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2005年7月中旬
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●7月11日(月) 東映時代劇全盛時代の太秦撮影所では、市川右太衛門と片岡千恵蔵の二大スターが競演するたびに、シナリオライターにはある苦役が課せられることになりました。両御大の科白の数は、どちらが多くても少なくてもノーグッド、完全に同じでなければならなかったからです。 真偽のほどは定かではありませんが、そのような風聞はたしかに伝えられており、そしてわたくしめはいまにしてようよう、かりに実在していたのであればの話ではありますが、そのシナリオライターの苦労が痛いほど理解できるようになりました。 乱歩と横光を平等に扱う。 それがわたくしめがみずからに課した苦役であったわけですが、この平等は数学的美しさで達成されなければならぬ。わたくしめはそのように考えました。要するに文字数勝負だ、ということです。わたくしめに与えられた紙幅はわずか七枚、文字数でいえば二千八百字でしたから、わたくしめはそれを二百字単位に分割して原稿の執筆を進めることにいたしました。 つまりすべての段落はいずれも二百字と決め、そうなると全部で十四という段落数が導き出されますから、乱歩七、横光七、できれいに収まります。見事に平等です。わたくしめがいかに平等たらんと腐心したか、下に掲げる構成表でつぶさにご覧いただきたく思います。 表の見方といたしましては、その段落で乱歩を扱った場合には「乱歩」の欄に○を、横光を扱った場合には「横光」の欄に○をつけておりますことにご留意ください。両者に○がある場合は、当該段落で乱歩と横光の双方を扱ったことを示しております。なお、適宜小見出しを立ててくれという編集部の指示に基づいて、第一、四、八、十二段落の冒頭に小見出しを掲げました。 では、どうぞ。
こうして表にしてみますと、わざわざ表をつくらねばならぬほどのことではまったくなかったなという思いが強くいたしますわけですが、伊賀市民のみなさんにわたくしめが徹頭徹尾平等であったことをご確認いただくため、敢えて表示に踏み切ったものとお考えください。 ご覧いただきましたとおり、○の数は乱歩も横光もともに八、末広がりでまことに縁起がよろしいことをわたくしめは何よりの喜びとするものであり、この喜びを伊賀市民のみなさんと心から分かち合いたいと願うものであります。 |
●7月12日(火) 訃報というものには抗いがたい力があるようです。朝一番に閲覧した全国紙のサイトで橋本真也選手の逝去を知り、へーえ、と思いながら2チャンネルを中心にあっちこっちアクセスしつづけておりましたらもうこんな時間。 きょうは時間がなくなりましたから、以下に引用する記事を読んで自習してください。
この記事は大絶賛連載中ながらしばらくお休み中の「アンパーソンの掟」の投下燃料となりますので、よく憶えておくように。それから、次の記事には怪人二十面相の写真も掲載されている。リンクをたどってしっかり見ておきなさい。
それでは先生は、ちょっとふらふらしてきます。 |
●7月13日(水) ちょっとふらふらしてきます、という宣言どおり、きのうはほんとにふらふらしてしまいました。 乱歩の本の調査で動いたのはじつに久しぶりのことだったのですが、『江戸川乱歩著書目録』から洩れていた『池田満寿夫全豆本版画集』全九巻の一巻『屋根裏の散歩者』、これが京都の某大学図書館にあることを知りましたので、行ってデータを調べコピーを取り、そのあと知人とお酒を飲んでから近鉄京都駅にたどりついたところ、名張までの特急はもうなくなっていました。 近鉄では特急にしか乗らぬと決めているのですが、ないというのだから仕方ありません。京都から名張までの乗車券を買い求めて車中の人となったのですが、そのあと何がどうなったのか、これが自分でもよくわからない。名張にはまともに帰れず、あるときは奈良駅のホームできょろきょろし、あるときは鶴橋駅をうろうろしたあげく、榛原止まりの終電を降りて榛原から名張までタクシーで帰宅する羽目になりました。 近鉄電車に縁のない方にはまったく意味不明の話であろうと思われますが、とにかくそういうことだったわけです。それにしても、京都から名張までどうしてまともに帰れないのか。われながらおかしな話だなと、いまだに多少ふらふらしながら振り返られる次第です。 |
●7月14日(木) 伊賀市民のみなさんへの挨拶の途中ではございますが、乱歩ファンのみなさんのため『池田満寿夫全豆本版画集』についていささかの贅言を連ねておくことにいたします。 乱歩の実弟であった平井通が豆本の発行を手がけていたことは、乱歩ファンなら先刻ご存じのところでしょう。通は豆本を雛絵本と称していましたが、記念すべき雛絵本第一号に選んだ作品が乱歩の「屋根裏の散歩者」でした。挿絵として添えられたエッチングを担当したのが無名時代の池田満寿夫で、そのゆくたては彼のエッセイ「豆本因縁噺」(新風舎文庫『私の調書』所収)でお読みいただくことにして、平井通と池田満寿夫のコンビはその後も豆本をつくりつづけ、あわせて八冊を上梓。通の死後にはその遺志を継いだ池田豆本最終版『かぐやひめ』が刊行されました。 タイトルを列記しておきましょう。
乱歩作品のあとは女主人公のシリーズで行こう、と決めたのは平井通だったそうです。ワイルドありメリメありシェイクスピアありプレヴォーあり、われわれにもなじみの深い薄倖の美女やファムファタルが勢揃いしてラインダンスを踊っている観がありますが(なかではタマルの知名度がやや低いかもしれません。「タマル 創世記 ユダ オナニー」あたりで検索をどうぞ)、『池田満寿夫全豆本版画集』全九巻においてわれらが郷田三郎のみならずこれらの美女がいっせいに復刻されたというわけです。 復刻といっても豆本そのままの姿ではなく、池田満寿夫のエッチングが添えられた見開きだけを拡大して製版印刷、製本はせず作品ごとに函に入れ、その九つの函をワンセットとして帙に納めたというしろものですから、大学図書館スタッフのお姉さんが「はい、これです」と持ってきてくれたときにはその大きさに驚かされました。ちなみに直方体をなす帙のサイズは縦二七・六センチ、横二一センチ、高さ一四センチ、ぱかっと開いたところはこんな塩梅。 いちばん上に乗っかってるのが『屋根裏の散歩者』の函で、このなかにセイコーエプソンのピエゾグラフという技法でデジタルプリントされた池田満寿夫作品が一枚一枚、「屋根裏の散歩者」の解説を記したものなども含めれば合計十四枚が収められています。その一枚目、つまり表紙に相当するものはこんな塩梅。 版元は信濃毎日新聞社、発行は2002年5月31日(昨日の伝言には「『江戸川乱歩著書目録』から洩れていた『池田満寿夫全豆本版画集』」と記しましたが、厳密に申しますと名張市立図書館の刊本は2001年までを対象としていますから、洩れていた、ということにはならないのですが、わたくしめ的には完全に見落としていたな洩らしていたなと臍を噛んでおります)。限定百部を発行し、定価は二十五万円。手に取ってご覧になりたい方は京都精華大学の情報館へどうぞ。 それでは伊賀市民のみなさんへの挨拶に戻ることにいたしまして、わたくしめは次の三点をあらためて強調しておきたいと思うものであります。 ひとつ、わたくしめは横光利一の項の執筆をみずから希望したわけではなかった。それはむしろ天災のように、向こうから降りかかってきたものであった。災難と呼ぶにふさわしいものであった。災害に遭遇した人間を責めるなど、女の股から生まれてきた者のよくなし得るところではあるまい。 ひとつ、わたくしめは横光利一作品にあたうかぎり目を通してから原稿を執筆した。ろくに作品を読みもせず芭蕉がどうの横光がこうのとぴーちく囀ってる莫迦が伊賀市民のなかには少なからず存在しているようであるが、そんな愚劣な連中とは月とスッポンえらい違いなのだ。ただし、何も知らないくせに観阿弥がどうの乱歩がこうのとぱーちく囀ってる莫迦なら名張市にも普通にごろごろしている件について、という反論には仰せのとおりだと答えるしかない。ま、両者痛み分けといったところか。 ひとつ、わたくしめは乱歩と横光を申し分なく平等に扱った。天使の羽根一枚の重量を計測できる秤で測ってみても、天秤は完全無欠な水平を示すことであろう。 以上でございます。 |
●7月15日(金) ──そっだらことゆうても騙されねがらな。 と、伊賀市民のみなさんはわたくしめにおっしゃるかもしれません。名張の人間のくせにおらほの横光で金儲けしたではねが、と。おめは守銭奴だあ、銭このためなら何でもする男だあ、そうでねが、そうではねが、横光盗んで銭こさ稼いだではねが、と。 相手するさえあほらしゅう、みたいな感じになってきましたが、縷々ご説明申しあげますと、あなたご存じないかもしれませんけど、こんな場合の稼ぎなんてじつに高の知れたものです。血迷うほどの話では全然ありません。 早い話が、私はいま電卓片手に拙宅書棚の文庫本コーナー日本人作家よの部で横光利一の文庫本を確認してきたのですが、講談社文芸文庫六冊の値段を合計すると八千円ほどになりました。新潮日本文学ならびに新潮日本文学アルバムの横光の巻はちょっと見当たらなかったのですが(拙宅書棚のハードカバーコーナーの整理はほったらかしの状態です)、前者は二千数百円、後者は千数百円といったところでしょうか。この本代だけであなた、わたくしめが受け取ることになる原稿料なんてほぼ飛んでしまいます。 しかのみならずこれがまた、律儀者のわたくしめは乱歩横光双方のご遺族に一部ずつお送りしなければと考えました。で、献本の代送を版元に依頼しておきましたところ、先日版元から献本分の納品書が届いて、本代だの郵送料だのをひっくるめて献本二冊の代金五千数百円は「ご印税相殺」の扱いになるとのことでした。 したがいまして、銭こさ稼いだ銭こさ稼いだと伊賀市民のみなさんがわたくしめを批難なさったとしても、それはぬれぎぬ無実の罪、実際にはそんなことはまったくなく、ていうか横光の著作と献本に要した費用を勘案するならば話は真逆で、おらほはなんもの赤字で損どごした、わがっぺがや、もっちゃぐれらかしたどしかゆわえねべ、てなもんよ。 といった次第で、吉川弘文館発行「街道の日本史」の第三十四巻『奈良と伊勢街道』、もう一度チラシをご紹介して伊賀市民のみなさんへの言い訳を終えることにいたします。 気になるお値段は税込み二千七百三十円。じつはわたくしめ、この本をいまだ一ページも読んでおらず、推薦の辞なんて述べようがないというのが正直なところなのですが、とにかく伊賀市民のみなさん、読めとはいわない、買ってみよう。たまには本と名のつくものを買うという、あの心躍る冒険に挑戦してみよう。それでこそ教養ある伊賀市民だ。 何? 手前ども教養と見識だけは見事に持ち合わせておりません? はっはっは。知るかそんなこと。それではご機嫌よう。 |
●7月16日(土) 暑くなってきました。きのうの当地などこの夏いちばんの暑さを記録したのではないでしょうか。きょうも水銀柱が鰻のぼりになりそうで、朝からぼんやりしております。それにしても水銀柱が鰻のぼりというのは、やたら古色蒼然たる比喩ではあります。 ここで訂正を一件。13日と14日の伝言に記した『池田満寿夫豆本版画集』というタイトルが間違っておりました。正しくは『池田満寿夫全豆本版画集』です。じつは現物を目にしたとき、タイトルの語呂が悪いではないか、「全」は不要ではないか、敢えて「全」を使用するなら「池田満寿夫豆本版画全集」だろうと思ったことが、この間違いの要因であろうかと思われます。ご指摘いただいた方に謝意を表しつつ、ここにお詫びして訂正いたします。伝言録の書名はすべて訂しておきました。 さて、お待ちかねでもないでしょうけど、暑さのおりから清涼感いっぱいのニュースをひとつ。読売新聞オフィシャルサイトの、なんとフォトニュースのトップに掲載されておりました。
この記事に添えられた写真が「怪人二十面相に扮して、大阪・道頓堀で観光PRをする名張市議たち」なわけなんですが、私はいまや一点の疑念もなく、先ほど自分が記した「清涼感いっぱいのニュース」という言葉が嘘でしかなかったことを確信しております。集団二十面相に扮していただいた名張市議会議員の先生二十人のみなさんには、お暑い中まことにご苦労さまでございましたと申しあげておきましょう。 地元メディアの記事もどうぞ。
森脇和徳さんと名張市議会議員二十人のみなさんには暑い暑い、死ぬほど暑い中ほんとにどうもご苦労さまでございましたと申しあげておきましょう。 いや、「議員二十人」などと一括りにしてしまうのは失礼かもしれません。とりあえず名張市オフィシャルサイトの市議会議員名簿をご案内申しあげ、先生方のご紹介に代えさせていただく次第でございます。ついでにもうひとつ、私の漫才「名張市議会議員賛江」もどうぞ。 さーて。 |
●7月17日(日) 朝、書斎に入ったら、なまぬるい空気がよどんでいました。むしむしと暑かったきのうの熱気がまだ残留してるわけです。たまらんな。きょうは完全休養、涼しいところに寝転がって本を読んでばかりいる、そんな一日にしたいと思います。 ところできのうは、名張市議会議員道頓堀集団二十面相事件に関して、ふたりの知人から電話が入りました。おひとりからは、先生方はいったい何を考えていらっしゃるのでしょうね、というお尋ねを頂戴したのですが、むろん私にもようわかりません。もうおひとりからは、道頓堀集団二十面相事件にずっと付き添っていたという名張市民から聞いたのだが、現場は結構盛りあがっていたらしい、関西テレビの取材も来ていたみたいだし、という伝聞に基づく情報をお知らせいただきました。そらよろしおましたな。けっこなことでございます。 ではまたあした。名張市議会議員のみなさんに対して、と申しますか具体的には名張市役所の議会事務局に対してアクションを起こすのは休み明けのことになりますから、関係各位はどうぞごゆっくり。ところで議会事務局には総務調査室と議事法務室の二室があるようで、いったいどちらにメールをお送りすればいいのやら。 ああ、きょうも暑くなりそうだ。 |
●7月19日(火) さーて。 休み明けとなりましたので、名張市議会事務局へのメールをすらすら書きあげ、さっそく送信しようと思ったのですが、木で鼻をくくったような無味乾燥な文面であることが気になりました。このメールは柳生大輔さんとかおっしゃる議長さんにもぜひお読みいただきたいものだと考えておりますので、いやむろん二十人の議員先生全員にお読みいただくのが私としては望ましいのですが、とはいえ実際のところは誰にお読みいただこうがそんなことには関わりなく、いやもっとはっきりいってしまえば何を書いたものであろうと内容にはいっさい関係なく、俺はとにかく少しでも面白く読める文章を書かねばならんのではないか、と自問されましたので全面的に書き改めることにいたしました。送信するのはたぶんあしたのことになります。あしからずご了承ください。 さーて。 |
さーて。 けさの当地の大気はなかなか爽快ですが、おかげさまにて名張市議会事務局宛メール、この大気に負けず劣らず爽快な感じのものをついさっき送信いたしました。文面はこんな塩梅です。
きのう事務局宛に書いたメールはだいたいこういった感じで、曲も愛想もないものでしたから、これではならじと書き改め、添付ファイルにしたのが下に掲げる文章です。 といったって、実際のところはいつもいつも同じことであって、名張の自己宣伝に乱歩を利用するのならちっとは乱歩の人と作品ってやつを弁えてからにしてくれんか、こんなことばっかいってるわけです私は。いい加減飽き飽きしてしまいますけど、そのくせ結構嬉々として書きあげましたところをお読みください。
なんか深沢のとっつぁんみたいになっちまいましたが(深沢のとっつぁん、というのは深沢七郎のことです)、この芸風をこれ以上追求するってえと武者小路のじいさまみたいになっちまうことでしょうから(武者小路のじいさま、というのは武者小路実篤のことです)、あまり深間にはまらないように気をつけたいと思います。なにごとも度が過ぎるのは禁物でしょう。論語にだってこうあります。 ──過ぎたるは猶、お呼びでない。 こりゃまた失礼、いたしましたッ。 |
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