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2004年7月後半
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●7月16日(金)
残念なお知らせから始めなければなりません。訃報です。三重県鳥羽市の岩田貞雄さんが逝去されました。本日付中日新聞三重版から引用します。
この記事では触れられておりませんが、当サイトご閲覧のみなさんには、乱歩の友人にして同性愛研究の同志でもあった岩田準一の次男、とご紹介申しあげるべきでしょう。上記引用にある「ふるさと再発見」では今年3月に「乱歩の鳥羽15カ月」と題した文章を発表していらっしゃいましたし、4月に入って鳥羽みなとまち文学館の「乱歩館・鳥羽文学ギャラリー」がオープンしたときには、乱歩館で撮影された貞雄さんの写真を掲載して開館を報じた新聞もありましたから、そのうちお邪魔していろいろお話をうかがいたいものだとぼんやり考えていたのですが、果たせなかったのが心残りです。 心残りといえば、貞雄さんは準一と乱歩の往復書簡や準一の日記の公刊を念願していらっしゃったそうで、その実現を見ることなく旅立たれたのは何より心残りで無念なことであっただろうと思われます。ただ、日記のほうは出版がなんとか本決まりになったとも仄聞いたしますので、それが病床の貞雄さんにとって何かしら救いめいたものであったのならばと、なんだか僭越至極なことを考えたりもしてしまいますけれど、ともあれ心からご冥福をお祈りしたいと思います。 もう一年以上も前、原書房から出た岩田準一の『本朝男色考 男色文献書志』における「男色」の読みは「なんしょく」か「だんしょく」か、私は「なんしょく」と読みたいのであるが同書の奥付には「だんしょく」とルビが振られているではないか、といったようなどうでもいいといえばじつにどうでもいい話題をこの伝言板に記したところ、思いがけず貞雄さんから書面でご教示をお寄せいただいたことも、いささか恥ずかしいけれど忘れがたい思い出になってしまいました。感謝と追悼の意をこめて、昨年6月12日付伝言に引用した貞雄さんのおたよりを再掲しておきます。
葬儀・告別式は17日午後2時から鳥羽市鳥羽3の13の56の済生寺で。喪主は長男光正(みつまさ)氏。 全国の乱歩ファンはすべからく鳥羽に向かって合掌すべし、などと申しあげられるような立場にはありませんが、よろしくお酌み取りいただければ幸甚です。 といったところでおしまいにしようかなとも考えたのですが、やっぱつづけることにしましょうか。天国の岩田貞雄さんには心の中で手を合わせつつ、勇んでつづけることにいたしましょう。 ところで私が何をやってるのかと申しますと、いわゆる官と民との協働とかいうやつですか。つまりお役所があまりにもだらしないから民間人がちょっとサポートしてあげようかという話であって、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会オフィシャルサイト掲示板の閉鎖に関する委員会側の説明がなんとも杜撰に過ぎるため、当方の可能な範囲内でその説明を幾分かでも説得力あるものにするべく努めている次第だとお思いください。 さておとといの14日、私は委員会事務局にお邪魔して、今年2月に行われた掲示板の閉鎖は組かしら会の協議によって決定されたという事実をお聞きしてきました。きのう記したとおりです。閉鎖の理由はオフィシャルサイトで告知されているわけですが、私の見るところそれはどうやら真実ではなく、むしろ私が2月13日付伝言に記した推測がより真相に近いのではないかと判断されるということもきのう記したとおりです。ていうか、俺に名指しで回答を要請された組かしら会のみなさんが逃げ場を失って掲示板閉鎖の暴挙に出たらしいってことは、そこらの小学校の坊ちゃん嬢ちゃんにだって充分理解してもらえるほどじつにわかりやすい話じゃねえか、と私は思っております。 とはいえこれはあくまでも私の推測に過ぎず、委員会側の公式な説明はオフィシャルサイトに記されているとおりです。ではここで、委員会側の説明と申しますか釈明と申しますか、いやそれよりも言い訳だか言い逃れだか言い繕いだか、とにかく言い分を確認しておくことにいたしましょう。
まず今年2月、掲示板閉鎖時に「掲示板」のページに掲載された文章から引用します。以下、これをAと称します。
つづきまして、7月8日に掲載された「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」からの引用です。原文には機種依存文字である丸囲み数字が使用されているため、ここでは括弧を用いて表記し直しました。以下、これをBと称します。
よほどの間抜けでない限り、上記ふたつの文章にちょっとした相違が存在していることは誰でも容易に見出せるでしょう。すなわち、Bに挙げられた三つの点のうち(1)および(2)はAの内容とほぼ同義だと判断されるのですが、Aの文中にはBの(3)に対応する文言が存在していません。おかしいですね妙ですね。へんてこですね莫迦ですね。いや莫迦といってしまってはいけませんが、Bに記された「好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれる」ってのは、掲示板閉鎖の理由としていったいいつの時点で浮上してきたというのでしょうか。じつに不可思議不可解な話です。 なんてこといってないでさっさと話を進めますと、これがつまり問題の矮小化であり作為であると私には理解されるわけです。私はきのうの伝言で、「知事と語ろう本音でトーク」における知事の回答に「はっはーん、敵さん俺があの掲示板に投稿した文章の字句文言のことに問題を矮小化してしまうつもりだな、と頷かざるを得ないような作為が認められた」と書きつけた次第なのですが、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさんには果たして私の申しあげていることがご理解いただけますですかどうですか。 しかし、しかしそれにしてもほんとにいったい何だというのでしょうかこのざまは。掲示板を閉鎖し過去ログを封鎖して知らん顔決め込んだのならそのまま通せばいいものを、人がちょっと「知事と語ろう本音でトーク」に参加するといっただけでとたんにあたふたし始めるんだから情けない。いくら俺が閉鎖の真相を究明するのだとあがいても閉鎖の理由はAに記したとおりでございますと突っぱねてればそれですんなり済んだはずのものを、ご丁寧にBみたいなものを用意してみずから進んで馬脚を露してくれるんだから世話はねえや。言い訳や言い逃れや言い繕いを重ねれば重ねるほど人は身動きができなくなってしまうものだということすらわかっておらんのか。まともに相手をするのもあほらしい話ではあるわけなのですが、まあばんばん行くしかないのでしょうな。 |
●7月17日(土) きょうも暑い日になりそうですが、炎天下のコールタールのように粘り強くつづけたいと思います。粘り強いっていうより単にしつこいだけじゃん、とお思いの方もおありでしょうが、私とて何も好きこのんでここまでしつこくなってるわけではなく、どうにも気に入らないからひとこと申しあげておくべきかと、さように考えている次第です。 さてきのうのつづきですが、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会オフィシャルサイトの掲示板が閉鎖された際の委員会側の説明Aは、「市民の方々からたくさんのご提案をいただき、その書き込みに対応したり、また、伊賀びと委員会の委員それぞれが活発に自身担当業務の進捗状況を報告したり、思うところを自由に書き込むなどを想定していましたが、準備と周知の不足からそのような広がった展開ができませんでした」と掲示板閉鎖の理由をみずからの内部に求めた、いわばきわめて内向的なものでした。逆に申せば他者への配慮が微塵もなく、自分たちの都合を一方的に述べ立てているだけの話なのですが、それも仕方のないことでしょう。 なにしろ関係者は自己保身の道を探ることでいっぱいいっぱいだったはずですから、人のこと考えてる余裕なんてまったくなかったのは無理からぬ話です。したがいまして掲示板閉鎖の理由をでっちあげるにしても、もとより真の理由は私があの掲示板に組かしら会のみなさんを名指しして質問を投稿し、みなさんそれに答えることができなくて進退これ谷まってしまったってことだろうなと推測されるわけなのですが、みなさんはそれをおおっぴらに認めることなんてとてもできません。となるとやっぱり掲示板閉鎖の理由を自身に求め、それをAとして表明するしかなかったのは当然のことであったと思われます。 ところが、つい最近オフィシャルサイトに掲載された説明Bにおきましては、閉鎖の理由として新たに「(3) 好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれる」が加えられました。外向性が附与されたと申しあげていいでしょう。たとえうわべだけでも手前どもが至らなかったばっかりにといった意味合いが示されていたAに対し、Bでは自分たち以外の人間が原因であるという、ま、あからさまにいってしまえばほかならぬこの私の投稿、それも組かしら会メンバーから回答を求めたもののみならず私の多くの投稿が原因だというのが委員会側の現時点での見解らしいのですが、それはまた後述することにいたしまして、とにかく特定の人間の投稿が原因であるという主張が明らかにされています。 えー、同じことをくり返してばかりでまことに恐縮なのですが、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさんにもよろしくご理解いただけますよう、たいていの間抜けにも納得してもらえる説明を炎天下のコールタールのごとく粘り強く進めることにしておりますので、その点なにとぞご諒恕をたまわることにいたしまして、まさにですねみなさん、まさにこの点にこそですね、私の投稿の字句文言に問題を矮小化しようとする二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会側の作為が認められるという寸法なんです。作為というか、平たく申せば浅知恵ってやつでしょうな。 あの掲示板における真の、そして最大の問題は何であったのか。それは、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会が税金つかって掲示板を開設しておきながら、投稿者から寄せられた質問や要望や提案や批判にいっさい応えようとしなかったことです。それこそが掲示板閉鎖の真にして最大の理由でもあったのであり、それはまた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業そのものが、事業と組織の根幹に関わる重大な疑義が明白に指摘されているにもかかわらず、いわゆる情報公開だの説明責任だのなんてものをきれいに無視して実施されていることとも決して無縁ではありません。事業と組織が内包している問題は、あの掲示板にそのまま反映されていたのだと申しあげてもいいでしょう。 もしかしたら二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさんは、みずからの責任は完全に不問に付して他人を悪者に仕立てあげ、被害者ヅラ並べて黙り込んでればそれですべてが丸く収まるとでもお思いなのかもしれませんが、その了見が私にはどうにも気に入りません。まったくもって気に入らねえな。こんな啖呵は以前にも切った記憶があるのですが、おまえら自分たちが誰を相手にしているのかよくわかってるのか。俺だぞ俺。御意見無用のこの俺だ。悪辣無双のサンデー先生だ。色即是空の人間豹だ。前後不覚の酔っ払いだ。思い知ったかべらぼうめ。 朝から早くもむしむしとしてきましたので、あまり体調のよろしくない本日はこのへんまでといたしましょう。 |
●7月18日(日) ようやく正式に告知されました。今週土曜の24日夜、NHK教育テレビ「ETV特集」で「乱歩の幻〜美輪明宏が語る美と巨匠〜」が放映されます。なんか変。いや変ということもないのですが、当初はたしか「異才が語る江戸川乱歩の世界」というタイトルで17日放送の予定だったのが、何がごたごたしたのか一週間遅れになって内容にもちょこっと手が加えられたみたいです。美輪さんには生前の乱歩との接点がそれほどなかったはずなのですが、いったいどんな「幻」を語っていただけるのか。ま、誰にしたって結局は「幻」を語ることしかできないわけですが。どうぞお楽しみに。 さて、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会オフィシャルサイト掲示板の閉鎖に関する委員会側の杜撰に過ぎる説明を幾分かでも説得力あるものとするために、本日は「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」に掲げられた「(1)市民の方からの自由な意見交換の場として機能していない。(2)委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない。(3)好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれるなど」という閉鎖理由を検証したいと思います。 と申しますのも、先週水曜14日午前に委員会事務局にお邪魔してあれこれお聞かせいただいたところでは、煎じ詰めて申しあげればあの掲示板は私によって潰されたのだというのが委員会側の見解であるようです。きのうも記しましたとおり閉鎖の原因は私の投稿だとするのが委員会側の主張であって、私が連日のごとく長文を、それも「好ましく無い表現や第三者の実名」を含んだ投稿を行ったため、上記引用にあるような市民と委員の自由な意見交換や情報提供の場としての機能を果たすことができなかったとのことでした。よういわんわ、と思いながらそれならば掲示板はいつからそういう機能不全状態に陥っていたのかとお訊きしたところ、開設当初からであるとのご返事。んなあほな。 これはいったいどういうことなのでしょう。委員会側は自己保身のため平然と虚偽を申し立てているのでしょうか。それとも単純な事実誤認を犯しているだけなのか、記憶の歪曲作用が始まっているのか、あるいはいっそ被害妄想とでも呼ぶべき状態にまで立ち至っているのか。いずれともにわかには断じがたいのですが、私の投稿が閉鎖の原因であるという端的な指摘がなされた以上、私にはそれが正当なものかどうかを検証する必要が生じてきました。
むろん、私が組かしら会のみなさんを名指しして質問を投稿したことが閉鎖の直接の原因であったことはたしかでしょうが、より重大な原因としては、組かしら会が完全に無能力であり無責任であったということが挙げられるべきでしょう。なんて具合に毎日同じことばかり書きつけるのはあほらしいやら情けないやら、うちほんまによういわんわといった感じなのですが、とにかく私は委員会側から下手人呼ばわりされており、それが不当な指摘だと思っているのですから、このままスルーの方向でってなわけにはとてもまいりません。 で、掲示板の過去ログは閲覧することができないのですが、私はすべての投稿をこの伝言板に転載し、それに基づいて「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」(やや重)というページもまとめてありますので、とりあえず開設当初五日分の投稿をここに掲げてみることにいたしましょう。
何の問題もありません。昨年10月21日の私は掲示板の開設に祝意を表する善良な一市民でした。質問もきわめて妥当なものと判断いたします。
一日たっても委員会側からは回答がなかったようです。それなら質問の相手を特定すればお答えいただけるかと、そんなふうに考えるのはごく普通のことだと思います。事務局長の名前が「第三者の実名」に相当しないことはいうまでもありません。
いかがですか、明朗時代小説を思わせるこの日の快調な滑り出し。それもそのはず、文脈から判断いたしますに、この日の投稿時には事務局職員にして掲示板管理担当者の方から事業実施計画案の発表時期に関する回答が書き込まれていたらしく、私はとても喜んでおります。それならば、つまり事務局長への質問に掲示板管理担当者が肩代わりして答えてくれるのであれば、事務局長に以前メールで送った質問をこの掲示板に投稿することで何らかの反応が得られるのではないかしら、と考えるのはやはりごく普通のなりゆきだと思われます。
「掲示板への投稿が相次いで」とありますから、私以外の投稿者も何人か出てきてくれたわけです。そのうちハンドルネーム村びとさんからは、おそらく電子掲示板の匿名性に関するご質問をいただいたのでしょう、私は自分の考えるところをお答えしております。ただしほかの方の投稿にはいっさい触れておらず、むろん個々の投稿者にこちらからご挨拶を申しあげてもよかったのですが、私は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に対して批判的であることを明らかにしているわけなんですから、そんな人間から気易く声をかけられるのは迷惑だとお思いになる方もいらっしゃるのではないかと判断した次第です。
さていったいどうなんでしょう。私が連日長文を投稿したせいで掲示板は開設当初から機能不全状態に陥った、みたいな指摘にはやっぱ無理があるんじゃないでしょうか。少なくとも「市民の方からの自由な意見交換の場」としては、結構順調に動き出したと見るべきだろうと思われます。げんにこのあと六日目には、私とハンドルネーム芭蕉さんのファンさんとのやりとりも始まっているわけですし。 ただし、上記投稿で私は、事務局長に対して「二〇〇四伊賀びと委員会のオフィシャルサイトに掲示板が開設されたとなれば、それを利用して事務局との直接的な意思疎通や情報交換が図れるだろうと考えるのは、ごく一般的な認識というものでしょう。これまでの投稿者の方が何らかの形で事務局への質問や提案を記していらっしゃる事実からも、そうした認識が一般的なものであることをご理解いただけると思います」、はたまた委員会に対して「伊賀地域からはもちろん、はるばる滋賀県からご投稿いただいた方もいらっしゃいます。委員会のみなさんも投稿によって応接されるのが、ごくごく一般的な礼儀であると思われる次第です。むろん事務局でなければ応対できない質問もあるでしょうが、書き込まれた意見や提案に対してみなさんがご自身のお考えを述べるのはみなさんの自由のはずです」といった苦言を呈しております。 つまり早くもこの時点で、掲示板が「委員からの情報提供や意見交換の場」として機能しないという状況が明白なものになりつつあったのですが、それは果たして私のせいだったのでしょうか。むしろ委員会側が、そうした機能をまったく果たそうとしなかったと判断するべきなのではないでしょうか。少なくとも私にはそのように見受けられましたし、ほかの多くの閲覧者も同様の印象を抱かれたのではなかったかと推測されます。 ですから私は「もしもお答えをいただけないのであれば、つまり電子掲示板における開設者と閲覧者の関係の双方向性を否定されるのであれば、この掲示板のどこかに「事務局への質問にはいっさいお答えいたしません」という注意書きがあってしかるべきでしょう。そうすれば閲覧者も誤解することなく、投稿者間の交流の場としてこの掲示板を利用するはずです」との提案を書き加えもした次第なのですが、掲示板には委員のみなさんの死人のごとき無反応が持続することになりました。 |
●7月19日(月) きのうの夕方、犬と散歩に出かけたときのことです。近所にあるF写真館のご主人から尋ねられました。 「こないだ名張に知事来てくれたとき、中さんなんかしてくれてましたんか」 テレビというのは地元CATV局のことで、私はCATVに加入していませんから仔細は知らないのですが、「知事と語ろう本音でトーク」名張市会場が地域ニュースに取りあげられたようです。とはいえ県による言論封殺と憲法違反を指摘した私のトークがそのまま報じられたはずもなく、だからこそ私が司会者に見えた人もいるわけなのですが、トークに関する報告は後回しにしてきのうのつづきを進めます。 なんてこというのも愛想のない話ですから、「知事と語ろう本音でトーク」に参加した際の印象をひとつだけ記しておきますと、なんつか、三重県知事ってどんどんどんどん岐阜県知事化してね? 岐阜県知事はつい最近も「三位一体の改革」に関する報道各社のアンケートに回答しないよう全国の都道府県知事に通達を出し、東京都知事から「言論統制みたいなことをあえて公言するのは、どういう目的があるのか」「気でも狂ったのかと思うね。あの知事」「誰の資格で、誰が言えるのかね。ちゃんちゃらおかしい」などとおちょくられていた次第ですが(Yahoo! ニュース - 政治 - 毎日新聞)、いくら隣接しているからといって、三重県知事が岐阜県知事になっちゃうのってちょっとやばくね? さて世間は海の日とやらでお休みですが、当方そうはまいりません。掲示板潰しの濡れ衣を晴らさなければなりません。さっそく行きます飛ばします。
きのう開設から五日分の投稿を検証してみました結果、「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」に掲げられた閉鎖理由のうち、一番目の「市民の方からの自由な意見交換の場として機能していない」というのは事実に即した認識ではないのではないか、二番目の「委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない」という点に関しては委員には最初からそんな意志がなかったのではないか、との結論に達しました。少なくとも私の連日にわたる長文の投稿が上記の機能不全をもたらしたとは、いささか考えにくいのではないかと思われます。 ここで長文の問題を取りあげますと、むろん私とて電子掲示板の世界に長文の投稿イコール迷惑行為であるという根拠のさだかならぬ了解事項のようなものが存在しているらしいことは承知しておりますが、たとえばこの手の掲示板で白痴的なやりとりに終始するのであればともかく、何らかのテーマに基づいて「意見交換」を進めるのであれば意を尽くすためにそれなりの文章量が必要になるのは自明のことでしょう。 「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」(やや重)で確認してみますと、私はあの掲示板で1月26日、ハンドルネーム tank さんから「掲示板は交流の場」という投稿で下記のとおりお叱りを頂戴しております。
私は長文の投稿がただ長文であるというだけの理由で排斥されるのは不合理なことだと考えておりますが、tank さんのような考え方を否定するつもりはありません。ですから翌27日の「なんかご迷惑をおかけしているそうでして」という投稿には次のように記しました。
ちなみにこの tank さんはおそらくあの掲示板の最後の投稿者となられた方で、2月12日付の最終投稿「そうですね」は私の質問に答えてご自身の考えを述べていただいたものだったのですが、その投稿は次のように結ばれていました。
長文になるのは当然でしょう。長文イコール迷惑などというそこらに転がってる評価基準を単純にコピー&ペーストして他人に押しつけるだけなら二行か三行で済みもしましょうが、目の前に存在している問題に自分の頭で判断して答えを出し、それを誤解されることなく他人に伝えようと思ったら長文になりがちなのは理の当然。そしてあの掲示板は「市民の方からの自由な意見交換の場」として提供されたものなんですから、そこに長文の投稿があったとしてもどこにも不思議はありませんし、それが長文であるという理由だけで咎められるのは不当なことであると判断いたします。 ここできのうとは逆に掲示板が閉鎖されるまでの五日間、すなわち2月8日から12日にかけての投稿を検証してみますと、「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」にはこの五日間で十四件の投稿が記録されています。投稿者は私のほか、伊藤和孝さん、∴切磋琢磨∴さん、tank さん、芭蕉さんのファンさんの総勢五人。で、tank さんと私が伊藤和孝さんや芭蕉さんのファンさんからもご意見をいただきながら進めていた話題は何であったのかと申しますと、まさしく電子掲示板のあり方や投稿マナーのことにほかなりませんでした。 これこれ伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさんや。暑い日がつづきますが大丈夫でいらっしゃいますか。人が誰でもぼーっとしてしまうこんな時候にそれでなくても血の巡りの悪い人たちつかまえて説教かますのは酷な話かとも思うのですが、私の申しあげていることがおわかりですかみなさん。 私は何を申しあげているのか。それはつまり、2月12日夜に組かしら会のみなさんが掲示板の閉鎖を決定した時点では、あの掲示板が「市民の方からの自由な意見交換の場として機能していない」なんてことはまったくなかったということです。おわかりですね。私はこうして自分でもまだるっこしくなるほど順序立てて説明しているわけなんですから、わからないなどとはおっしゃらないでください。おわかりのはずです。 「市民の方からの自由な意見交換の場として機能していない」なんてのは真っ赤な嘘じゃねえかおまえらと、私はそのように申しあげている次第です。 しかしほんとにまだるっこしいな。いやになるな実際。わが身可愛さで後先のこと何も考えずに掲示板を閉鎖してくれたとんでもないみなさんや。それだけでも充分とんでもないことなのにそのうえ人を悪者に仕立てあげ自分たちは被害者ヅラ決め込んでさらに自己保身を重ねようなどというみなさんの了見が私は気に入りません。まったく気に入りません。なんてことも一再ならず申しあげてきた次第ではあり、いい加減にしたいものだなとも思ってはいるのですが、気に入らないものは気に入らないのだからどうにも仕方ありません。この話題は当分つづくことになりそうです。いやになりますなお互い。 |
●7月20日(火) きのう犬の散歩のことを記しましたが、母方に遠くロシアの血を引く名張人外境番犬ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンはこの17日、おかげさまにて十一回目のお誕生日を迎えることができました。もとよりすこぶる息災です。不憫なことに癌を患っており、ところがこの年齢になると手術がかえって命取りになる可能性もあるとのことで、とどのつまり何の治療も施してはおらず、かかりつけの獣医さんから寿命はせいぜい十二年と聞かされております。日常生活にはこれといった変化も支障も見られないのですが、生老病死がすなわち苦であることには犬も人間も変わりがないとあらためて実感される次第です。死の訪れが一日でも遅いことを祈りつつ、縁起でもないこと書いてしまったせいで泣きそうになりながら本日もつづけましょう。ひいひい。 さて私儀、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会オフィシャルサイトに掲載された「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」をいささかなりとも説得力あるものとするために日々努めてまいりましたが、閉鎖理由のうちの「市民の方からの自由な意見交換の場として機能していない」は単なる嘘八百であると判断するしかなくなってしまいました。説得力がないのも当たり前でしょう。投稿者が「自由な意見交換」をくりひろげている真っ最中に掲示板が閉鎖されたんですからお話になりません。 お話にならないといえば、「委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない」というのもどうやら右に同じというやつのようです。あの掲示板が私の投稿のせいで機能不全に陥ったのであれば、そう判断した時点でそれを阻止するための手を打つのが開設者の務めというものでしょう。 きのうご紹介した tank さんの1月26日付投稿は私の長文を批判するもので、つまり私の投稿によって掲示板の運営に支障が生じていると判断し、それを打開するために書き込まれたものだったといっていいでしょうが、同じことは組かしら会のみなさんにも充分に可能だったはずです。というよりは、誰よりも組かしら会が率先して努めなければならなかったことのはずです。だって自分たちの問題なんだもん。 試みに、今度は2月10日付の tank さんの投稿を「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」から転載してみましょう。
二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会とは縁もゆかりもない人のなかにさえ、こうして私にイエローカードを突きつけてくださる方があったんですから、掲示板開設者が莫迦みたいにぼんやり事態を拱手傍観しているばかりではお話にも何にもなりゃしません。挙げ句の果ては「委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない」などと当事者意識皆無のたわごと並べて収まり返って、あんたらほんとに正気なのか。 このときには tank さんの発言を受けて伊藤和孝さんからアドバイスが寄せられ、そのあとにも投稿が相次いでいたわけなんですから、とてものことに「自由な意見交換の場として機能していない」なんて強弁を押し通せるはずがなく、また「委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない」なんてシラを切ってる場合でもなかったはずなのですが、にもかかわらず組かしら会のみなさんは最後まで知らん顔を決め込み、まるで手術がかえって命取りになる可能性のある病犬を前にした飼い主のごとく、ひたすら手をこまねいているばかりであったというのは紛れもない事実だと申しあげるしかありません。 もちろん、組かしら会のみなさんが水面下で動いていらっしゃった可能性はあるでしょう。言葉を選ばずに書いてしまいますと、たとえばこの tank さんには組かしら会の息がかかっていたのかもしれません。tank さんは三重県が憲法を無視して進めている「ネットで県民参画」や「e-デモ会議室」にも出入りしていらっしゃるようですから、そのあたりの縁で刺客依頼承知つかまつった、みたいな展開になったのではないかと考えてみることは不可能ではありません。 ところで、ちょっと余談になるのですが、リンク設定のために「ネットで県民参画」にアクセスしてみたところ、新たに「新しい時代の「公」って何?」というテーマが設けられておりました。ちょっと覗いてみただけなのですが、あれはいったい何なんでしょうか。私はきのう白痴的なやりとりが進められている掲示板としてこの掲示板を例示したのですが、身近なところに好適な例が存在していたようで、「新しい時代の「公」って何?」のやりとりも間違いなく白痴的だと思われます。税金つかってあんなことやる必要があるのかしら。万機公論に決すべしとは申しますものの、「ネットで県民参画」によって掬いあげられる公論なんてペリクレス死後のアテネにおけるそれと同質のものでしかないのではないでしょうか。アテネはオリンピックだけにしていただきたいものです。 いやいや、そんなことはまあよろしいのですが皆の衆、tank さんが子連れかどうかは知りませんけれどとにかく組かしら会から送り込まれた刺客であり、2月12日の時点で組かしら会側が南無三宝、刺客敗れたり、みたいな判断をくだして掲示板の閉鎖を決断するに至ったのであったとしても、そんな水面下のことは閲覧者には知りようがありません。閲覧者はあくまでも、この掲示板の開設者はどこまで無能力で無責任なのだろうと思うだけです。 というわけで、「委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない」というのは開設者の無能力無責任を示す言葉でしかなく、爪楊枝ほどの説得力さえ帯びることはできないという結論に至りました。組かしらのみなさんにとってはすべてが他人ごとであったと、まあそういったことなんでしょう。
つづきまして閉鎖理由の三番目、すなわち「好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれる」という点を検証します。その前にふたつだけ確認しておきますと、まず一点目、「好ましく無い表現」や「第三者の実名」を含む投稿はすべて私によってなされたものだそうです。この点、先週水曜14日に委員会事務局でそのように教えていただきました。つづいて二点目、この閉鎖理由は2月12日の閉鎖の時点では記されておらず、「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」で初めて明らかにされたものです。つまりいわゆる後づけの理由と見倣されても仕方がないものです。 しかし困りました。ほんとに困ってしまいました。「好ましく無い表現」というありがたい指摘におきましてはツッコミを入れるべき点がそこここで私を手招きしており、いったいどこから着手していいものか即座には判断できかねるありさまです。ちょっと考える時間をいただくことにして、つづきはあしたといたします。「第三者の実名」に関しましては、第三者という言葉の定義も曖昧なら実名を挙げることがなぜいけないのかもよくわかりませんが、とりあえず自分の投稿から「第三者の実名」に該当するとおぼしいものをすべて列挙して検証を進めることにいたしましょう。ってそんな面倒な。ひいひい。 |
●7月21日(水) 本日はまず、きのうお約束したとおり私の投稿に登場する「第三者の実名」を「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」から列挙してみます。 ただし第三者という言葉の定義が曖昧ですから、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会以外の人間、と定めることにしました。根拠は、掲示板管理者の1月7日付および8日付投稿に「伊賀びと委員以外の第3者」という文言があったことです。なお、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の会長にして事業の最高責任者である野呂昭彦知事は第三者には含めておりません。第三者でいらっしゃるはずがありませんから。 で、第三者の実名は次のとおり。初出時の表記を採用し、登場順、失礼ながら敬称略でどうぞ。
実名といったって俳号から筆名、芸名、醜名ないしはリングネームなんてものまで含まれておりますし、ジャイアンやクレヨンしんちゃんやハタ坊を実名と見倣すことにはかなりの無理があるのですが、いずれも本名よりは上記の名前が一般に通用していることから実名の扱いといたしました。 ここで私は疑問に思うのですが、こうした「第三者の実名」を挙げることがどうして問題にされなければならないのでしょうか。まったく腑に落ちません。もっとも、委員会側が嫌ったのは「自分たちの実名」を投稿されることであったというのであれば話はよくわかります。だからといってそれが理由で掲示板を閉鎖しましたなんて公表するのはみずからの無能力無責任をカミングアウトすることにほかならず、さすがにそれはできなかったでしょうから一計を案じてこそこそ「第三者」にかこつけたと、そういうことであったのならば話はやはりよくわかります。 いや、もしかしたらほんとに自分たちのことを「第三者」だと思っていらっしゃったのかもしれません。なにしろ当事者意識皆無の人たちなんですから、自分たちはまったく関係がないのにどうして名前を出されるのかなと、本気で首をひねっていらっしゃった可能性もなくはないと思います。しかしまさかそんな、いくらなんでもそんなあなた。 なんてこといってるあいだにいよいよ「好ましく無い表現」の番となりました。二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会が放った乾坤一擲のリーサルウェポンとでも呼ぶべきこの問題に迫りましょう。問題の矮小化という起死回生の一手は果たして功を奏するのでしょうか。みたいな調子でやってるとどんどこどんどこ長くなってしまいますから、あっちこっちツッコミどころ満載のこの問題は敢えてあっさり済ませることにいたしましょう。 「好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれる」という文章における「第三者」がじつは「自分たち」であったのと同様に、「好ましく無い表現」というのは「自分たちにとって好ましく無い表現」のことであり、すなわち自分たちに向けられた仮借ない批判と徹底した揶揄のことであったと見るべきでしょう。要するに組かしら会のみなさんは、自分たちが実名入りでぼこぼこにされ嗤い者にされることに耐えられなくなったというわけなんでしょう。もういや、こんな生活、ってとこですか。 先週水曜14日に委員会事務局でお聞きしたときには「不穏当な表現」という言葉も用いられておりましたが、好ましくなかったり不穏当であったりしたのは私が委員会に投げかけた悪口雑言罵詈讒謗にほかならず、それは委員会側にとって文字どおり耳に痛い言葉の数々であったはずではあるのですが、それならば私の投稿は閲覧者や投稿者の眼にも同様のものとして映じていたのでしょうか。閲覧者のことはわかりませんが、私の投稿に対するほかの投稿者の意見を抜粋してみることは可能です。 まず tankさんの1月26日付投稿。
つづきまして芭蕉さんのファンさんの1月27日付投稿。
daten さんの1月27日付投稿。
tank さんの1月27日付投稿。
∴切磋琢磨∴さんの1月28日付投稿。
芭蕉さんのファンさんの1月28日付投稿。
∴切磋琢磨∴さんの1月28日付投稿。
∴切磋琢磨∴さんの1月30日付投稿。
伊賀びとさんの2月6日付投稿。
伊藤和孝さんの2月8日付投稿。
tank さんの2月11日付投稿。私事ながら、2月11日はうちの親父の命日となっております。
tank さんの2月12日付投稿。
あーもーめんどくせーなーとひいひいいいながら抜粋してみましたが、話題になっているのは私の主張そのものであり、あるいは長文是か非か質問是か非かといった投稿作法なのであって、好ましくない不穏当な表現が問題になったことは一度もありませんでした。それどころか「もっと面白い意見を言ってくれ!」ですとか「中さんの文章自体は嫌いじゃないですよ、味があって」ですとか結構ご好評をいただいておりますではありませんか。 これはどういうことでしょうか。案じますに、ひとつには私のタクティクスや芸といったものが少なからず作用しているように思われます。私は強いて閲覧者の支持や共感を獲得したいなどと考えているわけではありませんが、自分の批判が閲覧者の腑に落ちるものであるようにとは心がけております。あ、山猿だと、あいつ伊賀びと委員会のこと山猿だと、とうとう人のこと山猿呼ばわりしちまいやがった、しかしま、あいつが怒るのも無理ないわな、くらいの得心はしていただけるようタクティクスに意を用い、面白く読んでいただけるよう芸を披露してもいるという寸法です。 もうひとつは、あの掲示板で意見交換を進めていた投稿者には(えー、委員会のみなさんが望んでいたはずの意見交換がげんに進められていたのだということを、しつこいようですがここに強調しておく次第です)、当然のことながらことの軽重がよく認識されていたということでしょう。投稿者は私の主張や投稿作法をめぐって意見を交わしていたのですが、私にそのような主張や投稿作法を強いたのは委員会側にほかならないという事情もまた、あの掲示板を一定の期間継続して閲覧していた人ならよほどの間抜けでない限り理解してくださっていたことでしょうから、委員会を批判する私の悪口雑言罵詈讒謗的字句文言は投稿者にとって枝葉末節の問題でしかなく、別の視点からいえば私の芸風にいちゃもんつけるような不粋な投稿者は一人もいなかったと、そういうことであったと判断される次第です。 ですから先日来くり返し指摘してまいりましたとおり、いまごろになって「好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれる」ことを問題視して本当の問題から人の目をそらそうとするなんてのは、畢竟すれば私の投稿における字句文言のことだけに問題を矮小化して世を謀ろうとする情けなくも哀れな行為にほかならず、連中はやっぱ山猿並みなんだなと申しあげるしかありません。きゃはは。問題は私の投稿の字句文言ではなくあくまでも私が投稿で指摘した点そのものに、つまりは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という事業とそれを運営する組織にあるわけなんです。おわかりかしらお猿さんたち。きゃはは。 むろんほかにもまだ、「好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれる」ことが問題であったのならそうした投稿をなぜ削除対象としなかったのかといった点などツッコミはいろいろと可能なのですが、いちいち挙げてゆくのは面倒なのですべて省略してしまうことにいたします。 といったところで結論を記しておきますと、「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」に記された「(1)市民の方からの自由な意見交換の場として機能していない。(2)委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない。(3)好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれるなど」という閉鎖理由には説得力というものがまったくありませんでした。上記三点の削除理由は、おそらくは過去ログを読み返すことさえせず印象のみに基づいて記されたものだと思われます。二〇〇四伊賀びと委員会ってのはじつにいい加減なとこだってことですな。前からそうではあったのですが。しっかりしろばーか。 |
●7月23日(金) それでどうなったのかと申しますと、結局どうにもならなかったみたいです。きのう二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会オフィシャルサイトに送ったメールのことですが、私の提案は昨夜開催されたはずの組かしら会で容れられることがなかったのか、それとも頭から無視されてしまったのか、いずれにせよ現時点では何の音沙汰もありません。ま、もうしばらく待ってはみますけれど、回答がいただけないとなればさてどうしたものでしょう。 やはり「伊賀百筆」でしょうか。 私には、理不尽不合理なことを申しあげているつもりはまったくありません。そもそも例の掲示板が閉鎖されたときだって、私は委員会に抗議することをいっさいしませんでした。ばーか、目も当てられねえな、なりふり構わず引きこもってろ、と思いはしましたが、何をいったところで委員会にはろくに応答もできぬであろうことは目に見えておりましたし、さすがに相手にするのがあほらしいという気にもなりましたので、そのままうっちゃっておいた次第です。 ところが、委員会のオフィシャルサイトに「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」なんてものがのこのこ掲載されましたから私は怒りました。これはどういうことだと思い、こんなものを発表した了見がどうにも気に入らねえなと思いました。掲示板閉鎖の原因は委員会の無能力と無責任とにあったにもかかわらず、俺を悪者にして自分たちの保身や正当化を図ろうとするその了見が気に入らない。それなら堂々と俺に掲示板を潰されたと公表し、非公開になっている過去ログをすべて再公開して、閉鎖の原因が何であったのか閲覧者それぞれが判断できるようにすればいいではないか、と考えて昨日の提案を行ったわけなのですが、例によってと申しますか案の定と申しますかまたかよやってらんねえなと申しますか、委員会名物梨の礫の一本ネタとはあいなりました。 やはり「伊賀百筆」でしょうか。 もしも委員会が私の提案を無視しつづけるのであれば、私は一連の経緯を説明する漫才とともに「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」の全投稿を「伊賀百筆」に寄稿して、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会による言論封殺の実態を活字にして記録しておくべきなのかもしれません。 やはり「伊賀百筆」の出番なのでしょうか。 しかし「伊賀百筆」に寄稿するとなるとずいぶんお金がかかりまして、四百字詰原稿用紙一枚につき五百円が必要になります。それなら「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」に収録した投稿は全部でいったい何枚になるのでしょう。 ちょっと計算してみます。 計算が終わりました。 四百字詰原稿用紙のフォーマットに流し込んでみたところ、行アキなしでぎゅうぎゅうに詰め込んでも四百十三枚になってしまうことが判明しました。四百十三枚かける五百円では二十万六千五百円になってしまいます。いかんいかん。そんなお金はとてもありません。 だいたい私は「伊賀百筆」最新号にもちょうど二百枚寄稿しており、掲載料は十万円、しかも二十部を購入いたしましたから、執筆者割引をしてもらっても二万八千八百円、しめて十二万八千八百円という私にしてみれば巨額の出費を経験したばかりなのであって、これ以上は逆さにしてもらっても鼻血も返り血も経血も出ないありさまです。 かりにまたしても「伊賀百筆」に寄稿するとなると、読みやすさに配慮して一行アキを設け、爆笑漫才を添えるとなればたぶん五百枚ほどにはなるでしょうから、これで二十五万円。事業推進委員会十七人と組かしら会十二人あわせて二十九人のみなさんに掲載誌を一部ずつお送りするとなると、二十九部で四万千七百六十円。郵送代が冊子小包で一部三百四十円として九千八百六十円。すべて合計すると三十万千六百二十円。 いかんいかんいかん。三十万超となるとあなた、『貼雑年譜』完全復刻版を購入して以来の大出費ですがな。 |
●7月24日(土) 丸一日熟慮を重ね、やはり「伊賀百筆」への寄稿は諦めざるを得ないと結論いたしました。いくらなんでも三十万千六百二十円は出せません。というか、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のためにはもう鐚一文も出したくありません。舌一枚だって出してやるものか。 だいたいが大枚十二万八千八百円はたいて稿を寄せた「伊賀百筆」第十三号だって、事業の愚劣さや欺瞞性を活字にして記録しておくという目的こそ果たせましたものの、委員会には何の影響を与えるにも至っておりません。完全なるノーインパクトでした。血税三億三千万円をどぶに捨てるなと批判するために十二万八千八百円をみずからどぶに捨てる結果となり、一時は恢復不能かと思うほど激甚なインパクトを被ってしまった俺っていったい何? ただの莫迦? 思い起こせば3月28日、私は上野市内で開かれた第三回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会を傍聴し、この日に間に合うよう急いで仕上げてもらった「伊賀百筆」第十三号を知事はじめ関係各位に直接手渡したものでしたが、それはそもさん何のためかと申しますと、なにしろ敵は名にし負う行政の無謬性ってやつなんですから、地域雑誌に批判記事を発表して得々としているだけではとても足りません。批判した当の相手に掲載誌をしっかと手渡し、ここに私というあなた方の批判者が存在しており、私の批判は少なくともこの雑誌の読者には了知されてしまうわけなのだから、あなた方もいつまでも知らん顔をしているわけにはいかんだろう、もう少し胸襟を開いて人の批判に虚心に耳を傾けてはどうか、といくらかでも揺さぶりをかけてやるつもりであったのですが、行政の無謬性ってやつはその程度ではびくともしなかったという次第です。まああの時期に来て事業を見直すことなんてとてもできない相談ではあったのですが、それでもびくともしなかった、と申しますか、相も変わらぬ知らん顔がつづいている、というのが私の実感です。 そういえばあの日、3月28日、第三回事業推進委員会につづいて同会場で開かれた事業開幕五十日前交流会に参加した私は、その雰囲気に何やら奇異なものを感じ、そこを「不思議の国」と規定したうえで、4月7日付伝言にこんなふうに記しました。
私が関係各位に「伊賀百筆」を手渡したのは、上記の文脈に沿って申しあげるならば、あなた方の周囲には間違いなく外部が存在しているのだという事実を知らせたうえで、バリアを取り除いて不思議の国と外部を直結させるための行為であったことはいうまでもありません。そしてこのときの私の印象は、今月13日付伝言で引用した山口二郎さんの『戦後政治の崩壊 デモクラシーはどこへゆくか』(岩波新書)にあった次の文章と、なんと見事な符合を見せていることでしょうか。
この文章は「バーチャルリアリティと自己修正能力の欠如」と題された節に記されたものですが、日本の官僚が外部からの批判に耳を藉さず、自分たちだけのバーチャルリアリティの世界(つまり不思議の国ですね)に引きこもって、自己修正とはついに無縁なまま(つまり行政は無謬なんですね)政策をつくってゆく姿は、他者と外部とをあらかじめ遮断し、外部に存在する他者からどんな批判を寄せられてもいっさい知らん顔を決め込んで、粛々と「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業を進めてゆく二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の姿にそのまま重なるものでもあるでしょう。 それが証拠に、22日木曜朝に委員会事務局へ送ったメールにはいまだに回答がありません。回答はあるいは永遠に送られてこないのかもしれませんが、まあそれはそれといたしまして、そろそろ「知事と語ろう本音でトーク」名張市会場にも行政の無謬性は厳然として存在していたというお話に戻りたいと思います。 あ。ここで思い出したから記しておく次第ですが、私は4月13日付伝言でこのようにお知らせしております。
第四回委員会が開かれたかどうか私にはわからず、地元メディアで報じられたという記憶もないのですが、とにかく何の意味もない会合なんですから、委員会がそれに気づいて開催を中止してくれたのであれば嬉しいなと私は思います。これはもしかしたら、第三回委員会における私の揺さぶりが多少は効果を発揮して、行政の無謬性にわずかながらも揺らぎが生じたということなのでしょうか。いくらなんでもまさか関係者全員が開催するのをころっと忘れていたなどということはあり得ないはずなのですが、もしかしたらそれもありかもと思えてくるのが恐ろしいところです。 |
●7月25日(日) さて、気がついてみればもう十日以上も前のことになるのですが、7月13日に実施された「知事と語ろう本音でトーク」名張市会場では、三重県における行政の無謬性が確乎不抜のものであることが確認されました。
まず二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会がオフィシャルサイト掲示板をいきなり閉鎖し、過去ログを閲覧不能にしてしまった件に関しては、何の問題もないというのが知事の見解でした。委員会オフィシャルサイトに掲載された「当ホームページ掲示板の閉鎖について (2004年7月8日)」の閉鎖理由を丸読みし、それを追認したあと、おまえのせいで掲示板が閉鎖されたのではないか、おまえが読むに堪えない悪口雑言を大量に書き込んだからではないか、何なんだこの「ぼんくら県職員」だの何だのという失礼きわまりない投稿は、みたいなことを直接口にしたり言外に示したり、とにかく私の投稿の字句文言に問題を矮小化してすべてを丸く収めようという露骨な作為のもとに知事の発言が進められましたので、私は自席に坐ったまま知事に向かって、 「いや知事、字句文言の問題やないんです」 と別に怒鳴るでもなくむしろ小さめの声で話しかけてもみたのですが、まあとりつく島もないと申しますか、聞く耳もたぬと申しますか、とにかく確乎不抜の無謬性なんですからどうにもなりません。 で、知事の回答には以前委員会事務局から示された文書をそのままなぞったような箇所があるぞ、と思い当たった私が翌日午前に委員会事務局を訪れてあれこれ話を聞いてきたことはすでに記しましたし、そのあと事務局への提案を書きつけたメールを送って回答を待っていることもすでにお知らせしたところですが、回答はいまに至っても寄せられていないということをここに報告しておきましょう。まあ、きのうきょうとお役所はお休みなわけですが。 そうか。世間はお休みか。それなら私もきょうのところはこのあたりまでとして、つづきはあしたにいたしましょう。 |
●7月26日(月) きのうにひきつづいて7月13日に実施された「知事と語ろう本音でトーク」名張市会場の報告を進めます。 二番目のテーマは三重県の「ネットで県民参画」でした。この事業では検閲制度を採用した電子掲示板がいわゆるツールとして使用されているのですが、日本国憲法第二十一条では「検閲は、これをしてはならない」と定められておりますから、これすなわち憲法違反ではないのかというのが私の質問でした。 「私はこれを明らかな憲法違反だと認識しておりますが、インターネットにおける検閲というものがいまだ明確な輪郭をもって語られるには至っていないようにも思われますので、法律の専門家である県の顧問弁護士の見解をお聞きしたいと思います」 と事前意見送信書にも書いておいたことを質問したのですが、驚いたことに、いや別に驚くようなことではないのかもしれませんが、三重県には顧問弁護士が存在していないそうです。私はほかの都道府県の例をいっさい知らず、ただ名張市でさえ顧問弁護士を雇っているくらいなのだからと考えて上記の質問を行ったのですが、予想外の返答が返ってきたというわけです。これを三重県における危機管理意識の甘さに結びつけて語ることにはかなりの無理があるでしょうから語りませんが、私は内心ではいいのかしかし、と思っていないでもないということをここに附記しておきたいと思います。 それでも検閲問題に関して多少の調べものはしていただけたようで、知事はプロバイダ責任法なるものを持ち出していろいろ説明してくださったのですが、何が何やらさっぱり要領を得ません。そこで私は再質問に際して、 「いや知事、プロバイダなんとか法の問題やなしに憲法の問題なんです。そんな法律よりも憲法のほうが上位法なんです」 と指摘して着席したのですが、この件に関する知事の回答は、 「公権力の行使に当たらないから検閲には該当しない」 というものでした。んなあほな。私は自席から、 「いや知事、県の事業で行われてる検閲なんですから公権力の行使以外の何者でもありませんがな」 と発言したのですが、知事は司会者のほうに顔を向け、 「はい、次」 と進行を促しながら、右手だけは私のほうに向けて二度ばかり、何かを追っ払うようにスナップを利かせた手つきでしっしっと打ち振ってくださいました。俺は野良犬かよ。私がそう思ったところで私の持ち時間はおしまいになってしまいました。 三重県は不真面目である。おおいに不真面目である。何がしっしっか。何が公権力の行使に当たらないか。こちらは紛れもない公権力の行使ではないかと指摘しているのであるからちゃんと答えぬか。それにそもそもこちらは専門家の見解を求めたのである。どこの馬の骨とも知れぬ県職員ごときの見解など聞きとうもない。もっと真面目にやれ。三重県は不真面目である。おおいに不真面目である。 さていったいどうしたものでしょうか。 「こんにちは三重県知事です〜」 みたいな漫才を最後まで書きあげ、これを事前意見送信書として県総合企画局広聴広報室に送信したうえで、今月29日午後7時から開催される「知事と語ろう本音でトーク」阿山町会場に参加して知事との再戦に臨むというのもひとつの手でしょう。 しかし日がよろしくありません。29日は運悪く木曜、つまりこの日夜には二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会の組かしら会が開かれることになっており、私は委員会事務局に22日に送ったメールの回答がいつまで待っても届かないようならこの日の組かしら会にお邪魔して白黒をはっきりさせてこようかなとも考えておりますので(あくまでも考えているだけの話です。いまだ決定ではありません。組かしら会のみなさんはどうぞお静かに)、遺憾なことにダブルブッキングとあいなります。 二年前の7月27日には狂言師和泉元彌さんがダブルブッキング、今年の7月29日は私がダブルブッキング、そしてあいだに挟まれた7月28日が乱歩の命日と、何がなんだか訳のわからないことになってしまいました。いやー困った困った。 |
●7月27日(火) ですから結論といたしましては、三重県というのはとんでもない県であるということになるでしょう。人の言論を鴻毛のごとくに軽んじておきながら恬として恥じることがない。じつにひどい県だと思います。 さていったいどうしたものでしょうか。 だいたい何なのだこら野呂おまえはいったい何なのだ。俺がそもそもの最初からおまえのことを怒ったか。叱りつけたか。ぼこぼこにやっつけたか。もう一年も前のことになるが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関しておまえに手紙を出しこれはばらまき行政であり税金の無駄づかいではないのかと指摘したとき俺がおまえを怒ったか。莫迦といったかぼんくらと呼んだか腐れ金玉と罵ったか。春に就任したばかりで事業のことなど何も知らぬおまえにじつに鄭重な文面で教え諭してやったではないか。前知事が始めたばらまきの連鎖を断ち切って独自の旗幟を鮮明にする道を示してやったではないか。それなのにいっさい返答しなかったのはおまえではないかこら野呂おまえだおまえ。そのあと事業に関する質問のメールを送信してもそのまま二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会事務局に丸投げして事業の最高責任者でありながら俺の真摯な問いかけにいっさい応答しようとしなかったのもおまえだ。一度ならず二度までもおまえは俺のメールでの質問を無視したではないか。まだあるぞ。おまえが会長を務めている事業推進委員会などという意味のない組織は何をどう考えても必要ないものだからそのことで話し合いたいとおまえとの面談を要請するメールを送ったときのあのざまは何だ。そちらからまったく返答がないからこちらから知事室に電話を入れたところ知事室職員があの件は知事室から生活部に丸投げしておりますので生活部から返事をさせますというものだから俺は犬のように素直に待っていたのだが結局何の返事もなかったではないか。俺はおまえが知事室で伊賀地域住民に会って事業に関する苦情を聞いたと知ったからそれなら俺だっておまえに会えるであろうそこらの伊賀地域住民にはどうせものごとの上っ面しか見えていないのだろうから俺が問題の本質というものをきちんと教えてやろうと考えて面談を要求したのではないか。それが要求そのものに返答なしとはどういうことだ。それともあれか。おまえと面談しようと思ったら知事室ではなく知事夫人に申し込んだほうがいいのかこら。こら野呂俺を怒らせたのはおまえではないかこら。おまえこのあいだのトークで何か質問があればまた郵便かメールでお送りくださいと抜かしておったが嘘をつくのもたいがいにしろ。そういう科白は一度でも俺の質問に答えてからにしろ。 みたいなことを事前意見送信書に書き綴って県総合企画局広聴広報室に送信したうえで、今月29日午後7時から開催される「知事と語ろう本音でトーク」阿山町会場に参加して知事との再戦に臨もうかなとも考えているのですが、こんなこと書いたら知事のご機嫌が悪くなってしまうかもしれません。ほんとにどうしたものでしょう。二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会事務局からはまだ返事がありませんし。 いやー困った困った。 |
●7月28日(水) 乱歩の命日を迎えました。それにふさわしいニュースを一席。
泉下の乱歩は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていることでしょうが、私は嬉しい。 いま調べてみたところ、陰獣先生逮捕の第一報がもたらされたのは6月24日のことでした。そのおりにも、女性が住むアパートの屋根裏から覗き、みたいなことは報じられていましたから、これが昭和戦前だったら新聞記事では間違いなく乱歩の名前が引き合いに出されていただろうなと思わされたものでしたが、なんと現代において夕刊紙系とはいえニュースサイトの記事で「犯行の参考にしていた江戸川乱歩の怪奇小説を地でゆく陰獣ぶり」という表現が使用されているのですから私は嬉しい。乱歩はいつまでも古くなりません。それに、腐っても鯛と申しますか覗いても教育者と申しますか、覗きを行うに際して乱歩作品という教科書を範としたこの先生もなかなか偉いものだと思います。 先生の記事をもう少々。
ちなみにこの陰獣先生、われらが三重県の出身だそうです。 ひとくちに同じ三重県の出身とは申しましても、郷関をあとにして身をたて名をあげやよ励んでいる陰獣先生もあれば、行政の無謬性にしがみついてまっとうな意見にも耳を藉そうとせず人をしっしっと片手で追っ払う知事もあり、狭小な伊賀の盆地に跼蹐するばかりで広大な外部を知らず人の質問や提案にまともに応えることもできない二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会のみなさんみたいな人もあるというわけです。 さていったいどうしたものでしょうか。 あんたらほんまええ加減にせなあかんよ。人がこれだけ条理を尽くして説明してるのにまだわかりませんか。これだけ順序立ててアドバイスしてるのにいっさい知らん顔ですか。あんたら正味のあほですか。どもしゃあないな実際。あんたらにはもう投げる言葉も見つかりません。だいたい僕いまや世間では伊賀地域の精神的支柱と呼ばれてますからね。その支柱があんたらの至らないところをいろいろ助言してきたわけです。そもそもの最初からいえばあんたらに欠けてたのはあんな事業がほんまに必要かどうかをきちんと考えることでした。ここまでの財政難に立ち至ってなおあんなしょうもないばらまきが必要なのかどうかを考えることでした。それがあんたらにはできなかったわけです。そらしゃあない。あほやもん。せやからその次の段階としては事業やるならやるで公開性を第一義としてすべてを進めることが大事でした。僕があれだけ力説したのに結局それもできてません。あんたら陰でこそこそこそこそいったい何やってるんですか。なんぞ後ろ暗いことでもやってまんのか。ええだけ公務員に丸め込まれてそのざまはいったいなんでんねん。しかしあんたらもある意味器用や。あんな三重県職員ごときに丸め込まれてしまうゆうのはよっぽどのことですけどあんたらこともなげにそれを可能ならしめてる。めちゃ器用や。いっそ見事なもんですな。そういえばあれは去年の9月のことでしたけどあんたらのうちの何人かがいる前で僕ちょっと当時の伊賀県民局長を、 ここで思い出したから附記しておきます。7月13日の「知事と語ろう本音でトーク」名張市会場には、事前にお願いしてあった前伊賀県民局長のご臨席はいただけませんでした。事務方には最初からその気がなかったのだと思われます。ばーか。なんか福永武彦の「幼年」みたいな改行作法になりましたが、 あの県民局長を怒ったことがありましたな。僕があんたらになんで事業計画の発表が遅れとるんやと訊いたときのことです。あんたらは事業計画をできるだけいいものにしたいのでとかなんとかおっしゃいました。すると横にいた県民局長が君たちには力がなかったなみたいな口を挟んできたから僕はかちんと来た。怒った。怒ったった。どう怒ったったのかというと昨年9月17日付伝言にこんなふうに書いてあります。 ここにいるこの莫迦どもをどうしておまえはかばってやらなかったのだこの莫迦。 ここにいる莫迦というのはあんたらのことだとお思いください。おまえというのは県民局長。しかし県民局長といったってしょせんは公務員すなわち公僕なんですからお役所の組織に加わった地域住民が困っているのであればアドバイスし手助けするのが務めであるはずなのに君たちには力がなかったなとは何ごとか。おまえは評論家か。そうではあるまい莫迦であろ。そのように思って僕は怒った。怒ったった。一から十までそうなんです。伊賀地域の精神的支柱があんたらを親身になってバックアップしていたということがまだわかりませんか。事業推進委員会という訳のわからん組織がいきなりできたときもそうでした。あんたらの自立性や主体性はどうなるのかゆうてあんたら自身が問題にせなあかんところやのにあんたら何もせんかった。ぼおっとしてた。そらしゃあない。あほやもん。せやから僕があんたらの代理として問題にしたわけです。事業推進委員会を二回も傍聴してあんな委員会はまったく必要のない組織であるということを確認したわけです。そしてそれを公表した。自分のサイトで公表し「伊賀百筆」でも公表した。大枚十二万八千八百円もかけて公表した。要するに僕があんたらの最大の庇護者であったということにまだ気がつきませんか。あほはあほなりに世間にまともに顔向けのできる人間になってもらいたいと思って努めてきた僕の気持ちがあんたらにはわからんのか。それをあんたらと来た日にはこともあろうにあの掲示板閉鎖問題で僕を悪者に仕立てあげて自分たちの保身や正当化を図るとはいったいどういうことですか。それがまともな人間のやることですか。まあしゃあないゆうたらしゃあないんですけどね。なんせあほやもん。 みたいなことをあす29日夜に開かれる組かしら会の席でかましてやらねばならんなとも考えているのですが、しかし莫迦に何いったってどうにもなりゃせんわけですし。 いやー困った困った。 |
●7月29日(木) いやー困った困った。 というかそれ以上に、いや暑かった暑かった。きのうもほんとに暑かった。 そういえば昭和40年の7月28日、乱歩がこの世を去ったのもきのうみたいな暑い一日のことでした。むろんそんなことを記憶しているわけではないのですが、その日の夕刻家に帰ると、つまり夏休みだったわけですからどこかで遊び呆けていたのでしょうが、テレビニュースを観ていた亡父が、 「江戸川乱歩が死んだでよ」 と独り言めいて呟いたことを私はよく憶えています。もとより歪曲され捏造されたものではあるのでしょうが、そして偽物であるからこそそうなのかもしれませんが、乱歩が死んだ日のその記憶はいまもきわめて鮮やかです。 そういえば昔、この記憶について書き散らしたことがあったっけとごそごそ調べてみたところ、目当ての小冊子が出てくるには出てきたのですが、あいにくと乱歩が死んだ日のことを記したものではありませんでした。 しかしまあ、ついでですからいささかをご紹介しておきましょう。タイトルは「影は乱歩か」、1991年9月5日発行の「風のたより」という小冊子に書いたものです。小冊子と申しますか、ワープロで作成した版をコピーして綴じただけのしろものなのですが。 ここでふと我に返って記しておきますと、暑さのせいで羞恥心が完全に麻痺してしまったとでもいうのか、十三年も前の腰折れを公開することに何の抵抗も覚えないのが自分でも恐ろしい。
まだまだつづきますが、さすがに気恥ずかしくなってきました。このあたりまでといたしましょう。 それにしても十三年前の1991年には、私は自分が将来カリスマと呼ばれ、乱歩乱歩で明け暮れる日々を送ることになろうなどとは夢にも思っていなかったはずなのですが、上記の腰折れを読み返してみて、それでも乱歩は当時から気にかかる作家の一人であったのだなと思い返されもした次第です。私はカリスマになるべくしてなったのだと申しあげるべきなのかもしれません。 ところで1991年といえば、当サイト「乱歩文献データブック」もようやく1991年まで掲載が進みました。なんとも辛気くさい作業でほんとにいやになるな、なんて思いながらやってるものですからなかなか進捗いたしません。 いやー困った困った。 |
●7月30日(金) 台風10号がじわじわじわじわ接近しているようで、当地は午前8時過ぎから激しい雨が降り出しました。なんだかわくわくしてきます。
といったところでお知らせお知らせ。きのう開催された第四回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会のお知らせです。なにしろ行政は無謬なんですから一度発足させた委員会はいかに無用の長物であっても存続させる必要があり、存続させている以上は思い出したように招集して無意味な会議のひとつも開かなければならないわけなのですが、なーに、事業が終わるまでの辛抱さ、なんて感じなのでしょうか。性懲りがないったらありゃしない。 性懲りがないのはおまえのほうだろうが、とお思いの方もおありかもしれませんが、私はいまや使命感のようなものに突き動かされているのだとお思いください。この事業がどれほど愚劣で欺瞞に充ちた経過をたどって実施されているのかを確認し、それを地域住民はじめ広く一般に報告するのは自分の務めなのではないか。私はそのように考えるに至っております。したがいまして、「推進委員会が29日に開かれますよ」と耳打ちしてくださる方がありました以上、万障くりあわせて委員会の傍聴に臨まねばなりません。たたたーっと馳せ参じてまいりました。 で、委員会の事項書は下記のとおりです。
私は五分ほど遅刻して会場に入りました。知事の挨拶がまさに終わろうとしているところでした。知事と目が合ったりしたらまたしっしっ、と片手で追っ払われてしまいそうな気がしましたので、私は視線を伏せたまま入ってすぐのテーブルに陣取りました。傍聴者は事業に関係する県および市町村の職員と上野市役所記者クラブの面々といったところで、地元CATV局の取材陣や一般市民の姿は見当たりません。会場はひどく閑散とした印象でした。 さて、まーたたらたらたらたらなあなあ感覚の審議とやらがつづくのかよ、暇だから傍聴しながらセーターでも編もうかな、編み方知らないけど、とか思いながら議事の進行に耳を傾け始めた私は、しばらくしてから跳びあがるほどに仰天してしまいました。思わず叫びそうになりました。なんとなれば、知事の口から説明責任という言葉が飛び出したからです。 「説明責任」 知事はたしかにそうおっしゃいました。いや驚いたの何のって。なにしろ私は三重県の辞書には説明責任という言葉はないものだとばかり思い込んでいたものですから、いやもうほんとに驚いたの何のって。何が起きたのかとっさには判断がつかず、もしかしたら連日の猛暑で知事もとうとう、という心配さえ覚えたほどでしたが、知事は毅然として説明責任という言葉を口にしていらっしゃいます。私は狐につままれたような気分になりました。 それは、第一号議案である平成15年度補正予算の専決処分について審議が進められているときのことでした。ちなみに専決処分の審議とは、本来であればこの事業推進委員会で決定していただくべき事項ではありますが、時間的な余裕がありませんでしたので手前どもの判断で処理してしまいました、そのことの承認をお願いいたします、みたいなことなんですが、手っ取り早く議案書から引き写して説明をつづけましょう。
つまり広報費として八百万九千円が増額され、それを捻出するために総務費や事業費が削られたうえ、事業収入と予備費も広報費に充てられたということです。で、すでに行われたこの処理を事後承認すべきかどうかというのが第一号議案なわけです。 私は、あれれ、と思わないでもありませんでした。というのも、3月28日に開かれた第三回事業推進委員会では、ある委員からまったく逆の意見が提出されていたからです。当日の模様を報告した4月1日付伝言から引きましょう。
むろんこれは意見のひとつに過ぎず、二〇〇四伊賀びと改め伊賀むし委員会がどうしても従わなければならないというものではまったくありません。 それに、広報の強化は昨年12月25日の第二回事業推進委員会でも委員から強く要請されたところであって、委員会開催を報じる12月27日付朝日新聞伊賀版の記事には「野呂知事は官民が一緒に進める同事業が今後のモデルケースになることを期待する一方で、「この事業が県民に十分理解を得られていないように感じる」などと述べ、広報態勢を中心とした今後の進め方への課題を指摘。委員からも同様の意見が出され」とも記されていますから(詳細は昨年12月27日付伝言をご覧ください)、広報費の増額補正には何の疑義も呈されないであろうなと私には思われました。 ところが、司会をお務めだった知事の口から、私にはまったく予想外だった待ったの声がかかりました。そして知事の口から、これもまったく予想外だった説明責任という言葉が飛び出したのでした。いったい何が起きたというのでしょうか。私は茫然として知事を見つめました。知事はじつに毅然とした態度で、まさしく説明責任という言葉を口にしていらっしゃいます。 |
四国ならびに九州地方のみなさん。台風10号の影響はいかがでしょうか。 Yahoo! 天気情報に記録されているところによれば、わが名張市は本日午前3時の天気弱雨、気温26℃、降水量1mm/h、風向東、風速11m/s だったとのことですが、別に何ほどのこともありません。もっとも、伊勢湾に浮かぶ坂手島、すなわち乱歩夫人の生まれ故郷では何軒か、床下浸水の被害が出たと昨夜のテレビニュースで報じられておりました。鳥羽方面の被害がいささか案じられる次第です。 台風の進路に当たる地域のみなさんは、何かとご注意なさいますよう。ちょっと羨ましいような気もいたしますが。 つづきまして、29日に開催された第四回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会のお話です。 議事に入って事務局が議案三件を読みあげ、委員による審議が始まったときのことです。司会をお務めだった知事が第一号議案の専決処分に関して、平成15年度予算で増額補正された広報費の詳細をお尋ねになりました。きのうお知らせしたとおり、広報費は八百万九千円増額されており、議案書にはその内訳が「印刷物、電波広告、新聞広告、広報グッズ等」と記されています。 ところが知事は、 「これでは説明責任を果たすことにならない。ポスターを印刷したのなら何枚印刷してどういったところに貼ったのか、もっと具体的に説明できなければ説明にはならない」 よりくわしい説明をお求めになりました。事務局からは県内外への事業認知がどうの広報戦略の強化がこうのと、あまり明瞭ではない答弁がなされたのですが、 「それでは説明にならない。説明責任を果たせていない」 知事は毅然たる口調でおっしゃいます。 いやえらいこっちゃがな、と傍聴席の私は思いました。こらなあなあどころかがちがちやがな。テーブルを隔てて向かい合う知事と事務方とのあいだには、これまでの委員会ではついぞ見られなかった緊張感がぴんと糸のように張りつめています。知事の決然たる態度に気圧されたのか、事務局の説明はいよいよ要領を得なくなり、それがまたいっそうの苛立ちを誘ったのでしょう、 「この専決処分の承認、期限はいつなの」 知事はとうとうそんな言葉まで口にされました。声には明らかな怒気が含まれています。この知事の言葉には、こんな説明ではとても納得できない、日を改めて審議することも辞さない、との意思が示されているのですから事務局職員は顔面蒼白(だったかどうか私の席からは確認できませんでしたが、そんなふうに表現してもおそらく差し支えはないはずです)、補正予算の詳細を確認するため数人が立ちあがって足早に退席してゆきました。 ときに午後5時25分。委員会が始まって半時間も経過していないときのことでした。審議は第一号議案を後回しにして続行されましたが、この日の委員会では知事のみならずほかの委員からも、事業の予算であれ計画であれ、事務局がきちんと説明責任を果たすように求める声が多く出され、そのたびに知事がそれを補足して事務方に念押しするシーンが見られたのが印象的でした。 そうした知事の言葉を総合すると、「事業は県民から見てわかるものでなければならない。この場にいる人間だけがわかるのではなく、県民によくわかるよう具体的に説明して、説明責任をきちっと果たすことが必要である」といったことになります。これまでの委員会では言及されることのなかった説明責任論議の唐突な炸裂を目の当たりにして、私は正直呆気にとられました。 やがて、補正予算の詳細を調べてきた事務局職員が席に戻り、新聞広告二百五十万円、雑誌広告百六十万円、ポスター・幟・パンフレットの追加百五十万円、といった具合に広報費増額分八百万九千円の内訳を報告しました。耳を傾けていた知事はおもむろに口を開いて、 「どんなことに出費しているのか仔細まで報告しないと説明責任は果たせない。充分な報告ができるようにすることが必要。これは今後の事業評価にもつながってくる問題であるからしっかり受け止めるように」 と事務局にかつーんと一本、引き抜きにくい釘をあらためてまた深々とほとんど叩き込むようにして差していらっしゃいました。 といったところで本日付朝日新聞伊賀版に眼を転じますと、この委員会のことが大きく報じられております。トップでこそなけれ、見出しはたっぷり四段抜き。ちょっと引用してみましょう。
ちなみに冒頭の「松尾芭蕉生誕360年記念事業」というのは申すまでもなく「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のことなのですが、事業名がやたら長ったらしいうえ独りよがりで意味不明とあって新聞記事には採用しづらいのか、えらくあっさり「松尾芭蕉生誕360年記念事業」となっております。以前にも申しましたがこの事業、ネーミングの段階から失敗しているわけですね。 ついでですから最後の段落も。
さて、こうして第四回委員会だけを見た場合には、知事が指導力を発揮して存在感を示した、といった恰好になるでしょう。しかしながら、三回にわたって事業推進委員会を傍聴してきた私には、むしろ次のように指摘したい気持ちが強くあります。 ああ知事。知事よ知事。知事よあなたは遅かった。 ギャグが、というよりはくすぐりが、あまりにも古色蒼然としていることを遺憾としつつあすにつづきます。 |