2004年11月前半

●11月1日(月)

 11月1日を迎えました。ということは、三重県伊賀地域の七市町村のうち名張市を除く一市三町二村の合併により、ばんばかばーん、とうとう伊賀市が発足いたしました。おめでとうございます。いつもより余計に回しております。ばーかったれがー。

 伊賀といえば三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」ですが、二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会のみなさん、ほったらかしにしてしまってどうもすいませんね。私は別に組かしらのみなさんのことを忘れたわけではありません。どうぞご安心ください。

 市町村合併といえば、十四山村、弥富町との合併話が今年8月に流れてしまった愛知県海部郡蟹江町から昨日、「蟹江不木の会」ご一行二十六名様が名張市においでくださいました。名張市立図書館の乱歩コーナー、乱歩ゆかりの料亭清風亭、大吟醸幻影城でおなじみの木屋正酒造、狸が用を足しに来るため緑色のネットで囲われてしまった乱歩生誕地碑、江戸時代には名張のお殿様が住んでいた藤堂屋敷などを、市内各地を自分の庭のごとくに案内できる名張市民Aさんにご案内いただき(Aさんは「語り部」と呼ばれるボランティア活動に従事していらっしゃるわけですが)、私も用事で付いたり離れたりしながらお供いたしました。雨に降られなくてよかったよかった。会のみなさん、それからAさん、どうもお疲れさまでした。

 蟹江町といえば小酒井不木の生誕地。今年4月には蟹江町図書館敷地内に地域住民有志の手で不木の生誕地碑が建立されましたが、乱歩の生誕百十年と不木の生誕地碑建立を記念して出版される『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』はいよいよ近日発売です。くわしくは小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」のこのページでどうぞ。

 『子不語の夢』は三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の一環として「乱歩蔵びらき委員会」の手で刊行され、裏表紙にはこんなもんどう見ても水戸のご老公じゃねーかばーかと大好評の芭蕉さんマーク(どんなマークかはこのページでご覧ください)も配されております。同書巻頭に収録されたわれらが野呂昭彦知事の序文から五段落ほど引用して、刊行直前のPRといたしましょう。

江戸川乱歩と「新しい時代の公」
 三重県が生んだ俳聖、松尾芭蕉の生誕三百六十年に当たる本年、同じく三重県に生まれた江戸川乱歩と、隣接する愛知県の出身である小酒井不木との往復書簡集をお届けできることに、無上の喜びを感じるものであります。江戸川乱歩の生誕百十年であり、不木のふるさと海部郡蟹江町に不木生誕地碑が建立された年でもある二〇〇四年が、いよいよ意義深いものになったことを実感しております。

 私たちが住む三重県は、東は伊勢湾から熊野灘に続く海洋に面し、西には鈴鹿・布引山地から熊野山地に至る山塊を背負った、東日本と西日本の境界に位置する県です。かつての伊勢、志摩、伊賀の三国と紀伊国の一部からなり、県北西部の伊賀地域は七つの市町村で構成されていますが、本年十一月には上野市など六市町村の合併によって伊賀市が誕生し、今後は伊賀市と名張市の二つの市が手を携えて伊賀地域の発展を担っていくことになります。

 三重県では二〇〇四年度、この伊賀地域を中心に「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」という事業を開催しています。五月十六日から十一月二十一日まで約半年にわたり、地域住民の知恵と力を結集した多彩なイベントを展開して、伊賀の魅力を多くの人に知っていただくための事業です。本書の刊行もその一環として企画されたものですが、まず事業そのものについてご紹介をしておきます。

 事業名にも示されておりますとおり、芭蕉はふるさと伊賀において、尊敬と親しみをこめて「芭蕉さん」と呼ばれています。そして伊賀地域は、古来「伊賀は秘蔵の国」と称されてきたように、さまざまな資源、人材、文化が秘蔵された土地として長い歴史を重ねてきました。芭蕉も乱歩も、秘蔵の国に産声をあげて広く名を知られるに至った偉才だといえます。

 今回の伊賀の蔵びらき事業は、芭蕉の生誕三百六十年を機として、伊賀に秘められている多様な魅力を全国に発信し、地域内外との交流を進めることを目的に、地域住民、伊賀七市町村、三重県の三者が協働して進めているものです。企画運営は官民合同組織の「2004伊賀びと委員会」(辻村勝則委員長)が担当し、「こころの豊かさ」を実感していただける多彩なイベントがくりひろげられています。

 誰が「こころの豊かさ」を実感しておるというのでしょうか。私自身は伊賀地域住民の心の貧しさが切々と胸に迫るような秋を迎えております。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、そして十八万伊賀地域住民のみなさん、おまえたちは貧しいぞ。ばーかったれがー。

 えー、どっかにいってしまった高名なテレビ番組「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」の話題はまたあすにでも。


●11月2日(火)

 さて、高名なテレビ番組「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」の話題ですが、「悪霊」ネタを提供した元凶にして悪の張本である私がこんなこというのも何ですが、多少のことは大目に見てやってくれんかね。テレビ番組なんてそんなような程度のものだと私は思います。少なくとも私の場合、テレビなんてお酒を飲みながら、そして絶え間なくチャンネルを切り替えながら(ザッピング、ってやつですが)見るものであって、テレビ番組にたいしたことは期待しておりません。

 ただまあ、乱歩のことは名張市立図書館に訊け、みたいな状態がいつまでもつづくのは困ったもので、乱歩のことは立教大学に訊け、といった時代が一日も早く訪れてくれることを念願しております。と申しますか、なんやかんや忙しくて遅れに遅れている「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」、いい加減に着手したいところなのですが、ああ、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業をめぐる「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」も中途半端なままではないか。いかんいかん。

 いかんいかんとは思うのですが、例によって水面下があわただしいためなんとも致し方ありません。ではまたちょこっと水面下の報告を。

■おきつも女声合唱団

 「おきつも」というのは名張の枕詞です。名張市内には耐熱塗料界のトップシェアを誇るオキツモ株式会社という企業がありますし、11月13日に「怪人二十面相」を上演するのはおきつも名張劇場です。

 ほかにおきつも女声合唱団という合唱団体もあって、今年めでたく二十周年を迎えました。私は二十周年記念誌に稿を寄せることになっていたのですが、水面下の慌ただしさのせいでころっと忘れておりました。きのう電話で催促を受けてさあ大変、大急ぎで原稿書いて速達で送ったのですが、ほかにも忘れていることがあるような気がしてきて困ったものです。

■遠縁の娘

 けさの中日新聞に「中京女大トリオがPR大使に/愛・地球博の公式グッズ」という記事が掲載されていますが、この中京女大トリオの一員である遠縁の娘、アテネ五輪レスリング女子五十五キロ級で金メダルを獲得した吉田沙保里選手(四年)が先日、名張入りを果たしました。親戚筋が集まった沙保里ちゃんを囲む祝賀会みたいな席に顔を出してくれたのですが、私はあいにくと京都まで出かける用事があり、対面することはできませんでした。

 会えてさえいれば必殺のチョークスリーパーを伝授してやったところなのですが。まあ北京五輪までにはなんとか、と思います。

■まちかどこども探偵団──からくりのまち事件(続々)

 近鉄名張駅前のコトブキに注文してあったお医者さんの白衣が届きました。発注時には胸囲とか袖丈とかしっかり採寸してもらったのですが、結局はLLサイズでいいだろうというごく大雑把な買い物となりました。ともあれ、11月13日に名張のまちで開催されるお子供衆向けコスプレイベントの準備は着々と進んでいます。聴診器を借りる手筈も整っておりますし。

 「はいみなさん、私は諸戸先生ですよ。ミッチーって呼んでね」

 ちょっと照れますけど。

 なんか莫迦みたいな水面下ですけど、本日はこのへんで。


●11月3日(水)

 こら見とるか二〇〇四伊賀びと委員会組かしら会の莫迦ども。大莫迦者ども。おまえらほんとにどうしようもない莫迦だな。おまえら人を差し向けて俺を懐柔しようとしたであろう。そんな手が通用すると思うか。どうしておまえらにはそんなことしか考えつけないのだ。どうして陰でこそこそすることしかできないのだ。陰でこそこそ人目をはばかるようにして事業のプランを決定し、予算の詳細もまた陰に隠してまったく公表しようとしない。掲示板を開設しておきながら閲覧者の投稿にはいっさい応えようとせず、自分たちの都合が悪くなったら保身のためにいきなり閉鎖してしまう。嘘八百の閉鎖理由を並べ立てて平然としている。まったくどうしようもない連中だな。おまえらその場その場の思いつきだけでことを進めたあげく、言論の封殺というとんでもないことをしでかしてしまったということがまだわからんのか。

 と、こんなところで怒っていても致し方ありません。よーし。莫迦ども叱り飛ばしてきてやろう。

 中 相作 さま
  いつもお世話になります。
  名張市でのフィナーレ期間も間近に迫り、お忙しいことと拝察いたします。
  お待たせしておりましたが、昨日(7日)に組かしら会を開催し、中さんからの申出について審議しました。
  その結果、以前お知らせしましたように、組かしら会を開催する日に、別途意見交換の時間を設けさせていただくということになりました。

  ご希望に添えず申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

 といったメールを二〇〇四伊賀びと委員会事務局から頂戴しておりましたので、遅ればせながら下記の返信をお送りいたしました。

 お世話さまです。返信が遅くなって申し訳ありません。

 10月8日付メールでお知らせいただきました件、了解いたしました。公開意見交換会を開催していただけないことを残念に思っております。

 以前から申しておりますとおり、何の決定権もない会合に出席し、組かしらのみなさんに私の意見をただお聞きいただくだけというのでは、私にはさしたる意味が認められません。私は組かしらのみなさんが自分たちの非を認め、適切な措置を即断で決定してくれることを望んでおります。

 ただまあ、あと半月あまりで事業が終了してしまういまの時点で、とりあえず組かしらのみなさんにお会いして思いきり叱り飛ばしてやることも必要であろうかと判断いたします。

 したがいまして、お申しつけのとおり、組かしら会における意見交換会に出席することにいたします。日時をご指定ください。

 なお、この意見交換会は二〇〇四伊賀びと委員会オフィシャルサイトの掲示板をテーマにしたものですから、組かしらのみなさんには掲示板の過去ログすべてに眼を通しておいていただく必要があります。お手数ですが、ご手配をお願いいたします。

2004/11/03

 組かしら会は木曜の開催ですからあすの夜には開かれるはずで、その席で私の申し出が協議されるのだとしたら、意見交換会は早くても来週の木曜ということになるでしょうか。しかし来週の木曜といえば11日ですから、そのころには「乱歩が生きた時代展」とか『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』とかいろいろ用事も多いはずだと来たもんだ。えーい。どうにでもしろ。


●11月4日(木)

 なんだかあわただしくなってきました。

 名張市では今週土曜日の6日から21日まで、三重県が天下に誇る官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のフィナーレを飾る「なばり蔵びらき」が催されます。6日から14日までは「いま、よみがえる「おきつも」文化と乱歩の幻影」、20日と21日が「とれたて!ふーどぴあ伊賀 in 名張」です。いずれのタイトルにも事業内容の無節操さが端的に示されている感じですけど。

 とはいえそれも当然のことかもしれません。そもそも「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という長々しいタイトルそのものが、三重県から三億円のばらまきを受けることになった伊賀地域がその三億円で何をやっていいのかさっぱりわからず、それでも何かしなければとたらたらぶつぶつ言い訳か言い逃れを並べるようにして考えついた事業名なのですから、名張市で開かれるフィナーレのタイトルに同じ傾きが認められるのは無理からぬところでしょう。

 そして、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がそうであったごとく、「いま、よみがえる「おきつも」文化と乱歩の幻影」と「とれたて!ふーどぴあ伊賀 in 名張」もまたご町内の親睦行事を無節操に寄せ集めただけの事業であり、なにしろ寄せ集めなんですから横の連携というものがまったく見られず、たとえば乱歩関連では「乱歩が生きた時代展」「なぞがたりなばり」「怪人二十面相」「乱歩狂言」という四つの事業が実施されるわけなのですが、どれも乱歩にちなんだ事業であるにもかかわらずこれらが一元的に統括されているということは全然ありません。死んでもありません。それぞれの担当者がてんでんばらばら思い思い好き勝手にことを進めていて、私のような部外者の眼にはとても正気の沙汰とは映らぬ事態もしばしばあります。

 お役所のみなさん。縦割り行政の弊害、なんて言葉はもうずいぶんと以前から耳にしておいでのことと拝察いたしますが、弊害なんだからなんとか改善しなければならんな、などとは思ってもみないのかこの薄ら莫迦ども。

 いやいや、こんなところで怒っていても仕方ありません。だいたいそんな余裕はとてもありません。いまの私は13日に開催される「まちかどこども探偵団──からくりのまち事件」の準備におおわらわ。きのうは名張市松崎町のジョバーというディスカウントショップで売っていたリネンの光り物ふうコスプレ用ジャケット一着九百八十円を入手したのですが、しかし11月にリネン着てどうする。新たな悩みを抱えてしまう結果となり、かなり困惑しております。

 あああわただしいあわただしい。


●11月5日(金)

 昨4日、三重県議会の観光・文化調査特別委員会が開かれ、三重県の文化振興と芭蕉生誕三百六十年記念事業に関する協議が進められました。ろくな協議にはならなかったものと推測されますが、本日付中日新聞三重版には委員会の模様を報じた山本真嗣記者のこんな記事が掲載されております。

街角の歴史遺産を保全
来年度から県がレッドデータブック作成へ
 県は二〇〇五年度から、古い民家や道ばたの石仏など、街角の貴重な文化遺産をデータベース化し、保全に役立てる「歴史的・文化的遺産レッドデータブック」(仮称)の作成に乗り出す。四日の県議会観光・文化調査特別委員会で安田正・生活部総括室長が明らかにした。

 県によると、対象は古い街道沿いの常夜灯や道祖神、大正・昭和期に建てられた工場や民家、地域の祭りなど、文化財保護法などの指定は受けていないものの、地域独自の価値のある歴史遺産。

 何にせよ三重県のやることなんですからどっかうさんくさい感じがするのは否めませんが、この件に関しては現時点では不問に付しておきましょう。そんなことより、同じく本日付三重版に掲載された山本真嗣記者の「記者席から」というコラムをお読みください。

360度の芭蕉生誕360年事業
 「三百六十度の全方向でやろうと。国内外を問わず、世界にも伊賀を売り出すということ」

 二十一日にフィナーレを迎える松尾芭蕉の生誕三百六十年を記念するイベント「芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」。県議の「なぜ、三百六十年なの? 単なる思いつきでは」という今更ながらの質問だが、恥ずかしながら、記者も「へぇ80」くらい。

 この県議はたぶん莫迦なのでしょう。いやまあ三重県議会議員のみなさんはおそらく全員が莫迦なのですが、それにしても何なんでしょうかこの間抜け野郎は。いまごろ何を抜かしておるのか。たしかに「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がその場その場の思いつきだけで進められてきたことはいまや明々白々なのですが、と申しますかそんなのは最初からすっかりわかりきったことだったのですが、この期に及んで「なぜ、三百六十年なの?」とは何ごとか。そんな質問は事業のプランが公表されたときに発するべきものであって、いまごろ偉そうにほざくべきことではありません。この莫迦はどこの莫迦か。そもそもこの莫迦だって思いつきだけで発言しているのではないかと私には見受けられます。

 莫迦はさらにつづけます。

 質問した県議は「イベント自体は三重をPRできて良かった。芭蕉といえば、『奥の細道』で東北出身と思っている人もいるし」。確かに、示された資料では、今年四月から九月までの上野市の主な観光施設への入り込み客数は前年比二割増。芭蕉関連施設は四割も増加していた。

 しかし、別の県議は「(一九九四年の)まつり博では何百万人も伊勢に来たが、今は『祭りのあと』。今回もリピーターを呼べるような成果は残せたのか」とチクリ。

 この莫迦はいったいどんな根拠に基づいて「イベント自体は三重をPRできて良かった」などと世迷い言を抜かしておるのか。こういうのを思い込みというのだ。とはいえ私自身は、この事業の欺瞞性と三重県の不誠実とを自分のサイトを通じていささかなりとも全国に示し得たと思っておりますので、三重県をPRできてよかったといってもいいような気がしないでもありません。しかしそれにしても、三重県ではこんな思いつきと思い込みだけで喋るような莫迦が県議会議員を務めているのか。はい、そうなんです。

 などと自問自答している場合ではありません。なにしろ議員のみならず県職員も莫迦なんですからたまりません。記事にある「示された資料」というのは「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の成果を示すべく三重県側が提出した資料のことだと思われますが、莫迦はどうやら見事に馬脚を露わしてしまったようです。こら。おまえらにとって結局はあれなのか、この長々しい名前の事業は単なる観光イベントだったのか、旧上野市の観光施設への入り込み客数が増えればそれで万々歳というだけの話だったのか、おまえらそんな程度のことしか考えてなかったのか。こら。三重県のぼんくら職員ども。おまえらしまいにゃ叱り飛ばすぞ。

 と、こんなところで怒っていても致し方ないのですが、とにかく私は二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会に顔を出し、意見交換会だかなんだか知りませんけど組かしらのみなさんを思いきり叱り飛ばしてやることにしておりますので、こうなったら掲示板閉鎖の問題のみならず、県の莫迦と伊賀の莫迦がつるんで血税三億三千万円をきれいにどぶに捨ててしまった「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という莫迦騒ぎが結局は何であったのか、二〇〇四伊賀びと委員会みずからの手で残りなく明らかにすることを強く強く強く迫ってやろうと思います。


●11月6日(土)

 さあ忙しい忙しい。さっきメールをチェックしましたところ、原稿の催促が二件入っておりました。ほかにもやらなければならないことがいろいろあって、さあ忙しい忙しい。

 二〇〇四伊賀びと委員会事務局から下記のメールを頂戴しました。

 中 相作 様
  ご無沙汰しています。
  乱歩不木往復書簡集の事業等でお忙しいことと思います。

 さて、組かしら会ですが、毎週開催しているのではなく、昨日(4日)は開催いたしませんでした。
 来週11日は、フィナーレに向けての委員全員を対象とした全体会を開催します。
 従いまして、次回組かしら会は早くて18日となりますので、ご了承ください。
 日程が決まり次第連絡をいたしますので、よろしくお願いします。

 組かしら会は早くても18日とのことです。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の事業実施期間は21日までですから、いったいどうなることでしょうか。むろん事業が終わったからといってすべてがおしまいになるわけではなく、むしろ組かしらのみなさんには事業を終えて落ち着いてからゆっくり反省していただいたほうがいいかもしれません。どうせなら事業と同じく半年ほどかけて反省会を週一回ずつ開催し、反省内容をオフィシャルサイトで公表していただいてはいかがなものか。

 それにしても私の見聞きした範囲では、二〇〇四伊賀びと委員会がいつまで存続するのか、事務局がいつまで機能するのか、事業関係者の誰に訊いても明確に答えられる人間がひとりもいないというありさまです。何なんだほんとに。そんなことでよく事業が進められるものだ。私には理解の届かぬことが多々あります。


●11月7日(日)

 もう7日か。いやー、まいった。まいったまいった。すっかりまいりながらとりとめもなくまた水面下の報告にまいります。

■角田半兵衛夫婦坐像縁起

 名張市中町、はなびし庵で公演される影絵「角田半兵衛夫婦坐像縁起」の日程が決まりました。

 以前にもお知らせいたしましたが、はなびし庵は伊賀まちかど博物館の一館で、本業は酒屋さん。この酒屋さんには生人形師安本亀八の手になる三代目当主夫婦の人形が伝えられているのですが、この人形二体を主人公にした影絵がここに堂々完成したという寸法です。

 影絵の脚本はえへん、私が書き下ろしました。老境の夫婦を描いて間然するところのない出来映えといってよろしく、森鴎外の「じいさんばあさん」にも比肩できようかという傑作です。

 公演予定は次のとおり。このほかにも希望があれば随時演じてくれるそうです。

13日(土)午後1時15分
20日(土)午後1時30分、3時
21日(日)午前11時

 しかしよく考えてみると、13日の公演というのは私がお子供衆のお相手を務める「まちかどこども探偵団──からくりのまち事件」のプログラムに組み込まれていますから、私はなんとも因果なことに、自分が脚本を書いた影絵を坊ちゃん嬢ちゃんに混じりながら諸戸道雄のコスプレ姿で鑑賞することになるわけではありませんか。まったく何やらされるんだか。

 詳細はきのう届いたプレス向け資料「はなびし庵からのお知らせ」でどうぞ。

■乱歩が生きた時代展(続々々)

 11月10日水曜、名張市社会福祉センターふれあいで開幕いたします。

 会場には乱歩生家の復元模型などが登場し、豊島区の「江戸川乱歩展 蔵の中の幻影城」で展示された『貼雑年譜』のパネルも掲示されますが、新たにつくるパネルもあって、そのパネルのための文章三点、ふうふういいながらきのう仕上げて送りました。

 前宣伝の意味もこめ、以下に全文を掲げてご機嫌を伺いましょう。


乱歩と名張
 江戸川乱歩は明治27(1894)年10月21日、当時の名張郡名張町新町に生まれた。本名、平井太郎。平井家は津の藤堂藩に仕えた藩士の家柄だったが、父・繁男は大阪で大学を卒業し、26年に郡役所の書記として名張に赴任。新町の長屋に住んで津から母を招き、同じく津から妻を娶って長男の太郎を儲けた。28年には繁男の転勤に伴い一家で亀山に転居したため、乱歩が名張で過ごしたのは生後7、8か月までのごく短い期間だった。

 昭和10(1935)年前後、旅行中に名張駅で途中下車したのを唯一の例外として、乱歩は名張と無縁なままに過ごしたが、昭和27(1952)年9月、早稲田大学在学当時から恩人として慕っていた伊賀上野出身の代議士、川崎克の次男・秀二に衆議院選挙の応援を依頼され、名張町に足を運んだ。町民は郷土出身の名士を歓迎し、生家跡への案内役も買って出た。50代後半になって初めて、乱歩は自分が生まれた場所を知ったのである。

 これがきっかけとなり、町民有志の手で生誕地碑の建立が計画された。書店を営んでいた岡村繁次郎が発起人代表となって準備を進め、昭和30(1955)年11月3日、乱歩の揮毫で「幻影城」「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」と刻まれた碑が除幕された。乱歩は隆子夫人とともに式に臨み、4日から5日にかけて市内の学校での講演や赤目四十八滝の見物なども行った。経緯は随筆「ふるさと発見記」と「生誕碑除幕式」に詳しい。

 生誕地碑建立から10年後の昭和40(1965)年7月28日、乱歩は70歳で永眠した。東京の青山斎場で営まれた告別式には、名張市から北田藤太郎市長と岡村繁次郎が駆けつけた。44年、講談社版乱歩全集の刊行が始まって乱歩再評価の気運が高まった年、名張市では市立図書館が開設され、乱歩の著作などの収集を開始。同館は62(1987)年、桜ヶ丘の現在地に移転し、館内に乱歩の遺品や著書を展示する乱歩コーナーが設けられた。


『江戸川乱歩リファレンスブック』
 名張市立図書館は平成9(1997)年から15(2003)年にかけて、『江戸川乱歩リファレンスブック』全3巻を刊行した。

 第1巻の『乱歩文献データブック』は、乱歩がデビューした大正12(1923)年から没後30年にあたる平成7年まで73年のあいだに発表された乱歩論などの関連文献を網羅し、第2巻『江戸川乱歩執筆年譜』では43年にわたる乱歩の文業を、第3巻『江戸川乱歩著書目録』では平成13年までに出版された乱歩のすべての著書を目録にまとめた。

 いずれも乱歩研究に欠くことのできない基本資料として高い声価を得ており、編集に携わった同館嘱託の中相作氏は「いやー、まいったまいった」と話している。

 このリファレンスブックは名張市立図書館が乱歩に関して提供すべきサービスを書誌の形で示したものだが、「蔵書をはじめとした乱歩の遺産は立教大学が継承してくれましたから、乱歩研究のためのデータベースの提供なども今後は立教大学の手で進められるはずで、名張市立図書館はそろそろお役ご免ということになるでしょう。私もいつまで嘱託でいられるものやら。月々税込み8万円で雇われた嘱託に過ぎませんからお先はかなり真っ暗です」と中氏は世をはかなんでいる。

 名張市の乱歩関連事業に関しては、「名張市にとって乱歩とは何かというと、ぶっちゃけ自己宣伝のための素材なんです。むろん自己宣伝は結構なんですが、それならそれで乱歩のことをよく理解したうえで関連事業に税金をつかっていただきたい。ろくに乱歩作品を読んだこともない、ましてや乱歩への敬愛の念などひとかけらも持ちあわせない人間が独りよがりな事業でお茶を濁している現状はいかがなものか。しまいにゃ叱り飛ばすぞ。喝ッ」と中氏は結構やけになっている。

 『江戸川乱歩執筆年譜』と『江戸川乱歩著書目録』は名張市立図書館で好評発売中。いまなら中氏のサイン入りで購入できる。


『子不語の夢』
 乱歩蔵びらき委員会は三重県が官民合同で進める「生誕360年 芭蕉さんがゆく 秘蔵のくに 伊賀の蔵びらき」事業の一環として、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を刊行した。全国の都道府県立図書館や関連施設、研究者、評論家などに寄贈したほか、主要な新刊書店で販売している。

 小酒井不木は明治23(1890)年10月8日、現在の愛知県海部郡蟹江町に生まれた。本名、光次。東京帝国大学医科大学卒業。肺結核を患って医学から文筆に転じ、雑誌「新青年」の編集長・森下雨村の勧めで随筆や評論を執筆。探偵小説にも手を染め、医学的知識を駆使した作風で知られた。昭和4(1929)年4月1日、39歳の若さで病没。翌5月から乱歩の尽力で全17巻の全集が刊行され、今年4月には蟹江町に生誕地碑の建立を見た。

 不木と乱歩の交友は大正12(1923)年に始められた。乱歩から「二銭銅貨」の原稿を送られた雨村は、掲載を決めるとともに不木に一読を依頼。三嘆した不木は「二銭銅貨」が掲載された「新青年」4月号に推薦文を寄せ、乱歩のデビューを祝福した。7月、乱歩は不木への書簡で礼を述べ、翌13年11月には作家として一人前になれるかどうか、不木の判断を仰いだ。不木の返事に勇気づけられた乱歩は、専業作家として立つことを決意する。

 往復書簡集『子不語の夢』には、不木宛乱歩書簡三十三通と乱歩宛不木書簡百二十通を、それぞれの所有者と第一線で活躍する研究者との協力を得て収録した。不木の死によって断たれるまで5年9か月にわたった書簡のやりとりは、70年あまりも昔の探偵小説の黎明期を鮮やかに浮かびあがらせ、乱歩と不木の作家像にも新たな肉づけを施す。この書簡集の公刊により、今後の研究に大きな進展がもたらされるものと期待される。

 なお、「子不語」は昭和3年7月、不木が乱歩に贈った扁額に記された語で、「論語」の「子不語怪力乱神」に基づいている。

 ではまたあした。


●11月8日(月)

 えー、毎日新聞の記事「雑記帳:怪人二十面相に住民票 乱歩生誕地の三重・名張市」をネタにご機嫌を伺おうと考えていたのですが、きょうはなんだか時間がありませんのでまたあすにでも。


●11月9日(火)

 きょうこそは毎日新聞の「雑記帳:怪人二十面相に住民票 乱歩生誕地の三重・名張市」あるいは2ちゃんねるの「【話題】怪人二十面相に住民票 江戸川乱歩生誕地の三重・名張市」をネタにご機嫌を伺うつもりでいたのですが、きょうもきょうとてきのうに同じで相済みません。

 さて、おかげさまできのうようやく『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』が手許に届きました。何の変哲もない写真ですが、とりあえずこの画像をご覧ください。詳細はもぐらもちさんの「奈落の井戸」のこのページでどうぞ。

 ではまたあした。なお、あす10日には「乱歩が生きた時代展」が開幕いたしますのでよろしくどうぞ。


●11月10日(水)

 もう何がなんだかわからなくなってしまいましたが、「乱歩が生きた時代展」はきょう10日午前10時、名張市総合福祉センターふれあいで開幕いたします。ざっとしたところは「番犬情報」でどうぞ。会場は昨日午後3時40分の時点でまだこんな状態だったのですが、おかげさまでなんとか恰好がつきました。やれやれ。


●11月11日(木)

 「乱歩が生きた時代展」、おかげさまで無事に開幕いたしました。会場の名張市総合福祉センターふれあいは普段ほとんど人通りのない町筋に面しており、ほんとに人が来てくれるものかどうか危惧していたのですが、初日のきのうは朝から三々五々、午後には女子高生などもちらほら、名張市民が足を運んでくれました。

 入場者数はカウントしていないのですが、受付に用意してあったチラシの減り具合から判断して、まず百人は軽く超えたであろうとのことです。すんごい入った、というのが実感です。乱歩にそこはかとない興味を抱いている名張市民は結構たくさん存在するのかもしれません。

 展示品の目玉のひとつは乱歩の生家と旧乱歩邸土蔵の復元模型。前者は『貼雑年譜』に記された間取り図に、後者は立教大学から提供していただいた図面に基づいて製作したもので、縮尺はほぼ十五分の一。写真をご覧いただきましょう。生家がこれどす。土蔵がこれだす。

 模型の製作は、展示会主催者である乱歩蔵びらき委員会が元奈良芸術短期大学教授の井上昭先生にお願いして実現しました。そのあたりのことはきのうの朝日新聞伊賀版がカラー写真入りで大きく紹介してくれましたので、ご参考までにこれをどうぞ。

 きょうはあいにくとお天気がよくないみたいなのですが、いったいどれくらいの人が来てくれるのでしょうか。「乱歩が生きた時代展」の概略は「番犬情報」でどうぞ。


●11月12日(金)

 突然ですが鉄槌のお知らせです。前名張市長に鉄槌がくだされました。中日新聞オフィシャルサイトから昨日付夕刊の記事を引きましょう。

三重・名張斎場訴訟 前市長2億7400万円返還を
津地裁判決
 三重県名張市の斎場移転建設をめぐり、過剰な土地代と移転補償金は地方自治法違反だとして、同市の住民団体「名張の市政を考える会」の佐山孜さん(75)ら17人が富永英輔前市長(68)を相手に、約2億7400万円を市に支払うよう求めた住民訴訟の判決が11日、津地裁で言い渡された。内田計一裁判長は「前市長が地権者と結んだ土地の売買仮契約には議会の議決がなかったと評価すべきだ。この契約による売買代金の支出は違法」などとして原告側の訴えを全面的に認め全額を支払うよう命じた。

 判決で内田裁判長は、「被告による設置場所の選定には、裁量権の乱用があったとはいえない」としながらも「予定地だった牛舎敷地の明け渡し期限が異なるなど、被告は売買仮契約書と内容が実質的に異なる協定書を地権者と取り交わし、市議会に仮契約書を前提とする議決を求めた」と指摘。「協定書の内容では議会が議決しなかった可能性が高い」と判断した。

 原告側が不当だと訴えていた前市長側による土地代の算定方法については「正確でないとしても、斎場建設の違法性を基礎付けるものとは言えない」とした。

 訴えによると原告は、名張市が約6億3000万円で購入した同市滝之原の斎場予定地の適正価格は約2億7000万円、市が約3億5000万円とした地権者らへの移転補償費も約1億6000万円が適正だったと主張。前市長に対し、支払い済みの約7億円と適正価格約4億3000万円の差額約2億7000万円を市に支払うよう求めていた。

 朝日新聞のオフィシャルサイトではきのう午後1時に地域ニュースではなく全国ニュースとして報じられました。

市の斎場移転支出巡り前市長に賠償命じる 三重・名張
 三重県名張市の斎場移転をめぐり同市が不当に高い価格で用地を購入したとして、住民が富永英輔前市長に損害賠償を求めた訴訟で、津地裁は11日、住民側の主張を全面的に認め、前市長に対し約2億7400万円を市に支払うよう命じる判決を言い渡した。内田計一裁判長は「契約内容が市議会の議決と異なっている」と指摘した。
朝日新聞 asahi.com 2004/11/11/13:00

 伊勢新聞のオフィシャルサイトからも引いておきましょう。

前市長に2億7431万円返還命令/名張市斎場移転めぐる訴訟
 判決によると、名張市は老朽化に伴って斎場の移転を計画。平成十一年三月、移転先を同市滝之原の牛舎地に決めた。土地代と移転補償費などの用地取得費は当初予定より三億三千九百万円ほど高くなったが、十一年六月には土地売買契約議案を市議会が賛成多数で可決。八月末までに土地代や損失補償など計七億三千五十一万円が支払われた。

 富永前市長は同年四月、牧場主と協定書を締結。土地引き渡し時期を保安林解除予定通知後十八カ月以内とするなどの約束をした。だが、議案上程の際にこれを議会に説明せず、協定書の存在が明らかになったのは、市長選で前市長が落選した後の十四年九月だった。

 事情をご存じない方には何のことやらさっぱりおわかりにならないでしょうが、大雑把に説明しておきますと、名張市の火葬場が老朽化したため、別の場所に新しい斎場を建設することになりました。移転先に選ばれた場所では、なぜか牛舎が経営されていました。名張市は牛舎経営者から土地を購入し、牛舎移転の補償費も支払うことにしました。

 で、その土地の購入価格や移転の補償費が不当に高額であったというわけです。今回の訴えによれば、土地の適正価格が約二億七千万円のところ購入価格はなんと約六億三千万円。こんなべらぼうな話はありません。訴えが起こされるのも当然です。もっとも、今回の判決のポイントは常識はずれな土地価格の算定ではなく、市と牛舎経営者とのあいだでこっそり協定書が交わされ、それが市議会に報告されていなかったという事実であって、ゆえに土地の売買は市議会の承認を得たものとは認められないというのが地裁の判断です。

 ちなみに、この計画は現名張市長の手で変更され、新しい斎場は今年3月、別の場所に建設されております。つまり斎場建設のために購入した牛舎地は不要になったわけですから、名張市は牛舎経営者に土地購入費の返還を求めているのですが、これもまた裁判沙汰になって結構揉めております。毎日新聞オフィシャルサイトから熊谷豪記者の記事をどうぞ。

名張の斎場建設訴訟 控訴審が結審 /伊賀
 名張市の斎場移転を巡り、当初は予定地だった同市滝之原の牛舎経営者、堀坂博文さん(52)が市を相手取り、牛舎の移転先の保安林解除などを求めた民事訴訟の控訴審が9日、名古屋高裁(田中由子裁判長)で結審した。双方とも和解案を提示していたが、合意に至らなかった。判決公判は来月21日。

 市は今年2月、既に支払った土地購入費6億300万円の返還を求めた上で、移転先だった保安林を市が買い取る▽慰謝料を払う−−などとする和解案を提示。一方、堀坂さんは今年5月、移転補償費など残金2億7100万円の支払いを求めた上で和解案を提示していた

 前市長と牛舎経営者のあいだにどんな関係があったのだろう、と訝しくお思いの方もいらっしゃるでしょうが、まあ適当にご想像ください。ともあれ、当サイトのベテラン閲覧者の方ならあるいはご記憶かもしれませんが、前市長というのは2002年の新春、乱歩記念館構想に関する真っ赤な嘘八百を公表して私を激怒させた人物です。私を激怒させた人間にはいつか鉄槌がくだされるものとご承知おきいただきましょうか。二〇〇四伊賀びと委員会のみなさん、くれぐれもご注意ください。

 さてさて、大好評開催中の「乱歩が生きた時代展」、きのうはあいにくの雨でしたが、カウンターで数えたところ入場者はちょうど百人。めっちゃ入った、という印象です。映画監督の田中徳三さんが奥さんとともに足を運んでくださいましたので、ちょうど時分どきでしたから会場の前にある中華料理店おぼこ飯店にお誘いしましたところ、逆に昼食をご馳走になってしまう結果となりました。いやー、儲け儲け。

 読売新聞伊賀版が「乱歩が生きた時代展」の記事を掲載してくれました。オフィシャルサイトでどうぞ。

乱歩の書庫に驚嘆 名張
300点の資料で生涯紹介

 日本探偵小説の父、江戸川乱歩の生誕地・名張市で、約三百点の資料で乱歩の生涯を振り返る「乱歩が生きた時代展」(乱歩蔵びらき委員会主催)が開かれている。会場の同市総合福祉センターには、東京にある旧乱歩邸の書庫が復元され、話題になっている。

 乱歩が晩年を過ごした東京都豊島区西池袋の邸宅の敷地内には土蔵(高さ八・九メートル、間口四・五メートル、奥行き五・四メートル)があり、乱歩はここに約二万点に及ぶ蔵書を保管、書庫として使っていた。現在、隣接する立教大学が土蔵を所有しており、二〇〇三年三月には豊島区の有形文化財に指定された。

 しかしきょうも雨かよ。


●11月13日(土)

 すっかりおなじみになりました「乱歩が生きた時代展」、きのうの入場者数はめでたく百八を数えました。きょうは土曜日ですから軽く二百は行くのではないかと踏んでおります。

 会場内を急ぎ足でご案内申しあげますと、パネルや写真の展示はこんな具合、生家の原寸大復元はこんな塩梅、土蔵の原寸大復元はこんな状態、乱歩不木往復書簡はささやかながらこんな加減、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』と江戸川乱歩リファレンスブックのコーナーはこんな調子となっております。

 私はと申しますといよいよ炎のコスプレ三番勝負ならぴに怒濤の大宴会三連戦に突入し、初日のきのうは名張市立図書館の歴史読書講座の講師を務めて斎場建設計画をめぐる前市長の犯罪について滔々と概説し、そのあと持参した紙袋から白衣をはじめとしたコスチュームを取り出して着用いたしましたところ割れんばかりの大拍手。意気揚々と講座を終えました。

 夜は夜で平井憲太郎さんを囲む乱歩蔵びらき委員会の大宴会が名張市安部田字阿清水の三太夫で催され、私はコスプレ姿で参加して憲太郎さんから乱歩作品の登場人物に扮することのお許しをいただきました。ご遺族公認の諸戸道雄です。

 つづきまして本日は「伊賀・夢・街道づくり協議会」「伊賀びとのおもい実現委員会」たらいううさんくさい団体が三重県の予算で主催する「まちかどこども探偵団──からくりのまち事件」でお子供衆のお相手を務めることになっております。坊ちゃん嬢ちゃん泣き出さないでね。


●11月14日(日)

 きょうもきょうとて「乱歩が生きた時代展」の話題ですが、きのうの入場者数は五百に届いたか届かなかったかといったあたりで、これはじつに驚き入るべき数字であると思われます。

 えー、ではまたあした。


●11月15日(月)

 朝だ。雨だ。浅田飴だ。(copyright 横田順彌)

 みたいな感じできょうは朝から雨が降っているのですが、おかげさまで「乱歩が生きた時代展」、昨日無事に五日間の会期を終えました。最終日の入場者数は三百人を突破し、トータルでは約千二百人を数えました。いやー、入った入った。

 炎のコスプレ三番勝負ならぴに怒濤の大宴会三連戦を大好評大盛況のうちに終えることができましたので、本日は安んじて休養にあてたいと思います。