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2005年4月上旬
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●4月1日(金) いかんいかん。地域社会にばかり眼を向けていたら駄目な人間になってしまう。もう少し広い世界に生きなければ。そこでとりあえずインターネットで広い世界につながることにして、久方ぶりで「番犬情報」を更新いたしました。ウェブサイトの更新は去年の夏あたりからさぼりにさぼり、なんかもう面倒だからこのままやめてしまおうかと考えぬでもなかったのですが、地域社会に身を置いて地域社会の愚劣さばかりを話題にしていることにはさすがに倦み果ててしまいました。愚かしき者どもよ、われに平安を与えよ。なんてこといってたって仕方ありませんから、とりあえずウェブサイトに手を入れる作業によって地域社会から遊離した別世界に心を遊ばせたいと思います。 さて、とまた地域社会の話題に戻るわけですが、3月23日にウェルサンピア伊賀で開催された第五回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会、議事がすたこら進行してめでたくお開きとなりました。時間は午後6時45分。私は会場の白鳳の間から外に出て、ロビーで煙草に火をつけました。別に誰かを待ち構えていたというわけではないのですが、もしも視線を合わせてくる相手がいたら睨み返してやろうと思っておりましたところ(といっても二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長や木戸博事務局長あたりを相手にする気はまるでなかったのですが)、やがて野呂昭彦知事がお出ましになりました。 視線をそらし気味に歩いていらっしゃいましたので、 「どうもいろいろご苦労さまでした」 とひとことご挨拶を申しあげますと、 「いやまあ、えへ、えへ、えへ」 と、かりそめにも知事ともあろう方がそんな卑屈な印象の笑い方をなさるとは考えられないのですが、いくら思い返してもそのようにしか想起できませんから記憶のとおりを記すことにして、知事はそんなことをおっしゃりながら近くのソファに身をお沈めになりました。会話はそれっきり。私のほうも24日付伝言に記しましたとおり「眼の前に見えているのに完全に閉ざされて接触することのできない空間のなかで、見事なまでに上っ面のきれいごとだけ並べてやたらべたべたと親密に議事が進行するのを間近に目撃してまいりました。えーい、気色が悪いわ」といった感じでぐったりしておりましたので何を申しあげる気にもなれません。なにしろあなた委員会冒頭の知事挨拶の要旨は次のようなものなのであって、まあこんなふうにしかおっしゃれないのだということはよくわかりますけれど、ここまでしゃあしゃあとしていられてはこちらとしては鼻白むしかありません。 「今回の事業では企画段階から住民が参画し、多様な主体が対等なパートナーとなって新たな協働の取り組みが展開された。経済的効果もあり、特色あるまちづくりにも成果がもたらされた。県は県民しあわせプランのなかに地域主権の確立を掲げ、県民の協働で『新しい時代の公』を推し進めているところだが、今回の事業はそのモデル事業として位置づけており、事業の評価、検証、反省を今後に生かしてゆきたい。事業を一過性のものに終わらせず、伊賀地域においてこれを契機に活力ある地域づくりが進められることを期待している」 はいはいさよですか。それはよござんした。 ともあれ、きょうから三重県伊賀庁舎と呼ばれることになった旧上野庁舎の二〇〇四伊賀びと委員会事務局は昨日で閉鎖され、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関する問い合わせ先は本日から三重県生活部文化振興室文化政策グループ(電話059-224-2646)となります。何かのおりにはお気軽にご連絡ください。私も事務局が開設されているあいだに決算報告の不審な点を問い質しておきたいなと思っていたのですが、時間的な余裕がなくて果たせませんでした。せめて『協働の手引き』と『協働辞典』ならびに「名張からくりのまちコンテスト」に関してだけは確認しておきたいことがあったのですが。 いかんいかん。また地域社会にばかり眼を向けているではないか。 |
●4月2日(土) 本日は意を決して「RAMPO Up-To-Date」に手を入れてみたのですが、更新要領も忘れ気味とあってわずかに一件、それも昨日「番犬情報」に掲載した「日本探偵小説の父 森下雨村」がらみのものを記載してサイト内をあっちこっちいじり回すだけでえらく時間がかかってしまいました。まあ気長にやりましょう。 さて世の中は春4月、どのような新年度をお迎えでしょうか。名張市のお隣にある伊賀市の市役所では昨1日、新規採用職員の辞令交付式が挙行され、今岡睦之市長が例によって黒い忍者装束に身を包んで辞令を手渡すシーンがテレビのローカルニュースで放送されたのですが、よそごとながらまた毎年のことながら、微妙に気恥ずかしい思いを噛みしめてしまった私です。 そんな私もおかげさまで無事にクビがつながり、本年9月30日までひきつづき名張市立図書館カリスマ嘱託でいられることになりました。きのうありがたく押し戴いてきた辞令をご覧ください。 ありがたやありがたや。2005年度もよろしくお願いいたします。正確に申しあげますと2005年度前半なわけですが。 |
●4月3日(日) 忘れておりました。またしても「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のことなのですが(年度が替わったというのにしつこいことで申し訳ありません)、3月23日の第五回事業推進委員会で配付された「全体事業評価報告書」についてもう少しお知らせし、必要とあらばいちゃもんのひとつもつけてやろうと手ぐすね引いていたことを忘れておりました。簡単に片づけておきましょう。 この事業評価はコミュニティ・シンクタンク「評価みえ」というNPO(特定非営利活動法人)の手で行われました。報告書はA4サイズ百七十八ページにも及ぶ大部なものです。ここに記された「来場者の7割が伊賀在住者」という報告のことはこの伝言でもお知らせいたしましたが、本日はもう少し突っ込んだお話をば。 まず最初に申しあげておきますと、こうした評価にはさしたる意味を認められぬであろうと私は思います。これは要するに二〇〇四伊賀びと委員会がみずからを正当化して恰好をつけるために依頼し、評価みえたらいう御用NPOがそれに見合う報告書を提出したというだけの話なのであって、ほとんどの事業関係者には報告書の内容が伝えられていないのではないかと想像されます。つまりどんな評価がなされていたところで、それが事業関係者の指針となり拠りどころとなり血肉となって内面化されることなどあり得ないわけです。 ところで、先日来お知らせしてきた決算報告書のなかに、『協働の手引き』と『協働辞典』の作成費用が「広報費」の報告では六百七十二万五千円、「事業費」の報告では十二万九千百五十円、そんなあほな、みたいな矛盾が存在していたことを読者諸兄姉はご記憶かもしれません。いっぽう、この事業評価とやらにどれくらいのお金が費やされたのか、評価みえたらいうNPOにどれだけの料金が支払われたのか、決算報告書のどこを眺めてもいっさい知ることができません。 私の見るところ、なんだか怪しい広報費六百七十二万五千円のなかに事業評価の予算が含まれているのではないかと推測される次第なのですが、実際のところは知りようがありません。知ろうと思ったら三重県庁の生活部文化振興室文化政策グループを訪ねなければなりません。二〇〇四伊賀びと委員会事務局が閉鎖されるまでに問い質しておけばよかったと、いまさらながら悔やまれる次第です。 そんなことはともかく、報告書のごく一部をご紹介しておきましょう。
なんと十五億八千万円もの経済効果があったそうです。三億円の税金を投じて十五億円の経済効果があったというのですから、伊賀市と名張市が毎年協力して三億円ずつ税金をつぎ込んでやれば伊賀地域はふたたび右肩あがりの黄金時代を迎えるのではないかと愚考されたりもするわけですが、実際いかがなものでしょうか。 とはいうものの、これは先日もお知らせしたことですが、半年間にわたる事業の集客数は十六万七千四百五十一人とのことでしたから、ごく単純に計算すればお客さんが一人あたり大枚九千五百円ほどのお金を落としてくれたことになり(計算の単位が合っているかどうか不安なのですが)、もとよりきわめて大雑把な計算ではあるのですが、そんな効果はとてもなかったのではないかという疑問を抱かざるを得ません。 しかも来場者の七割が伊賀在住者だったというのですから、昨年5月から11月までの事業期間中、伊賀地域住民があっちこっちのイベントに足を運んで十五億八千万円の70%、すなわち十一億円もの大金を消費したということになります。むろんすこぶる幼稚な机上の計算を行ってみた結果には過ぎないのですが、この報告書に基づいて結論を出すならば、伊賀地域の人たちはとてもお金持ちでじつに金離れがいいということになるでしょう。 眉に唾をつけながらあすにつづきます。 |
●4月4日(月) とはいうものの、私には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の評価のことなどじつはどうだってよろしく、と申しますか、かりに評価という点を問題にするのであれば事業関係者が自分たちのやってることを客観的に評価する能力を持ち合わせていなかったという一点にこそ問題が存在するのであって、ですから私は彼らに対してあーこれこれ君たちや、仲間うちでしか通用しない独りよがりな価値観や判断基準だけに寄りかかってきゃっきゃきゃっきゃいってないでもっと視点を外在化させなさい、自分たちを客観視してみなさい、全国発信がどーたらこーたらほざくのであればせめて一度は伊賀盆地の外から伊賀を眺めてごらんなさいあーこりゃこりゃ、と衷心からなるアドバイスを送りつづけていた次第なのですが、二〇〇四伊賀びと委員会というのは結局のところ何を忠言しても藉す耳を持たないお猿さんの集まりでしかなかったという寸法です。つまりいまさらお猿さんたちがそれこそ三重県を発生源として全国に蔓延した事務事業評価ブームの猿真似みたいに評価評価と騒ぎ立ててみてくれたところで、私としてはいかなる関心も抱けるものではありません。 それに以前にも記しましたとおり、そもそも評価なんてものは基準や観点によってさまざまに異なってくるものですし、時間を経過しなければ定まりがたい側面も当然存在するでしょう。人間の場合には棺を蓋いてこと定まるなんてことが昔からいわれておりますが、こうした事業の評価もまた短時日ではできかねるところがあり、しかしこの事業の場合は時間が経過したらすべてがうやむやになってしまうはずですから、これを要するにNPOに依頼した事業評価なんてまったく必要がない、そんなものは二〇〇四伊賀びと委員会が例によって上っ面を飾るための装飾品に過ぎない、といったことになりましょうか。 したがいまして私としてはこの事業評価報告書に何も申しあげるつもりはないのですが、自分が登場しているパートに関してはひとことあってしかるべきかと考え、とりあえず「第2章 イベントとしての視点からの事業評価」のうちの「1 プロセス・マネジメント」のうちの「(5)多様な情報媒体を使って主体的な発信をしている」から引用することにいたします。
二〇〇四伊賀びと委員会のHP、つまりオフィシャルサイトに関する評価です。最初に誤りを訂しておきますと、「人物空長文」とありますのは「人物から長文」の誤変換。掲示板の開設が平成15年9月、閉鎖が16年1月とありますのは、それぞれ15年10月、16年2月の誤りです。嘘だと思ったら当サイト「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」でご確認ください。さらにもうひとつ事務局が掲示板を閉鎖したとされております点は、より正確には2月12日夜に開催された組かしら会で閉鎖が決定されたというべきでしょう。 さて、上記引用中の「特定の人物」とは誰のことでしょう。かく申す私のことです。事情をご存じの方がお読みになれば百人が百人とも、この「特定の人物」というのが紛れもなく私であると太鼓判を捺してくださることでしょう。えへ、えへ、えへ。それでこの評価報告書によりますと、掲示板閉鎖はなんと「『蔵びらき』事業のイメージを損なうことを危惧した」結果であるとのことではありませんか。へー、そーなんだー、と思わざるを得ません。掲示板閉鎖に関しては委員会のオフィシャルサイトでその理由が説明されており、まず昨年2月の閉鎖時には──
それからなぜか昨年7月8日には、いやいや、なぜかなどと空とぼける必要もないでしょう。私が「知事と語ろう本音でトーク」という催しで掲示板閉鎖問題をとりあげると公言したものですから、前言を取り繕って自分たちの正当性をより明確に主張しようとした事務局によってこんな文章が掲載されました。
こんなものは上っ面をきれいごとで取り繕っただけの理由説明にしか過ぎません。ですから私は委員会事務局に対して、たとえば昨年7月22日付メールでこの説明が「貴委員会がみずからの保身や正当化のために事実を歪曲して記したものと申しあげるしかありません」と指摘し、12月16日夜には組かしら会にお邪魔してみずからの見解を滔々と述べたりもしてみたのですが、二〇〇四伊賀びと委員会はうんともすんとも何の反応も見せなかったわけです。 ところが、千丈の堤も蟻の穴より崩れると申しますか(ちょっと違うか)、天網恢々疎にして漏らさずと申しますか(これもちょっと違うか)、とにかくこの報告書では事務局が「『蔵びらき』事業のイメージを損なうことを危惧した」という隠されていた事実があっさりと露呈されております。事業のイメージというよりは、むしろ自分たちのイメージとするほうが正確でしょう。掲示板の機能がどうのこうのという以前に、委員会が自分たちのイメージをこれ以上損なわぬようみずからの保身や正当化を目的として掲示板を閉鎖したのだという紛れもない事実が、ここには神もご照覧あれとばかりに一点の曇りもない明らかさで記されているのじゃあーこりゃこりゃと申しあげておきましょう。たぶん評価みえの質問に答えてどっかの莫迦がうっかり口を滑らせてしまった結果に相違ありませんが、自分たちの手では何ひとつしようとせずただああ、ああ、イ、イメージが、イメージが損なわれると手をこまねいていた山猿ども。それならそうと最初から正直に白状しろ莫迦。 といったってこんな事実は当初から見え透いていたわけで、掲示板閉鎖の直後、昨年2月13日の伝言に私はこんなことを記しております。
この私の推測を事業評価報告書がしっかり裏づけてくれたのだと申しあげておきましょう。えへ、えへ、えへ。あすにつづきます。 |
●4月5日(火) きのうのつづきです。コミュニティ・シンクタンク「評価みえ」による「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の「全体事業評価報告書」から、本日の関連箇所だけ再度引いておきます。 と書き出してみたのですが、どうも塩梅がよろしくありません。常用している入力ソフトの具合がおかしくなり、OS付属の入力ソフトに切り替えてキーボードを叩いているせいです。なんかとってもやりにくい。というか、常用入力ソフトがどんな状態になっているのやら、急いで調べねばなりません。本日はここまでといたします。 |
●4月6日(水) 呀ッ、というまの出来事におじゃりました。きのうの朝のことでおじゃる。日本語入力ソフトの不調を何とかしようと考えた私は、いや待てよ、下手なことして事態をいっそう悪化させるのも莫迦らしいから(そういうことはこれまでに多々経験しているわけですが)、いっそこの機会にソフトをバージョンアップしてやるか、よし、奇貨おくべし、と思い直しました。 さっそくメーカーのサイトにアクセスして手続きを済ませ、最新バージョンをダウンロードしてパソコンにさくさくインストールしたとお思いください。旧バージョンの辞書を継承する設定にしたことはいうまでもありません。ところが、最新バージョンの入力ソフトでいそいそ文章を入力してみて思わず呀ッと叫んだことには、これまでに登録した単語がすべて消えているではありませんか。 呀ッ、呀ッ、呀ッ、呀ッ、呀ッ、と莫迦みたいに何度叫んだことかしら。地名や人名をはじめとしてその他もろもろ、そういえば乱歩作品のタイトルも小説全作品と主要な評論随筆が一発変換できるようになっておじゃったわけですが、とにかく営々孜々として蓄積してきた登録単語がきれいさっぱりと姿を消してしまいました。いやまいったな。 仕方ありませんから一から再登録することにして、自分の名前(相作、などという名前はどんな日本語入力ソフトにも辞書登録されていないと思います)、番犬の愛称(スタ公、などという名前も以下同文)と正式名称(ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン以下同文)あたりからぼちぼち始めた次第なのですが、なんかもうぐったり。それにしてもまったく呀ッ、というまの出来事におじゃりました。 なんてこといってるあいだにメディアにはこんなニュースが。
こちら名張毒葡萄酒事件の地元からお送りしておりますが、奥西勝さんの再審請求が認められたことを心から喜びたいと思います。いくら何でも再審開始の決定が遅きに失しておりますが、しかしまだ完全に取り返しがつかないというわけではありません。新聞報道によればこれまでの例では確定死刑囚四人がすべて再審で無罪になっているそうで、奥西さんの死刑判決もたぶん再審で覆されることになるでしょう。何にしてもよかったよかった。それにしても名張毒葡萄酒事件からもう四十四年か…… 感懐にふけるいとまもあらばこそ。いつまでもあとを引いて困ったものですが、コミュニティ・シンクタンク「評価みえ」による「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の「全体事業評価報告書」のお話をつづけます。もっとも私はこの報告書にいちゃもんをつけているわけではさらさらなく、おとといも記しましたとおり自分が登場しているパートに関してひとこと申しあげておこうかなと、そんなふうに考えているだけの話です。 とはいえこの報告書、眉に唾をつけたり小首を傾げたりしたくなるところがないでもなく、先日お知らせした経済効果の問題もそうなのですが、きょうはたとえばここいらあたりにちょこっとツッコミを入れておきましょうか。イベント参加者を対象としたアンケートに基づく報告です。
いくらなんでもこれはあるまい。なぜかと申しますに、アンケート対象は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で実施されたイベントにわざわざ足を運んだ人ばかりなんですから、その九割が事業を認知しているのはごく当たり前のことであって、逆に残りの一割っていったい何? 訳もわかんないままふらふらイベントに参加したわけ? という話になるでしょう。ただの通りすがりであったのか、それとも真性の莫迦なのか。 いずれにせよここまで対象が限定されたアンケートの結果を伊賀地域全体に敷衍してしまったんじゃ、下手すりゃインチキのそしりは免れませんぜ若旦那と申しあげておきましょう。伊賀地域における事業の認知度を調査するというのであれば、せめて地域全体を対象として無作為抽出による電話アンケートを実施するくらいのことはやっていただたきたい。それができないなら「伊賀在住者の本事業の認知度」の報告なんかやめておきましょう。まったくこんなインチキめいた報告で料金、つまりは税金をふんだくられたのでは…… いや、まあ、いいか。名張毒葡萄酒事件の再審開始決定に免じて大目に見てやるぜ。 |
●4月7日(木) 大目に見てさしあげることにはしても、いうべきことはいっておかなければなりません。4日付伝言でお読みいただいた評価報告書の引用から本日の関連箇所を再度引きます。明らかな誤記は訂しておきましょう。
「特定の人物から長文の書き込み、問い合わせが行われ」たゆうのが事実やったとしてもやで、問題はそれがなんでやったかゆうことやがな。なんで特定の人物が長文の書き込みでひちくどう問い合わせしたんかゆうたら、事業と組織の根幹に看過しがたい疑問があったからやないか。おまえらこんなことでええんかゆうてなんぼ投稿したかて二〇〇四伊賀びと委員会のあほどもがなんにも答えようとせえへんかったからやないか。何が「他の人の書き込み意欲を失わせ」じゃ。ええ加減なこと抜かすな。特定の人物のほかにも三、四人の人間が意欲満々で毎日書き込んでた掲示板をおのれの体面と面子だけ考えていきなり閉鎖してしもたぼけが何抜かしとる。しばきあげたろかこら。 関西弁がお嫌いな方にはたいへん申し訳ない事態となっておりますが、おとといバージョンアップしました日本語入力ソフトはなんと「話し言葉関西」で変換できる機能を有しておりますので、いやこれは漫才書くとき重宝するかなと試用してみた次第です。結構快調みたいです。 いまさら例の掲示板閉鎖と過去ログ封鎖のことを持ち出しても致し方ありませんが、この件に関しては報告書がずいぶん二〇〇四伊賀びと委員会寄りになっておりますので、むろん御用NPOにはそれなりの限界というものがあって当然ではあるのでしょうが、もう少し客観的な評価を心がけていただきたいものだと私は思います。「トラブルを想定した運営がなされなかった甘さもあるのではないかと思われる」とはそも何事ぞ。 事態を勝手に「トラブル」にしてしまったのは委員会側ではないか。連中が私の投稿にきちんと応えてさえいればトラブルになんかなるはずがなかったことは「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」を一覧すれば一目瞭然。そんなことも理解できずに「トラブル」のひとことで片づけてしまったコミュニティ・シンクタンク「評価みえ」っていったい何? ただの莫迦? 「公的なHPにある掲示板が突如閉鎖されることは考えにくいことである」というのもじつに間の抜けた評言で、考えにくいことが普通に起きてしまった場合、その背景や要因を分析し摘出して明らかに示すことこそ評価という行為が本来果たすべき機能ではないか。それが評価なるものの本質ではないか。じゃと申すのにこのNPOはいったい何をやっておるのか。 いやいや、まあいいでしょう。大目に見てさしあげましょう。この御用NPOの評価能力に重大な疑問を抱いた私が抗議と質問のメールを送っても何の不思議もないところではあり、それにいやしくも「評価」という看板を掲げて活動する人間はつねにみずからを他者の評価の対象としてさらしつづけてもいるのだという基本的なことを一度きっちり教えてさしあげたほうがいいのかなとも判断される次第ですが、ええもううんざりにおじゃりまする。読者諸兄姉だってうんざりでしょうけど、私ももう「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」にはさすがにうんざりでおじゃりまする。 いやいや、これではまずいかな。こんなことばかり書き連ねているとコミュニティ・シンクタンク「評価みえ」がどうしようもないぼんくらNPOだと信じ込んでしまう人が出てくるかもしれません。評価対象によって御用NPOの限界を露呈させてしまうことはあるにしても、報告内容のすべてがすべて委員会寄りだということでもありません。その一例として、一部再掲となりますがここいらあたりをお読みいただきましょうか。
この報告を要約いたしますと、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」ってのは私が賢くも予見したとおりご町内の親睦行事の寄せ集めでしかなかった、伊賀地域住民が右往左往しただけで遠来の客はたいして訪れず、それを全国発信だなんてぷっ、笑っちゃうわよ、といったことになりましょうか。 |
●4月8日(金) さて、年度をまたいで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の話題をお送りしてまいりましたが、結局のところこの事業は、私が当初からおちゃらかしていたとおり「ごみ大爆発の三重県と合併大分裂の伊賀七市町村がなあなあ感覚でお贈りするなんちゃってイベント」にしか過ぎませんでした。また、これも以前に乱歩の「国家ごっこ」になぞらえて指摘したことなのですが、事業のすべてが現実から遊離した閉鎖空間内での事業実施ごっこであり情報発信ごっこであったという印象を拭いきれません。そりゃあなた、最後の最後が決算報告ごっこと評価報告ごっこで締めくくられたわけなんですから、こちらとしてはえらく時間のかかるおままごとにつきあわされたものだなという気分です。 ついでですから、最後の挨拶ごっこにもつきあっておきましょうか。事業を締めくくるにあたって「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の野呂昭彦会長と二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長との連名でだーっと配られた礼状をご覧いただきましょう。え? この礼状はおまえのところにも届いたのかって? いやいや、そんな気の利いたことのできる連中なら、私をここまで怒らせることはなかったでしょう。 さるにても、この礼状には「草いろいろおのおの花の手柄かな」という芭蕉の句が記され、歯の浮くようなメッセージが添えられている次第なのですが、天国の芭蕉もいいようにダシにされつづけてさぞやご立腹かもしれません。そういえば、自分たちのイメージが損なわれることに戦々恐々となった二〇〇四伊賀びと委員会の莫迦があとさき考えずなりふり構わず閉鎖してしまった例の掲示板で、あれはいつでしたか芭蕉さんのファンさんとこの句のことを楽しく話題にしたことが懐かしく思い出されます。くっそー。掲示板さえ閉鎖されなければおそらくは芭蕉さんのファンさんとのデートに持ち込めていたであろうものをこら辻村、おまえらほんとにえらいことしてくれたものだな。 しかしおまえらと来た日には、ろくに芭蕉の句も知らないでよくもそれだけ芭蕉芭蕉と口にできたものだ。どこまで鉄面皮だったら気が済むのだ。おまえらにふさわしい芭蕉の句を教えてやるからよく憶えておけ山猿ども。「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」で確認したところ、これはおまえらが泡を喰って掲示板を閉鎖する前日、すなわち昨年2月11日にもおまえらに捧げた句なのだが、おまえらそんなことまったく記憶しておらぬであろうが。
芭蕉に路通という弟子がいたわけ。これが素行の悪さから芭蕉の勘気に触れたわけ。つまり芭蕉が怒ったわけ。それで路通が陸奥への旅に出ることになったとき、芭蕉はこんな辛辣な送別句を餞としたわけさ。草枕、つまり旅の空で苦労を重ね、風雅の道にかなったほんまもんの花見でもしてこいおまえは、みたいなことなんですが、ときあたかも4月、拙宅の前にある某中央省庁関連事務所の中庭でもちょうど桜が満開となっておりますので、伊賀の山猿どもも閉鎖空間から世間に出てまことの花見とやらをしてきてはどうかね。ここらでしっかり締め直してこい。 おまえらしっかり締め直してこい三重県職員ども、と野呂昭彦知事もご立腹です。4月6日付伊勢新聞の記事をどうぞ。
4月5日に行われた定例記者会見の模様もどうぞ。
改革フェチの前知事が辞めてくれてじつに楽になった安穏になったとお喜びだった三重県職員のみなさん。みなさんどうやら怠慢だそうです。しっかり締め直してこいこの税金泥棒ども。 |
●4月9日(土) 一週間ほど遅れてしまった計算になりますが(当地では桜の開花もほぼそんな按配、見ごろは例年より一週間ほど遅い感じです)、そろそろ2005年度に突入しましょう。いつまでも「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」などという莫迦騒ぎを相手にしているわけにはまいりません。それに相手にしようにも、事務局も閉鎖されて関係者はあと白波、いまや何もかもが急速にうやむやになりつつある状態です。莫迦の相手はいい加減にして、2005年度に足を踏み入れるべきでしょう。もっとも、昨年度のことにさかのぼって私に文句があるのだとおっしゃる方は、その旨お申し出いただければいくらでもお相手をいたします。お気軽にお申しつけください。 サイトの更新も4月1日以来欠かさず毎日、文字どおり細々とですがつづけておりまして、といったってかなりひっくり返っている部屋のなかで手近にあるものを適当にピックアップして記載しているだけの話なのですが、それでもやはりサイト開設者としての自覚が復活してくると申しますか、けさなど某新聞社のオフィシャルサイトを閲覧している最中「怪しいサイト」なる言葉が目につき、うちのことかとつい閲覧してしまいました。「インターネット上には膨大な数の Web サイトが存在し、“怪しい”ものも多々ある」という記事なのですが、米スタンフォード大学の Persuasive Technology Lab(説得技術研究所)なるところが研究成果を理論にまとめたそうです。
こんな当たり前の結論を出すのに三年もかかったというのですから学問の道もなかなか大変みたいなのですが、私とてウェブサイト開設者の端くれ、さっそくこの成果に基づいて秋霜烈日の自己評価を試みました。
おかげさまですべて二重丸、きわめて高い評価となりました。なんかやってることが二〇〇四伊賀びと委員会みたいでしょうか。 いかんいかん。もう2005年度です。2005年度に入って以来の当地最大の話題といえば、衆目の一致するところこれ以外にはないでしょう。
検察側がじつに因循姑息頑迷固陋だという気がするのは私ひとりではないでしょう。検察は無謬だッ、と頑なに言い張ってるさまは何やら二〇〇四伊賀びと委員会事務局の頑なさを想起させるではありませんか。 いかんいかん。2005年度です。そういえば、名張毒葡萄酒事件に関して亡父が何やら書いていたなと思い出しましたので、当サイト「折々の記」から引いてみましょう。
それではまたあしたお目にかかります。それから、いざというときのためにみんなコンドームを購入しておくように。 |
おひさー、みたいな感じで当サイト「乱歩文献データブック」に新しいページを追加していたらえらく時間がかかってしまいました。本日はこれでおしまいといたします。 |