2005年4月上旬

●4月1日(金)

 いかんいかん。地域社会にばかり眼を向けていたら駄目な人間になってしまう。もう少し広い世界に生きなければ。そこでとりあえずインターネットで広い世界につながることにして、久方ぶりで「番犬情報」を更新いたしました。ウェブサイトの更新は去年の夏あたりからさぼりにさぼり、なんかもう面倒だからこのままやめてしまおうかと考えぬでもなかったのですが、地域社会に身を置いて地域社会の愚劣さばかりを話題にしていることにはさすがに倦み果ててしまいました。愚かしき者どもよ、われに平安を与えよ。なんてこといってたって仕方ありませんから、とりあえずウェブサイトに手を入れる作業によって地域社会から遊離した別世界に心を遊ばせたいと思います。

 さて、とまた地域社会の話題に戻るわけですが、3月23日にウェルサンピア伊賀で開催された第五回「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会、議事がすたこら進行してめでたくお開きとなりました。時間は午後6時45分。私は会場の白鳳の間から外に出て、ロビーで煙草に火をつけました。別に誰かを待ち構えていたというわけではないのですが、もしも視線を合わせてくる相手がいたら睨み返してやろうと思っておりましたところ(といっても二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長や木戸博事務局長あたりを相手にする気はまるでなかったのですが)、やがて野呂昭彦知事がお出ましになりました。

 視線をそらし気味に歩いていらっしゃいましたので、

 「どうもいろいろご苦労さまでした」

 とひとことご挨拶を申しあげますと、

 「いやまあ、えへ、えへ、えへ」

 と、かりそめにも知事ともあろう方がそんな卑屈な印象の笑い方をなさるとは考えられないのですが、いくら思い返してもそのようにしか想起できませんから記憶のとおりを記すことにして、知事はそんなことをおっしゃりながら近くのソファに身をお沈めになりました。会話はそれっきり。私のほうも24日付伝言に記しましたとおり「眼の前に見えているのに完全に閉ざされて接触することのできない空間のなかで、見事なまでに上っ面のきれいごとだけ並べてやたらべたべたと親密に議事が進行するのを間近に目撃してまいりました。えーい、気色が悪いわ」といった感じでぐったりしておりましたので何を申しあげる気にもなれません。なにしろあなた委員会冒頭の知事挨拶の要旨は次のようなものなのであって、まあこんなふうにしかおっしゃれないのだということはよくわかりますけれど、ここまでしゃあしゃあとしていられてはこちらとしては鼻白むしかありません。

 「今回の事業では企画段階から住民が参画し、多様な主体が対等なパートナーとなって新たな協働の取り組みが展開された。経済的効果もあり、特色あるまちづくりにも成果がもたらされた。県は県民しあわせプランのなかに地域主権の確立を掲げ、県民の協働で『新しい時代の公』を推し進めているところだが、今回の事業はそのモデル事業として位置づけており、事業の評価、検証、反省を今後に生かしてゆきたい。事業を一過性のものに終わらせず、伊賀地域においてこれを契機に活力ある地域づくりが進められることを期待している」

 はいはいさよですか。それはよござんした。

 ともあれ、きょうから三重県伊賀庁舎と呼ばれることになった旧上野庁舎の二〇〇四伊賀びと委員会事務局は昨日で閉鎖され、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業に関する問い合わせ先は本日から三重県生活部文化振興室文化政策グループ(電話059-224-2646)となります。何かのおりにはお気軽にご連絡ください。私も事務局が開設されているあいだに決算報告の不審な点を問い質しておきたいなと思っていたのですが、時間的な余裕がなくて果たせませんでした。せめて『協働の手引き』と『協働辞典』ならびに「名張からくりのまちコンテスト」に関してだけは確認しておきたいことがあったのですが。

 いかんいかん。また地域社会にばかり眼を向けているではないか。


●4月2日(土)

 本日は意を決して「RAMPO Up-To-Date」に手を入れてみたのですが、更新要領も忘れ気味とあってわずかに一件、それも昨日「番犬情報」に掲載した「日本探偵小説の父 森下雨村」がらみのものを記載してサイト内をあっちこっちいじり回すだけでえらく時間がかかってしまいました。まあ気長にやりましょう。

 さて世の中は春4月、どのような新年度をお迎えでしょうか。名張市のお隣にある伊賀市の市役所では昨1日、新規採用職員の辞令交付式が挙行され、今岡睦之市長が例によって黒い忍者装束に身を包んで辞令を手渡すシーンがテレビのローカルニュースで放送されたのですが、よそごとながらまた毎年のことながら、微妙に気恥ずかしい思いを噛みしめてしまった私です。

 そんな私もおかげさまで無事にクビがつながり、本年9月30日までひきつづき名張市立図書館カリスマ嘱託でいられることになりました。きのうありがたく押し戴いてきた辞令をご覧ください。

 ありがたやありがたや。2005年度もよろしくお願いいたします。正確に申しあげますと2005年度前半なわけですが。


●4月3日(日)

 忘れておりました。またしても「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業のことなのですが(年度が替わったというのにしつこいことで申し訳ありません)、3月23日の第五回事業推進委員会で配付された「全体事業評価報告書」についてもう少しお知らせし、必要とあらばいちゃもんのひとつもつけてやろうと手ぐすね引いていたことを忘れておりました。簡単に片づけておきましょう。

 この事業評価はコミュニティ・シンクタンク「評価みえ」というNPO(特定非営利活動法人)の手で行われました。報告書はA4サイズ百七十八ページにも及ぶ大部なものです。ここに記された「来場者の7割が伊賀在住者」という報告のことはこの伝言でもお知らせいたしましたが、本日はもう少し突っ込んだお話をば。

 まず最初に申しあげておきますと、こうした評価にはさしたる意味を認められぬであろうと私は思います。これは要するに二〇〇四伊賀びと委員会がみずからを正当化して恰好をつけるために依頼し、評価みえたらいう御用NPOがそれに見合う報告書を提出したというだけの話なのであって、ほとんどの事業関係者には報告書の内容が伝えられていないのではないかと想像されます。つまりどんな評価がなされていたところで、それが事業関係者の指針となり拠りどころとなり血肉となって内面化されることなどあり得ないわけです。

 ところで、先日来お知らせしてきた決算報告書のなかに、『協働の手引き』と『協働辞典』の作成費用が「広報費」の報告では六百七十二万五千円、「事業費」の報告では十二万九千百五十円、そんなあほな、みたいな矛盾が存在していたことを読者諸兄姉はご記憶かもしれません。いっぽう、この事業評価とやらにどれくらいのお金が費やされたのか、評価みえたらいうNPOにどれだけの料金が支払われたのか、決算報告書のどこを眺めてもいっさい知ることができません。

 私の見るところ、なんだか怪しい広報費六百七十二万五千円のなかに事業評価の予算が含まれているのではないかと推測される次第なのですが、実際のところは知りようがありません。知ろうと思ったら三重県庁の生活部文化振興室文化政策グループを訪ねなければなりません。二〇〇四伊賀びと委員会事務局が閉鎖されるまでに問い質しておけばよかったと、いまさらながら悔やまれる次第です。

 そんなことはともかく、報告書のごく一部をご紹介しておきましょう。

直接的および間接的経済効果の分析結果
 平成16年、生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき関連イベント実施に伴う、イベント参加者の消費による県内需要増加額の試算および、波及効果は次のとおりとなる。
直接経済効果
11億1千0□万円
間接経済効果
4億7千7百万円
経済効果合計
15億8千7百万円
創出雇用数
150人

 なんと十五億八千万円もの経済効果があったそうです。三億円の税金を投じて十五億円の経済効果があったというのですから、伊賀市と名張市が毎年協力して三億円ずつ税金をつぎ込んでやれば伊賀地域はふたたび右肩あがりの黄金時代を迎えるのではないかと愚考されたりもするわけですが、実際いかがなものでしょうか。

 とはいうものの、これは先日もお知らせしたことですが、半年間にわたる事業の集客数は十六万七千四百五十一人とのことでしたから、ごく単純に計算すればお客さんが一人あたり大枚九千五百円ほどのお金を落としてくれたことになり(計算の単位が合っているかどうか不安なのですが)、もとよりきわめて大雑把な計算ではあるのですが、そんな効果はとてもなかったのではないかという疑問を抱かざるを得ません。

 しかも来場者の七割が伊賀在住者だったというのですから、昨年5月から11月までの事業期間中、伊賀地域住民があっちこっちのイベントに足を運んで十五億八千万円の70%、すなわち十一億円もの大金を消費したということになります。むろんすこぶる幼稚な机上の計算を行ってみた結果には過ぎないのですが、この報告書に基づいて結論を出すならば、伊賀地域の人たちはとてもお金持ちでじつに金離れがいいということになるでしょう。

 眉に唾をつけながらあすにつづきます。


●4月4日(月)

 とはいうものの、私には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の評価のことなどじつはどうだってよろしく、と申しますか、かりに評価という点を問題にするのであれば事業関係者が自分たちのやってることを客観的に評価する能力を持ち合わせていなかったという一点にこそ問題が存在するのであって、ですから私は彼らに対してあーこれこれ君たちや、仲間うちでしか通用しない独りよがりな価値観や判断基準だけに寄りかかってきゃっきゃきゃっきゃいってないでもっと視点を外在化させなさい、自分たちを客観視してみなさい、全国発信がどーたらこーたらほざくのであればせめて一度は伊賀盆地の外から伊賀を眺めてごらんなさいあーこりゃこりゃ、と衷心からなるアドバイスを送りつづけていた次第なのですが、二〇〇四伊賀びと委員会というのは結局のところ何を忠言しても藉す耳を持たないお猿さんの集まりでしかなかったという寸法です。つまりいまさらお猿さんたちがそれこそ三重県を発生源として全国に蔓延した事務事業評価ブームの猿真似みたいに評価評価と騒ぎ立ててみてくれたところで、私としてはいかなる関心も抱けるものではありません。

 それに以前にも記しましたとおり、そもそも評価なんてものは基準や観点によってさまざまに異なってくるものですし、時間を経過しなければ定まりがたい側面も当然存在するでしょう。人間の場合には棺を蓋いてこと定まるなんてことが昔からいわれておりますが、こうした事業の評価もまた短時日ではできかねるところがあり、しかしこの事業の場合は時間が経過したらすべてがうやむやになってしまうはずですから、これを要するにNPOに依頼した事業評価なんてまったく必要がない、そんなものは二〇〇四伊賀びと委員会が例によって上っ面を飾るための装飾品に過ぎない、といったことになりましょうか。

 したがいまして私としてはこの事業評価報告書に何も申しあげるつもりはないのですが、自分が登場しているパートに関してはひとことあってしかるべきかと考え、とりあえず「第2章 イベントとしての視点からの事業評価」のうちの「1 プロセス・マネジメント」のうちの「(5)多様な情報媒体を使って主体的な発信をしている」から引用することにいたします。

特記すべき論拠:
16. 広報の方法とわかりやすさ
「広報のタイミングのずれがあった」
「必要な情報はそろっていたが、行き渡るには至らなかった」

 HPのアクセス件数は多く、最大時(5月)には1万6千人がアクセスしている。しかしトップページのメインは、参加意欲をかきたてるための事業のイメージや具体的な情報[いつ、どこで、どのような魅力的なイベントがあるか]という情報の所在が一見してわかりにくく、[伊賀はあなたのお越しをお待ちしています]というアピール性が弱い。

 HP上での新規情報の発信も「伊賀びと通信」のアップロードがメインであり、「What's New」のコーナーは、全65件中、開催期間中の情報発信数は3件に留まっている(平成17年2月16日現在)。

 HPの掲示板を平成15年9月に開設したが、特定の人物空長文の書き込み、問い合わせが行われ、他の人の書き込み意欲を失わせ、「蔵びらき」事業のイメージを損なうことを危惧した事務局が平成16年1月に閉鎖する事態となった。

 公的なHPにある掲示板が突如閉鎖されることは考えにくいことである。三重県ではe−デモクラシーやパブリックコメントという広く意見を聴く場を設けてきた土壌があるだけに、トラブルを想定した運営がなされなかった甘さもあるのではないかと思われる。

 二〇〇四伊賀びと委員会のHP、つまりオフィシャルサイトに関する評価です。最初に誤りを訂しておきますと、「人物空長文」とありますのは「人物から長文」の誤変換。掲示板の開設が平成15年9月、閉鎖が16年1月とありますのは、それぞれ15年10月、16年2月の誤りです。嘘だと思ったら当サイト「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」でご確認ください。さらにもうひとつ事務局が掲示板を閉鎖したとされております点は、より正確には2月12日夜に開催された組かしら会で閉鎖が決定されたというべきでしょう。

 さて、上記引用中の「特定の人物」とは誰のことでしょう。かく申す私のことです。事情をご存じの方がお読みになれば百人が百人とも、この「特定の人物」というのが紛れもなく私であると太鼓判を捺してくださることでしょう。えへ、えへ、えへ。それでこの評価報告書によりますと、掲示板閉鎖はなんと「『蔵びらき』事業のイメージを損なうことを危惧した」結果であるとのことではありませんか。へー、そーなんだー、と思わざるを得ません。掲示板閉鎖に関しては委員会のオフィシャルサイトでその理由が説明されており、まず昨年2月の閉鎖時には──

掲示板は、市民の方々からたくさんのご提案をいただき、その書き込みに対応したり、また、伊賀びと委員会の委員それぞれが活発に自身担当業務の進捗状況を報告したり、思うところを自由に書き込むなどを想定していましたが、準備と周知の不足からそのような広がった展開ができませんでした。

 それからなぜか昨年7月8日には、いやいや、なぜかなどと空とぼける必要もないでしょう。私が「知事と語ろう本音でトーク」という催しで掲示板閉鎖問題をとりあげると公言したものですから、前言を取り繕って自分たちの正当性をより明確に主張しようとした事務局によってこんな文章が掲載されました。

 昨年10月当事業のホームページに、市民の民様から事業に対する幅広いご提案を頂くため、また2004伊賀びと委員会委員の意見交換や報告の場として、掲示板を開設いたしました。
 しかし、(1)市民の方からの自由な意見交換の場として機能していない。(2)委員からの情報提供や意見交換の場として機能していない。(3)好ましく無い表現や第三者の実名が書き込まれるなど、運営管理が難しい、という状況であり、本年2月に2004伊賀びと委員会として協議した結果、掲示板を当分の間停止することとし、その旨を掲示板に掲出しました。

 こんなものは上っ面をきれいごとで取り繕っただけの理由説明にしか過ぎません。ですから私は委員会事務局に対して、たとえば昨年7月22日付メールでこの説明が「貴委員会がみずからの保身や正当化のために事実を歪曲して記したものと申しあげるしかありません」と指摘し、12月16日夜には組かしら会にお邪魔してみずからの見解を滔々と述べたりもしてみたのですが、二〇〇四伊賀びと委員会はうんともすんとも何の反応も見せなかったわけです。

 ところが、千丈の堤も蟻の穴より崩れると申しますか(ちょっと違うか)、天網恢々疎にして漏らさずと申しますか(これもちょっと違うか)、とにかくこの報告書では事務局が「『蔵びらき』事業のイメージを損なうことを危惧した」という隠されていた事実があっさりと露呈されております。事業のイメージというよりは、むしろ自分たちのイメージとするほうが正確でしょう。掲示板の機能がどうのこうのという以前に、委員会が自分たちのイメージをこれ以上損なわぬようみずからの保身や正当化を目的として掲示板を閉鎖したのだという紛れもない事実が、ここには神もご照覧あれとばかりに一点の曇りもない明らかさで記されているのじゃあーこりゃこりゃと申しあげておきましょう。たぶん評価みえの質問に答えてどっかの莫迦がうっかり口を滑らせてしまった結果に相違ありませんが、自分たちの手では何ひとつしようとせずただああ、ああ、イ、イメージが、イメージが損なわれると手をこまねいていた山猿ども。それならそうと最初から正直に白状しろ莫迦。

 といったってこんな事実は当初から見え透いていたわけで、掲示板閉鎖の直後、昨年2月13日の伝言に私はこんなことを記しております。

 ここでつらつら思い返しますに、私が二〇〇四伊賀びと委員会の組かしら会メンバーのお名前を列記して、この人たちから回答がいただけるのかどうかをご本人それぞれに確認してくれと掲示板管理者の方にお願いした、そのお答えをまだ頂戴できておりませんでしたから、ごく普通に考えますと、おかしら衆は私の質問に回答してくれる気がなく、しかし回答する気はないと掲示板で公表するのは明らかな責任回避ですからさすがにそんなことはできない、それなら「蛍の光」が終わるまで空とぼけていればいいのではないか、いやいや回答するかしないかを答えない限りあの莫迦「蛍の光」が終わっても「そっとおやすみ」でも「メリー・ジェーン」でも「お座敷小唄」でも何曲だって歌いつづけるつもりですぜ、ほなどないしまんにゃ、よし掲示板は閉鎖と決定だ、俺たちってこんなときだけすぐに意見がまとまるのね、うるせえ、ばしッ、みたいな流れがあったのかなとも推測される次第ですが、なにしろ二〇〇四伊賀びと委員会のことですから真相はすべて闇の中と申しあげるしかありません。どーせ訊いても答えねーだろーしよ。

 この私の推測を事業評価報告書がしっかり裏づけてくれたのだと申しあげておきましょう。えへ、えへ、えへ。あすにつづきます。


●4月5日(火)

 きのうのつづきです。コミュニティ・シンクタンク「評価みえ」による「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の「全体事業評価報告書」から、本日の関連箇所だけ再度引いておきます。

 と書き出してみたのですが、どうも塩梅がよろしくありません。常用している入力ソフトの具合がおかしくなり、OS付属の入力ソフトに切り替えてキーボードを叩いているせいです。なんかとってもやりにくい。というか、常用入力ソフトがどんな状態になっているのやら、急いで調べねばなりません。本日はここまでといたします。


●4月6日(水)

 呀ッ、というまの出来事におじゃりました。きのうの朝のことでおじゃる。日本語入力ソフトの不調を何とかしようと考えた私は、いや待てよ、下手なことして事態をいっそう悪化させるのも莫迦らしいから(そういうことはこれまでに多々経験しているわけですが)、いっそこの機会にソフトをバージョンアップしてやるか、よし、奇貨おくべし、と思い直しました。

 さっそくメーカーのサイトにアクセスして手続きを済ませ、最新バージョンをダウンロードしてパソコンにさくさくインストールしたとお思いください。旧バージョンの辞書を継承する設定にしたことはいうまでもありません。ところが、最新バージョンの入力ソフトでいそいそ文章を入力してみて思わず呀ッと叫んだことには、これまでに登録した単語がすべて消えているではありませんか。

 呀ッ、呀ッ、呀ッ、呀ッ、呀ッ、と莫迦みたいに何度叫んだことかしら。地名や人名をはじめとしてその他もろもろ、そういえば乱歩作品のタイトルも小説全作品と主要な評論随筆が一発変換できるようになっておじゃったわけですが、とにかく営々孜々として蓄積してきた登録単語がきれいさっぱりと姿を消してしまいました。いやまいったな。

 仕方ありませんから一から再登録することにして、自分の名前(相作、などという名前はどんな日本語入力ソフトにも辞書登録されていないと思います)、番犬の愛称(スタ公、などという名前も以下同文)と正式名称(ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン以下同文)あたりからぼちぼち始めた次第なのですが、なんかもうぐったり。それにしてもまったく呀ッ、というまの出来事におじゃりました。

 なんてこといってるあいだにメディアにはこんなニュースが。

名張毒ブドウ酒事件で再審開始決定 名古屋高裁
 三重県名張市で61年3月、ブドウ酒に入れられた農薬で女性5人が死亡、12人が中毒症状になった「名張毒ブドウ酒事件」で、殺人罪などに問われて死刑が確定した奥西勝死刑囚(79)の第7次再審請求に対し、名古屋高裁は5日、再審を開始する決定をした。小出●一裁判長は「自白の信用性には重大な疑問があり、他の者による可能性は否定できない」などと理由を述べた。名古屋高検は決定を受け、異議申し立てを検討しており、3日以内に申し立てがあれば、改めて同高裁の別の部で審理が行われる。

 ※●は、金ヘンに享

 朝日新聞 asahi.com 2005/04/05/11:14

名張毒ぶどう酒事件の再審決定 名古屋高裁
  ■名張毒ぶどう酒事件 1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた会合で、ぶどう酒を飲んだ奥西勝元被告の妻=当時(34)=ら女性5人が死亡、12人が中毒症状にかかり、ぶどう酒から有機リン系農薬が検出された。奥西勝元被告は一時、三角関係の清算が目的の犯行と自白。起訴直前に否認したが、会合に出席した女性20人全員に殺意をもってぶどう酒を出したとして、5人に対する殺人と15人に対する殺人未遂の罪に問われた。津地裁は64年、証拠不十分として無罪を言い渡したが、名古屋高裁は69年、逆転有罪の死刑判決。最高裁が72年に上告を棄却し、死刑が確定した。(共同)
 産経新聞 Sankei Web 2005/04/05/11:30

止まらぬ涙、奥西死刑囚 “最後の請求”実る
 死刑囚に、ようやく春の日が差し込んだ。「名張ぶどう酒事件」の第七次再審請求審で名古屋高裁は五日、奥西勝死刑囚の再審開始を認めた。事件発生から、四十四年。これまで六回の再審請求が退けられ、「年齢との闘い。後はない」と最後の望みをかけた七十九歳の死刑囚。時間の壁に果敢に挑み、新証拠にたどり着いた弁護団。「生きたい」「生かしたい」との執念が実り、狭き門が開いた。

 「新たに生命力をいただいた気持ちです」。再審開始決定の出た五日午後、名古屋拘置所に収監中の奥西勝死刑囚は、こう言って泣いた。ただ静かに涙を流し続けた。これまで弁護団にも見せたことがない姿だった。

 接見した弁護団の鬼頭治雄、小林修両弁護士によると、昼食を中断して面会室に入ってきた奥西死刑囚は初め、不安そうな表情だったという。当初、三月中にも、と期待していた決定が遅れ、この日の不意の面会…。過去六回の再審請求と同じく「また棄却か」との思いがよぎったのか。

 ガラス越しに再審決定と死刑執行の停止を知らされると、しばし、沈黙した後「ありがとうございました」とぽつり。やがて目から涙があふれ出し、十分間ほどの面会時間中、止まることはなかった。

 こちら名張毒葡萄酒事件の地元からお送りしておりますが、奥西勝さんの再審請求が認められたことを心から喜びたいと思います。いくら何でも再審開始の決定が遅きに失しておりますが、しかしまだ完全に取り返しがつかないというわけではありません。新聞報道によればこれまでの例では確定死刑囚四人がすべて再審で無罪になっているそうで、奥西さんの死刑判決もたぶん再審で覆されることになるでしょう。何にしてもよかったよかった。それにしても名張毒葡萄酒事件からもう四十四年か……

 感懐にふけるいとまもあらばこそ。いつまでもあとを引いて困ったものですが、コミュニティ・シンクタンク「評価みえ」による「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の「全体事業評価報告書」のお話をつづけます。もっとも私はこの報告書にいちゃもんをつけているわけではさらさらなく、おとといも記しましたとおり自分が登場しているパートに関してひとこと申しあげておこうかなと、そんなふうに考えているだけの話です。

 とはいえこの報告書、眉に唾をつけたり小首を傾げたりしたくなるところがないでもなく、先日お知らせした経済効果の問題もそうなのですが、きょうはたとえばここいらあたりにちょこっとツッコミを入れておきましょうか。イベント参加者を対象としたアンケートに基づく報告です。

伊賀在住者の本事業の認知度は高い
 「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の認知度は、伊賀地域の居住者においてはおおむね高い傾向を示している。

 大阪で開催された1事業を除き、「『生誕360年記念事業』または『蔵びらき事業』をご存知でしたか」との設問を併記した2事業においては、約9割の人が「はい」と答えている。両事業とも、伊賀地域に居住しているという回答者属性とも符合し、伊賀地域においては、「生誕360年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業は、一定の認識を持って受け止められていることが推察される。

 いくらなんでもこれはあるまい。なぜかと申しますに、アンケート対象は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で実施されたイベントにわざわざ足を運んだ人ばかりなんですから、その九割が事業を認知しているのはごく当たり前のことであって、逆に残りの一割っていったい何? 訳もわかんないままふらふらイベントに参加したわけ? という話になるでしょう。ただの通りすがりであったのか、それとも真性の莫迦なのか。

 いずれにせよここまで対象が限定されたアンケートの結果を伊賀地域全体に敷衍してしまったんじゃ、下手すりゃインチキのそしりは免れませんぜ若旦那と申しあげておきましょう。伊賀地域における事業の認知度を調査するというのであれば、せめて地域全体を対象として無作為抽出による電話アンケートを実施するくらいのことはやっていただたきたい。それができないなら「伊賀在住者の本事業の認知度」の報告なんかやめておきましょう。まったくこんなインチキめいた報告で料金、つまりは税金をふんだくられたのでは……

 いや、まあ、いいか。名張毒葡萄酒事件の再審開始決定に免じて大目に見てやるぜ。


●4月7日(木)

 大目に見てさしあげることにはしても、いうべきことはいっておかなければなりません。4日付伝言でお読みいただいた評価報告書の引用から本日の関連箇所を再度引きます。明らかな誤記は訂しておきましょう。

 HPの掲示板を平成15年10月に開設したが、特定の人物から長文の書き込み、問い合わせが行われ、他の人の書き込み意欲を失わせ、「蔵びらき」事業のイメージを損なうことを危惧した事務局が平成16年2月に閉鎖する事態となった。

 公的なHPにある掲示板が突如閉鎖されることは考えにくいことである。三重県ではe−デモクラシーやパブリックコメントという広く意見を聴く場を設けてきた土壌があるだけに、トラブルを想定した運営がなされなかった甘さもあるのではないかと思われる。

 「特定の人物から長文の書き込み、問い合わせが行われ」たゆうのが事実やったとしてもやで、問題はそれがなんでやったかゆうことやがな。なんで特定の人物が長文の書き込みでひちくどう問い合わせしたんかゆうたら、事業と組織の根幹に看過しがたい疑問があったからやないか。おまえらこんなことでええんかゆうてなんぼ投稿したかて二〇〇四伊賀びと委員会のあほどもがなんにも答えようとせえへんかったからやないか。何が「他の人の書き込み意欲を失わせ」じゃ。ええ加減なこと抜かすな。特定の人物のほかにも三、四人の人間が意欲満々で毎日書き込んでた掲示板をおのれの体面と面子だけ考えていきなり閉鎖してしもたぼけが何抜かしとる。しばきあげたろかこら。

 関西弁がお嫌いな方にはたいへん申し訳ない事態となっておりますが、おとといバージョンアップしました日本語入力ソフトはなんと「話し言葉関西」で変換できる機能を有しておりますので、いやこれは漫才書くとき重宝するかなと試用してみた次第です。結構快調みたいです。

 いまさら例の掲示板閉鎖と過去ログ封鎖のことを持ち出しても致し方ありませんが、この件に関しては報告書がずいぶん二〇〇四伊賀びと委員会寄りになっておりますので、むろん御用NPOにはそれなりの限界というものがあって当然ではあるのでしょうが、もう少し客観的な評価を心がけていただきたいものだと私は思います。「トラブルを想定した運営がなされなかった甘さもあるのではないかと思われる」とはそも何事ぞ。

 事態を勝手に「トラブル」にしてしまったのは委員会側ではないか。連中が私の投稿にきちんと応えてさえいればトラブルになんかなるはずがなかったことは「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」を一覧すれば一目瞭然。そんなことも理解できずに「トラブル」のひとことで片づけてしまったコミュニティ・シンクタンク「評価みえ」っていったい何? ただの莫迦? 「公的なHPにある掲示板が突如閉鎖されることは考えにくいことである」というのもじつに間の抜けた評言で、考えにくいことが普通に起きてしまった場合、その背景や要因を分析し摘出して明らかに示すことこそ評価という行為が本来果たすべき機能ではないか。それが評価なるものの本質ではないか。じゃと申すのにこのNPOはいったい何をやっておるのか。

 いやいや、まあいいでしょう。大目に見てさしあげましょう。この御用NPOの評価能力に重大な疑問を抱いた私が抗議と質問のメールを送っても何の不思議もないところではあり、それにいやしくも「評価」という看板を掲げて活動する人間はつねにみずからを他者の評価の対象としてさらしつづけてもいるのだという基本的なことを一度きっちり教えてさしあげたほうがいいのかなとも判断される次第ですが、ええもううんざりにおじゃりまする。読者諸兄姉だってうんざりでしょうけど、私ももう「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」にはさすがにうんざりでおじゃりまする。

 いやいや、これではまずいかな。こんなことばかり書き連ねているとコミュニティ・シンクタンク「評価みえ」がどうしようもないぼんくらNPOだと信じ込んでしまう人が出てくるかもしれません。評価対象によって御用NPOの限界を露呈させてしまうことはあるにしても、報告内容のすべてがすべて委員会寄りだということでもありません。その一例として、一部再掲となりますがここいらあたりをお読みいただきましょうか。

来場者の7割が伊賀在住者
 来場者アンケート回答者619名の内、伊賀地域居住者が421(68%)に上っている。事業ごとに多少の増減はあるものの、オープニングイベントの会場である上野公園でのアンケートと夏イベントフィナーレの大阪会場アンケートを除くと、伊賀地域居住者の比率がいずれも8割前後を示している。アンケート実施は無作為に参加者に対して行われているため、来場者の7割以上は伊賀在住者と推察できる。

 実施主体である2004伊賀びと委員会の目標とする情報発信の核となる対象地域(コアターゲット)は、伊賀地域ということであり、それに向けての情報発信と集客には成果があったと考えられる。

 しかし、全国・全世界との交流(参加)を目的とするイベントの開催趣旨においては、圏域外からの参加が3割という結果が妥当なものであるか内部で検討されることが望ましく、圏域外に対してのイベント情報の発信と集客方法の適合を確認する必要がある。

 なお、平成12年度に開催された東紀州体験フェスタでは、イベントにおける東紀州管内参加者割合は55%で、残りの45%は圏域外からの参加者である。(参考資料『東紀州体験フェスタ評価報告書』)

 この報告を要約いたしますと、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」ってのは私が賢くも予見したとおりご町内の親睦行事の寄せ集めでしかなかった、伊賀地域住民が右往左往しただけで遠来の客はたいして訪れず、それを全国発信だなんてぷっ、笑っちゃうわよ、といったことになりましょうか。


●4月8日(金)

 さて、年度をまたいで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の話題をお送りしてまいりましたが、結局のところこの事業は、私が当初からおちゃらかしていたとおり「ごみ大爆発の三重県と合併大分裂の伊賀七市町村がなあなあ感覚でお贈りするなんちゃってイベント」にしか過ぎませんでした。また、これも以前に乱歩の「国家ごっこ」になぞらえて指摘したことなのですが、事業のすべてが現実から遊離した閉鎖空間内での事業実施ごっこであり情報発信ごっこであったという印象を拭いきれません。そりゃあなた、最後の最後が決算報告ごっこと評価報告ごっこで締めくくられたわけなんですから、こちらとしてはえらく時間のかかるおままごとにつきあわされたものだなという気分です。

 ついでですから、最後の挨拶ごっこにもつきあっておきましょうか。事業を締めくくるにあたって「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業推進委員会の野呂昭彦会長と二〇〇四伊賀びと委員会の辻村勝則会長との連名でだーっと配られた礼状をご覧いただきましょう。え? この礼状はおまえのところにも届いたのかって? いやいや、そんな気の利いたことのできる連中なら、私をここまで怒らせることはなかったでしょう。

 さるにても、この礼状には「草いろいろおのおの花の手柄かな」という芭蕉の句が記され、歯の浮くようなメッセージが添えられている次第なのですが、天国の芭蕉もいいようにダシにされつづけてさぞやご立腹かもしれません。そういえば、自分たちのイメージが損なわれることに戦々恐々となった二〇〇四伊賀びと委員会の莫迦があとさき考えずなりふり構わず閉鎖してしまった例の掲示板で、あれはいつでしたか芭蕉さんのファンさんとこの句のことを楽しく話題にしたことが懐かしく思い出されます。くっそー。掲示板さえ閉鎖されなければおそらくは芭蕉さんのファンさんとのデートに持ち込めていたであろうものをこら辻村、おまえらほんとにえらいことしてくれたものだな。

 しかしおまえらと来た日には、ろくに芭蕉の句も知らないでよくもそれだけ芭蕉芭蕉と口にできたものだ。どこまで鉄面皮だったら気が済むのだ。おまえらにふさわしい芭蕉の句を教えてやるからよく憶えておけ山猿ども。「伊賀の蔵びらき掲示板全発言」で確認したところ、これはおまえらが泡を喰って掲示板を閉鎖する前日、すなわち昨年2月11日にもおまえらに捧げた句なのだが、おまえらそんなことまったく記憶しておらぬであろうが。

□□路通がみちのくに赴くに

草枕まことの華見しても来よ

 芭蕉に路通という弟子がいたわけ。これが素行の悪さから芭蕉の勘気に触れたわけ。つまり芭蕉が怒ったわけ。それで路通が陸奥への旅に出ることになったとき、芭蕉はこんな辛辣な送別句を餞としたわけさ。草枕、つまり旅の空で苦労を重ね、風雅の道にかなったほんまもんの花見でもしてこいおまえは、みたいなことなんですが、ときあたかも4月、拙宅の前にある某中央省庁関連事務所の中庭でもちょうど桜が満開となっておりますので、伊賀の山猿どもも閉鎖空間から世間に出てまことの花見とやらをしてきてはどうかね。ここらでしっかり締め直してこい。

 おまえらしっかり締め直してこい三重県職員ども、と野呂昭彦知事もご立腹です。4月6日付伊勢新聞の記事をどうぞ。

県職員の怠慢で知事/「しっかり締め直す」
 野呂昭彦知事は五日の定例記者会見で、行政経営品質向上活動に対する県職員の意識が低いことについて「日常業務のベースである以上、限りなく百パーセントの認識を持って仕事に当たらないといけない」とあらためて指摘。「(意識が徐々に高まるのを)指をくわえて待っているほどこちらも悠長ではない。ここらでしっかり締め直さないといけない」と話し、職員との対話などを通じて厳しく徹底していく考えを示した。

 公正・公平で効率的な組織運営を目指し、絶えず改善を繰り返す行政経営品質向上活動について、知事は一日の幹部訓示で、理解度が七割で、残りの三割が認知していなかったとの職員アンケート結果に触れ、「怠慢だ」と指摘していた。

 4月5日に行われた定例記者会見の模様もどうぞ。

2. 質疑応答
(質)それは巷間言われる、知事の代替わりで職員の気の緩みが出たということと、何かリンクされるようなことはおありですか。
(答)いえ、ありませんね。この2年間、少しずつ認識が広まってきているということは思いますけれども、指くわえて待っているほど、こっちも悠長ではありませんね。まず、しかも日常の業務に関することですから、ここらでしっかり締め直さなければいけないと思いますね。

(質)締めるには罰則なり、具体的な方法があると思うんですけども、どんなふうに浸透させます。
(答)締めるということは、私が日頃から言っておりますように、素直に足下からいったい何のために、誰のためにやっている県政なのかということをしっかり考えようということで、そういう形の中で自らそれに気が付いて納得をしていくということ、これがなければ本物になりませんね。そしてまたそれが行政経営品質向上活動そのものなんですね。ですから常に幹部職員にはそうやって対話を通して、職場において本当に県民に向かっての行政が最大限の能力を発揮できるよにリーダーシップをしっかり取ってもらいたい。したがって幹部職員がまず職員一人ひとりと対話をしながら、自分の所管している室の中の業務遂行の能力を最大限に高めていく、こういった取り組みが必要だということです。

 改革フェチの前知事が辞めてくれてじつに楽になった安穏になったとお喜びだった三重県職員のみなさん。みなさんどうやら怠慢だそうです。しっかり締め直してこいこの税金泥棒ども。


●4月9日(土)

 一週間ほど遅れてしまった計算になりますが(当地では桜の開花もほぼそんな按配、見ごろは例年より一週間ほど遅い感じです)、そろそろ2005年度に突入しましょう。いつまでも「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」などという莫迦騒ぎを相手にしているわけにはまいりません。それに相手にしようにも、事務局も閉鎖されて関係者はあと白波、いまや何もかもが急速にうやむやになりつつある状態です。莫迦の相手はいい加減にして、2005年度に足を踏み入れるべきでしょう。もっとも、昨年度のことにさかのぼって私に文句があるのだとおっしゃる方は、その旨お申し出いただければいくらでもお相手をいたします。お気軽にお申しつけください。

 サイトの更新も4月1日以来欠かさず毎日、文字どおり細々とですがつづけておりまして、といったってかなりひっくり返っている部屋のなかで手近にあるものを適当にピックアップして記載しているだけの話なのですが、それでもやはりサイト開設者としての自覚が復活してくると申しますか、けさなど某新聞社のオフィシャルサイトを閲覧している最中「怪しいサイト」なる言葉が目につき、うちのことかとつい閲覧してしまいました。「インターネット上には膨大な数の Web サイトが存在し、“怪しい”ものも多々ある」という記事なのですが、米スタンフォード大学の Persuasive Technology Lab(説得技術研究所)なるところが研究成果を理論にまとめたそうです。

信頼されるサイトの「10項目」
そして、この理論を基に、3年がかりでまとめられたのが「Web信頼性へのスタンフォード・ガイドライン」の10項目だ。すなわち「サイトの情報の正確さが簡単に確認できる」「サイトの背後に実世界の組織が控えている」「提供するサービスが専門的」「信頼できるスタッフが背後に控えている」「簡単な連絡手段がある」「デザインがプロらしく見える」「使いやすい」「頻繁に更新される」「宣伝的内容は抑えられている」「誤字など小さなものも含め、あらゆる間違いがない」――。言ってしまえば、当たり前のことなのだが、なかなか実践は難しい。このリストで、自分や自分の会社のWebサイトを、一度、見直してみてはいかがだろう。思わぬ弱点を発見できるかもしれない。

 こんな当たり前の結論を出すのに三年もかかったというのですから学問の道もなかなか大変みたいなのですが、私とてウェブサイト開設者の端くれ、さっそくこの成果に基づいて秋霜烈日の自己評価を試みました。

名張人外境の Web 信頼性
0
項 目
評価
1
サイトの情報の正確さが簡単に確認できる
2
サイトの背後に実世界の組織が控えている
3
提供するサービスが専門的
4
信頼できるスタッフが背後に控えている
5
簡単な連絡手段がある
6
デザインがプロらしく見える
7
使いやすい
8
頻繁に更新される
9
宣伝的内容は抑えられている
10
誤字など小さなものも含め、あらゆる間違いがない

 おかげさまですべて二重丸、きわめて高い評価となりました。なんかやってることが二〇〇四伊賀びと委員会みたいでしょうか。

 いかんいかん。もう2005年度です。2005年度に入って以来の当地最大の話題といえば、衆目の一致するところこれ以外にはないでしょう。

再審に異議申し立て
「名張毒ぶどう酒事件」で名古屋高検
 三重県名張市で一九六一年、五人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で名古屋高裁刑事一部が奥西勝死刑囚(79)=名古屋拘置所=の再審開始を決定したことを受け、名古屋高検は八日、決定取り消しと再審請求の棄却を求め、同高裁に異議を申し立てた。裁判をやり直すか否かが高裁刑事二部の異議審であらためて争われることになった。

 死刑囚の再審が決定した過去の四事件でも検察側は抗告して争い、再審開始が確定するまで一−三年程度、かかっている。審理長期化を懸念する弁護団・支援者からは強い反発の声が起きている。

 異議申し立ての理由について名古屋高検は「今回の決定には(ぶどう酒瓶の王冠や混入毒物などに関する)新証拠の評価に誤りがあり、(再審開始の基準を示した)最高裁白鳥決定などの趣旨にも反していて、到底承服しがたい」などとしている。

 検察側がじつに因循姑息頑迷固陋だという気がするのは私ひとりではないでしょう。検察は無謬だッ、と頑なに言い張ってるさまは何やら二〇〇四伊賀びと委員会事務局の頑なさを想起させるではありませんか。

 いかんいかん。2005年度です。そういえば、名張毒葡萄酒事件に関して亡父が何やら書いていたなと思い出しましたので、当サイト「折々の記」から引いてみましょう。

 一つの思い出ばなしがある。毒ブドウ酒事件の奥西勝に関してなのだ。
 松阪市に永井源という弁護士の長老がいた。長いあいだ県会議員をしていた人である。この人の実家が波瀬(たしかにこう覚えている)にある。ここに古い伊勢新聞が保存されているというので見せてもらいに行くことになった。
 ちょうど奥さん同伴で帰郷するというついでの日に連れていってもらう手はずがととのった。
 その日、まずお宅へ寄って、そこから自動車に乗せてもらった。波瀬というのは、もう少し行けば国見峠というところで、一時間以上かかったように思う。
 当時、毒ブドウ酒事件は第一審公判の過程で、永井弁護士は奥西勝の弁護人として無実を主張している最中であった。私は名張だというので、車の中で奥西がシロであることをいろいろの角度から話してくれた。その中で今でもはっきり覚えているのは次のことばだった。
 「奥西はね、君、事件の四、五日まえ松崎町の薬屋でコンドームを買っている。あれほどの事件を計画した男ならね、いまさらコンドームも必要ないじゃないか」
 こういう事実も無実の立証資料になったのかどうか知らないが、とにかく一審は無罪になった。
 控訴審のときは、たしか永井弁護士は亡くなっていた。もし生存していたら、控訴審はどんな展開をみせていたことだろう。

 それではまたあしたお目にかかります。それから、いざというときのためにみんなコンドームを購入しておくように。


●4月10日(日)

 おひさー、みたいな感じで当サイト「乱歩文献データブック」に新しいページを追加していたらえらく時間がかかってしまいました。本日はこれでおしまいといたします。