昭和19年1月5日からまもないころかと推測されます。横光利一はこの年日本文学報国会小説部会の幹事長になっており、それ以前から報国会で重きをなしていたはずですから、この葬儀に参列していた可能性もないではなく、つまり青山斎場で乱歩と横光が静かに目礼を交わしていた、なんてこともあったかもしれないのですが、そのあたりは読者諸兄姉にお好きなように想像していただいたほうがいいのかもしれません。ま、どっちだっていいといえばどっちだっていい話なのですが。

 A Glimpse of Rampo
 リトルチータの獲物リスト6 丸いものの巻:山下麻衣
誌名:モダンジュース第6号/2003年4月10日/揺葉社/p.57
妖しい惑星!と思ったら、実はそれはお皿にのせたシャボン玉をアップでビデオ撮影したものでした。撮影者は八十歳の男性で、思いどおりのシャボン玉を撮る為に、色セロファンや強いライトを使い試行錯誤、十年もの歳月を費やしたとのこと。その姿は、江戸川乱歩の「鏡地獄」の、究極の凹面鏡が写す世界を見る為、内側がぐるりと鏡になった中空の球体を造り、中に入り込んだ鏡狂いの男や、「タイムマシン」のH・G・ウェルズの短編「卵型の水晶球」の、不思議な水晶球に写される火星の風景を、夢中になって観察する骨董店の老主人と重なります。
○こまさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●6月27日(金)
 乱歩は蘭郁二郎の葬儀に関して、というかあなた、ご覧になっていらっしゃいますかあなた。きのう私に、

ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン様
 芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業に携わるものです。
 ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン様がおっしゃるように本当に税金の無駄遣い事業だとおもいます。
 どうしたらこの事業をstopさせることができますか??
 お急がしくなければ良いご提案をお願いしたい所存です。
_______________________________________
きっと見つかるあなたの新居 不動産情報は MSN 住宅で
http://house.msn.co.jp/

 という匿名メールをくださったあなた。ひとつだけ申しあげておきますと、ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンは拙宅の番犬の名前です。スタ公と呼んでやってください。
 さて三重県事業「芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」ですが、事業に携わっていらっしゃる方が「本当に税金の無駄遣い事業だとおもいます」とおっしゃるのであれば、むろんどの程度に携わっていらっしゃるのかという問題はあるにしても、結局のところ話は簡単。事業に関する会議その他の場で、こんな事業は中止してしまいましょう、とことあるごとにご提案なさってはいかがでしょうか。事業関係者のなかには同様のことをお考えの方もいらっしゃるかもしれません。ぜひ一度お試しください。
 それで当方はと申しますと、三重県伊賀県民局長宛に書状をさしあげたことは先日お知らせしたとおりですが、これに対する反応はいまのところありません。まったくの無反応というのもずいぶん寂しいものですから、このまま梨の礫がつづくのであれば、いっちょ三重県知事に同内容の書状と漫才「芭蕉さんは行くのか」の掲載誌をお送りしてみようかなとも愚考しております。
 だからといってどうなるものでもないでしょうが、三重県が進めようとしている事業の愚劣さを正当に批判するのは大切なことですし、その批判をホームページで公にすることにも幾分かの意義は認められるものと思われます。いわゆる都合のいい住民だけを相手にしようったって、そりゃ通りませんぜお役所のみなさん、といったところでしょうか。
 お役所にも地域社会にもいじましい貰い癖のついてしまった人間が数多く存在していてほんとにいやになるのですが、さすがに当節では「困った補助金」などという言葉も聞かれるようになり、補助金と機関委任事務で国が地方を亀甲縛りにしてきた中央集権システムもいまやがたがた。ただしがたがたになったのは要するに国の財政破綻が原因なんですからなんだかな、という気がしないでもないのですが、とにかくわれわれ日本人の虫のよすぎる貰い癖もそろそろなんとかしなければならんころでしょう。といった時代的要請を犬ほどにも理解できずに貰い癖全開で芭蕉さんがどうの情報発信がこうのとおめでたい寝言を並べていらっしゃるみなさん、いい加減に眼を醒ましてもらわなければ困ります。
 ま、いずれ「芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の具体的な実施計画案が発表されたら、こちらももう少し具体的な批判に入れるわけですが。そういえば同事業のホームページには「【お知らせ】ただいま新ホームページを鋭意制作中です。2003年8月に稼動する予定ですので、ご期待ください」と記されているのですが、新ホームページとやらには事業に対する批判や提言とそれに対する住民の意見や事業関係者の見解を投稿するための電子掲示板をぜひ開設していただきたいものです。期待しております。呵々。


●6月26日(木)
 その後も乱歩と横光は、どうやら人生の軌跡を交差させることなくそれぞれの生を終えたようです。ひとつだけ、あ、ここで会ってるかな、と思われる場があったのですが、よく考えてみるとそんなことはなく、したがってわざわざお知らせする必要は微塵もないのですが、ちくま文庫の怪奇探偵小説名作選『蘭郁二郎集』がめでたく発刊されたのを記念して、さらには同書を読んで蘭郁二郎研究を志したという酔狂な士に資料を提供する意味もこめまして、ここに録しておくことといたします。蘭郁二郎の葬儀で横光利一が弔辞を読んだという記録です。
 『定本横光利一全集第十六巻』(昭和62年12月20日初版、河出書房新社)収録の昭和19年5月27日付川端康成宛書簡から引きましょう。原文の漢字は旧字体です。

先日は僕こそ失礼。上野へ行かうと思つて服を着たのだが、ふと小机を見ると蘭郁二郎君の葬の通知状が開いて、黒枠が見てゐるのだ。そうだ、今日は昼から海軍葬だったと気がつき、幹事長の職責の辛さ、また喪服に着かへた。行つて見ると、小説部会人無く、葬が始つてゐて誦経の最中、いきなり僕が弔辞を読まされたが、そんなものを持つてゐず、やむなく、口で写真を見上げたまま喋った醜態。この人とは生前一度も逢つたこともなく、作品を読んだこともないので、弔辞を云ふにも云ひやうなく平向した。しかし、最初の文壇の犠牲者であるから、何とか形をつけねばならず、むにやむにやと云つたが、蘭氏の写真が不思議とにこにこ笑つて動いてゐるやうだつた。写真とは見えぬのだ。実に間近で見ると良い写真だつた。

 横光利一の善良さや誠実さがよく伝わってくる書簡です。乱歩も蘭郁二郎の葬儀について記していますが、それはまたあした、と。


●6月25日(水)
 お詫び。昨日「昭和3年」と記したのは「昭和2年」の誤りでしたので訂しておきました。どうもすいません。
 新感覚派映画聯名製作、川端康成原作、衣笠貞之助監督の「狂った一頁」は大正15年9月24日、新宿武蔵野館で封切られました。つづく第二弾として乱歩の「屋根裏の散歩者」が企画されたのですが、「探偵小説四十年」によれば「警視庁の検閲を『屋根裏』は到底通過しないだろうという見通しがついたため」、作品を「踊る一寸法師」に変更。翌昭和2年になって衣笠貞之助から「今春撮すからという手紙」が届いたものの、結局は実現されることなく企画倒れに終わりました。当時もいまも、映画の企画は流れるのがむしろ当たり前だと見るべきでしょう。
 『探偵小説四十年』の索引によれば、同書には三箇所にわたって横光利一の名前が出てきます。最初はこの新感覚派映画聯名とのいきさつを記した箇所、つづくふたつは同じ全集に両人が名を連ねた、みたいなことの単なる記録で、乱歩が横光と会った事実は確認されません。
 乱歩の随筆ではもうひとつ、小栗虫太郎が乱歩に、乱歩さんの世代が影響を受けた作家は谷崎潤一郎でしょうけど、われわれの世代は横光利一なんです、と打ち明けたことを記した一篇があったはずで、じつはさっきまで必死になって捜しまくってみたのですが、とうとう見つかりませんでした。私の記憶違いなんでしょうか。


●6月24日(火)
 といったような次第で私は昨日、三重県伊賀県民局長宛の封書を勇躍投函してまいりました。速達にしましたから、たぶんきょうじゅうに到着することでしょう。どんなご返事をいただけるのか、あるいはきれいに無視されてしまうのか。しばらく待ってみて何の反応もなかったら、今度はひとつ三重県知事宛に同じ内容の封書をお送りしてみようかなとも考えているのですが。
 さて、同じ伊賀地域住民としてこちらが気恥ずかしくなってしまうほどの無教養不勉強無責任不見識なことをやってくださっているように見受けられる二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんですが、同じ伊賀地域住民として「二〇〇四伊賀びと通信」第三号の乱歩横光架空対談をちょこっとフォローしておくべきかなとも判断されますので、乱歩と横光の関係についてひとくさり記しておくことにいたします。
 つまり乱歩と横光は会ったことがあるのかどうかという話なのですが、たぶんなかったのではないかと思われます。少なくとも親しく語り合ったことは一度もなかったはずです。二人がもっとも接近したのは昭和2年、衣笠貞之助による映画製作を通じてのことでしたが、そのあたりの事情を「探偵小説四十年」から引いてみましょう。

 文学史によると、新感覚派のメンバーは横光利一、川端康成、中河与一、片岡鉄兵、佐々木茂策、岸田国士、今東光、十一谷義三郎の諸氏であった。これら新感覚派の諸氏が、衣笠君の映画聯盟に、どれほど深入りしていたかは、当時にも、私にはよくわからなかった。第一回作品が川端康成氏の「狂った一頁」で、その次が私の作品というのが、少しおかしいのである。しかし、私の作を取り上げることについて、私は誘いを受けて、新感覚派の同人諸君と、数度会った記憶がある。その顔ぶれは川端康成、片岡鉄兵、岸田国士その他二三氏で、その他が誰であったか忘れてしまったが、横光利一氏とは一度も同席しなかったように思う。尤も、直接撮影計画に関する話は衣笠君が衝に当り、私の築土八幡の家へ来られたのも、衣笠君やその代理の人であった。

 本日はここまでといたします。


●6月23日(月)
 こちらが気恥ずかしくなるようなことはいろいろとあるものです。二〇〇四伊賀びと委員会は事業PRのためA4判四ページの「二〇〇四伊賀びと通信」を発行しているのですが、3月に出た第三号にはなんと江戸川乱歩と横光利一の架空対談が掲載されていました。私が気恥ずかしさのあまり頬を染めてしまったことはいうまでもありません。
 ここにどうして横光の名が出てくるのかといいますと、横光利一は父祖の地が大分県、生まれたのは福島県、しかし家庭の事情で母親の実家があった三重県伊賀地域で少年時代を過ごしているからです。三重県立第三中学(現在の県立上野高校)の卒業生で、伊賀上野のまちを舞台にした「雪解」という小説も書いています。つまり伊賀にゆかりの深い作家というわけで、何かというと伊賀地域住民によって担ぎ出されることになっております。

ほら貝:作家事典▼横光利一

 さてその乱歩横光対談、わずか半ページほどの短い記事ですが、まず最初にお断りしておきますと、私は何もこの対談に文句をつけようとしているのではありません。乱歩と横光を対談させるなんて、なかなか面白い試みだと思います。よくぞ思いついた、と喝采を送っております。
 いったいどんな感じかと申しますと、

(乱歩)やあ、横光君。はじめまして。お互い伊賀の生まれで、同じ東京に住んでいながら、こうして顔を合わせるのははじめてだね。
(横光)本当ですね。同じ小説家といえどもジャンルが違うから、顔を合わすことなどめったにないですね。

 なんて会話で始まるわけですが、重箱の隅をつつくようなことは申しますまい。本日の伝言をお読みになった諸兄姉は上記の引用箇所にびっくりするようなケアレスミスが存在していることにお気づきでしょうが、それもご愛敬だと申しあげておきましょう。ケアレスミスなんてどこにでも転がっているものです。
 とはいえひとつだけ気になるのは、これは名張市にとっての江戸川乱歩もそうなのですが、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という三重県事業において乱歩や横光の名は伊賀地域を自己宣伝するための素材として利用されているにすぎない、ということが対談を読むだけではっきりわかってしまうことです。
 それでいいのかしら、と私は思いますが、それでいいのだ、という考え方も否定されるべきではないでしょう。乱歩や横光の名を自己宣伝に利用するのもひとつの見識ではあります。むろん私にはそんなことに荷担する気はさらさらありませんが。
 ただし三重県伊賀県民局のみなさん、二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、自己宣伝に利用するにしたってもう少し乱歩や横光のことを理解していただかなければ話になりません。いい加減に目を醒ましましょう。まっとうな人間になりましょう。ろくに作品も読まずに乱歩がどうの横光がこうのとちゃらちゃら囀るのはそろそろおしまいにしていただけぬものか。そんなことしたってまともな人間は少しも相手にしてくれません。情報発信なんてできるわけありません。やめましょうやめましょう。税金の無駄づかいはやめましょう。お願いですから善良な一地域住民である私にこれ以上気恥ずかしい思いをさせるのはやめてくれんかね。


●6月22日(日)
 さて三重県事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」、肝心かなめの実施計画は未定ながら、今年度実施のいわゆるプレ事業はちょこちょこと開催されています。
 今月15日に催されたプレイベントの模様を伊勢新聞ホームページから拾いますと、

秘蔵のくにの味と文化発信
芭蕉生誕360年プレイベント
【上野】上野市出身の俳人・松尾芭蕉の生誕三百六十年を来年に控え、記念事業を計画している2004伊賀びと委員会と伊賀ブランドづくり実現の会は十五日、同市西明寺のウェルサンピア伊賀で、プレイベントとして「ふーどぴぁ2003」を開催し、伊賀のぬくもりの技と自慢の味を紹介。終日多くの人出でにぎわった。
二市五町村から団体や商店およそ二十五組が出店。
伊賀焼振興組合の伊賀焼陶芸教室、伊賀くみひもセンターのくみひも教室など伊賀ならではの体験コーナーや、伊賀の里モクモク手づくりファームのウインナづくり、JAいがほくぶのポン菓子の実演、メナード青山リゾートのハーブティーの販売など、多彩な催しを展開した。
http://www.isenp.co.jp/news/_2003/0616/news03.htm

 といった按配。日本全国どこにでもありそうなイベントですが、こんなことで「文化発信」が果たせているなどと思ったら大間違いのこんこんちきに相違ありません。そうかと思うときょうの中日新聞には、

 伊賀地域の将来や課題語り合う
 上野で県議と住民の意見交換会
 伊賀地域選出の県議五人が地域の将来や今後の課題について、地元住民と意見交換などをする催しが二十日夜、上野市ゆめぽりすセンターであった。地域住民をはじめ、市町村の首長や議員ら約六十人が集まった。
 芭蕉生誕三百六十年記念事業については「芭蕉をテーマに若者からお年寄りまで俳句に親しめる基盤づくりの機会。一過性で終わらせず、俳句を全国にPRする拠点を設けてほしい」と地域の活性化に役立てるよう呼び掛けがあった。
http://www.chunichi.co.jp/00/mie/20030622/lcl_____mie_____010.shtml

 といった記事が掲載されているのですが、伊賀地域の県議、住民、市町村の首長や議員といったみなさんは何と申しますかおつむの出来があまりおよろしくないように見受けられますので、こういう人たちに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を語っていただくと本当に不安になります。それにしても芭蕉をテーマに俳句に親しめる基盤をつくって俳句を全国にPRするですとか、それを地域の活性化に役立てるですとか、なーに意味不明なこと語り合ってるんでしょうかこの人たちは。
 それからまた事業の主催団体である二〇〇四伊賀びと委員会のみなさんと来た日には、ここへ来て「影絵ストーリー&影絵講座」受講生や「こども芭蕉探索隊(大江戸探索隊)」隊員なんてのを下記ホームページで募集していらっしゃる次第なのですが、こちらが気恥ずかしくなるような小ネタばかり並べられても私は困ってしまいます。

秘蔵のくに伊賀の蔵びらき


●6月21日(土)
 6月21日を迎えました。とくにどうということもありませんが、とにかく6月21日です。

芭蕉さんは行くのかしら

 そこでいささか横紙破りながら、とりあえずこれをお読みいただければと思います。

芭蕉さんは行くのか

 何が横紙破りかと申しますとこの「芭蕉さんは行くのか」という漫才、掲載誌が発行される当日にいち早く自分のホームページに載せてしまうのはいくらなんでも横紙破りかなと思われる次第なのですが、こちらにはこちらの段取りというものがあり、しかも私はこれからもっと横紙破りなことをしでかそうと考えているところなのですから、掲載誌発行人には心でお詫びを呟きつつ、些事にかかずらうことなく先に進むことといたします。
 「芭蕉さんは行くのか」にも記しましたとおり、江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集の予算をふんだくる手筈になっている三重県事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」は、なんだかどうもごたごたしているみたいです。3月末に策定されるはずだった事業実施計画案はいまだに発表されておりませんし、この6月末には予算の概要が決定されるらしいとも仄聞しているのですが、いったいどうなることじゃやら。
 ただまあそれはそれとして、この事業を仕切ってくれている三重県伊賀県民局にもそろそろ正式にご挨拶を申しあげるべきころおいかと判断されますので、「芭蕉さんは行くのか」掲載誌に下記の書状を添えて三重県伊賀県民局長宛お送りすることにいたしました。

謹啓 清流に若鮎の躍る季節を迎えました。ご清祥にてお過ごしのこととお慶び申しあげます。平素は伊賀地域のため何かとご尽力をたまわり、名張市民の一人としてお礼を申しあげる次第です。
 さて、本来であれば拝眉の機を頂戴すべきところ、略儀ながら書面にてお願いを申しあげます。
 名張市で発行されている地域雑誌「四季どんぶらこ」の最新号に、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業について寄稿いたしましたので、その旨お知らせいたしますとともに、万一記事内容に事実誤認などがあればぜひご叱正をいただきたく、勝手ながら掲載誌をお送り申しあげる次第です。記事は九ページから十四ページに掲載されております。
 貴職からのご批判などは同誌に全文を掲載するよう手配いたしますが、次号は秋冬合併号として十一月に発行されるとの由ですので、同誌より先にとりあえず当方のホームページ(http://www.e-net.or.jp/user/stako/)でご紹介申しあげ、地域住民などに広く閲覧の機会を提供したいと考えております。事情をお酌みとりのうえ、お聞き届けいただければ幸甚に存じます。
 右、取り急ぎ用件のみ記しました。公務ご多用のところ、勝手なお願いを申しあげて恐縮しております。ご海容をたまわり、今後ともよろしくご高誼をたまわりますようお願いを申しあげます。
 暑さに向かいます折から、くれぐれも御身ご大切になさいますよう、末筆ながらご健勝をお祈り申しあげます。

敬具 

  二〇〇三年六月二十一日

 伊賀県民局長は申すまでもなく三重県職員であり、私はいかにカリスマとはいえ名張市立図書館の雇われ嘱託にすぎません。お役所の世界には国、都道府県、市町村という厳然たるヒエラルキーが存在しており、公務員の世界は俗に「国の方、都道府県の人、市町村の奴」と称される厳格な階級制によって統べられているのですが、その伝で申しますと嘱託などというのは「奴」以下の屑のごとき存在ですから、屑が県民局長におたよりをさしあげるなんてのはとてもとても畏れ多いことです。なんと横紙破りな事態でしょうか。
 しかしよく考えてみたらばきょうは土曜日、郵便局はお休みではありませんか。掲載誌と上記書状を発送するのは週明けのことになってしまいます。いやー、初手から段取りが悪くって。


●6月20日(金)
 ひきつづき山田風太郎『戦中派焼け跡日記』に乱歩の名を探します。
 昭和21年10月24日。

 江戸川乱歩『悪魔の紋章』読、くだらなし。

 12月4日。

本屋で雄鶏社の木々高太郎監修推理小説叢書第一輯、江戸川乱歩『柘榴』求む、十五円也。内容『柘榴』あんまり構造が典型的で話がうまく仕組まれすぎて感銘少なし、『白昼夢』『火星の運河』小品『双生児』『二廃人』大したことなし、『蟲』昔読んだ時ほどの感銘なし、やはり一番面白いは『心理試験』か。乱歩は犯罪心理学、指紋、夢遊病、あらゆる犯罪のタネを相当よく研究し利用しつくしている。しかし利用にすぎない。一作一作世界の探偵小説界空前のトリックといったものが少ない。第一人者乱歩にしてしかり、日本人の素質の限界か。

 12月19日。

乱歩『緑衣の鬼』を求む。

 12月22日。

余は、生涯探偵小説を書かんとはつゆ思わず。歴史小説、科学小説、諷刺小説、現代小説、腹案は山ほどあり。唯〔ただ〕、今は紙飢饉〔ききん〕にて新人の登場容易ならざる時代なれば、現役作家といえば、江戸川、大下、海野、木々、水谷、城、角田、渡辺等十指に達するや否やの人数なる探偵小説界に医学的知識を利用してその十一人目に加わらんと欲するのみ。

 以上でした。
 かくて山田誠也青年の昭和21年は暮れてゆき、翌22年1月、乱歩から誠也青年に一枚の葉書が届いたゆくたてはすでにお知らせしたとおり。順序が逆になって恐縮です。
 さてこうなりますと、昭和24年と25年をカバーする山田風太郎『戦中派動乱日記』が出たときも、私はやはりこんな作業をしなければならぬのでしょうか。


●6月19日(木)
 間の抜けた話で恐縮ですが、長田ノオトさんの乱歩原作漫画を出していた蒼馬社という出版社が倒産したそうです。数日前、近所の本屋さんに『押絵と旅する男』『パノラマ島奇談』の二冊を注文したところ、きのうの夜になってこれこれだから取り寄せられないとの連絡がありました。さっきインターネットで検索してみたところ、昨年9月に東京地裁から破産宣告を受けたとのことです。負債は約一億九七〇〇万円。
 もうひとつお知らせしておきますと、辻村寿三郎さんの人形芝居「押絵と旅する男」は6月16日にチケット発売が始まったみたいです。池袋演劇祭15周年記念特別公演。
・日程:9月6日(土)、7日(日)
・開演:午後2時、6時30分
・会場:東京芸術劇場小ホール1
・問い合わせ先:としま・コミュニティ・チケットセンター
        電話 03-3590-5321

豊島区コミュニティ振興公社事業案内

 どちらさまもお見逃しなきよう。
 さて、なんだかしつこいようですが、どうも気になります。ついでですから昭和21年をカバーした山田風太郎『戦中派焼け跡日記』(2002年8月20日初版第一刷、小学館、本体二〇九五円)をも繙いて、乱歩の名前を拾っておくことにいたしましょう。
 まずは昭和21年5月8日。

午後三軒茶屋マーケットにて〈サンデー毎日〉と、〈東京タイムス〉と、探偵小説雑誌〈寶石〉創刊号を買って来る。乱歩がもう大先生扱いにされている。確かに乱歩には異常の才がある。しかし彼の有名なのは初期の本格的探偵小説よりも後のエログロの病的世界描写なので、その中には『鏡地獄』とか『蟲』とかいうような名作も少くないが、しかし余りに絢爛大規模の情景になると筆づかいに息の切れるのが認められるようである。ポーそっくりのトリックを使うのは感心しない。

 7月23日。

 乱歩『湖畔亭事件』読、事件の大ぎょうなるに似ず悪作なり。

 8月2日。

山形への土産の一つとして奥さんに〈スタイル〉、勇太郎さんに〈新青年〉を求む、乱歩『二銭銅貨』も買う。他に『D坂の殺人事件』『一枚の切符』『灰神楽』『黒中組』『踊る一寸法師』『屋根裏の散歩者』『心理試験』etc、これらを再び読むに乱歩の頭脳、馬鹿に出来ざるを感ず。而〔しこう〕して彼の脳髄の如何〔いか〕に健康的なるかを感ず。乱歩の妖麗なる世界をもって人その本質となすも実は逞〔たくま〕しきその一面に過ぎず。この故に余は彼の幻想が余りに巨大となる時少しく息切れを認むるなり。彼はポーのごとく本質的の病者に非ずして健康人なれば也。

 「スタイル」は北原武夫が編集していたあの「スタイル」でしょう。「黒中組」は「黒手組」の誤植だと思われます(「毒草」を「青草」としていた『戦中派闇市日記』も含め、どうもこの手の誤植が眼につくようです。手書きの日記から稿を起こすのですから転記ミスが生じやすいのは当然でしょうが、校正の段階で誰か探偵小説に詳しい人に眼を通してもらえばよかったのに)。
 『二銭銅貨』はおそらくこの年6月10日に平凡社から出た再版で、奥付には昭和2年9月20日初版発行と明記されているのですが、そんな本は存在しておりません。この『二銭銅貨』再版は昭和2年10月に出た現代大衆文学全集第三巻『江戸川乱歩集』の紙型流用版かと推測される次第です。
 10月4日。

帰途三軒茶屋のマーケットで雑誌〈寶石〉を求む。こういう本を読むと、探偵小説というものに全生命をかけた人々が存在するのに一驚せざるを得ない。世の中のことは総〔すべ〕て無益なことであるから、こういうことも馬鹿にするいわれはないのみならず、智慧〔ちえ〕の遊びに耽溺〔たんでき〕するという意味で賢いことかも知れないが、理屈はさておき僕はどうしても探偵小説などに全生涯を捧げる気がしない。如何〔いか〕に平凡なる医者でも医者の方がよっぽど立派な人生だと思う。しかし乱歩が「探偵小説を愛好するのは論理を愛する心である」というのは真実である。なるほど僕は「論理」を愛する! 遊戯的に。

 徹頭徹尾遊戯的でよろしかろうと思います。職業によって人生が立派になったりならなかったりする、なんてことはあまりないように思われますが。それにしても「宝石」の誌名はなぜ旧字。


●6月18日(水)
 いやどうもすみません。頭がぼんやりしております。というよりも、頭ががんがんいってます、と申しあげるべきでしょうか。ともあれまたあした、ということにいたします。どちらさまもご機嫌よろしゅう。


●6月17日(火)
 昭和22年から23年をカバーした山田風太郎『戦中派闇市日記』のあとを受けて、同じ時代の証言をひとつ。これは「A Glimpse of Rampo」で行っときましょうか。

 A Glimpse of Rampo
 片岡受安さんのレシピ: 長谷川卓也
冊子名:日影丈吉全集月報4/2003年5月/国書刊行会/p. 2
 「君、そんなに探偵小説が好きなら、僕らがやってる探偵作家クラブというのがあるから、ぜひ入りたまえ」
 初対面の、しかも“人嫌い”と伝えられていた江戸川乱歩から、そういわれて私はびっくり。ともかく「いや、小説なんて、とても──」と断わったら「ファンだけの人も多いんだよ」とニヤリ。

 『日影丈吉全集5』(2003年5月24日初版第一刷、国書刊行会、本体九五〇〇円)に挟み込まれた月報から引きました。
 もうひとつ行きましょう。

 A Glimpse of Rampo
 解説: 日下三蔵
書名:蘭郁二郎集 魔像 怪奇探偵小説名作選7/著:蘭郁二郎、編:日下三蔵/2003年6月10日第一刷/筑摩書房 ちくま文庫/p. 504
 三一(昭和六)年、東京高等工業学校の電気工学科に入学。同年、平凡社版『江戸川乱歩全集』の付録小冊子「探偵趣味」の第三回掌篇探偵小説募集に処女作「息を止める男」が入選する。佳作六篇に付された乱歩の寸評のうち、蘭の作品についてふれた個所は以下のとおり。

 三連発にしときます。

 A Glimpse of Rampo
 NHK
- BS マンガ夜話 萩尾望都ポーの一族』: 夢枕獏、高見恭子、伊藤かずえ、いしかわじゅん
書名:キネ旬ムックマンガ夜話 vol.2 萩尾望都・大島弓子・岡崎京子/1998年12月26日/キネマ旬報社/p. 35
夢枕 知っていると思いますけども、「エドガー・アラン・ポー」ですからね、これは。
高見・伊藤 何それ! 知らなかった。
夢枕 念のためにいってよかったですねー。「エドガー・アラン・ポー」なんですから。
いしかわ 江戸川乱歩じゃないからね。

○正木さんから目撃情報のご通報をいただきました。


●6月16日(月)
 昭和23年6月26日、土曜会。
 7月5日、毎日新聞学芸欄に乱歩「探偵小説の新人群」掲載。
 8月17日、東西出版社で乱歩ら立ち会いのもと、「虚像淫楽」読者投票の抽選会。
 8月29日、横溝正史宅訪問。探偵作家連集合し、「夜更けまで快談痛飲。延原氏来る、酔いて江戸川氏らおどり歌う、愉快?──余は何だか寂しかりき」。
 12月18日、土曜会。
 12月23日、乱歩らに新刊『眼中の悪魔』送る。
 12月30日、乱歩から手紙。

江戸川氏より来書曰く、「眼中の悪魔、虚像淫楽、芍薬屋夫人いずれをとるかに迷う。芍薬の迫力には敬服す。菊池寛往年の時代物に匹敵する力量というべし」云々。過分の褒辞也。

 乱歩と風太郎の昭和23年は、かくて暮れてゆきます。おしまい。
 ちなみに山田風太郎が昭和46年に発表した「なつかしの乱歩=その臨床的人間解剖」には、「或る大新聞の記者が来て何か依頼したとき、その条件があいまいであると乱歩さんが糾問され、記者が青くなったり赤くなったりしているのを見たことがある。そのとき後ろで若い私は、乱歩さんの指や手の甲のモジャモジャ生えている毛を眺めながら」などといったくだりがありますが、これは日記に記されていた昭和22年11月29日のエピソードだと見て間違いないように思われます。といった感じで他のエッセイと読み比べるのもご一興。
 ともあれ山田風太郎の『戦中派闇市日記』(2003年6月20日初版第一刷、小学館、本体二三〇〇円)、風太郎ファンのみならず乱歩ファン探偵小説ファンにとっても興趣の尽きぬ一冊としてお薦め申しあげる次第です。

 A Glimpse of Rampo
 上質な遊び:泡坂妻夫
書名:ひとりで遊ぶ本 あそびの本4/著:松田道弘/1984年6月30日/筑摩書房/p. i
 
戦時中の教育者は「よく学びよく遊べ」ではないにせよ、一応学問と遊びを同価値に置くことで、多分に物判りのよい教育者のポーズを作ってみせた。しかし、その裏の心は子供でも読み取ることができた。この場合の遊びとは身体を使う競技のことで、戦争で役立つ丈夫な身体や負けじ魂を作れという意味だったのである。
 それが証拠に、エノケンを観に映画館へ入ったり、江戸川乱歩の本を手にするのは、いつも教師の目を逃れてでなければならなかった。

○こまさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●6月15日(日)
 昭和23年5月29日、土曜会。

 午後より東洋軒にて土曜会、木々、江戸川両氏の論争。二人とも書く評論は大したことを言うが、小説は知れたものである。また、こう口で言い合っているところは、それほど頭脳メイセキでもなく、筆ほどでないことが分る。

 身も蓋もありません。
 6月7日、乱歩邸訪問。探偵作家連とすき焼き、お酒。

 夜九時、乱歩氏送りて池袋駅へ。途中アイスクリームのむ、別れる時握手してくれ、チンにそっとささやいて曰く、「君はいい、君はいい」。
 厚意は実に感激す。されどその言葉には感激せず。余未だ二十七才、最年少也。星美しき夜の駅頭、現在推理小説の巨頭たる乱歩にかかる言葉囁
〔ささや〕かるるは、実に生涯の思い出とならん──(余にとりて)──と乱歩氏、心の底にて、一つの小説的風景を描きつつ握手してくれしにはあらざるか。もし余に一世を圧する自信と野心あり而〔しか〕も人に認められざるをうらむの心あらばさもあらん、されど余は実に己れの力量不足を痛感す。この言葉のマッチ点ずべき松明〔たいまつ〕胸になければ、このマッチむなしく消ゆる外〔ほか〕なし。

 乱歩は単に自分が目をかけている青年の手を握り、酒で火照った耳許に何か囁きかけてみたかっただけなのではないかとも思われますが。


●6月14日(土)
 6月ももうなかば。卯の花が垣根に匂うころとなりました。今年もすでに半分近くが経過したかと思うと、何やら茫然としてしまいます。

また戦中派闇市日記に乱歩を見る

 気を取り直して山田風太郎『戦中派闇市日記』の話題に戻りましょう。
 昭和22年12月29日、山田誠也青年は乱歩に年賀状を書きます。
 12月31日には次の記述。

 朝、江戸川氏より明元旦午後より夜にかけ遊びに来ぬかとのハガキ来る。ひるごろ、ビヨウキエンキスルとの意の電報来る。この年末の忙しいのに乱歩さん、何をマゴマゴひとりで騒いでいるんじゃ。

 昭和23年1月25日、乱歩邸訪問。
 1月31日、土曜会。
 2月28日、土曜会。
 3月19日、自由出版からアンソロジー『殺人万華鏡』の印税届く。印税の二分は編者の乱歩が取り、残り八分を山田風太郎ら収録七作家が分配。こんなのはどうだっていいことですが、まあ乱歩の名が出てきますので。ちなみに記しておきますとこの『殺人万華鏡』、初版が昭和23年1月25日、再版が同年3月1日
の発行となっております(再版が出たことは『戦中派闇市日記』にも記されています)。奥付に版数が明記されていないため、私は3月発行の再版を初版だと思い込んでいたのですが、最近になってある方から1月発行の初版が存在することを教えていただきました。これもまあどうだっていいようなことですが。
 3月27日、土曜会。


●6月13日(金)
 わが三重県名張市にも時代の波が押し寄せてきました。七輪を利用した電網心中、とうとう当地でも発生いたしました。死にたいやつは死ぬがよい。こちらもいつ七輪のお世話になるかしれないわけですが。
 朝日新聞ホームページから引用。

 男性3人集団自殺か、車内に練炭 三重・名張
 12日午後2時過ぎ、三重県名張市夏見の市総合体育館駐車場で、荷物の積み替えをしていた運送会社の運転手(30)が、車の中で男性3人がぐったりしているのを見つけ、110番通報した。名張署員が駆けつけたところ、3人はすでに死亡しており、助手席に練炭入りの七輪が置いてあった。同署はインターネットを利用した集団自殺とみて調べている。
 調べでは、岐阜県関市の無職男性(30)が運転席で、名張市の公務員男性(30)と埼玉県川越市の会社員男性(26)が後部座席で死亡していた。車は関市の男性の所有で、すべて施錠され、幅5センチのビニールテープで内側から目張りしてあった。死因は一酸化炭素中毒。検視の結果や聞き込みから、9日深夜から10日早朝の間に自殺したとみられる。
http://www.asahi.com/national/update/0612/041.html

 つづいて読売新聞ホームページから。

 集団自殺?車内に練炭、男性3人死亡…三重
 12日午後2時5分ごろ、三重県名張市の市総合体育館駐車場で、乗用車内の男性3人が死亡しているのを、通行人が見つけた。
 名張署によると、死亡していたのは同市内の同県上野市職員(30)。残る2人は運転免許証から、岐阜県関市の無職男性(30)、埼玉県川越市の男性会社員(26)とみられ、確認を急いでいる。3人とも、家族から捜索願が出されていた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030612ic25.htm

 私には自死を否定する気も逆に美化する気もともにありませんが、一人じゃ自殺もできんのか、とは思います。事情はまったく与り知らぬものの、三十やそこらで親より先に死んでどうする、とも思います。死んで花実が咲くものか、などとはまったく思いませんが、何も死ぬことはなかったんじゃないの、とはちらっと思います。
 それにいたしましても、たまたまインターネットで知り合っただけのきわめて稀薄な関係性しかもたない人間が同じ時間に同じ場所で自死することを、はたして「心中」と呼んでいいものかどうか。曾根崎心中西陣心中六本木心中などと同列に論じていいものかどうか。人が同時に死を選ぶ背景にはやはり「藻屑物語」のような恋物語が存在していなければ、と「もくず塚」を書いた乱歩なら思うかもしれません。
 合掌。


●6月12日(木)
 山田風太郎『戦中派闇市日記』の話題は都合によりお休みといたします。

続・本朝男色難読考

 毎日ぴーひゃらぴーひゃらと適当なことばかり書き散らかしているわけですが、それをどなたにご覧いただいているのか知り得ないのが怖いといえば怖いところ。昨日は思いがけず岩田準一のご遺族から、「男色」の読みについてご教示をいただきました。ご令息の岩田貞雄さんからご見解を記した書状を頂戴した次第です。お礼の葉書を昨夕投函し、ご所見を紹介させていただきたく、とのお願いも記しておきましたので、さっそくに関連箇所を引用いたします。

男色の読みの件ですが、小生は以前より「なんしょく」と発音致しておりましたが、此度の原書房の合本刊行に際し、編集者より、いまの若い方は「だんしょく」と読み慣わしており、その方が解り容いからとて、「だんしょく」に統一し、小生もそれを諒承した次第でございます。

 何度も申しますが、「なんしょく」と「だんしょく」、どちらだっていいんです。『男色文献書志』復刊に際して現代の読者に配慮するのは大切なことであり、「男色」の読みをとりあえず「だんしょく」と確定してしまうのもひとつの見識でしょう。ただし『江戸川乱歩著書目録』では、これをとりあえず「なんしょく」と読んでいるというだけの話であって、「だんしょく」と「なんしょく」、いずれも否定されるべきではありません。コンピュータが幅を利かせるデジタルな社会においても(おいてこそ、というべきかもしれません)、多義性や多様性ないしは不確定性といったものは保障されるべきだと思われます。
 といった次第で、岩田貞雄さんにはここに
あらためてお礼を記しておきたいと思います。「男色」を「だんしょく」としか読めないお若い衆に対しては、「なんしょく」と読んだほうが教養がありそうに見えていかすぜ、と申しあげておきましょうか。いかすという言葉も当節ではあんまりいけてないわけですが。教養ってのもなんだかまあ。


●6月11日(水)
 昭和22年11月22日、土曜会。山田誠也青年は「乱歩に本を有難うとお辞儀したら、一度ゆっくり話したいという。まだ何か言いたそうであったが、何しろ己が逃げ腰で、とうとう、いいかげんで逃げ出してしまった」。
 11月29日、銀座六丁目の交詢ビルにあった探偵作家クラブへ。

間もなく乱歩氏、城氏打連れて来り、読売の人と、十二月五日より銀座にて開かるる防犯協会・読売新聞社主催の「防犯展覧会」に対する探偵作家クラブの応援の手筈に就て打合せをやり出す。乱歩氏、こういう交渉は実に見ていて凄いほどテキパキしている。釘をさすところはさし、突ッぱねるところは突ッぱねて、小説なんぞよりよほど凄いところがある。五十過ぎた男の恐ろしさ、くだらんことだが、二十代の僕なんか痛感せずには居れぬ。最初会った時乱歩氏は温厚な教養ある紳士であると思ったが、これは、以前から考えて居たのと大体同じ印象であった。(一般の人は病的な人であると思っているだろう) それが、きょうのように、皺ばった白い手に指裏に毛をもじゃもじゃそよがせながら、額に青筋たてて喋〔しゃ〕べるのを見ていると、一寸野獣めいた──天才めいた、恐ろしさが迫る。

 山田風太郎が死去したとき、筆者がどなたであったかは失念しましたが、風太郎作品はすべて人類という珍奇な生物の観察記録であった、といった意味の追悼文をどこかで眼にしました。もっともこれは、もしかしたら私の記憶違いかもしれません。中井英夫がほかならぬ乱歩に関して、似たようなことを書きつけていたような気もしますし。あまり私を信用しないでください。
 にしてもこの日記には、乱歩という不思議な生きものを間近に観察した報告書の趣がたしかに感じられます。もじゃもじゃと戦ぐ指の毛や額に浮かんだ青筋が、それを驚嘆の念とともに見守った一人の青年の冷徹な視線によって書きとめられ、いまこうしてわれわれの前に示されているわけです。
 12月6日、山田青年は次のごとく記します。文中
この色で示した文字には、原文では傍点。

 乱歩は久しく書かない。書けないのだと時に自分も言い人もいう。しかし人のいうのと彼自身のいう意味は大いに違う。乱歩自身の「書けない」というのは愚作が書けないという意味であろう。だから彼は彼の名作と信ずるものを必ず書くだろう。その具体的証拠として彼の評論を読むに彼は未だ驚異の心を失っていない。この驚異の心ある以上、必ず彼は書く。──但〔ただ〕し書いたものが、冷静な第三者の眼で見て果たして名作であるかどうかはまた別の問題である。

 まさに冷静な第三者、まさしく冷徹な観察報告書。


●6月10日(火)
 昭和22年10月2日、山田誠也青年は日記にこう記します。

探偵小説は先ず小説でなくてはならない。小説としての体裁を備えるためにもし必要とあれば探偵の方を犠牲としなくてはならない。坂口安吾のいう「人間性を尊重せよ」とはこのことであろう。それが世には、探偵の方に追われて、小説の方は中学校校友会雑誌の創作にも劣るものが多い。尤〔もっと〕も小説でなくてはならないといって、では小説とは何かというと、これはまた問題がむずかしくなる。

 たいした意味もなく引用しただけで、別に当節のミステリ小説への当てこすりではありません。
 10月11日、乱歩から近著『随筆探偵小説』の寄贈を受け、長い礼状を書く。
 10月15日、探偵作家クラブ主催「講演と探偵劇の会」の招待券届く。
 10月21日、有楽町の毎日ホールで「講演と探偵劇の会」。「ひるまで甘藷
〔かんしょ〕の配給などあったので遅くなり着いたのは十二時半頃で、乱歩が舞台正面に垂れさがった物故作家十二名の名前を墨でかいた白紙をさして一々説明しているところであった」。講演や奇術のあと、掉尾を飾るのは城昌幸が書きおろしたお芝居「月光殺人事件」の上演。出演は乱歩、木々、大下、延原、渡辺、守友(「幻想殺人事件」の守友恒でしょう。読んだことありませんが)、城、角田といった探偵作家連に徳川夢声や文学座の女優連その他だった由ですが、山田青年によれば「なッちゃいない」「いくらなんでもあんまりヒドスぎる」「探偵小説の尊厳を傷つけること徹底的である」とさんざんな出来だったようです。


●6月9日(月)
 乱歩が主宰する土曜会に顔を出して探偵作家の仲間入りを果たした山田誠也青年は、つづいて昭和22年1月27日、岩谷書店が設けた編輯部と新進探偵作家との懇談の席でも乱歩と顔を合わせます。30日には、乱歩からまた土曜会案内の葉書。
 2月1日、土曜会。乱歩に関して特筆すべき記述は見られません。
 3月8日、土曜会。同上。
 4月5日、乱歩から「土曜会通信」届く。
 4月26日、乱歩から土曜会の通知。
 6月10日、発足したばかりの探偵作家クラブから「探偵作家クラブ会報第一号」「探偵作家クラブ規約」「入会申込書」届く。この日の日記にはこんなことも書かれています。

 登校して法医学教室にゆき浅田一教授と話す。縊死と絞殺及び背部刺切創について、腹案中の「鬼子母神事件」成立するや否や確かめんとてなり。
 先週土曜、博士、乱歩氏らに逢ったよし。八月中に土曜会に出席するつもりとのこと。古畑博士が、小笛事件の話をしたと言ったら、そいつを話そうと思ってたんだ、材料がなくなっちゃった! と悲鳴をあげた。乱歩と対談中僕の話が出て「才もあるし文章もうまいから将来見込がある。まだ各雑誌社からヒッパリダコというところまではいかんですがネ」と乱歩大笑した由
〔よし〕。ヒトをバカにしてやがら!

 7月19日、浅田一教授出席の土曜会。乱歩に関する記述なし。
 8月6日、といいますか161ページの三行目ですが、乱歩作品を列記したなかに「青草」とあるのは「毒草」の誤植でしょう。
 8月23日、土曜会。乱歩に関する記述なし。「不連続殺人事件」連載中の坂口安吾が顔を見せたそうです。
 9月14日、誠也青年は武田武彦を訪ね、「宝石」への執筆を求められます。そのときの雑談の記録にいわく、「作家の評判。江戸川乱歩、今にして書かざれば鼎
〔かなえ〕の軽重を問わる。しかれども書けず。大変苦しいらしいとのこと」。
 ここでお知らせをひとつ。探偵小説系サイトの先達、「宮澤の探偵小説頁」のアドレスが変更されました。下記のリンクからどうぞ。

宮澤の探偵小説頁


●6月8日(日)
 そんなこんなで名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』は、いくらなんでもそろそろ校了ということになるのではあるまいかと思われます。どうぞ気長にお待ちください。私も気長に待っております。

戦中派闇市日記に乱歩を見る

 これは「A Glimpse of Rampo」として扱うよりも“乱歩文献”と見たほうが妥当であろう、と思われる本の話に移りましょう。
 山田風太郎『戦中派闇市日記』(2003年6月20日初版第一刷、小学館、本体二三〇〇円)の話です。ジョン・ダワーさん(と敬称をつけるとなんだか妙な感じになってしまいますが)の『敗北を抱きしめて──
第二次大戦後の日本人』(上=2001年3月21日第一刷/下=同年5月30日第一刷、岩波書店)とひそかに表裏をなすであろう貴重な同時代資料としての側面はいっさい無視し、この日記をただ乱歩文献とのみ見て話を進めることにいたします。要するに乱歩が出てくるシーンをすべて拾ったらどうなるか、みたいなことを試みるだけの話なのですが。
 昭和22年1月11日、当時東京三軒茶屋に下宿し、この年4月には東京医学専門学校四年生に進級することになる山田誠也青年(筆名風太郎、二十五歳)のもとに、江戸川乱歩から葉書が届きました。乱歩が主宰する「探偵小説土曜会」の例会案内です。日は1月18日、会場は日本橋区室町にあった岩谷書店。誠也青年は足を運びます。
 以下、1月18日付の日記から引きましょう。

午後一時より土曜会開く。乱歩氏を初め、徳川夢声、大下宇陀児、渡辺啓助、水谷準、延原謙及びその他、探偵小説愛好者二十人余り。夢声氏のユーモア探偵小説草分け(?)の論。乱歩氏より各作家を紹介されまた各作家に紹介さる。夢声や乱歩をこの眼前に見たるは生れて初めてなり。夢声の職業を思わせざる教養には感服す、乱歩は親しく相並びて余らに語り且〔かつ〕聴く、余が学生なりしに驚けるもののごとし。

 これをきっかけとして、乱歩と風太郎の布衣の交わりが始まります。

 A Glimpse of Rampo
 あとがきにかえて:半村良
書名:炎の陰画/著:半村良/1974年8月10日初版/河出書房新社/p. 261-264
上級生のそのまた兄さんから借りた、江戸川乱歩の蜘蛛男かなんだったか、とにかくそういうギトギトした本を発見され、狂乱状態の母親に引き裂かれてしまったときは、川へ身を投げて死んでやろうと思い、本当に夜遅くまで橋の上にいた。
○こまさんから目撃情報のご通報をいただきました。


●6月7日(土)
 朝っぱらから頭がーん、冷や汗たらー、みたいなことを経験してしまいました。机のそばに出してきてあった岩田準一『本朝男色考 男色文献書志』(2002年4月、原書房)を書棚に戻そうとしたときのことです。何気なく奥付を見てみると、書名にルビが振られていました。
 ほんちようだんしよくこう
 だんしよくぶんけんしよし
 とそれは読めました。これはしたり。南無三。やんぬるかな。慮外者めが。あらえっさっさ。いろんなことを口走りながら何度見直しても、「男色」には「だんしょく」のルビです。いやまいったな。
 『江戸川乱歩著書目録』が「男色文献書志」に「なんしょくぶんけんしょし」という読みを採用していることは、つい先日お知らせしたとおりです。目録の書名にルビを附しているわけではありませんが、読みによっては索引の「た」の項に置くか「な」の項に配するか、それが違ってきます。
 むろん「なんしょく」だって「だんしょく」だって間違いではありません。どっちに読もうと支障はありません。しかし私は「なんしょく」という読みがより正当であると判断したわけですから、いまごろになってその判断に揺らぎが生じるのは困ったことです。いっそ岩田準一のご遺族に電話をさしあげて、
 「あらだーだっしゃろかなーだっしゃろか」
 とお訊きしようかとも思ったのですが、早朝のことゆえ思いとどまりました次第。それにたぶん電話番号も存じあげませんし。しかしまいったな。
 私のような小心者はこうした事態に直面すると三日や四日は平気で鬱々として楽しまず、夕方には犬との散歩に普段の二倍ほどの時間をかけていやなことを忘れようとするのですが、とても忘れられるものではありません。最終的にはお酒に逃避することになるわけですが、朝っぱらからお酒もね。
 そこで致し方なく、「なんしょく」という読みの正当性を確認する作業に入りました。とはいえなんかもう面倒だなという気分にもなりましたので、西鶴の「男色大鑑」を「だんしょくだいかん」などと読んでいるやつは莫迦だ、大莫迦者だ、あれは「なんしょくおおかがみ」だ。証明おしまい。ということにしてしまいました。
 念のために「男色大鑑」収録の小学館日本古典文学全集『井原西鶴集二』を開き、『新潮日本文学辞典』の井原西鶴の項も見てみたのですが、「男色大鑑」には「なんしよくおほかがみ」あるいは「なんしよくおおかがみ」とルビが附されていました。とりあえずめでたし。
 以上のごとき頭がーん冷や汗たらーの経緯をも経て、近く刊行されるはずの『江戸川乱歩著書目録』の索引では「男色文献書志」が「な」の項に配されています。ことほどさようにこれ以外にも、『江戸川乱歩著書目録』にはこの手の遅疑逡巡の果てに記された一行一行がてんこ盛りになっているとお思いください。だからどうだということもないのですが。
 ちなみに西鶴は、「男色ほど美なるもてあそびはなきに、今時の人、この妙なる所をしらず」と「男色大鑑」で嘆いています。だからどうだということもないのですが。


●6月6日(金)
 人のつくった目録はさておいて当方の目録はと申しますと、おおよそこんな感じになっております。

江戸川乱歩著書目録

 大正14年から平成13年まで、西暦でいえば1925年から2001年までの乱歩の著書のデータがこれなわけです。印刷用のデータを流し込んでホームページ版著書目録を組んでゆけば校正作業の一環にもなるなと気がつき、ちょっと以前からぼちぼちたらたらつくっておった次第ですが、5月19日と本日とですべてアップロードしてしまう仕儀となりました。
 これが印刷用にちゃんと組みあがるのはいつの日か。聞くところによれば兵庫県
は尼崎市の商店街が昨5日、阪神優勝セールへのマジック「79」を点灯させたそうですが、痩せても枯れても私は公立図書館の人間なのですから、人倫を踏み外したそこらの阪神ファンみたいにいい加減な予告を公表する真似はできません。いつになるかは知れませんが、そんなに遠くはないような気がする、とだけ申しあげておきましょう。完成の日に向かってじりじりじりじり躙り寄っていることだけはたしかです。ご安心ください。しかしそれにしても。


●6月5日(木)
 そういった次第ですから、『江戸川乱歩著書目録』には岩田準一の『男色文献書志』が二度にわたって登場します。一度目は乱歩の「編纂書」として昭和31年に、二度目は乱歩の「序」を収めた「収録書」として昭和48年に。
 同じ本が「編纂書」だったり「収録書」だったりするのは矛盾しているようですが、同一タイトルとはいえ二冊のあいだには「序」の有無をはじめとした違いが生じているわけですから、扱いが異なってくるのも致し方のないところだとご承知おきください。
 ちなみに昨年刊行された合本の『本朝男色考 男色文献書志』では、乱歩の「『本朝男色考』について」「同性愛文学史について 岩田準一君の思出」「序(男色文献書志)」が挟み込みの栞に収録されています。『江戸川乱歩著書目録』は平成13年までが対象ですから昨年刊行された書籍は対象外なのですが、かりに『本朝男色考 男色文献書志』が対象期間内の発行だったらどうなっていたかと申しますと、これはまったくお取り扱いいたしません。栞や月報、帯などに見える乱歩の文章はきれいに無視して、あくまでも書籍本体を扱うのが『江戸川乱歩著書目録』の基本となっております。
 さてそれでは、試みに『男色文献書志』に録された探偵小説を列記してみましょう。

928 孤島の鬼  朝日 自第一巻第一号至第二巻第二号 自昭和四年一月至昭和五年二月 博文館発行
 江戸川乱歩。長篇小説なり。〔単行(昭和五年五月改造社刊)一冊。〕

933 竜吐水〔ポンプ〕の箱  新青年 第十巻第三号 博文館発行
 山本禾太郎。

934 悪魔の弟子  新青年 第十巻第五号 昭和四年四月 博文館発行
 浜尾四郎。〔殺人小説集(昭和五年十一月、東京、赤炉閣書房刊)収。〕

957 島原絵巻  犯罪科学 第一巻第二号 昭和五年七月 武侠社発行
 浜尾四郎。〔殺人小説集所収。〕

959 人肉の腸詰 肉屋に化けた人鬼  中央公論 第四十五年度第七号、第八号 昭和五年七月、八月 中央公論社発行
 牧逸馬。〔世界怪奇実話7、8 浴槽の花嫁(昭和五年十月、中央公論社刊)収。〕

1065 魔童子  一冊 昭和十一年五月 東京、黒白書房版
 小栗虫太郎。

1080 幽霊宙に充つ  名作 第二号 昭和十四年(一九三九)十月 博文館発行
 木々高太郎。

 乱歩作品では「衆道もくず塚」をはじめとしたエッセイも採られ、最多出場作家は稲垣足穂、お、乱歩の実弟平井蒼太も昭和7年の「大阪の男娼街見物」などで名を見せるではないか、などとこの手の目録は眺めるだけで尽きせぬ感興を覚えさせるものですが、人のつくった目録をのんびり打ち眺めている場合ではないような気もしてまいりましたので、本日はこれにてご無礼いたします。


●6月4日(水)
 おはようございます。しかしどうもいけません。体調がすぐれません。ぼーっとしております。このままもう少しぼーっとしていようと思います。あしからず。


●6月3日(火)
 『男色文献書志』の話をしている折も折、講談社から高原英理さんの『無垢の力──〈少年〉表象文学論』(2003年6月2日第一刷、本体二四〇〇円)が刊行されました。1999年の『少女領域』と対をなすらしい長篇評論で、折口信夫、山崎俊夫、江戸川乱歩、稲垣足穂、三島由紀夫の作品を題材として、本邦近代文学に「少年」なるもののひそかな水脈を探る試みのようです。とりあえず帯の惹句を引きますと──

近代日本文学の正統から排除された少年愛=自己愛の文化的系譜をたどり、「無垢」のイメージに託された価値と論理を現代に問う力作評論。

 乱歩には「第3章 憧憬の成立──江戸川乱歩『乱歩打明け話』」と「第4章 自己愛の破綻──江戸川乱歩『孤島の鬼』」の二章があてられ、乱歩ファンならまずは必読。と、まだ拝読もしておりませんのにお薦め申しあげる次第です。


●6月2日(月)
 岩田準一の『男色文献書志』は昭和48年に至って、三重県鳥羽市にお住まいのご遺族の手で私家版が刊行されました。古典文庫版を全ページそのまま復刻し、準一の編による「男色異称集」と乱歩の「序」を新たに加えた内容です。
 ちなみにきのうご紹介した「序」はこの私家版から引いたもので、文中に「果たさない」「果せた」と送りがなの不統一が見られますが、底本のままとしておきました。
 さらに昨年には、男色研究における準一のもうひとつの代表作との合本という形で、原書房から『本朝男色考 男色文献書志』が刊行されました。男色ならびに岩田準一に興味のある方のために、本体四千八百円とやや値の張る本ながらお知らせしておく次第です。
 「男色文献書志」は「伊勢物語」から昭和18年の「歌舞伎史の研究」まで、本朝の男色文献千九十三篇を網羅した驚嘆すべき目録ですが、誰かが準一の遺志を継いで昭和18年以降現在までを増補すればとんでもないほど凄いものができるあがるだろうなと思われます。
 しかし、そんなことはまず不可能でしょう。男色文献の数そのものが膨大になっているはずですし、分野も多岐にわたるでしょう。とはいえ、なにしろきょうびのことですから、「男色文献書志」というホームページを開設して閲覧者と共同で作業を進めれば、意外に面白いものができるかもしれません。
 出でよ第二の岩田準一、と無責任なことを口走りながら、この話題もう少しつづけることにいたします。


●6月1日(日)
 訂正。きのうの伝言に「稲の穂」と記しましたが、5月の末に気の早い台風がやって来たからといって、いくら何でもいまだ稲穂は育っておりません。頬を赧らめながら「稲の苗」と訂しておきました。今年も豊年満作でありますように。

本朝男色難読考

 さて春陽堂書店関連以外にも、世に言い訳の種は尽きません。本日はおとといの「A Glimpse of Rampo」に名の見えた岩田準一の『男色文献書志』でご機嫌をうかがいましょう。
 岩田貞雄さんの「風俗研究書復刊さる」にも記されていたとおり、岩田準一は乱歩と和洋それぞれに同性愛文献の蒐集を競ったディレッタントで、やがて渋沢敬三のアチック・ミュージアムに招かれて民俗学研究に没頭しましたものの、道なかばにして病に斃れ、昭和20年2月にこの世を去ってしまいます。
 準一が蒐集した同性愛文献の目録は昭和18年に稿本としてまとめられましたが、戦時下のことですから出版社が見つからず、せめて私家版でもという著者の願いも用紙不足のせいで実現には至りませんでした。筐底深く秘められていた稿本が「後岩つつじ」のタイトルで活字になったのは、昭和27年に創刊された「稀書」の誌面においてでした。同誌第2冊に寄せた「序」で、乱歩はこんなふうに経緯を説明しています。

 敗戦後の昭和二十二年の冬、私は名古屋から伊勢路にかけて講演旅行したが、その時鳥羽町に立ちより、岩田君の未亡人を見舞い、この書目の稿本を預かって帰京した。そして、なんとかしてこれを印刷しておきたいと考えたのだが、事にまぎれて月日がたち、今日までその意を果たさないでいたところ、中国軟文学の研究家、伏見冲敬君と知り合うようになり、同君の仲介で、本誌に連載することとなったのである。その縁で、伏見君はこの書の校訂まで引受けて下さったが、私もやっと故人への責任が果せたわけで、本誌の発行者森山太郎君と、伏見君とに深く感謝の意を表したい。

 昭和31年になってこの連載が一巻にまとめられ、古典文庫の近世文芸資料4『男色文献書志』として公刊されます。乱歩の尽力があったことはいうまでもなく、古典文庫の浮世草子復刻にあたって乱歩が蔵書を提供したことが、おそらくそのきっかけではなかったのかと推測される次第です。
 昭和36年、乱歩は『探偵小説四十年』を編むに際して巻末に「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」を配し、昭和31年度の「編纂書」として「○岩田準一著『男色文献書誌
』(古典文庫刊、十月)」を録しています。ところがこれ、じつはちょっとおかしい。
 書名の「書志」が「書誌」になっているからおかしい、という誤記誤植の問題ではありません。どう考えても乱歩の編纂であるとは思えないからおかしいわけです。内容は準一の遺した稿本そのままのはずですし、奥付には準一の「編著」だと明記されてもいます。乱歩が編纂に腕を揮う余地はどこにもなかったと見受けられます。
 とはいえ、乱歩がこの本を自身の「編纂書」とした気持ちも、私にはよくわかるような気がします。志なかばで世を去った友人の遺作を自分の手で無事に刊行できたのですから、自身の著作目録にその一巻をひそかに書き留めておいた乱歩の心根は、読者諸兄姉にもきっときっとおわかりいただけるのではないでしょうか。
 そんなこんなで『江戸川乱歩著書目録』には、乱歩が編纂した著作ではたぶんあるまいと判断される岩田準一の『男色文献書志』も、乱歩の編纂書として堂々記載しております。乱歩の意を汲むことに重きを置いた結果です。
 むろん、乱歩の編者名義がこの本のどこにも記されていないことを註記し、乱歩の作成した「江戸川乱歩作品と著書年度別目録」にこの本が編纂書として記録されていることを明示しておりますから、察しのいい方なら上に記したような事情をおぼろげながらでもご理解いただけるのではないかと思っております。それなら察しの悪い方や血の巡りの悪い方の場合はどうなのかと申しますと、『江戸川乱歩著書目録』はそもそも阿呆を対象とした本ではありません。あしからずご了承ください。
 ところで読者諸兄姉、「男色」はいったいどう読みましょう。だんしょく、なんしょく、いずれも可です。ゲイボーイを描いた水上勉さんの佳品「男色」はたしか「だんじき」と読ませていたように記憶しますが、さすがに「だんじき」はつらそうですから考慮の外とすることにして、さて「だんしょく」とするか「 なんしょく」とするか。
 結論といたしましては、濁音混じりで「だんしょく」と発音するよりも柔らかく「なんしょく」と口にするほうが、何と申しますか男色という文化に相応しい陰翳が寄り添うように愚考されましたので、『江戸川乱歩著書目録』では「なんしょく」という読みを採用しております。そうそう。岩田準一のご遺族が「なんしょく」と発音していらっしゃったことも、判断材料のひとつとしてここに附記しておきましょうか。